第22話:第二次革命未遂事件(13)
「ハァ……ハァ…ハァハァ…ハァハァハァハァ」
心臓が高鳴り、その音が耳に直接届いてくる錯覚を覚える。
呼吸までもが心臓の高鳴りに呼応するようにより早いものへとなって行き、自分の乱れた呼吸が心臓の高鳴りに紛れるように聞こえる。
実際のところは聞こえるのは自身の過呼吸気味の呼吸音だけで心音などは聞こえてきていないのだと思う。
だけど、そう錯覚をしてしまうほど知覚が混乱をしている。
「……何が…何があった」
何があった?
何が起きた?
レオはどうなった?
どうして?
視界に映るあの赤黒い液体はなんだ?
過呼吸の影響で眩暈がして、まともに立っていられなくなった俺は尻餅をついた。
カレンはというと、とっくに腰を抜かしてしまっていて両手で頭を抱えながら「違う」と繰り返している。何が違うのだろうか。
身の丈よりもはるかに大きな片刃の長剣は地面へと無造作に放り投げられている。
まぁ、放り投げられたというよりは戦意が今度こそ完全に消滅して、長剣を握っていた手を離してしまっただけだろう。
現に、俺も同じように手に力が入らなくて持っていた長剣を離してしまっているからな。
顎関節が震え、その振動が恐怖の権化として体全体へと伝播してゆく。
後頭部へと移り、骨を通して項へと。項を通して両肩、肩甲骨へと。
二の腕から肘を経由し、手のひら、指関節へと。
背骨を通して臀部、大腿骨へと。
太ももを通して膝へ伝い、脛、足首、両足の指先へと。
震えは瞬く間に体の隅々へと行き渡った。
体が震える影響のひとつで、半開きの口から口内で歯と歯がぶつかる音が漏れる。
カチカチと言う不気味な音だ。
あぁ。俺は今、怖いと思ってるんだな。
自分の感覚をどこか冷静に見物している自分がいた。
「きゃあっ!」
短いカレンの悲鳴が聞こえ、慌てて彼女の方を見ると、カレンはどこからともなく現れたウィークに話しかけられていた。
区切るように、カレンへといくつかの言葉を投げかけるウィーク。
それがどんなものなのかは分からない。聞こえないからだ。
ただ、必死になってカレンが首を横に振っていることから、よくない話を振られているであろうことはよくわかる。
ぼうっとする頭で二人の様子を見ていると、ウィークが突然カレンの首へ目掛けて蹴りを入れた。
カレンが腰を抜かして地面にへたり込んでいたからこそできたことだ。
首のあたりを蹴られたカレンは崩れ落ち、ぐったりとした様子で地面へと頬ずりをする。
「……あ、終わった」
そう思い、口に出した次の瞬間には目の前にウィークが居た。
「悪かったな。もう少し遊んでやりたかったんだけどよ、お前たちがあまりにも弱すぎるから興ざめしちまったわ」
ここで俺が何かを言わないと…。すぐに殺される。
直感で理解した。
「お、お前、さっきカレンと何を話してたんだ」
「なんだ、興味があるのか」
「ああ。あるね」
「お前、あの女に惚れてんのか?」
「は…はぁあ? そんなわけねぇだろ! なんでそんな話になんだよ!」
強がってウィークと会話を始めると、少しずつ気持ちが落ち着いてきた。
状況の理解に感情が追いついた証拠だろうか。
体の震えも僅かだけど治った。
「いや、聞いてみただけだ。別に変な勘違いとかはしてないから安心しろ」
その言葉にホッとできるほどには冷静になれていた。
「そういうのはいいから早く教えろよ」
ウィークがニタリと顔を歪めながら厭らしく笑う。
なんだか嫌な予感がする。
「そんなに知りたいなら教えてやるよ。オマエも年頃ダなぁ」
「……」
「あの女にはな、俺の奴隷になるなら命だけは助けてやるって言ったんだ。美人だし、横に置いておいて損は無いだろう?」
「…は? 奴隷?」
なるほど。
だから嫌がるみたいに首を横に振ってたのか。
「ああ。奴隷だ。あの女、気は強そうだが精神面が弱いみたいだしな。奴隷にできたなら少し調教するだけですぐに従順になっただろな。へこへこと頭を下げて俺の言うことはなんでも聞く。それにあの容姿だ。最高だろうなぁ」
「下衆が」
「それが俺たちの性だろ」
ウィークの言葉に反論できなかった。
俺は人間でウィークは魔族。
全くの別物である生き物同士、積み上げてきた文化が違うわけだし、思考も当然のように違ってくる。
俺にウィークのことがば理解できるはずが無い。
それが当たり前なんだから。
だから俺は、それが奴らの思考なのかとウィークの言葉をただ受け止めるしかできなかった。
「本当はあの女を手元に置きたかった。けど、あの女は嫌だと言った。俺の奴隷になるくらいなら死んだほうがマシだとか言いやがったんだ」
「…だから殺したのか?」
「だから黙ってもらったんだ」
「殺したのか?」
「死んでみればわかるさ」
背に悪寒が走った。
本能的に、恐怖の震えとは別方向で体が小さく震えた。
だが、たったそれだけのことで恐怖による体の震えが収まり、脚に力が入るようになる。
俺は傍に落ちていた剣を拾い、立ち上がり、走り出した。
「逃げないと! 逃げないと! 逃げないと! 逃げないと!」
自分を鼓舞するように、言い聞かせるように繰り返し言う。
言葉を発しながら走ると普通に走るよりも疲れるが、今はそんなことどうでもいい。気にしている暇が勿体無い。
幸い、ウィークが追ってくる様子はなかった。
カレンのことが気がかりだったが、生き延びる事のほうが重要だ。
俺は振り返らずに走った。
そうして、やけにおとなしい邪竜事象から10メートルほど離れた時、
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああ!危ない!危ない!退け!」
と言うケビンの声と、
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
と言うシンプルなポーラの悲鳴が聞こえてきた。
頭上から。
慌てて立ち止まって見上げると、空高くから影が降ってくるのが見えた。
しかも俺めがけて。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
俺も思わずケビンみたいに叫び声を上げてしまった。
これまでの16年間の人生で一度も出したことが無いほどの大声だった。
頭が真っ白になってどうしていいかわからずにオロオロしていると、逆光で影になっていた、空から降ってきた人物が俺のすぐ目の前に着地した。
俺から1メートルも離れていない位置に両足で着地し、何事もなかったかのように俺と向かい合ったのは−
「へ? …あ、アリス?!」
背中にポーラを担ぎ、腕にはケビンをお姫様抱っこしているアリスだった。
いや、つーかケビンとポーラの運び方逆じゃね?
「よ、よぉ。元気だったか?」
そんなことを言いながら頬を赤らめるケビン。
うっわ。キモ。
「うっわ。キモ」
「キモとか言うなよ傷つくじゃねぇかよ」
ケラケラと笑うケビンを見て気づいた。
ケビンはいつものようなスーツ姿にサングラスではなく、鎧を身につけていた。
宝飾の類のものではなく、銀色が陽の光を反射する鉄製のシンプルかつ定番的な鎧だ。
関節部などの可動域が必要な部分は布製になってるやつな。
兜は当然被っておらず、だからこそ俺はケビンの表情がわかった。
髪もワックスでオールバックに固めたいつもの付き人としてのスタイルじゃなくて、髪の毛をおろした栗原優吾と言う一人の候補勇者としてのスタイルだった。
腰には使い古された柄の長剣が鞘に収められた状態で据えられている。
多分、かつてケビンが使っていた剣だ。
候補勇者時代のケビンが…な。
ケビンはアリスに降ろしてもらうと、屈伸やら伸びやらの準備運動を始めた。
頭をぐるぐると回して首の調子を確認したり、両手を握って力を込めたり開いたり。
準備運動というよりは、体が思い通りに動くのか確認しているという方が近い。
「お前、それどうしたんだよ」
ケビンを指差す。
「いや、随分と予想外の場違いなもんが見えたからよ、先輩として実力を見せるついでに、その場違いなもんを倒してやるかって思っただけだ」
飄飄とした様子のケビンに、
「ギャハハハハハハハハ!」
と言うウィークの汚い笑い声が浴びせられる。
口からこぼす音を纏った言語は片言な人語へと変化していた。
いや、変化していたというよりは戻ったという方が適切でより正確だろう。
とにかく、気づけば俺たちのすぐ横にゴブリンの魔王軍幹部は居た。
「オマエ 似アワナイ 事 言イヤガ ル」
「そうか? 俺、そんなに柄にも無い事言ってたか?」
煽るウィークに心の底からの笑顔で返し、その笑顔のまま、ケビンはウィークの首を掴んだ。
「まぁそれよりも、」
ウィークの首を握る手に力を込め、それに伴ってウィークは苦しそうな呻き声をあげる。
「死ぬ覚悟はできてるか」
ケビンが哀れみの表情で放った言葉は恐ろしいほどに冷え切っていた。




