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棺桶には千寿菊を一輪  作者: 月白鳥
記録――十六回目
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五:西洋躑躅

 ひび割れた石畳、立ち並ぶ石造りの家々、ぽつりぽつりとまばらに街路を照らす蛍光灯。舞台照明のような比較的新しい物が生をけている割には、何処か古さを感じさせる街並みである。いつの間にかキーンを追い越し、頭の照明を煌々と点けて歩くスペクトラの背を見上げながら、少女はぼんやりと考えていた。

 家々の窓は暗い。一部薄ぼんやりと点いているものもあるが、カーテンは堅く閉じ切られている。時刻は十時過ぎ、夜更かしの多い彼女にとってはまだ活動している時間であると言うのに、街はもう寝静まっているのだった。単純に生活のリズムが元の世界と違うのか、それとも街の外から来る“粗悪品”に対する何らかの対抗策なのか――考えども、答えが出てくるはずもない。

 スペクトラは彼女の思索を知っていたか。何も言わず、振り向きもせず、ずんずんと歩みを進めてしまう。少女は小走りで距離を保ちながら、探照灯を背負って歩くキーンへと声を掛けた。

 大丈夫か、と。一体何がどう大丈夫なのかなど、彼女自身にも分かりはしない。ただ、話の取っ掛りを作るためだけの心配である。包丁は彼女の方へ頭を巡らすことなく、小さく首を縦へ振った。


「重いは重いが、苦にするほど脆弱ではない。案ずるな」

「なら良かった。……そう言えばケイさん、“起こされた”ってどう言うことですか?」


 無事に次の話へ繋げることに成功したようだ。不安げな表情を少し緩め、少女は首を傾げながら問う。質問されたキーンは、説明は苦手だがとやや声を潜めて独りごち、すぐに元の調子へ戻した。


「まず、俺はお前が持ってきていた包丁が元だ。お前以前にも随分と使い込んでいる。それは良いな」

「……はい」


 キーンは少女の声音が沈んだものになったのを聞き逃しはしなかった。そして、彼女がそんな声を上げる理由も知っている。今日彼に“起こされる”まで、彼女ばかりが包丁を握っていたその理由を。しかし、それを口に出すほど彼は野暮ではない。

 ふむ、と喉の奥で一声。言葉をまとめ、綴る。


「しかし、それでも高々三十年だ。大切に扱われていた記憶は無論あるが、その意志だけでは命を得られない。足りないんだ。――外から、継ぎ足す必要がある」

「アーミラリさんですか」

「そうだな。俺はお前達からの意志にあの天球儀あんないにんの意志と記憶を足され、この世界で人の身を与えられた。長く生き、元ある意志に様々な経験を重ねた物は、俺のような足りない物に意志を明け渡し、新しい命を授けることが出来るのだと……()()()()()


 彼の落ち着き払った態度は、アーミラリから与えられた記憶を身にしているからだろう、と。少女はすとんと腑に落とした。初めてまみえるはずの“粗悪品”に対し、その詳細をすっかり知っているような発言を残せたのも、かの案内人の記憶あってこそである。

 成程、と口の中で呟く少女。疑問が氷解し納得した表情を浮かべる横顔へ、今度はキーンが問うた。


「名はどうする」

「名前……どうする? 本名じゃ駄目なんですか?」

「お前がそれで構わないと言うのならば何も言わないが」


 事実のみを告げる声音には何の感情も含まれていない。彼女が此処で本名を告げたとしても、彼は止めなかっただろう。

 しかし彼女は思案し、頼んだ。付けて欲しい、と。


「私にはこの世界のことなんてまだ分かりません。だから、ケイさんが丁度いい名前を下さい。それをこっちで使います」

「お、俺が? それは、また……参ったな」


 動揺した声を上げ、キーンは包丁の腹を軽くつついた。

 アーミラリは彼を“起こす”に当たって様々な記憶や技能を与えてはくれたが、流石に名付けのセンスなどは彼の保証対象外である。しかし、彼女を護り、降りかかる火の粉を払う力を与えよと命じられて“起こされた”以上、彼は彼女の願いを叶えなくてはならなかった。

 しかしながら、いくら頭を捻ったとて良い名など浮かぶべくもない。途方に暮れ、悶々として黙りこくった包丁へ、前を歩くスペクトラが助け舟を出す。


「そう言えば、貴方はアーミラリから“案内人特権”を与えられているはずです。何ですか」

「“案内人特権”――確かにそんなこと言ってましたけど、えっと、どうしたら分かりますか?」

「……彼が与える特権は、往々にして何かを生成する力です。掌の上に何かものを載せることを想像してみて下さい。俺も大佐がやっているのを見ているだけなのであまり深くお教えは出来ませんが、あの案内人のことですから。多少適当でも何か出てきますよ」


 質問した直後の妙な間は一体何なのだろうか。振り向きもせず、歩調を崩しもしない背中から推察することは出来ない。分からないことを無理に考えてもしょうがないと、少女は小さく首を振り、立ち止まる。同時に立ち止まったキーンとスペクトラを一瞥した後、彼女は自身の掌をじっと見つめた。

 想像したのは、赤いビー玉。ころころとした透明なガラス玉を載せるイメージを頭の中で膨らませ、眼前に投影する。そう、イメージと現実の感覚を同期できるのだ。何もないはずの掌に微かな重みが掛かり、周囲から寄せ集まった靄が想像を形にしていく。一度それを手にしてしまえば、後は早かった。

 ――しかし。彼女が現実に生成できたのは、ガラスでもなければ球でもない。


「バラ?」

「バラだな」

「バラですね」


 一輪の花であった。

 瑞々しい深紅のバラが、少女の手にちょこんと載っている。彼女はイメージしたものと手に出来たものとのギャップに困惑を隠せない。

 一方のスペクトラは、腕を組んで一考。すぐに解き、彼女へ告げた。


「貴方の“案内人特権”は花か、或いは植物全般を生成するものですね。貴方は若い女性ですから、ベクトルはどうあれ華やかなものを生成する能力を与えたつもりなのではないでしょうか」

「確かに花は好きですけど」


 数瞬の間。少女は首をひねる。


「これ、何の役に立つんでしょうか?」

「……献花?」


 答えたスペクトラ自身も困惑しているようであった。武器ならともかく、花を生成するなど彼にとっても前例がない。彼の相方――もとい、上官――である探照灯ならば、あるいは何か知っているのかもしれないが、生憎と彼は未だに意識不明である。

 ううん、と唸り声を絞り出す舞台照明と、傍でひたすら黙りこくっている包丁。双方の頭を交互に見やる少女へ、先に声を上げたのは後者だった。ふっと何か思いついたように刃先を上げ、意識を少女の方へと向ける。


「もう一度やれるか?」

「はい、多分」

「そうか。ならば……何も思わずに出すことは?」


 何も思わない。つまりは色だの形だのと言った形状を縛る一切を取り払った状態で、花を作り出せるか、と。キーンはそう要求しているのである。少女は内心無理だろうと舌を吐いたものの、どうにも上手く反駁はんばくする語彙がない。要求にとりあえず答える他なかった。

 無意味に手を数回開閉し、目を閉じる。意識的に無心となるのは大変な苦労を要する作業であった。そうあろうとすればするほど雑念が何処からか沸いて出てくるのだ。その度に彼女は眉根を寄せ、首を大きく振って、振り千切るように雑念を払う。

 傍から見れば狂人の混迷にも見える動作を脳内の作業と結びつけながら、自身の意識と格闘すること数分。ぱっと、少女の脳裏に空隙くうげきが出来た。精神の摩耗による一瞬の虚。少女は咄嗟に想う。その感情が何かは彼女にも判じ得ない。あまりに須臾しゅゆの間のことであったから。

 何もない手に掛かる微かな重み。何かは作れたようだ。

 そっと少女が目を開けると、掌の上には一輪の花。

 白い、八重咲のツツジが咲いていた。


「何でしょう、これ。ツツジ?」

「さあ……植物には詳しくないので」

「――アザレア」


 疑問符を飛ばす二人へ、声を上げる物は一人。他ならぬキーンである。

 彼は告げる。背を伸ばし、かの天球儀と全く同じ姿勢で以て、神託を授けるかの如く。


「お前の名は、アザレアだ」


 アザレア。少女は今しがた与えられた名を反芻し、頷いた。

 今此処に、彼女は真の意味でこの世界に迎えられたのである。

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