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棺桶には千寿菊を一輪  作者: 月白鳥
記録――十六回目
3/15

二:探照灯

 暗闇が晴れて最初に見えたのは、見惚れるほどの星空。次いで乾いた砂利と、干からびて痩せた土地を割って伸びる健気な雑草。周囲を少し見回すと、少し離れた所に高い壁のようなものが見える。壁の奥に何が隠されているのかは分からないが、何か重要な施設であることは察せられた。

 荒野の中のオアシス。そんな表現が相応しい佇まいである。或いは、何らかの軍事的な拠点か。どちらにせよ、平和な島国から迷い込んだ身ではとんと見ることのない光景。漫画やゲームの中でしか見ないであろう、殺伐とした空気が彼女の前には広がっている。

 少女はきょろきょろと周囲をしばらく見回した後、その足先を迷いなく壁の方へと向けた。何しろ、地平線を遠く望むような荒野だ。何もない方へ歩いたところで何処にも辿り着けない。おまけに、彼女には身に着けた服とスリッパ以外何も、そう水や食料さえも、ないのだ。いかな生存の素人とは言え、そんな状況で地平線に向かって歩く愚は察し得た。

 歩きにくい室内用のスリッパを引っ掛け引っ掛かり、薄いパーカーのポケットに諸手を突っ込んで、高く上げていた髪は降ろし。露出はなるべく避けた。冬ほどではないが、風はそれなりに冷たい。フードを被って風を除け、それでも身震いしながら、少女はとぼとぼと道を行く。


 ――それから、三十分ほどであろうか。砂利と石ばかりの道に少女が飽き、また慣れぬ履物で歩き続けて疲労し始めた時分である。高い城壁が赤く焼成された煉瓦レンガであると、暗い中でも分かる程度には接近も出来ていた。

 その彼女を、突如真正面から照らす光あり。咄嗟にその方へ向けた目は、網膜に焼き付いた白熱灯の光に怯む。思案思索を吹き飛ばす白さに、きゃあと悲鳴を上げて座り込んだ少女の傍へ、砂利を蹴る音が二つ近づいた。重い。男性のものである。

 まず一人。少女のすぐ傍で立ち止まった。微かな衣擦れの音に混じって、かちゃかちゃと硬い物のぶつかり合う音がする。微かな空気の流れ。傍に座り込んだらしい。低く穏やかな声が耳朶を打った。


「どうされました?」

「ぁ……眼、眼が」

「眼? 嗚呼――大丈夫ですよ。安静にしていれば直に良くなります」


 少しお待ちを。男声で告げ、再び空気が揺れ動く。その場にすくりと立ち上がった男は、大佐、と一言だけ声を張り上げた。分かってる、と暗きからしゃがれ声が返答し、二人目の足音が少女の傍らに立ち止まる。眩しさの余韻と瞼の痛みに顔をしかめながら、それでも顔を上げた少女の視線の先には、無骨な体躯の男が一人。

 軍人の類であろうか。厚手のシャツの袖を捲り、ズボンの裾を編み上げの軍靴に突っ込んで、肩には古ぼけた丈の長い外套を無造作に羽織っている。シャツの胸ポケットには色褪せた胸章が無造作に付けられ、片や腕章は新品のように鮮やかな色を保っていた。

 そして彼の頭は、例の如く人間ではない。首より上に鎮座するのは、古びた探照灯である。今は光を灯さぬレンズには大きなひびが入り、外装の塗装も所々がはげ落ちていた。激烈な戦いを潜り抜けてきたことを想起させる損傷具合だ。

 思えば、この探照灯を呼びつけた方はどうだ。傍で手を後ろに組んで立ち、周囲を警戒するすらりとしたシルエット。アーミラリよりも背の高い男。紺色の軍服をかっちりと身に纏い、スラックスの裾は軍靴に入れていない。黒革の艶やかさは足先だけが出るにとどまっている。肩には探照灯のそれと同じような型の外套を羽織り、腕章もよく似ていた。

 身体は人のものである。しかし、更に視線を上げた先にある頭は――案の定、物。パーライトと呼称される類の舞台照明だ。これはこれで別の意味での()()を潜り抜けてきたのだろう、細長い銀の灯体とうたいの輝きは曇り、フレームは所々縁が欠けていた。しかし、その奥に据えられた凹面鏡おうめんきょうの輝きはいささかも喪われていない。

 ――彼等も、殺すべき物なのだ。

 困惑と不安とで混乱する心の中、彼女は確かに、そして瞬時にそれを直感していた。彼女がその全霊を以て物に還すべき、命ある物。それが彼等であるという予感を、彼女は否定できなかった。

 そんな少女の心境を知ってか知らずか、探照灯が傍に膝をつく。


「すまんね、いきなり照らしちまって。“粗悪品”が来たかと思ってよ」


 ガラガラとした、陽気さと軽薄さの奥に冷徹さをも秘めた声。煙草と酒、そして何か分からぬ焦げた臭いが微かに鼻腔を突く。口や鼻のない物が煙草や酒を嗜めるかは別として、少なくとも清廉や純粋と言った言葉から縁遠い生活を送っているであろうことは察せられた。

 相対した少女はただか細く、いいえ、と一言。とりあえず返答を押し付けて追及を退けた後、ゆっくりと男の言葉を飲み下し、理解して、次なる疑問を言い放つ。


「“粗悪品”って何ですか?」

「ほぉん。ヤツ等のことを知らんってことはあんた、外の世界の人間だな? 迷いたてほやほやの物殺しって所か」

「…………」


 少女がこれから徐々に伝えていこうと思っていた言葉を、男は数秒で根こそぎ攫っていってしまった。しかし、そうして少女が用意していた文言を失い、思わず黙り込んでしまうことさえ想定の内であったのか。彼は肩をひょいと竦める。

 街の外に溢れる嫌な物だ、と。答えのようで答えになっていない言葉を投げつけて、彼は膝に手を添え立ち上がる。その意識は既に少女を外れ、今まで彼女が歩んできた方へと集中していた。代わりに傍へやってきたのは、先程の舞台照明パーライトである。

 立てますか、と手を差し出しながら一言。黙って点頭し、手を借りて立ち上がった彼女を、彼はそっと己の背後へ押しやった。たたらを踏んで数歩少女が下がると同時、二人の後ろ姿から、冷たく鋭い殺気が膨れ上がる。

 先程の穏やかさは何処へ吹き飛んでしまったのか。少女は恐るべき切り替わりの早さへ戦慄すると同時に、記憶の中から探照灯の言葉を引き出していた。


 街の外に溢れる、嫌な――物。


「まさか……」

「おっ、察しがいいね。そう言うことだ」


 確信を帯びた掠れ声に、殺気が少々緩んだ。怯える少女に気を利かせたのだろう、陽気さを繕った声でそう答えると同時に、探照灯の頭がカシャンと音を立てる。ブラインドを開け放したのだ。先程少女の目をいた、激烈とさえ呼べるほどの白光が、星の瞬く夜空を一直線に白く切り裂いていく。

 その明るさに映し出されるのは、地平線を蹴立てて走り来る狂乱の物たち。ぼろ切れにも等しいほど粗末な服を身体に貼り付け、手に手に屑鉄やがらくたを引きずり、ぼろぼろに傷んだ器物を頭として据えて、生にしがみつく。

 “粗悪品”の大群は、総数百を超える大軍となり、今彼等と衝突しようとしていた。


「あ、あんな一杯!? 大丈夫なんですか!?」

「心配してくれんのか? 物殺しにしちゃ随分優しいねぇ。……いや、俺達が死んだらあんたもお陀仏だからかね?」

「そんな訳ないでしょ! 当たり前のことです!」

「ははぁ、最初の物殺しみたいなこと言ってら。そうやって積極的に二重基準ダブスタしてくスタイル、嫌いじゃないぜぇ」


 少女に向けられる探照灯の声。その調子の変化を、彼女は戸惑う中でも聞きつけていた。高揚しているのである。表情が読めない分、言葉と声色がより強く感情で彩られているのだった。

 何かが始まる予感。少女は寸秒思考し、そして実行する。即ち、彼女はその場に座り込んだ。フードを目深に被り直し、頭を抱え、石のように固く縮こまる。どうせ戦闘などこなせないのなら、せめて逃げ惑い足手まといになるよりも、ただの置物として扱われることを選んだのだ。

 その姿に目を留めたのは舞台照明。彼は肩越しに少女の姿を振り返ったかと思うと、その肩に掛けていた外套をするりと外し、少女の頭の上からそっと被せた。そこに低い男声が続く。


「外套は銃弾や刃物の攻撃を退けます。頭から被って、その隙間から見ていてください。――今からの俺達が、これから貴方が殺すべき物の姿です」

「わ、分かってたんですか……?」

「ええ。最初から」


 それでは、また後で。そう低く低く囁いて、彼も向き直る。その右手には何時の間にか、艶消し塗装されたナイフが握られていた。戦闘に特化した形状と材質のそれは、黒い革手袋をはめた手にしっくりと馴染んでいる。使いこんできた証であった。

 隣に立つ探照灯は、素手。かの百の軍勢を相手に徒手格闘をけしかけるつもりなのだ。あまりにも無謀な行為ではないかと、格闘など無縁の彼女ですら思う。しかし、それを言葉には出せなかった。彼の後ろ姿はあまりにも自信に満ち溢れている。言葉を差し挟む余地もないほどに。

 息を潜め、観察する少女をよそに、がしゃかしゃと探照灯のブラインドが開閉する。それがどんな意味を持つか少女は知らない。これで彼女がアマチュア無線でもしているならば話は別だっただろうが、そのような趣味を彼女は持っていなかった。

 だが、しかし――良からぬ意味なのだろうとは思える。


「さあ、来いッ!」


 探照灯の声に被せて響く、“粗悪品”達の咆哮が。

 身の毛もよだつほどの、怒りに満ちていたから。

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