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第6話 アップルパイ

「助けてくれて! どうも! ありがとう!! ございました!!!!」



 半ばキレたようにマントを投げ捨てた自称淑女。

 フード付きのマントの下から出て来たのは美しい少女の顔だった。

 肩にかかる程度に伸ばされた高級な絹を連想させる栗色の髪。

 頭部は卵形で小さく、肌はシミ一つない美しいまでの白。

 やや青みがかったアルトノーク王国人特有の瞳には怒りの色が、ほんのり朱が挿した唇はへの字形に歪められてはいるが、少女の美しさを損なうことはない。


 メルゼスは不覚にも生まれて初めて女性に見惚れて言葉も出ないという状況に陥っていた。

 しかし、それは相手からすれば自分の言葉を無視されたように見える訳で……



「ちょっと、何ですか! 早く煙草の火を消して下さい!」


「……ああ……すまなかったな」



 自然なまでに口から出た謝罪の言葉。

 彼のことを知っている者がいれば、今の状況に唖然とした表情を見せただろう。

 メルゼス本人も無意識で口にした言葉に驚き、次に激しい苛立ちを感じた。



(俺が他人に見惚れたってのか!?)



 有り得ない。

 そう結論づけると懐から携帯タイプの灰皿を取り出し、苛立ちを誤魔化すために乱暴に煙草を突っ込む。

 気難しい性格のメルゼスだが、一度口にした言葉は守る男でもある。


「これで良いだろう?」と言外に確認するメルゼスだが、リスティアーナは満足げにニコニコと嬉しそうに笑みを浮かべていた。



「ふふん。やれば出来るじゃないですか」


「……うるせぇ、自称淑女。淑女名乗りたかったらもう少し育ってから言え」



 と、リスティアーナのある一点に視線を向けて言うメルゼス。

 リスティアーナは今まで初対面の男性にそんな事を言われたことはなく、少し惚けた後に、言葉の意味を理解したのか、顔を赤くして涙目になると、自分の胸元を腕で隠そうとする。



「し、失礼ですよ! 人がちょっと気にしていることを!」



 ……リスティアーナの弁護のために言わせて貰えれば、彼女の胸囲は決して小さくはない。

 慎ましいという表現は当てはまるかもしれないが、小さくはない。

 しかし不運なことに彼女の近くの者たちは(メルゼス風に言うと)立派に育っており、それを見慣れているリスティアーナは自分の胸囲に小さくないコンプレックスを抱えていた。



「……まあ、それはどうでも良いとして……」


「どうでも良くないですよ! 女性として大きな問題です!」



 途中から意識を取り戻し、「俺何やってんだ?」的な状態に達したメルゼスはリスティアーナの叫びを無視。

 一刻も早く此処から立ち去ろうとする。



「取り敢えず、大通りまでは案内してやる。そこから後は自分で帰れよ」


「わ、分かってます!」



 先頭に立って歩き出したメルゼスだが、すぐに周りの状況に苛立ちを覚える。

 明らかに周りから(特に男)視線が集まっている。

 自分の顔立ちが人の目を引くものとは思えないから、当然それはメルゼスの後ろを付いてきている少女に向けられていることになる。

 リスティアーナは文句なく美少女である。

 そんな少女をスラム街などで連れて歩いていれば当然目立つ。

 ただの男にしろ人攫いにしろ、リスティアーナは垂涎ものの少女だろう。

「さっき着てたマントはどうしたんだ」と思うメルゼス。

 ……因みにさっきのマントはリスティアーナが脱ぎ捨てた際に不幸にも近くの水溜まりに落ち、二度と着れない物になってしまった。



 下手な騒ぎを起こしたくないメルゼスは自分の着ていた黒いフードの付いたコートを脱ぐと、リスティアーナに差し出す。



「な、何ですか?」


「……お前は目立つからこれを着ておけ」



 リスティアーナがコートを受け取るとすぐにまた歩き出す。

 彼女は慌ててそれを着込み、メルゼスの後に続いた。

 男物の黒コートは小柄なリスティアーナには少し大きい。

 小さな子供が背伸びをして父親の、大人物の服を着ているように感じ、リスティアーナは不思議と小さな笑みをこぼした。

 そして次にふわりと感じる煙草の匂いに眉を顰め、最後にメルゼスの、男の体臭に頬を赤く染めた。


(何だか……男の人に抱き締められてるみたい……)


 ブンブンと首を振って自分の不埒な考えを打ち消す。


(あれは失礼で、礼儀知らずな男です!)


 両手で拳を作り、「ふん!」と力を込めるリスティアーナ。

 ところで、彼女は朝食を食べた後に何も食していない。

 スラム街は彼女の住まいからは遠く、ある程度の時間を必要とするために昼食を取ることが出来なかったのである。

 そんな状態で身体に力を込めれば、栄養不足の身体は栄養を欲しがり、鳴き声を上げることになる。


 キュゥーっとまるで小動物の鳴き声のような可愛らしい音が辺りに響く。

 メルゼスがゆっくりと振り返ると、そこには両手を握りしめて顔を赤く染めたリスティアーナが立っていた。



「……」


「……」


「……腹減ってんのか?」


「……いえ、そんなことは」



 キュー。



「……」


「……」


「……金は?」


「……今は手持ちがないです」



 メルゼスは溜め息を吐くと、辺りを見回す。

 既にスラム街を抜け、大通りに近くなってきていることもあって幾つか露店も姿を見せるようになっていた。

 メルゼスはその中から甘い物を売っているであろう露店を見つけると、露店に近づき、品物を買って彼女の下に戻る。



「ほら」



 買ってきた包みの1つを彼女に手渡す。

 彼女は恥ずかしそうに包みを受け取ると、少し迷った後に袋を開いた。

 中に入っていたのは丸型の焼き菓子。

 上の部分が編み目模様になっており、何とも言えない甘い香りがリスティアーナの鼻孔をくすぐる。



「アップルパイ」



 リスティアーナのその言葉にメルゼスは顔をしかめた。

 そう言えば占い師の爺もラッキーアイテムにアップルパイどうのこうのとか言ってた気がすると思い出したのである。

 しかし、食べ物に罪はないと大口を開けてかぶりつく。

 メルゼスも朝食を取ってから随分時間がたっており、腹が減っていた。

 サクサクのパイ生地にほんのりと香るシナモンの香り。

 中のリンゴは絶妙な火加減で火が入れられており、食感が残りつつも歯に殆ど抵抗を残さない。

 控えめな甘さが何とも上品で、くどくないことから甘い物が比較的苦手なメルゼスでもついつい手が伸びてしまう。



「美味しい…」



 リスティアーナもあまりの美味しさについ口から素直な感想が出てしまった。

 彼女が普段食べているような高級菓子とは比べられないほどチープだが、出来立ての熱々を頬張るのはそれに勝る。

 追加で更に注文し、残りも綺麗に2人で片づけると、どちらともなく、満足げな溜め息を漏らした。



「旨かったな」


「はい。露店でこれだけの品が売っているとは驚きです」


「たまに当たりがあるからな。これだから露店は侮れない。しかも今回の店は今までのベスト5に入るな」


「まあ、他にもこれほど美味しいお店が?」


「ああ。まあ、甘い物は得意じゃねぇから滅多に食べないが……」



 そこで顔を見合わせて、はたと動きを止める。

 数秒の沈黙の後、気まずさからどちらともなく視線を逸らす。

 やがてメルゼスが無言で歩き出すと、リスティアーナもその後に続いた。

 お互いに赤く火照った顔を、相手に見られないことに感謝しながら。



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