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元々が一つの世界だから、大きく異なるものは無いけれど、基本的な部分は大きく異なるというのがこっちだという事くらいは流石に分かった。
今野の言う地下世界はアレ過ぎるけれど、生活風習や文化が違う地方に突然飛ばされたくらいの差異なのかも知れない。
「という事は、自分達が暮らしてきたあっちではオカルトと言われていた様な、魔法とかが有ると言うか、残っているのがこっちという事ですか?」
「勿論そういう要素はあるけど、それだけでは無いな。
要はあっちでは都合が悪かったけれどこっちでは不可欠という要素があるという事だ」
例を挙げると種族的問題から、こっちではあっちよりも環境問題が重大用件だという事がある。
環境の変化で動植物や気象への影響というのはあっちでも問題になっていたし、資源枯渇や乱開発等の問題も挙がっていた。
けれどそれらの問題は、良い悪い以前に発展などで不可欠な要素だったのは事実だ。
ところがこっち側では、環境への影響は種族によっては下手をすると、即滅亡に繋がりかねない重大な問題になる。
物質に頼る上で資源確保は不可欠でも、その為に森を一つ切り開けば、そこに住む種族の生活環境を奪う行為でしか無くなる。
森に住む人間が、その森を失ったから開いた地で暮らす事は可能でも、森に住む種族は開いた地では生きて行くだけで困難になる事を考えれば、安易に物質を頼る事が難しくなるわけだ。
そうした諸々の都合によるあっちとこっちの差異は、概念的な考えだけで見ても、社会の根本が異なる事が理解出来る。
けれど、それは元々一つの世界にあったわけだし、実際にそうやって発展してきたあっちでは、結果的に多くの問題が生じて対策だ何だと騒いでいるのは、ガキである俺にもTVを点けるだけで耳にした。
それはこっちでも、当然内容こそ違うけれど同じ様に、問題となっている要素があるらしい。
両立が出来なかった為に必然的に分岐したけれど、その結果問題を生んだという矛盾。
気が付かなかっただけで、オレ達が暮らして来たあっちも、そしてこっちも、片輪だけで不安定に走って来た状態だったのだろう。
「確かに環境とか、物質に頼った結果とかは社会問題化していましたし、それが不安定な状況だと言うのも理解出来ます。
ただ・・・」
「魔法とかは受け入れ難いか?」
オレにとっては理由があって、事前に聞いていた話しだったから、この時点では何の思いもなかったけれど、普通ならこうした概念は認知し難いだろう。
それこそ、特に日本人だと魔法というのは魔力なんていう目に見えないものを使って発生させる不可思議な現象扱いなのだから。
「そもそもの前提が間違っているとしたらどうだ?
魔法なんてのは魔力とか言う意味不明な力を消費して発現させるものじゃないとか、そもそも魔力なんてこっちでもその存在を確認されていないとかだとどうだ?」
「魔法はあるのに魔力が無い?」
そもそも、目に見えないものが無いと否定出来るだけの根拠は、実際のところは無い。ただ、有ると言う根拠も無い。
例えばオカルト的要素を『これで説明できる』と理論理屈で説明すれば、原因不明という状態から脱して安心に繋げる事は出来るけれど、それは所詮説明出来たと言うだけであり、証明した事にはならない。
説明出来るのはあくまでも、それと同じ状況や現象が成立するというだけであって、本当にそれで起きた状況や現象だと解明したわけでは無いのだ。
けれど不明を不明のままにしておくのは精神的に厳しかったりするので、何らかの理由付けを欲しがる気持ちは無くせない。
その結果、魔力というありもしない力の産物として魔法という現象が起こる、だから魔法はオカルトで、妄想の産物だと“説明”してしまう流れが生じる事になったと言う。
「先刻例に挙げたから、そのまま火を熾す事でそのまま話してみようか」
マッチは軸の先端に発火性のある混合物を付けてあって、擦った摩擦熱で発火するという作りになっている。
これは科学的に見れば発火点が低いから、ちょっとした摩擦で火が起きるという事で成立しているわけだ。
摩擦で火を熾すのは何もマッチに限らず、ライターの場合は摩擦やそれに変わる方法で火花を散らして、揮発性のガス等に着火させる方式だし、もっと原始的な火起し器も摩擦によって火を熾す事は変わらない。
「では、摩擦とは何か分かるかい?」
「確か、物体間で発生する抵抗・・・ですよね」
「まぁそうだな。
専門的な事は分からないが、その時に発生したエネルギーは熱に変わる、だからその熱を利用して火が熾せる。ここまでは問題無いな?」
頷いて同意を示す川瀬辰弥。
それを受けて戸畑天がした説明は、ある意味では理屈としては通っていた。
物体を物質に変えても抵抗は発生する。
抵抗があればそこにエネルギーは生じる。
問題はそのエネルギーをどう扱うかでマッチなのか、火起し器なのか、ライターや発火装置なのか、方法が異なって行く。
要は抵抗という熱エネルギーと、その熱エネルギーを用いて発火する燃料となる物、後は延焼に必要な酸素とかの条件が揃えば火は熾きる事になる。
それらを物質的に構成するのが物質面での前提の様なものだけれど、そもそもそれらは物質的に構築しなければ存在しないわけでは無い。
つまりはそれらを技術的に構成しようというのが文化面での前提の様なもので、その結果が魔法を始めとしたものになると言う。
そもそもマッチ等の作られた何かがなければ火が熾きないわけでは無く、自然現象だけでも普通に熾きる事は、落雷や乾期の山火事等々、例を挙げなくても、誰もが幾つか挙げられるだろう。
そうした自然現象は昔、神の業とされた為に、それを模倣したかの様な事を人の身で行えば奇跡であったり、人ではないとされたりした。だからこそ魔の術、つまり魔術と称されるに至った。
術とは手段であり方法。それを行う方法を導き出し、確立するのが魔術師であって、生み出された方法を物質的に活かす技術者が錬金術師、現象的に活かす技術者が魔法使いとなる。
つまり魔道師は学者や研究者、錬金術師は技術者、魔法使いは消費者の様なものでしかないという事になるわけだ。
「現象として存在しているものを再現する技術だから、魔力という不明な要素はそもそも必要としていないという事ですか」
「そういう事だな。とは言え技術を使う以上は意識を必要とするから、精神的疲労はあると考えれば、魔力を精神力と置き換えても良いだろうというのが個人的意見だけどな」
肉体的疲労で行う物質面対応、精神的疲労で行う文化面対応と分ければ、確かに分かり易いのかも知れない。
勿論あっちでも精神的疲労が生じる物事が皆無というわけではないし、こっちでも肉体的疲労が皆無とはならないのは、やっぱり世界の両輪だからだろう。
「とは言え所詮は再現だから、自然現象と同等、あるいはそれ以上の現象を発現させるのは魔法と言えど限界がある。
あっちで言われる魔法が、人知を越えた事が出来るみたいな認識になっている事自体、そもそも間違いなんだよ。
とは言え俺も、こっちに来て初めて知った事だけどな」
オレが聞いていたのもそうだった。
科学も極まれば魔法と変わらない、つまりは魔法で出来る事は科学で代替え可能な物事でしか無い。
運用の自由度は魔法が勝るが実用の容易度は科学が勝り、実用コストは魔法が勝るが運用難易度は科学が勝る。
物質資源に縛られない事で魔法成果は有用ではあっても、個々の努力や訓練を前提とする以上は科学成果の方が有用になるという話しだったし、対経済効果内容も大きく変わるという事だった。
その上で実現する効果は結局同じところへと行き着く。であれば所詮は、置かれた状況や環境によって都合の善し悪しが変わるというだけでしか無い。
「つまりは、自分達が慣れ親しんで来なかったから感じる違和感みたいなもので、根本は同じという事ですか」
そう言うと、何か思う事があったのか考え込む川瀬辰弥。
その隙を突いたわけでは無いのだろうけれど、今野が言葉を挟んで来た。
「はい、先生。
て言う事は、あっちで言う超能力とかも実は魔法だったりするのかな?」
いや、先生って・・・しっかり右手挙げてるし。
戸畑天も苦笑い気味だけれど、川瀬辰弥に目線を送って考えている事を確認し、間繋ぎ的な感じか質問を受ける様だ。
「超能力は方法と言うより、個々の能力だからな。そこから何か思い浮かばないか?」
「あ、水流さんの紅色とかと同じ?」
「そういう事だ。
勿論推測でしか無いけれど、あっちから来たオレも色は持っているから、分からなかっただけでって事になる。
その色に基づく能力が偶々発現したとすれば、超能力の様な状態になるんじゃないかと個人的には思っている」
この持ち色と言うのはオレも聞いていなかったから分からないけれど、個々に依る事を考えればそういう事なんだろうと思う。
扱い方も分からない能力が偶々使えても説明が出来ないのは当然だ。
「だったら魔法って、法術みたいなものなのかな?」
「法術?」
「えっと、法則に則って行う技術《Technique to perform in conformity with a law》論だっけ?
悠樹君、これで良いんだっけ?」
「オレに聞くな。
て言うか、今野はあんなのの講座を受講してたのか。
オレは受講して無いから詳しい事は知らないけど、聞いた話しで言えば法術・・・法則に則って行う技術論は、あっちで魔法と言うと眉唾扱いになるから変えただけだとか言っていたな」
オレ達が在籍している学院は特殊な扱いの施設らしく、一般的な中学から大学院迄を混ぜ合わせた様な状態になっている。
勿論学校法人として扱われない私立の施設だけれど、個々の能力によって年齢等の制限無く授業を選んだり、研究したり出来る事から、そこから生まれる成果が高い評価を受けている。
逆に言えば、普通なら頭おかしいんじゃないか? と笑われる理論というか思いつきからすら追求する事が認められていて、妙な授業--選択式の講座形式になっている--もあったりするのだ。
そのトンデモ講座の一つが法則に則って行う技術論で、講座の主題論法が確か、“人間が想像出来る程度の事は実現する事を証明する”為の理論だったはず。
その講座の講師であり、理論発案(?)者は一応知り合いなのだけれど、色々トンデモでアレ的揃いなうちの学院の講師陣の中でも常時ダントツ争いな人なので、オレはその講座に近づきもしていなかった。
「でもさぁ、法術ってこの程度しか出来ないよ?」
そう言って掌を川の方に向けて「火炎」と叫ぶと、掌から直線上の川の辺りに、蝋燭の炎程度の火が灯る。
あの講座、こんな事を教えていたのか。
「空気中に存在する様々な微少物質で摩擦を起こして、やっぱり空気中にある可燃物質を燃やすんだけど・・・イメージしたのは火炎だよ? ぼわって感じだよ?
水流さんが周りに作ってる炎みたいなやつだよ?
でも、あのくらいが限界」
いやまぁ、それでもあっちでは便利だろ。
ライターとかいらないし、手品として隠し芸にもなるし・・・と思ったけれど、言うと怒られそうなので黙っておく。
「オレはそういうのは専門じゃ無いからな。
石動君は、何か分かるかい?」
「あ、はい。そうですね」
そこで明らかになったのは、今野のイメージ展開の問題だった。
あっちで生まれ育ったオレ達にとっては、どんなに空想上当たり前でも、魔法は所詮オカルトの域でしかない。
つまり無意識下にどこか信じ切っていない部分や、疑う部分が存在するし、それを無くす事は簡単では無い。
それに空気中の構成物質で実現可能という論法を理解したとしても、それはあくまでも論法であって、風が吹くだけでも拡散したり動きが変わる部分までを即時理解して対応出来るわけではない。
そうした部分までイメージをしっかり捉えていないと発生したエネルギーが拡散したりして、十分な効果として発現しないらしい。
勿論それらを全て満たして発動させるには意識下まで及ぶ制御等々、様々な技術や知識を身に付けないと無理らしい。
今野五十鈴は利口なのかどうなのか、微妙なところですね。
一応、頭は良い設定ではあります。