1-8
柔らかな空気の中、響く荒い靴音。
その靴音が明らかに近づいて来ると思った瞬間には、ノックも無く、ドアが勢いよく開けられた。
「酷いっす! なんで顔出してくれなかったんすか!」
元気良く手を上げている白石悠がそこに居た。
たった一人で空気感を一瞬にして書き換えるこのバイタリティは、ある意味で凄いと言えるのかも知れない。
もっとも、靴音で既に予想していたのであろう戸畑天が、ドアが開く前に横に移動していて、白石悠が上げていた手を素早く取って引っ張った。
「うにゃっ?」
予想していなかった引っ張られる力に逆らう事が出来ず、前のめりに倒れる。
あ、顔から行った。あれは痛そうだ。
「な、何なんすか?」
鼻を押さえてキョロキョロと、周りを見回しているけれど、あんな簡単に倒れて良いのか副隊長? という感じではある。
ふと背後に目が行き、ドアの横に立っている戸畑天を見つけ、事態が理解出来たのだろう。
「あ」
「悠、五月蠅い」
声を上げた途端、その言葉を遮られる。
「え、あれ? あぅ・・・すみませんっす」
首を傾げながら謝ってる。絶対色々理解出来て無いと思う。
その後、主に戸畑天によって半強制的に落ち着かされたり、水流と今野が女部屋から来たりして、白石悠が突き飛ば・・・いや、引き飛ばされた事は有耶無耶になった。
有耶無耶になった主な理由が、水流と今野が着替えていて、そこに白石悠の関心が移った事だと言うのはまぁ、本人による事なのでそれで良しと思うしか無いのだろう。
今野は、上は肩出しのTシャツの様な服、下は膝上のスカートで、身体の前を覆う膝丈ほどのエプロンの様なものを着けていた。丈から見ても流石にエプロンでは無いんだろうけれど、オレはその手のファッションだ何だは詳しく無いのでよく分からない。
Tシャツの様な服は白緑色で、縁取りなのか、動きやすい様になのか、茶の革紐の様なものが付いていて、結構手の込んだ作りに見える。
水流は白地に紅の模様が入った薄手の着物の様なものだった。
浴衣とかなのかも知れないけれど、やっぱり詳しく無いのでそこら辺は分からないし、どことなく着物とも違う印象を受けるので、こっちで着物から発展した服なのかも知れない。
巫女服の様な衣装は体のラインが出なかったので気にもならなかったけれど、この衣装だと体のラインがそれなりに出る。
男部屋に着て早々に、その状態を指で示した今野が「色々狡くない? ねえねえ、狡いよね」と言っていたのに、白石悠が食いついたのが、先刻までの状況が有耶無耶になった原因だ。
ただ、そう言うのも分からなくは無い程に、水流のスタイルは良かった。
見た目が良く、性格も今のところではあるけれど丁寧だし、その上でスタイルも良いとなれば、同姓的には狡いと思うのも仕方が無いところではあるのだろう。
ちなみに男勢はオレがジャケットを、戸畑天も長い羽織の様なものを脱いだだけなので変わり映えはほとんど無い。川瀬辰弥は上は甚平の様な白鼠色の服に、下はおそらくジーンズ--こっちにもそう言うのがあるんだと驚いた--というラフな格好で、荻野玄太は鎧こそ着込んでいなかったけれど、布目一箇から貰った上下の衣だったので、触られもしなかった。
女勢は今野の露出が多いんじゃないか等々で盛り上がっていた--確かに水流も白石悠も、肌の露出は最低限だ--けれど、あっちから来た俺達としては、あまり露出が多いとも思わない程度だった。
散々騒いだ挙げ句、川瀬辰弥に対して今野がどうか聞いて、「かわいいと思うよ」と勢いに飲まれた感じではあったけれど返した事で、静まって行った。
「足の露出は流石に。でも・・・」
と呟きながらオレをチラチラと見る水流の視線は感じていたけれど、何を求められているのか分からないので、こういう時は気が付かない振りがベストだろうと判断したのは蛇足だ。
「そう言えば、依頼分の盗賊団討伐の印だ」
そう言って戸畑天は、みんなを襲った小鬼の装備を取り出した事で、戸畑天があそこに現れた状況が推測出来た。
あの小鬼は盗賊だったらしく、衛士衆からの依頼で動いていたから、戸畑天があの場に現れる事が出来たのだろう。
「今っすか。
てか、だったら事務の方に・・・あー、そうっすよ。何で顔出ししてくれなかったっすか。待ってたのにー」
戸畑天の予想通り、白石悠は待ち構えていたらしい。
もし衛士衆の窓口に行っていたら、昼食が遅れていたのは確実だっただろう。
「悠、五月蠅い。
それより何の用だ」
「う、すいませんっす。
えっと、川瀬辰弥さんと、荻野玄太さんが衛士衆に入るって事で連絡来たんで、説明しに来たっす」
軽くいなされる白石悠。
ちょろすぎるぞ、衛士隊副隊長。それでいいのか?
「で、川瀬辰弥さんと、荻野玄太さんって、どの人っすか?」
その言葉で、白石悠に自己紹介させておいて、自分達は名乗っていなかった事を今更ながらに気が付いた。
オレ達が順に名乗り、最後に水流が名乗り始めてから、白石悠の顔が呆けた感じになった。名乗り終えてハッと表情が戻ると、いきなり前のめり気味になって聞いて来た。
「紅の石動水動って・・・もしかしなくても山城神代狐の石動家ご当主様ですよね?」
「はい、そうですが?」
「うにゃ! 紅姫様っすー!
花押欲しいっす。ちょっと色紙持って来るんで、お願いしますっ」
と言って、返事も聞かずに部屋から飛び出そうとして、戸畑天に抑え付けられた。
これまでは、随分白石悠の動きが把握出来ているんだな、という印象だったけれど、この短い間に、オレにも今の動きが何となく予想出来た。つまりはそういう人という事なんだろう。色々残念過ぎる。
暫くの間、抑え付けられたまま「紅姫の花押欲しいっすー」と抵抗していた白石悠だったが、水流が「後程一筆致しますから」と宥めて大人しくなった。
「いい加減、本題に入れ」
溜息を一つ吐いて戸畑天が促し、やっと本題に進める白石悠は、予想外の爆弾を投下した。
「ええと、川瀬辰弥さんと、荻野玄太さんの衛士衆登録手続き申請を受けて、川瀬辰弥さんを衛士衆の隊長、荻野玄太さんを衛士衆の管領として手続きしたっす」
・・・・・・。
いや、呆けている場合じゃ無い。
確か悠さんは今、自分を隊長、玄太を管領として手続きしたと言った気がする。
いやいや、おかしい。聞き違いだろう。
あくまでも来訪者として、サポートを受ける形として衛士衆に入る流れがあるという話しだったはずだ。そもそもこっちに来て、まだ丸一日経っていない来訪者である自分と玄太に肩書きが付くのは有り得ない。
それ以前に、衛士衆にお世話になる手続きをしただけなのだから、有り得ない事だ。
聞き違い以外の何ものでも無いだろう。
そう思っていたのだけれど・・・。
「んと、隊長に関しては町の長と、前の隊長と、この地の主に了承を貰わないといけないので、今のところは手続きだけっす。
管領に関しては、特に問題無いっすけど、隊長との意思疎通が速やかって理由があるので、こっちも了承貰ってから本手続きって事になるっすね」
聞き違いじゃ無かったらしい。
「いや、ちょっと待て。何でそうなる?」
動揺した感じで戸畑さんが聞き返す。
そう言えば戸畑さんがこうして気を乱すのは初めて見るかも知れない。と考えているこの時の自分は、思考が逃避気味だったのだろう。
そんな戸畑さんに対して、悠さんは平然と返した。
「だって、川瀬さんは白鼠持ちっすよね?
無彩色第十五席次じゃないっすか。
で、その川瀬さんと一緒に動いていた荻野さんなら、川瀬さんとの意思疎通は、他の衛士衆隊員より確実っす。だから隊長と管領は最適だと思うっすよ?」
何でそんな、当然の事を聞くんだという感じだ。
何かが色々間違っている気がする。
少なくともこのままはマズいだろう事に直ぐに意識が向き、逃避気味な思考が戻った。
「そもそも、新しく登録して欲しいという自分が隊長っておかしいですよね?」
「能力の有無と、新人かどうかは関係無いっすから、おかしくないっすよ?」
「そもそも、副隊長さんが居るんだから、繰り上げで隊長になるんじゃ無いんですか?」
「いやだなぁ。あて《私》じゃ了承なんか得られないっすよ?
少なくとも親父《町の長》は反対すると思うっす。
あぁ、前の隊長も無理って言うっすねー」
いやまて、副隊長が隊長に繰り上がるのに了承が得られないってどうなんだろうか。
そう思ったのだけれど、理由は簡単なものだった。
「あて《私》は戦闘力で副隊長を押し付けられたから、自分で判断するとか、事務処理とか絶対無理っす。
衛士衆のみんなもそこは全員賛成っすよ」
胸を張って言われても、という感じでしか無い。そもそもそれは堂々と自分で言って良い事では無いだろう。
大丈夫かな、この衛士衆・・・と心配した時点で、自分は逃げられなくなったのかも知れない。
「それにほら、隊長は偉いんだから後方でふんぞり返ってるだけでも良いし、管領は隊長の補佐だから、一緒に戦闘に参加しなくても良いじゃないっすか。
と言うか、突然隊長が抜けて、今日の事務作業とか全然進んで無いんすよ。
衛士衆のみんなにもまともに指示とか出せなくて、あの二人がそこに不安感じたところで奴らに引っ張られたっす。
他の来訪者のみんなは、あの二人よりここが少し長いから保ったっすけど、それでも不安そうなんすよ・・・。
てかもう、書類とか本気で勘弁なので助けて欲しいっす。
お願いですから、隊長やって下さいー」
悠さんは話している間にどんどん泣き言っぽくなって行き、最後には涙目になって縋り付いて来た。
そんな状態の副隊長さんに対して、今野さんが突然飛び出し、後頭部を思い切り叩く。
縋り付く前傾体制だった副隊長さんは、叩かれた勢いで床に突っ伏した。
「うにゃっ?!」
と言って上げる頭。その直ぐ上には叩いた後の今野さんの手があり、いつの間にか符が握られていた。
次の瞬間、副隊長さんの頭にバケツ一杯分位の水がかかる。
「うにゃにゃっ? 何? 何??」
びっくりして周りを見回す副隊長さん。そして、前に割り込む様に居た今野さんと目が合うと、明らかに怯えた様子で身を引く。
完全に間に割り込まれたわけではなかったので何とか見えた今野さんの、悠さんを見る目は、その表情に反して異様に冷たかった。あれは怖い。
「いい歳して泣き落としとかうざい。頭冷えた?」
「う・・・うぅ・・・」
笑顔で淡々と話す今野さんに対して、副隊長さんは返事も出来ず、また泣きそうになっている。
そんな状況に、すっと今野さんは自分の胸の辺りに手を上げた。その手にはまた、一枚の符が現れていた。
現れた符を見てびくっと反応した悠さんは飛び上がる様に素早く立ち上がると、頭を下げる。
「すみません。ごめんなさい。今後気を付けますっ。頭冷えました。許して下さい」
十五才の今野さんに対して、悠さんはどう見ても二十才前後--後々知ったけれど二十二才だった--が平謝り状態だ。
何だか可哀想になって来たのは気のせいじゃないだろう。
これまで、ゲームで関わっていた時代も含めて、今野さんが怒った様なところを知らなかったので驚いたけれど、このまま放っておくわけにもいかないので声をかけると、今野さんがはっとした感じで反応した。
どうも咄嗟にやってしまった感じだったらしい。
悠さんに謝ったり、悠さんが自分こそと謝り返したり--かなり怯えた感じではあったけれど--という事が有って、やっと場が収まった。
とは言っても、状況は全く収まっていないのが問題だ。
自分が隊長、玄太が管領という突然の話しは無茶苦茶だけれど、それでは進まない。
何が問題か。それは自分も玄太も、その役を担うには何も知らないし、担う事が出来るかも分からないというのが一番大きい。
であれば、その問題を放置していても堂々巡りにしかならないだろう。
そう考えていたら、唐突に悠さんが顔をぶるぶると震わせて水を飛ばした。
やった後に気が付いたのか、周囲を見回してわたわたしているのを、今野さんや石動さんが宥めていた。
そもそも、既に今野さんによって部屋は濡れまくっているので、それを見ても、あぁ猫だな、という印象しか受けなかったし、何か色々、悠さんだと駄目なんだろうなと納得している自分がいる。
むしろ衛士衆に入って、この人の指揮下という方がどうなのかと言う時点で、諦めが生じつつあった。




