第5話 時代の分かれ目
人生には節目と呼ばれる瞬間がある。
男であれば、童貞の喪失、結婚、子供の誕生、両親の死などだ。
人生の節目とは、どれもその先の人生に大きな影響を与え、その人間が持つ人生観すら変えかねない出来事を指す。
そして時代の節目には勇者や英雄といった、人々に大きな影響力を持つ存在が必ずと言っていいほど現れる。
2人が死した後、後生の歴史家はこう述べる。
「もしこの時、記録に残されている占い師が存在せず、メルゼス=ドアに助言を行う者がいなければ2人が出会うことはなかったはずだ。メルゼス=ドアは虐殺者としてその名を轟かせたとしても、英雄として民に慕われることは無かったと断言できる。2人の出会いがなければ今の歴史は大きく塗り替えられていただろう。そう考えると、今の世に英雄として語り継がれている二人だが、真の英雄はこの二人を出会わせた占い師ではないかと私は思う」
今現在、英雄として語り継がれているメルゼス=ドアだが、当時の記録からは相当苛烈な性格をしていたことが伺える。
『カーナス平原の虐殺』『ガラム盗賊団討伐』『フィラメス砦陥落』『勇者の朱い十字架事件』『カーナクス王都襲撃事件』など、今からしても常識を疑うような凶悪な事件を幾つも彼は起こしている。
今でも悪いことをした子供に『悪いことをすると、メルゼスが来るぞ!』と言うと大抵の子供は大人しくなる。
それ程までに彼の苛烈さ、残虐さは人々に伝わっているのだ。
平民の出身、しかも記録上はスラム街の育ちであると伝えられているために、その苛烈さも理解できなくはない。
それでもやはり、常識的な目で見ると、彼は相当凶悪な人物であった。
そんな彼の人生の節目とはとある女性との出会い。
『白翼の巫女』と呼ばれ民たちから慕われた、リスティアーナ=リリストール=アルトノークである。
◆◇◆◇◆
(困ったことになりました……)
私の周りを取り囲むのは5人の男たち。
いかにも町のチンピラという格好です。
「おいおい、姉ちゃんよ。この辺は危ねぇから俺たちが案内してやるって言ってんだろ?」
「そうだぜ。こっちは親切心で言ってやってんだ」
「年上の言葉は素直に聞いて置くもんだろう、なぁ?」
確かに彼らの言葉は親切に聞こえますが、彼らの私に向ける視線は明らかに性的な欲求に満ちたものです。
フードを被っているから顔は見えない、と油断したのが間違いでした。
まさか女と分かった途端に声をかけられるのは予想外も良いところです。
「おら、言うこと聞けや!」
「ッ」
腕を掴まれると、生理的な嫌悪感で肌が粟立ちます。
正直、魔法を使ってしまえばこの程度のチンピラたちなら100や200どうにかなります。
しかし、魔法を王国の民に対して使うのは……。
「へへ、今日の夜は寝れると…」
「おい、雑魚」
声がした方向を向くと一人の男性が立っていました。
燃えるような赤い髪に水晶を思わせる透き通った黒い瞳。
ボロボロの外套を纏いながらもみすぼらしさなど微塵も感じられず、瞳にはハッキリとした強い意志が宿っていました。
全身から放たれる威圧感は明らかに強者のそれです。
ですが、私は不思議と怖いとは思いませんでした。
何故かは分かりませんが……。
「そこの女に用がある。さっさとどっか行け」
「ハァ!?」
「なめんじゃねぇぞ、この野郎が!」
私に絡んでいた男の一人が言うも速く、赤い髪の男性に殴りかかります。
赤い髪の男性は余裕のある動きでこれを回避。
赤い髪の方は手に武器を持っていません。
そして何を思ったか、素手で5人を相手にしようと構えたのです。
「クソ野郎が!」
舐められた感じたのか、5人の男たちは、次々と赤い髪の男性に襲いかかります。
普通に考えれば、1人で5人を相手になど出来ません。
王城で日々鍛錬に励んでいる近衛騎士の方々を見ていれば、複数の相手を同時に相手取るのがどれほど難しいのか分かります。
ですが、彼の瞳を目にした私には確信めいた物がありました。
そして、無意識に叫んでいました。
「お願い、殺さないで下さい!」
赤い髪の男性は一瞬驚いた表情で私を見ると、次の瞬間には苦々しい表情を浮かべていました。
常識的に考えれば無謀も良いところです。
人数で負けている上に手を抜くなど自殺行為です。
ですが、不思議と彼ならなんとか出来るという確信がありました。
「凄い……」
そしてそこからは一方的でした。
城の兵たちとは違う、無手の格闘術。
その動きは滑らかで一切の無駄が感じられず、繰り出される拳撃や蹴り技は男たちを的確に捉え、意識を奪っていきます。
ものの数分で男たち5人は全員意識を失って地面に倒れ込むことになりました。
幸いなことに赤い髪の男性は私の言葉を守ってくれたようで、誰1人として死んではいないようでした。
「あの、ありがとうございました」
私は赤い髪の男性に駆け寄ると一番にそう言いました。
男性は「ああ」と短く答えるだけです。
ですがその後に、「騙された」とか「次会ったらただじゃおかねぇ」と小さな声で呟いていました。
誰かに呪詛を放っているようで少し怖いです……。
気持ちに余裕が出来たこともあって、私は改めて目の前の男性を見つめました。
背丈は特別高いというわけではなく、平均よりやや高いくらい。
顔立ちも目つきが鋭いことを除けば、至って普通です。
少なくとも、街で女性を振り向かせるような美形な顔立ちではないです。
ですが、全身から噴き上がる、厳しく鍛錬された鋭い刃のような威圧的な雰囲気。
幾つもの修羅場を超えてきた戦士の雰囲気です。
正直、城の騎士の中で精鋭を集めた、近衛騎士たちでも、ここまでの威圧感は感じません。
そして最も特徴的なのが、赤い髪に強い光を宿した黒い瞳。
どちらもこの国では非常に珍しい。
もしかしたら彼は国外から来た旅人……いえ、先ほどの戦闘を見る限り冒険者の方があり得そうな気がします。
「あの、お名前を伺っても良いですか?」
「人に名前を聞くときは自分から名乗るもんだって親に教わらなかったのか?」
彼は煙草に火を付けると、気怠そうに答えます。
むっ。
確かに礼を失した私に非があるかもしれませんが、女性の前でいきなり煙草を吸い出すのはどうかと思います。
服や髪に匂いが付いたらどうするんですか。
「リスティアーナです。後、煙草は止めて下さい」
「メルゼス……どうしようと俺の勝手だろうが」
ふーっと私の言葉を無視して煙草を吹かす彼に思わず、ムッとしてしまいます。
助けてくれたので、良い人かと思ったのに、何ですかこの失礼な人は!?
「メルゼス! 淑女の頼みを無視するなんて、紳士とは思えません! それにそんな身体に悪い物を吸って、病気になったらどうするんですか!?」
「いきなり呼び捨てか。とんだ淑女が居るもんだな……生憎、紳士なんつう小綺麗な生き方はしてこなかったもんでね。それに煙草、酒、女は俺の活力なんだ。取らないと死んじまう」
メルゼスは「それに」と付け加えると、煙草の煙を私に吹きかけました。
「なっ!? ゴホ……ゴホゴホ…ゴホ」
「顔隠したまま礼の一つもしないで、淑女もヘったくれもねぇだろ。紳士、淑女語る前に最低限、人間として礼儀を示せ」
「常識だ、常識」と言うメルゼス。
彼のその行為に我慢の限界に達した私はフード付きのマントを脱いで投げ捨てると、今まで生きてきた中で初めてキレながら叫びました。
「助けてくれて! どうも! ありがとう!! ございました!!!!」