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全知全能の神

作者: 八田理

「あ!」

 俺は飛び起きた。

 目覚まし時計が鳴る十分前。競馬新聞が散乱したワンルームマンションの万年床で、自分が全知全能の神だと思い出したからだ。

「そういえば母の腹にいたとき、次は普通の人間として生きると決めたんだっけ」

 俺は汗臭い布団の上であぐらをかいだ。少しずつ思い出してきた。自分が神との認識を四十年間封印したのだ。そして今日は四十歳の誕生日である。

 時計が鳴った。念じると鳴り止んだ。尿意も消した。白を基調とした理想のリビングへと瞬時に模様替えをし、ブルーマウンテンが入ったカップを出現させた。コーヒーを味わいながら、全知全能の神としての行動を思索する。

 実感はない。夢と現実の境にいる気分だ。金や女に縁がない地味な人生だった。職場は単純作業の退屈な工場である。楽しみは日曜競馬だけで、大穴を当てたのは一度きりだ。

 それが今や、好きなように人の心を操り、死者をも復活させられる。過去を塗り替え、未来も意のままだ。要するに全宇宙を支配できるほど、すべては思い通りなのだ。

 自然と顔がほころんでくる。テレビをつけ、ニュースを読んでいるキャスターの銀縁メガネを少しずらしてやった。生真面目そうな彼は一瞬戸惑った表情になってメガネを掛け直した。俺はにんまりとしてチャンネルを替えた。スカート姿の女性タレントがライブでロケをしている。花柄のフレアスカートをめくってやろうと思ったが、直前でとどまった。

 俺は神である。神らしく高貴に振る舞わなくてはならない。地球では未だに紛争も貧困も差別もある。環境汚染も深刻だ。俺なら一瞬で解決できるではないか。

「でも、本当に人類のためになるのか?」

 答えはすでに出ていた。神として出現すれば俺に頼りきりで思考停止になる。こっそりと諸問題を解決しても、人の心は変わらないから同じ問題を繰り返す。問題を起こさない心に変えると従順だが活気が失われる。

 俺はマホガニーのソファーに寝転んだ。何もしないと決めたのだ。人類はまだ成熟していないが子供でもない。俺が動けば親離れできない大人になる。そもそも俺は、人類が右往左往しながらも成長し、やがては神のような心になるのを見届けたい、という親心から人類を作ったのだ。俺が動くとすれば、核戦争の密かな抑制ぐらいだろう。

 結局俺は自分の欲望や好奇心だけを満たすことにした。過程を楽しみたいので、病気や事故の予知を除き、状況によっては全知全能を封印したり小出しという設定にした。

 まずは行きつけのバーのミクちゃんをデートに誘った。もちろん即答でオーケーだ。ランボルギーニでドライブをし、一見客お断りの寿司屋に入った。

 世界的なサッカー選手やロックスターにもなった。憧れの女優と世界中を旅行し、最高級の料理を味わい、五つ星ホテルに泊まった。

 理想の女性を出現させて結婚もした。子供三人の何の不自由もない家庭である。一人になりたくなると過去へ行ってあらゆる名場面に立ち会ったり、宇宙中を見て回った。百歳で死んだことにして独身に戻った。

「何だ、この恐怖心は」

 全宇宙連邦の総裁室で俺は愕然とした。全知全能の神に戻ってから地球時間で千年は経っている。今やあらゆる欲望も好奇心も満たした。押しつぶされそうな恐怖心が沸いてきたのは、やりたいことがないのに気づいた時だった。

 俺はせわしなく室内を歩き回った。恐怖心の源を探り続けた。孤独ではない。そもそも全知全能の神は孤独だ。己の絶対的な死は確かに恐ろしい。大宇宙がいずれ死ぬように、神といえどもいつかは死ぬ。しかし一方で、死ねばどうなるかとの好奇心もある。

 俺は立ち止まった。死よりも恐ろしい存在に気づいたのだ。これが最後だと、全宇宙で最も美しい、月面からの地球を見つめた。そして俺は恐怖心から逃れるために宣言をした。

「すべてあの世界へと、リセットだ」

 目覚まし時計が鳴った。あくびをしながらアラームを止める。日曜日なので工場は休みだが朝から戦闘態勢だ。缶コーヒーで気合いを入れ、競馬新聞をめくった。今日は俺の四十歳の誕生日だから、大穴は四十にちなんだ馬名で勝負だ。

 赤鉛筆を握りながら万馬券を当てた時を考える。回転寿司に行こうか。それともソファーを買い換えようか。いや、今度こそミクちゃんをデートに誘おう。えーと、デートの場所は……。

「おっと、予想に集中しなくては」

 俺は自分を笑った。今回もまた競馬よりも夢想を楽しんでいたからだ。まさに小市民の、ささやかな楽しみではないか。でも、だからこそ……。

 退屈極まりない今の工場を、俺は辞めずにいられるんだ。


 

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