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棺桶には千寿菊を一輪  作者: 月白鳥
記録――十六回目
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三:“粗悪品”

「ッおォらァ゛ッ!!」


 咆哮。

 走り来る“粗悪品”達を待ち受けていたのは、探照灯の拳。腰の捻りと重心移動を目一杯に乗せ、弾丸の如き速さで相手へ振るわれ、振り抜かれる。その威力は凄まじく、肉薄していた“粗悪品”の一体、その首から上でぐらついていた金属の箱を、一撃でひしゃげさせた。

 ぺしゃんこに近いほどまで頭を潰され、力を失った“粗悪品”の身体が錐もみしながら空を舞う。“粗悪品”故に脆いのか、或いは殴りつけた探照灯の腕力が常軌を逸しているのか、その両方か。彼女には分からない。ただ、圧倒的な暴力に震えあがることしか出来なかった。

 一方の舞台照明は幾分かスマートである。順手にナイフを構え、走ってくる勢いのままにその切っ先を潜り込ませた。首と、頭の間。有機物から無機物へ変化するその場所に。ぺき、と薄い板の割れるような音がして、“粗悪品”が崩れ落ちる。

 戦う端から積みあがる、命を失った物の山。肉と鉄くずの混じったそれらを、彼等は適時足や腕で脇に退けているようだが、それでも限界がある。徐々に有利な間合いやスペースが狭まっていく中、しかし彼等は一歩もそこから動かない。そう言った戦闘スタイルなのか、或いは障害物たる彼女を庇ってくれているのか。分からない。

 分からないからこそ、少女は必死で置物であろうと努めた。何時しか呼吸は極限まで浅くなり、皿のように見開いた目は瞬きを忘れ、溢れ出すアドレナリンが心臓に意味もなく早鐘を打たせていた。

 ちかりと点滅。舞台照明のレンズが彼女の方を向き、すぐに戻る。


「……大佐、前に出ます」

「ほぉ。そんなら俺はそこな置物の護衛にでも回るか」


 新たに襲い掛かった鍋頭を殴り飛ばしながら、会話は短く。じりっと軍靴の爪先で砂利をにじり、舞台照明が“粗悪品”達の渦中へ飛び込んだ。ふっと音もなく刃が一閃。軽く鋭い割れ音を立て、あっと言う間に数体が地面に沈む。

 空いたスペースに陣取った探照灯は、会話の間に間合いへ入り込んでいた“粗悪品”の襤褸切ぼろきれじみた服を引っ掴んだ。裂帛の気合。探照灯の頑丈な灯体が、ひびの入った薄い花瓶を粉々に粉砕する。派手にガラスが割れ砕ける音が耳をつんざき、思わず少女の口から悲鳴が漏れた。

 彼女は戦闘経験などない。訓練などするべくもない。間近で大きな音を聞かされ、声を抑えろというのは難しい話だ。しかし、現実はそんな事情を考慮してくれはしない。

 ――“粗悪品”の意識が、無防備な少女へ向いた。より蹂躙しやすい相手へ。

 それにまず気付いたのは、少女ではなく。


「! おい、全力で俺に向かって跳べッ!」

「は、はあ!?」

「ごちゃごちゃ言ってねぇで早くしろ! 挽肉になりてぇのか!?」


 自身から敵意が逸れたことを察知した探照灯が、声の限り叫ぶ。そして、今まで隙なく締めていた腕を、少女に向かって開いた。一方の少女は、ええいままよと心中で喚きながら、外套をぐっと両手で掴む。地面に尻を付けず、いつでも立ち上がれるような体勢を選んでいたことが、彼女にとっての幸運だっただろう。

 少女は、探照灯に向かって全力で跳躍した。


「――――!!」


 途端、波濤のごとく押し寄せる喚声。明らかな害意を持ったそれは、しかし余りにも総量が大きすぎ、何処に向けられているのか判然としない。

 発砲音数回。貫通しない。鈍器が投げ付けられる。ダメージにならない。錆びたナイフで切り掛かられる。布地を突き抜けない。舞台照明が被せた外套が、そのことごとくを避け、無力化していた。

 今この瞬間、いかに自分が多量の殺意と謂れのない恨み辛みを以て迎えられているか露ほども知らないまま。ぎゅっと目を瞑った少女は、探照灯のがっしりとした胸に飛び込んだ。どすん、と重い衝撃が一瞬、すぐに力強い腕が背に回り、抱き留める。

 直後、ぐっと探照灯が違う場所に力を込めた気がしたが、彼女は理由が分からなかった。と言うより、それどころではない。少女の柔弱な精神は既に許容量を振り切っている。

 再びの破砕音。殴り飛ばしたか、重心の大きな移動からして蹴りでもしたのか。ともかく、また一体の“粗悪品”が物に還った音がする。直後。

 どっと、何か重い物が肉に突き刺さる音がした。


「!――ゥ」


 限りなく堪えた、けれどその喉の奥から抑えきれず漏れ出す苦鳴の主は、少女を抱えた探照灯。背に錆びた鉄の棒とバールを突き刺されながら、しかし彼は倒れない。重心を落として踵をしっかと地面に付け、右腕はより強く少女を抱きかかえる。

 彼女は最早気が気ではない。ただただ、言われた通り。眼を見開き、広がる情景を目に焼き付けること以外の行動を、彼女は何一つ取ることが出来ない。無論探照灯を心配する言葉など出てくるはずもなかった。

 しかし、彼は心中でさも面白そうに一笑。何か気の利いたことを言おうとしていることは分かっている。しかし彼からすれば、無用なお喋りはない方がむしろ気遣いが減って良い。女の子の相手は管轄外だ。


「痛、づぅッ……」


 彼は黙って背に刺さる鉄の棒とバールに手を伸ばし、一気に引きずり出した。怯える少女の手前、何とか無様に悲鳴を上げることは堪えたが、それでも呻き声が零れ落ちる。いくら人の身を傷つけられても死なないとは言え、痛みも苦しみも普通に感じる。

 凶器を投げ捨て、探照灯は意識を“粗悪品”達へ集中する。相棒が注意を引き付けていてくれたのだろう、此方へ敵意を向けている物どもは比較的少ない。しかし、それは状況が好転していることを示しているとは必ずしも限らなかった。

 肘で、背後から襲い掛かろうとしていた“粗悪品”の頭を叩き割る。しかしその動きは明らかに精彩を欠いていた。少女を庇っていることはまだいい。問題は背の傷から発せられる激痛と、それによる著しい集中力の欠如。攻勢どころか、守勢も覚束ない有様である。


「くっそ……夜が明けたらあんた、みっちり特訓してやっからな……!」


 最早自身が攻撃するほどジリ貧になると予測したのだろう、探照灯はしっかり少女を抱きしめ、もう片方の手で人の頭を押さえ込むと、その場に片膝をついて座り込んだ。人の身の傷で死ぬことはない。盾となるにこれほど丁度いいものは他にない。

 抵抗をやめた脅威へ、“粗悪品”が殺到する。力任せに振り下ろされた角材や金属バットが男の広い背にめり込んだ。肉が潰れ、骨の砕ける音が辺りに響く。探照灯自身にも、それと密着する少女にも、それは聞こえている。もう止めて、叫ぼうとした少女の喉は、完全に職務を放棄していた。

 体勢を保つことだけで精一杯なのだろう、押さえ込む手ががたがたと震えている。大丈夫、後少し、呪詛のように低く苦しげに呟く声が、少女には聞こえていた。

 そっと、しかし大きく深呼吸。時間を掛け、外套を握りしめていた手を片方だけ解く。力が入りすぎて爪が食い込んでいたが、何とか引きはがせた。そして少女はその手を、自身を庇う腕にそっと添える。

 同時。


「うわ!?」


 少し離れたところから、驚きを交えた舞台照明の声。

 貴方は一体。続けて放たれた疑問を遮って、轟音が辺りに響き渡った。


「失せろ」


 冷淡な、そうとても、冷淡な一声。

 しかしその直後、彼の周囲で“粗悪品”数体が一気に吹き飛んだ。右足を軸とした回し蹴り、ただ一発で。ともすれば探照灯に比肩するか、それ以上の膂力――それは冷然とした態度から程遠い、嵐の如き暴力である。突然現れた第三者に、物どもの間で露骨な動揺が走った。

 戦意を喪失し、後ずさる物。或いは逆に戦意を奮い立たせ、襲いかかる物。声の主はそれらを一片の躊躇も猶予もなく鏖殺おうさつしていく。逃げる物には追い縋り、襲う物は真正面から待ち受け、見るばかりの物は巻き添えにして、最後に与えられるのは物としての死のみ。憐憫など垂れるべくもない。

 いつかの時に出会った物殺し、それにも似た修羅の如き戦いぶりを凝視する探照灯。その全身に走った悪寒と震えは、疼いた傷の痛みによるものばかりではなかっただろう。


「は――古さばかりで足掻くからこうなる」


 数分で、“粗悪品”達は残らず姿を消した。逃げた物はいない。百を超える物全てを、彼等は物に還したのである。

 頭を潰され、或いは切り離され、地面に崩折れる無機物と有機物。地獄のような惨状の上に立つのは、黒い三つ揃いのスーツを身に纏い、首から上は使いこまれた包丁に置き換えられた男。何を隠そう、ケイであった。

 ケイは周囲に意識を巡らせ、跪く探照灯とそれに抱えられた少女を留めると、迷いなくその方へ足先を向ける。数歩で距離を詰め、じっと見下ろすケイ。探照灯は無理くり頭と意識を彼に向けた。

 激痛に混濁する記憶を探る。似たような状況がいくつか該当。


「あー……あんた、“起こされた”のか?」

「そういう事だ」


 素っ気ない一言に、少女が顔を上げる。アーミラリは本当に人を寄越してきたのだ。あなたが、と掠れた声で呟きかけた少女は、しかしその声を一旦押し留める。その代わり出したのは両腕。信じられないほどの重みがそこに掛かるも、地面に激突させることは全力で防いだ。

 滅多打ちにされた探照灯が、精根尽き果てて倒れていた。

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