0.三月九日(金) 雨(1)
雨が誰の上にも等しく降ると思ったら、大間違いだ。
雨だ。三月上旬に雨が降ると、真冬よりも寒い。いや、寒いのは雨だけが原因という訳でもなければ、真冬より堪えるという訳でもない。
一番の原因は、目の前の掲示板にある。
雨に濡れるのを防ぐためにビニールを被せられた木の板が、県立紫西高等学校正面広場に掲げられている。木の板には、白い紙が貼られ、200を超える数字が飛び飛びに並んでいた。
自分の右手に握られた薄紫色の受験票に印字されている127という数字は目の前にはない。
何度見ても無いのである。
――――――合格は確実だ。
これは中学の担任の声だ。
――――――君が落ちることは、万に一つも無い。
通っていた塾の講師か。
――――――帰ってきたら、何か美味しいもの用意しておくから。
何処か浮世離れした母親の、二時間程前の声が聞こえる。
――――――勁が落ちるなら、俺ら全員逝ってるよ。
既に合格を確かめたクラスメイト達の本番前の冗談。
「勁?」
幼稚園から一緒の友人:漉橋凱史が俺に声をかける。
俺の耳に周囲の喧騒が戻ってきた。合格して嬉しいからなのか、落ちて悲しいか、悔しいからなのか泣き崩れる生徒や、一家総出で掲示板の前で写真を撮っている奴まで、高々高校受験で何を大げさに、と思う。
たかが、高校受験で。
その油断が、この有様か。
「俺・・・落ちたよ」
今の俺は、どんな表情をしているだろうか。
凱史は表情を変えずに、
「そうか」
と返した。雨は警報発令の三歩手前、といった感じで紫西高校の石畳を叩いている。
凱史愛用の黒色の傘から水滴が引っ切り無しに落ちている。
俺は、傘を持ってきていない。天気予報は一日中曇りだと言っていた。
「勁・・・私立は受けていなかっただろう?第二候補も提出していなかったじゃないか。・・・どうするんだ?」
この県は中々変わった試験方法を展開している。高校入試は通信簿の評定成績(主要五教科+実技科目四教科)と試験当日の出来で左右される。公立高校推薦や私立高校は独自の試験を課すが、公立高校は全県同じ試験問題が課される。教科は国語、数学、英語、理科、社会。評定成績は各高校の理念によって5~10倍の傾斜がかけられる。例えば、国際理解を前面に押し出している高校ならば英語の評定成績×10、などという風に。勿論、傾斜がかけられた末の合計点は全高校で同じにならなければならない、というルールがあるが。
試験当日の出来も同様に点数に傾斜がかけられる。こちらも評定成績の時と同じである。更に、中学生は全県から公立高校を二校、選ぶことが出来る。ただし、公平性を考慮して、第二候補の高校の場合は、合計点から100点引かれるのである。 二校とも落ちてしまった場合や、公立高校を一校しか選択せずに落ちた場合には、二つ選択肢がある。
一つ目は、私立高校を受験し、合格していた場合、そこに進学する、というものである。
二つ目は、定員割れした高校の基準を満たしていた場合、定員割れした高校から合格通知が届くので、その中から進学先を決める、というものである。
「家に帰って合格通知が来ている高校探してみるよ」
凱史は頷いた。彼の左手は、紫色の紙袋を提げている。それは、今の俺には持つ資格のないものだ。
「・・・わかった。高校決まったら、メールくれよ。ここで離ればなれになっても、友人であることに変わりはないからな」
凱史の言葉に、まあそれもそうだな、と返す。
「・・・他の皆は?」
何某かの希望を見出そうとして、凱史に問う。
「・・・合格したって。東堂が中川に抱きついて喜んでた」
友人たちから一気に取り残された気分だ。へえ、と軽く相槌を打つ。目の前のこの親友も、明日からは、遠い存在になるのか。
「じゃ、そろそろ・・・1時から合格者説明会があるから、飯食いに行くわ」
凱史が片手を上げる。俺を誘わないのは、気遣いなのか、それとももう関係が無くなるかもしれないからなのか。
ああ、と返事をして、凱史は中庭の方に。
俺はバス停の方に向かった。
・・・性懲りも無く新シリーズ始めました。
詳しくは活動報告で。