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棺桶には千寿菊を一輪  作者: 月白鳥
記録――十六回目
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四:舞台照明

  ――この物が。私の。

 倒れ伏した探照灯の肩を支えながら、少女はケイをじっと見つめる。使いこまれ、柄の黒ずんだ包丁。よく見ると欠けた刃は見間違えようもなく、自身が元の世界から持ってきた物であることの証左である。探照灯よりも大柄なその男は、やおらその場に膝をついた。

 びくり、と思わず肩を震わせる少女。その鳶色の目に、包丁はじっと鋭利な意識を向けていたかと思うと、ふと緩めた。無骨な手をそっと華奢な肩に置き、ずいと頭を彼女の耳の傍に寄せて、囁く。


「俺の名はキーン。だが、ケイと呼べ」

「ケイ?」

「嗚呼、人前ではこの呼称で通せ、何としてでも。……素性を知られたくないんだ、お前以外には」


 重く、密やかに。ケイ――もとい、キーンは告げる。その低さに吊られ、思わず声を潜めながら彼女は何故と問うも、それには沈黙を以て返された。仕方ない。後で教えて、と続けた少女へ、彼はほんの僅か、首を縦に振る。

 ゆっくりと離れるキーン。その背後から掛かるのは、低く穏やかな男声。


「随分戦闘慣れしておられるようで」


 舞台照明である。彼は彼で“粗悪品”に苦戦していたのだろう、軍服は彼方此方の布地が破れ、砂埃で薄汚れていた。だらりと下げた左腕を強く押さえているのは、切られたせいか、はたまた殴られたせいか。しかし、人の身に傷を負って尚照明のレンズは曇りなく、灯りは点いていないにも関わらず爛々《らんらん》と輝いていた。


「聞きそびれていましたが、貴方は?」

「ケイだ」


 ゆったりとした口調で、彼が続けて問うのはその名。キーンは先程少女にも告げた偽名を放り投げ、立ち上がった。元から人を寄せ付け難い雰囲気を漂わせているが、舞台照明と対峙する彼にはそれに加え、微かな殺気めいたものも混じっている。

 明らかに眼前の舞台照明を敵と見做みなす包丁。しかし、彼は泰然としている。


「俺はスペクトラ。街を襲う“粗悪品”の排除をしています」

「見れば分かる。……二人しかいないのか」

「戦闘に長けているのは、ここには俺達しか居ないもので。貴方を除けば、ですが」


 ぴりりと、空気が棘を帯びた。舞台照明――スペクトラがゆっくりと片足を引く。対するキーンは、肩の力を抜き、その場に軽く足を開いて立った。それがお互いの臨戦態勢であると、少女だけが理解できない。一体何を、困惑する声を背後に聞き、キーンは答える。


「すぐに終わらせる」


 ぶっきらぼうで、しかし自信に溢れた一言。その後に続くであろう、だから待っていてほしいの言葉を、少女は彼の声色に聞く。低く重く淡々として、それでも何処か慈愛のようなものを籠めたその声に。そうでなければこれほど落ち着いてはいられなかっただろう。

 意識を失ったままの探照灯を膝の上に寝かせ、少女は小さく点頭。キーンも応えて首を縦に振り、そして向き直る。刹那。

 スペクトラが、飛び出した。


「遅い」


 夜闇を裂く銀閃ぎんせん。スペクトラが握りこんだ刃の煌めきである。少女の目には一瞬の残像しか映らぬ切っ先を、どうやら対峙する男は正確に捉えているらしい。冷ややかな感想と共に、彼は重心を僅かに後ろへ傾けて避け、いっそ緩やかに思えるほど静かに右腕を跳ね上げた。

 素手である。武骨な節くれ立った手が、振り抜かれて減速した刃へ向けられた。しかし、通常であればその刃をまともに捉えることなど不可能に近いだろう。馬鹿なことを、心中で低く呟き、スペクトラは刃を返すべく腕に力を入れ――途中で、止まる。動かない。

 親指と、人差し指と。ただ二本の指で、キーンは刃を掴み止めていたのだ。


「は……ぁがっ!」


 最高速ではなかったとは言え、刃を受けも流しもせず、指だけで挟み止めるなど。何百何千と“粗悪品”をほふってきたスペクトラにも――或いは、“粗悪品”達ばかりを相手にしてきたからこそ――初めてのことである。虚を突かれて動きを止めた彼の首を、キーンの左手が引っ掴んだ。

 そのまま、持ち上げる。細身とは言え常人以上には鍛えられた身体が、地を離れた。引き剥がそうとスペクトラがナイフを捨てて両手を掛けるが、どれだけ力を入れてもまるで歯が立たない。キーン自体かなり大柄な男性であることを差し引いても、異常としか言いようのない腕力である。

 包丁は無言。砥がれたばかりの刃をぎらつかせ、スペクトラをじっと観察する。かと思うと、つまらないものを見たように呟いた。


「余興のつもりか、或いは小手調べか? 舐められたものだ」

「な、何、故……!」

「刃物がどれだけ長い間命を加工する道具として扱われたと思っている? 高々数十年程度の努力で埋まる差ではない」


 自惚れるな、と。キーンは心底呆れた声で舞台照明を責め、そして放り投げる。空中に投げ出されたスペクトラは、しかし素早く体勢を整え、足から柔らかく着地した。此処で無様に地面へ叩き付けられなかったのは、彼の卓越した身体能力の成せる技であろう。

 掴まれていた首に手をやる。呼吸が荒い。本来は呼吸もなく、心臓すら動かさずとも生存可能であるが、物はその常として、人間の行動を無意識の内に模倣する。スペクトラも同様であった。

 一方のキーンはと言えば、確かに人間らしい行動を真似てはいるが、舞台照明のそれと比すれば随分静穏としたものである。いっそ亡霊のようだ。


「け、ケイさん。あの……」

「分かっている。立てるか?」

「大丈夫、です。多分」


 会話は短く。臥したままの探照灯へキーンが肩を貸し、少女はその場にゆっくりと立ち上がる。そのまま迷いなく壁の方へ向かい始めた三人の後ろから、やや足を引きずりながらスペクトラが付いてきた。言葉はない。一行の間には静粛だけが横たわる。

 赤茶けた壁が、夜のとばりを破ってそびえていた。

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