第8話 青年の悩みと少女の苦悩
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万一を考えて重たい身体を引きずりながらわざと遠回りで宿へと戻ったメルゼスは、自室に着くなりベッドへ倒れ込んだ。
「ぐ……うっ……っ」
頭を刺すような強烈な頭痛。
思わず叫び声を上げてしまいそうな痛みの中、メルゼスは歯を食いしばって耐え続けていた。
(……くそっ……!)
自分でこの痛みの原因は分かっていた。
魔法を完全に制御しきれず、発動途中で強制的に魔法の発動を止めたが故の反動。
メルゼスが使った魔法の名前は「夜の王」。
魔力を高エネルギー体に変換し、魔法…物理体問わず、消滅させてしまう闇魔法である。
しかし、メルゼスはこの魔法を完全には制御できない。
発動の規模が小さければ制御可能だが、今回のようにある程度の範囲に高威力で発動させようと思った場合、自分の制御下から外れ、暴走する事も少なくない。
今回も結界だけを破壊しようとしたが、完全には制御しきれずに建物や道に小さくない被害を発生させてしまったのである。
(……ひとまず身体を休めるのが先だ……)
魔法の強制終了は脳に大きな負荷をかける。
今までに何百回と経験してきた痛みだが、それでも慣れているというわけではない。
メルゼスはベッドへ倒れ込んだ姿勢のまま、身体を休めるべく、静かに眠りについた。
◆◇◆◇◆
アルトノーク王国王城、ガルトロレイブ城。
この城の城門をリスティアーナは神殿騎士たちに警護されつつ、くぐる。
城内に入ると、城の中で働くメイド、執事、騎士、文官、武官、誰もが通路を譲り、リスティアーナへと頭を下げてくる。
彼女たち一行は城中央にある大広間へ向かって進んでいく。
豪華な作りの扉を開け中に入ると、中には白の司祭服に身を包んだ男性が椅子に腰掛けていた。
「巫女様一同、ただいま帰還しました」
「うむ。ご苦労だった。下がって良い」
神殿騎士全員は司祭服の男に一礼すると、リスティアーナを中に残し、部屋から出て行った。
「まずはお座り下さい巫女様。すぐにお茶をお持ちしましょう」
「いえ、結構です、オルスラート司祭。食事は外で済ませて参りました」
オルスラートと呼ばれた男はリスティアーナの言葉に顔を歪ませると、諭すように話しかけた。
「困りますな、巫女様。貴方は我ら『聖神教』の巫女であり、王女。外で悪い物でも食べ体調を崩すようなことがあれば、このオルスラート、神に顔向け出来ません」
「心配無用です、オルスラート司祭。私が巫女であり、この国の第2王女であることは忘れておりません」
リスティアーナ=リリストール=アルトノーク。
アルトノーク王国側室の子供にして第2王女であり、『聖神リリオノーク』の加護を受けた『加護持ち』である。
『聖神リリオノーク』は『聖霊神』系統、特に『聖』の属性に分類される神の中でも最高神に属する。
故にリスティアーナは、『聖神リリオノーク』を絶対神としている聖神教の中でも最高位の位を持っている。
「本来であれば、貴方様ほどの方が平民の、しかも汚らしいスラム街を訪れるなど、あってはならない所行」
「貧しい者たちから目を逸らして、巫女、王女など名乗れません。彼らとて私の住む国の大事な民なのです」
「一言言って下されば、視察、という形で訪問することは可能でしたが?」
「……あなた方は私にすべてを見せようとはしないではありませんか……」
リスティアーナが城を抜け出したのはどうしても自分の目でこの国の惨状を目にしたかったからだ。
もし、予め視察を行うことが分かっていた場合、この目の前の司祭が彼女に相応しくない物を神殿騎士を使って「処分」させるであろう事は彼女にも分かっていた。
「御身を心配するからこそ、余計な危険は取り除かねばならないのです。我らとて苦しんでいることを、どうか心に留めておいていただきたい」
「……」
そこまで話すと部屋の扉が開き、先程リスティアーナの護衛を務めていた神殿騎士の1人が部屋に入ってきた。
神殿騎士は数枚の羊皮紙をオルスラート司祭に手渡すと部屋を出ていった。
オルスラートはペラペラと羊皮紙をめくりながら目を通していくが、その表情は眉間にしわが寄り始め、だんだん曇っていった。
「……暗黒神の加護持ちと思われる者と遭遇したそうですな」
「ええ。その方に助けていただきました」
リスティアーナの胸の内にメルゼスの顔が浮かぶ。
日々を退屈な王城で過ごしていた彼女にとって、メルゼスと過ごした時間は冒険のようで楽しかった。
(まあ、失礼な人でしたけど……)
やや頬を膨らませるリスティアーナ。
傍目には殆ど普段の表情との違いは分からないかもしれないが、親しい者が見れば彼女が膨れていることが分かっただろう。
そして驚きの表情を浮かべた筈だ。
リスティアーナは良くも悪くも他人を特別扱いしない。
相手の身分が低くとも侮ることはないし、逆に身分が高くとも礼を失した振る舞いなどは欠片もしない。
だがそのため、一定以上に親しい者もいないのである。
生まれつき王族として振る舞うことを求められ、特定の者に肩入れすることを許されない立場であったために仕方のないことかもしれない。
が、故に彼女が他人に対して良いか悪いかは兎も角、感情を示すのは本当に珍しいことだと言えた。
「……もし本当に暗黒神の加護持ちであれば由々しき事態。すぐに国中を捜して拘束しましょう」
しかし、そんな温かい気持ちもオルスラート司祭の言葉で冷や水を浴びせられたようになる。
リスティアーナは咄嗟に椅子から身体を乗り出すと、力の有らん限り叫んでいた。
「止めて!!」
普段の彼女からは想像できないほど必死さと拒絶を含んだ声。
長年、聖神教最高司祭としてリスティアーナと接してきたオルスラートも今まで目にしたことのない彼女の様子に大きく瞳を見開くことになった。
リスティアーナ自身も自分の口から発せられた声の大きさに戸惑いつつも恩人に対する非礼な振る舞いをさせまいと言葉を紡いでいく。
「……必要…ありません。……何度も言うように彼は聖神教の巫女である私の恩人です。その彼に無礼を働くようであれば聖神教の巫女としてだけでなく、アルトノーク王国第2王女としても彼に危害を加えた者を断罪します」
「ッ」
その瞳に宿る光の強さに思わず息を飲むオルスラート司祭。
その光はまるで戦場へと向かう騎士のごとく。
普段彼女の身に纏っている空気とあまりに違いすぎる雰囲気がなおも食い下がろうとした彼の舌から言葉を奪い去る。
「……そこまで仰られるのであれば、このオルスラート、これ以上は何も言いますまい。ただ被害にあった市民たちを納得させるためにも犯人が暗黒神の加護を持っている可能性があると公表することだけはお許しいただきたい」
「分かりました。……ただ今回の騒ぎの一端は間違いなく神殿騎士にあります。今後このような事を起こさないためにも指導の徹底を」
「……しかと心得ました」
本来であればオルスラートは手加減なく犯人を徹底的に追求しただろう。
だが巫女であり、この国の王女であるリスティアーナを敵に回すのは今後のためにも都合が悪い。
なぜなら聖神教が城の一室を使うことが出来るのは王女であるリスティアーナが聖神教の巫女として活動しているからだ。
もし彼女の機嫌を損ねれば、城からの追放だけでなく、国からの追放の可能性も出て来てしまう。
それだけは何としても避けなくてはならない
内心ではリスティアーナがこれ程執着する人物の調査を誓いながらも表情を隠すように頭を下げる。
「……」
オルスラート司祭の態度に安堵の息を吐くと、近くにあった呼び鈴を鳴らす。
部屋の中に入って来たメイドに湯あみの支度を頼むと、頭を下げたままのオルスラートに背を向け、スティアーナは部屋を後にした。