共謀罪が必要な理由
なろうのエッセイで、共謀罪に関する懸念を表明されている作品をいくつか読み、疑問に思ったので投稿します。
まず私のスタンスですが、共謀罪は必要だと思っています。
法律には目的があります。
道路交通法は、皆が道路を安全に通行する為のモノです。
なろうの規約は、利用者が快適になろうを楽しむ為だったりします。
では、共謀罪は?
大きな目的としては、国際的なテロ組織の活動を監視し、テロ活動を未然に防ぐ事でしょう。
国会などで共謀罪に反対している方々には、是非ともお聞きしたいものです。
共謀罪無しで、どうやって国際的なテロ組織を、国家間の協力の下、撲滅していくのですか、と。
例えば、とあるテロ組織が、アメリカで行うテロの計画を、日本で練っているとします。
アメリカ政府はそれを掴んでいるのですが、日本にはその組織を捜査する法律がない(のかは厳密には知りません、悪しからず)ので、何も出来ません。
そしてその組織は、まんまとテロを成功させました。
アメリカにとってはたまったモノではありませんよね?
こんな事で良いのですか?
表現の自由とか、結社の自由とか、言論の自由なども、テロ行為の前には霞んでしまいます。
他人の命を暴力で奪う行為を、決して許すべきではありません。
その大きな目的の前には、少なくない権力の暴走とか、権利の侵害とか、不当逮捕とか起こるでしょう。
しかし、それはテロ行為を未然に防ぐ為なのですよ?
起きてからでは、どんな後悔も遅いのですよ?
失われた人命は、二度と戻ってこないのですよ?
それを考えたら、不当逮捕の発生も、ある程度は仕方無いのではないですか?
勿論、不当逮捕なんぞされた日には、たまったモノではないでしょう。
でも、潔白を証明出来るではないですか!
無実を証明し、釈放された後に、不当逮捕で損害賠償請求でもすればいい。
問題は、失われるかもしれない命を未然に守る為には、それ相応のリスクを取る必要があるという事です。
何のリスクも取らないで、表現の自由も言論の自由も、生存権もテロに遭わない安全も、全てを求める事は出来ません。
安全を最優先するなら、何がしかの不自由は許容せねばなりません。
その程度、妥当性の評価は、厳密にせねばならないのは言うまでもありません。
それに、初めから完璧なモノなど作れませんし、作った所で状況が変われば不備が出てきます。
大切なのは、目の前に横たわった危険の軽重を計り、より重い方への対策を優先的にする事です。
言論の自由と生存権を考えたら、まずは生存権が奪われない事を考えるべきです。
つまり共謀罪を作って、テロ組織への対策を練るべきです。
それによって阻害されうる言論の自由等は、また対策を考えれば良いのです。
全てを一遍にやる事など不可能です。
一歩一歩進めていくしかないのです。
まずは共謀罪を作ってテロ組織に対応し、次に不当逮捕などが起きない様にしていくしか道がない。
捜査当局による、無実の国民への権利の侵害が起きたら、弁護士が救えば良い。
こんな事が起きたと、今の法律では問題があると、ジャーナリストが国民に知らせていけば良い。
でも、差し迫った危機(イスラム国とか北朝鮮の暴走とか)を前に、何もしないでいるのは許されません。
我々が生きているのは、思えば理想が実現する様な、そんな甘い社会ではないのですから。
大したストレスもなく失敗もない、なろう転生主人公のごときチートは、誰も持っていないのですから。
似た文脈で、敵地先制攻撃も可能とすべきですし、スパイ防止法も必要です。
なお、共謀罪などなくても、今の法律で十分対応出来るといった意見は、また別の話になろうかと思います。
テロ活動を許さない。
基本は、これだと思うのです。
その為に何をすべきなのか。
今の野党からは、それが全く見えてきません。