表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

庭園

作者: ちゅーせん

 私は監禁されている。

 私を捕まえた者が何者かは分からない。

 ただ、私が拷問を受けたりして苦痛に悶える姿がとても楽しいようだ。


 初めてココで気づいた時は、前後不覚、1分近くは混乱していたか。

 記憶が確かならば、たしか飲みつぶれて繁華街の何処かをふらついていた記憶が断片的にある。

 しかし、気づいた時には、映画に出てきそうなコンクリートが打ちっぱなしの、なにも無い部屋に居た。

 しかも、なにやらキリストみたいな格好で磔にされていた。

 手首と足首を皮のようなベルトでしばった状態で。

 そして数日間、断続的に傷めつけられた。


 人の慣れという特性は恐ろしい物で。数日か数週間――時間間隔が曖昧だった――もすると、痛めつけられること自体が日常になってきた。

 私はだいぶ疲れてしまったので、もう痛みや悲しみに反応をする力すら残っていなかった。


 と。

 そんな悲しさの極限に達してから、やはり数日ほど経った時。

 何度かに1度入れ替わる、係官のような役目のその人が、今日は違う拷問を始めた。というより、拷問をしなかった。私は手首と足首の皮ベルトを、この場所にきてから初めて解かれた。


 何が何やら分からなかった。

 その分からなさ加減というのは、初めてココに来た時と同等の混乱であった。

 新しい、もっとヒドイ拷問にかけられるのかという不安や、ドラマや漫画のようにヒーローが係官として潜入してきて助けてくれるのかもしれないという子供じみた悲しい希望、その他もろもろが入り混じって、私の感情は定まらなかった。


 連れて行かれたのは、淡い日差しの差し込む柔らかな温室の庭園だった。

 真ん中にはおしゃれな白い椅子と机が置いてある。

 机には紅茶とクッキー。まるでちょっとしたイギリスの貴族だ。

 そこで私は開放された。

 呆然とするしかなかった。それ意外何をしろというのか。

 時間の感覚が鈍くなっている私だったので、ともすると10分ほど状況を受け入れるのに要したかもしれない。

 やっと私以外居ない事に――係官が存在しないことに気づいた。

 しかし人は、突然の自由に対してはすごく臆病な側面がある。


 とりあえず手当たり次第観察し、情報を集めることにしてみた。何が起きているのか。未だもって私は何一つ分からない。

 散策した結果、この部屋はだいぶ丈夫なガラスで出来た温室のようで、テレビで見たような南国の植物が栽培されていた。中には果実を実らせるものもあるようだ。

 そして、出入口は2つ。

 太陽が照りつけるガラス張りの部分の反対。おそらく北側の壁に一つ。その壁を北とするなら、西側に一つだ。西側も一部が壁になっていて、途中からガラス張りになっている。

 そして、その西側の壁はハイテクなリビングのような部屋につながっていた。私はそこへ入ってみた。


 テレビ、冷蔵庫、システムキッチン、エアコン、食洗機、洗濯機、乾燥機、パソコン、などなど。一般家庭に存在しそうなあらゆる家電が置いてある。金持ちの友人の家へ遊びに来たかのようだった。

 部屋の状況を大体把握した頃、

<<ピンポーン>>

 という音。庭園の方からだ。


 慌ててリビング(らしき場所)から出、庭園の北のドアへ行ってみた。

 鬱蒼とした木々の間の遊歩道を抜けると、少年が立っていた。


 少年は私と同じ状況の人間だ、と直感的に感じ、少年へ近づいていった。しかし少年は私を敵だと思ったかとても怯えている。

「こんにちは」

 せっかくの挨拶が、弱々しくなってしまった。

「私はキミと同じ状況だよ。何が何やらわからないうちにココに居た」

「そう・・・ですか」

 少年は一応の安堵を見せたが、不安感は残ったままのようだった。

 いまだ眉をひそめたままの彼に対して思い切って提案してみる。

「一緒に、お、お茶でもどうダすか!」

 噛んだ。


 彼の名前はコウタというらしい。授業中に居眠りしていて、気づいたらココに居たそうだ。ちなみに高1で、サッカー部なんだとか。

 彼と話していると、青春を謳歌している姿が目に浮かぶようだった。

 爽やかなスポーツ少年と共に、庭園の真ん中でおしゃれなティーカップでお茶をしながら美味しいクッキーを食べている。

 状況が状況でないなら、なんと素敵なことだろう。

 しかし。

 会って間もない彼と互いの情報を交換し終えたところで、状況の異常性を認識し始める。のん気に茶など飲んでいる場合ではない。

 彼も私と同じ考えに至ったか、少しずつ深刻な表情へ変わっていく。

 逃げよう。

 私達は同時に立ち上がる。


 ガラスには満月を少し過ぎた月が映り、星とともに庭園を照らしていた。

 脱出は無理だった。いろいろ試したが無理だった。疲れ果てた私達は、西の部屋で寝た。係官はあれ以来一度も来なかった。


<<ピンポーン>>

 早朝に鳴った呼び鈴で、私達は飛び起きた。

 急いで入り口へ向かうと、ソコには400gはあろうかという大きなステーキを持った少女が立っていた。

 私達は、一応周りを警戒したのち、戸惑う彼女の背中を押し、とりあえず庭園のテーブルへ連れて行った。

「あの、なんなんですか! 何なんですかほんとに!」

 私は、彼女の何度目かの質問に何度目かの「分からない」を言いながら肉を切り分ける。

 自分の行動すらわけがわからない。なんて滑稽な状態なんだろうか。しかし腹は減っていた。


 彼女がしぶしぶ、切り分けられたステーキを食べ始めた頃、私達はステーキを平らげた。そして話を切り出す。

「で、アナタもやっぱり、なにか酷いことを・・・・・・?」

「・・・・・・・・・はい」

 手を止める彼女に、改めてステーキを勧めてから続ける。

「そうか。やっぱり状況は私達と一緒なんだね」

「いったいどうなってんだ」

 痺れを切らしたように言う彼をなだめつつ、「とりあえず自己紹介でもするか」と続けた。


 その見た目通り、彼女はまだ少し幼かった。中学2年生の13歳だそうだ。彼女も私達と似たようなもので、塾帰りのバスでうとうととしたと思ったら、いつの間にかここに来ていたそうだ。

 その話しぶりや立ち居振る舞いから、育ちがいいことが分かる。通っていた学校の名前も、聞いたことはないがやんごとない響きの名前だった。


 それぞれの自己紹介が終わり、私達は途方に暮れた。

 自己紹介の際、私達が昨日出会った事や脱出について試行錯誤してみたことなども話した。もちろん、無駄なあがきだったことも。

 仕方がなので、今一番悪い状況から改善することにした。

 つまり、風呂に入った。

 西の部屋は手前こそ片付けられていてリビング風になっていたが、奥の方はなにやら電化製品が色々あり、見渡しが悪い。

 しかし昨日隅々まで探索してみた結果、端の方にトイレや風呂があるのは確認していた。

 一人ずつ入り、残った者は念のため西の部屋のドアの前で警戒をしていた。ちなみに我々の着ていた入院患者のような服も、風呂で同時に洗った。


 3人共入り終わると、またやることがなくなった。昼だったので昼食を取る事にした。

 さっき彼女に西の部屋を案内する時に、昨日は何も入っていなかった冷蔵庫に食材が入っていたからだ。

 適当に料理をし、二人の待つ庭園のテーブルへ運ぶ。

 西の部屋はソファなどリビング風の物があるが、日の差さない西の部屋より、やはりこの庭園の真ん中の洋風の白い机の方が良かった。二人もそう思っているようだ。

 親子丼とオムライスと麻婆豆腐をそれぞれ食べ終わった。


 結局その日一日は「今後どうするか」を話し合っているうちに雑談になり、お茶をしながら優雅な午後を過ごして終わっただけだった。

 我々はついさっきまで酷い仕打ちを受けていたというのに、この差はなんなのだろうか。


 あれから23日経っただろうか。私達はまだ庭園に居た。というより暮らしていた。

 係官の姿は見ない。しかしずっと気配は感じていた。というのも、定期的に必要な物が追加されたり、不要になった物が消えたりしていたからだ。どうしていいか分からない生ごみが消えたり、いつの間にか歯ブラシが増えたりしたのは最初は気味が悪かったが、この間まで受けていた拷問のように直接害があるわけではないので、関わらない事にした。むやみに暴いてまた恐ろしい境遇へと逆戻りするのは避けたかった。それは私以外も同様だった。

 ちなみに人も増えた。40手前ぐらいのオバちゃんアキコさんと、小学生の男の子ユウ、それから70近いおじいちゃんタケルさん、そして犬。

 西の部屋はオバちゃんの主婦力によって結構片付いて、大所帯になっても問題なくすごくことが出来た。というより、大所帯だからこそ、家電の真価が発揮されていた。ちなみに今更だが、アンテナ線が無いのでもちろんテレビは受信できなかった。

 庭園のテーブルも、ユウ君が来た辺りで大きなものに変わっていた。しかし私達は誰一人としてそのことに関して口にしなかった。


 この人数で、もう2週間以上過ごしている。

 やることは特に無いが、人が多いので暇つぶしもしやすい。おじいちゃんの若いころの話を聞いたり、何故か洗濯機の中に詰まっていたテレビゲームをみんなでやってみたり、庭園の木に生っている果実を収穫してみたり。

 5日ほど前に、炊事洗濯掃除も、とりあえずの当番制にした。ちなみにマジックペンと紙は10日ほど前に増えていた。


<<ピンポーン>>

 ここ最近聞いていなかったが、また新たに「客」が来たようだ。

 ちょうど誰も手が離せなかったので、暇を持て余していた私が「玄関」へ出迎えに行くことになった。

 歩き慣れた庭園の小道を小走りで進み、相変わらず鬱蒼としている木々の葉を押しやりながら玄関前まで行くと、

「あれ?」

 誰も居なかった。

「あれー? 誰もいないのー?」

 あとからついてきていたらしいユウ君が、後ろから声をかけてきた。

 一瞬嫌な予感がした私だが彼の口調に救われた。特に何が会ったわけでもないのだ。気にすることはない。というより、気にしてはいけない気がしていた。今日までずっとそうしていたのだ。  余計なことをして状況をより悪くすることは避けたい。

「まぁ、こんなこともあるよ」


 次の日。誰かが犬が居なくなっていることに気づいた。

 特に誰が飼っているというわけではなかったので、しばらく目にしなくても誰も気に留めていなかった。移動できる場所が限られているここでは、「どこかへ逃げてしまう」という事もない。

 皆、うすうすは分かっていたが、やはり口には出せなかった。それが本当でも間違いでも、できる事など何もないからだ。

 しかし夕方、オバちゃんの今夜のメニューがカレーだと分かった頃。またあの音がした。

<<ピンポーン>>

 皆、嫌な予感がしたのだろう。

 玄関前には犬以外の全員の姿が見える。全員居てよかった。しかし。

「こんなのやだよぉ・・・」

 2番めに来たミカが崩れ落ちる。

 高校生のコウタは「俺駄目だ」と言いながら茂みで吐いていた。

 小さな人垣を分け入ると、玄関前に空色のポリバケツが置いてあり、その奥にドロドロになった犬が詰まっていた。

 そのドロドロの多くは血であろう。バケツの空色と馴染めず、際立って見える。ところどころに泡があり、その細かい泡がバケツとの境界に密集しているのが、新鮮さを物語っていた。その中に紺色や白やピンクや茶色の、何かの塊がいくつも見え隠れしている。本物の内蔵というのを初めて目にしたような気がした。そのスープの中からすこし突出している黒いものは、恐らく鼻だろう。 頭部はだいたいそのままの形であの中に沈んでいるようだった。

 30分ぐらいはその場に居ただろうか。もしかしたらもっと短かったかもしれないが、誰もどうする事もできないままだった。が、ようやくおじいちゃんがバケツの縁に手をおき、

「埋め・・・んん、埋めてくるよ」

 と言った。あまり締まらないおじいちゃんが、私は嫌いではなかった。

 その言葉をきっかけにして、

「さああんたたち部屋へ帰ろう、今日はもう寝たほうがいいね」

 オバちゃんが泣きわめく子らを慰めながら、部屋へと連れて行く。

 私は、バケツの反対側に回った。おじいちゃんは少し驚いていたが、

「土があって、よかったなぁ・・・」

 と言いながら本当に少し、かけら程の安堵の表情を見せた。


 翌日の朝食後、みんなで墓参りをした。

 昨日あの後、おじいちゃんと私とで、部屋から遠そうな東側の日当たりの良いヤシの木の脇に、犬を埋めた。そこは以前、土を掘って脱出を試みた時に掘った穴が有り、おあつらえ向きだったのだ。

 皆元気が無かったが、小学生の男の子が特に泣きじゃくっていたのが、皆の救いだった。

 彼は、背が低いのとオバちゃんが制止したお陰で、バケツの中身を見ていない。純粋に死を悼む気持ちで素直に涙を流せる彼が、私達の素直な悲しみを代弁してくれていた。

「さぁ! ここにいても仕方ないから行くよ!」

 オバちゃんはいつもこうして空気を変える力を持っている。少し羨ましくもあり、ありがたくもあった。

 私は今日は洗濯当番だったので、シーツやタオルなどを干すことにした。

 ちなみにちょうど犬の墓の近くが、洗濯を干すのにちょうどいい場所で、ベランダ代わりにしている。といっても、ヤシの木の間に紐をかけているだけだが。ここに物干し竿がないのは、恐らく物干し竿が必要になった時に、すぐに縄で代用したからだ。足りている物については基本的に新たに増えたりはしないらしい。

 2枚目のシーツを干した時に、その縄が解けた。

「ああー。」

 間の抜けた顔と声で残念がってみるが、誰も見ていないので少し恥ずかしさを覚える。

 落ちて砂と土色が付いてしまったタオルやシーツを回収し、縄を結び直すため、木下の岩へ片足をかける。

 と、そこにもう1枚回収し忘れたタオルが有ったせいで、滑ってしまった。

 私のこめかみが隣の岩に近づいていくのを目の端で捉えながら、灰色のタオルがこの世に存在することを呪った。

<<ピンポーン>>

 という音が聞こえた気がした。


「ぎぃああああああああああああああああああああ!!!」

 私は激しい苦痛とともに目を覚ました。

 痛みのもとは左の人差し指で、ツメが剥がされている。

 私はちゃんと磔にされていた。手首には境界線のような綺麗な痣が見え、痛いところと痛みを感じる本体を分断しているように思えた。

 まだ意識が曖昧だ。寝ぼけているのか、疲労しているのか、痛みのせいなのか。荒い息のままアレが何だったのか考え始めていた。

 今はいったいいつなのか。私はあの庭園での時間を実際に味わったのか。もしや今気絶している間に見た束の間の淡い夢だったのか。安息を求めて止まない私の精神が創りだした幻想なのか。

 いま剥がされたのが第一段階の最終工程だったようで、今は第二段階の準備が進められているようだった。

「いやだ・・・い・・・い・・・ひっ・・・」

 針がガスバーナーで熱せられる光景をまじまじと見ている。恐らく、刺すのだろう。息が出来ない。

「ひゃ・・・ぅぇ・・・ひぉっ・・・オボゴぁォエ」

 あまりの緊張で、嘔吐してしまう。オバちゃんの作ったカレーが出てきてしまった。オバちゃんのは人参が小さい代わりにジャガイモが大きい。黄色い中に白い塊がよく見えた。

「なんで、なんで! なんで! え、やだ、どうして!」

 私は痛みと現実を少し忘れていた。目を吐瀉物に向けている間にいつの間にか両脇に係官が迫っていた。

 そして左右に断続的な激痛が繰り返されていった。


 そうして私はまたしばらく拷問を繰り返された。やはり日にちはとても曖昧だった。痛みと悲しみと恨みでそんなものを考えている余裕もないし、情報もない。

 もしかしたらカレーが見えたのは嘘だったのかもしれない。今日までの間に、何度か両親や友達の幻を見た。

 少しおかしくなっていても何ら不思議はない。そう自分で思ったことで、どっと疲れが押し寄せた気がした。そしてそれに飲まれ、気を失っては気付きを幾度か繰り返していた。

 そんな時、

「ママー! ママぁぁぁあああああ!!! んマッあ”あ”あ”ぁぁぁあ”!!」

 ユウ君の声が聞こえた。犬の死を悼んで居た時とは比べ物にならないほどの阿鼻だった。

「やめろ! やめろぉおおお!」

 思わず叫んでいた。

「やだやだいだい、いだぁあああああ!! マんッごゲぇ、ママぁぁあああ”!! んあ”あ”あ”あ”ー」

 私達の希望だったのだ。無垢のかけらだったのだ。それを侵害される屈辱とそれに抗えぬ無力さと、色々が混じった私の体は、そのまま水槽の中へ沈められて行くだけだった。

 激しく声を出していたせいで一瞬にして溺れる。遠くなる彼の声が弱々しくなっていった。


 そうしてあれから、全員の声を聞いた気がする。一人につき、1回。気を失いかけると、たまに遠くから聞こえてくる。

 遠くからの声だから、聞き間違えているかもしれない。それどころか、やはり幻聴なのかもしれない。何しろあの犬の叫び声も聞いた気がしたからだ。

 それでも私は、少なくとも男の子の声は実際に耳にした。これは確信が持てる。一番長く聞いていたから。彼の声が枯れ果て、弱っていく所まで聞かされた。

 しかし私にはどうにも出来ない。私自身すらどうにも出来ない私が、彼を助けることなど、もってのほかだった。初めから無言で目的も不明な係員には交渉の余地すら無い。

 彼はもう、恐らくあの犬のようにされてしまったのだろう。彼の声を聞いたと確信しているからこそ、その結末も確信していた。


 あの子のための涙も枯れ、それが目ヤニになった頃、そのくっついた目を見開くと、歓喜の声が上がった。

「大丈夫ですか!」

 コウタだった。それだけではない。私の周りを皆が囲んでいた。ここは、私が岩で足を滑らせた場所だった。

「こんな所に倒れてるからびっくりしたよ!」

 オバちゃんは相変わらず皆の空気の中心にいるようだった。

 私はもう、笑うしか無かった。

「はは、ははは、ははははははっははははは! あっはっはっはっ!! かっかっかっかっか!」

「変なとこでも打たれたんでしょうか?」

 ミカがとても不安そうに左右へ目配せをする。怯えさせてしまったか。

 オバちゃんの背中に隠れるユウ君を見つけて、私は哄笑したまま抱きついた。

「良かった、よかったぁ~・・・。あー。ほんとに。あぁー。も~・・・」

「な、なんだよぅ。やめろよぉ、気持ち悪いよー」


 西の部屋のシャワーで泥を流し、温かい紅茶を飲んでいるときだった。

「君が、最後だったんだ」

 おじいちゃんが切り出した。それを補足するように、

「最初でもあるけどね」

 と、コウタが続けた。

 それから皆ぽつりぽつりとつなぎ合わせるように説明を始めた。

 聞く所によると、どうやら私は、犬の次、人間の中では最初にこの部屋から消えた人物だった。

 あの日呼び鈴が鳴ると、玄関にはやはり誰も居なくて、皆はその場に居ない私を探した。しかし犬の時と同じように見つけることが出来なかった。

 そのさらに次の日は皆は何も手につかなかったという。犬と同じような赤いスープになって出てくるのではないかと思っていたからだ。しかし。何も起こらない。

 緊張が続いたが、更に次の日、呼び鈴が鳴った。恐る恐る集まった皆だが、コウタが居なくなってたそうだ。

 そうして、ミカ、オバちゃん、ユウ君、おじいちゃん、と、この部屋に来た順番で消えていったそうだ。

 そうしてあの「悲しい出来事」があって。

 またこの部屋に一人ずつ戻ってきたらしい。

 鶏、おじいちゃん、ユウ君、オバちゃん、ミカ、コウタ、私だ。

「鶏!?」

「ああ。最初に俺が来た時にゃぁ、すでに居た」

「でも、私が来た時にね、もうあんな事になるのは嫌だからって話して、食材にしちゃったの」

 そうしてまた、奇妙な共同生活が始まった。


 もう庭園の風景には慣れていたので、最初の頃とは景色がだいぶ違って見えた。

 最初の頃は「連れて来られてしまった」という感覚が常に支配していたが、今は「帰ってきた」という感覚がある。

 傷めつけられたり悲しい思いをすることなく、安心して眠ることができる。そんな当たり前の喜びをかみしめていた。

 一人ではないという事も、その安息を裏打ちしていた。一人では気づけない変化も、誰かが気づくかもしれない。そう思える環境だからこそ、常に気を張り詰めている必要性が薄くなる。


 心なしか、皆も以前より仲が良くなっている気がする。共通の困難を乗り越えたからだろうか。

 ユウ君は、皆に勉強を教えてもらったり、コウタとサッカーをしたりしていたし、おじいちゃんはなぞの種をみつけて栽培をし始めたので、それについてミカと私とでよく話している。ミカは、コウタを少し意識する素振りを見せる時があるのを、オバちゃんは鋭く察しているようだ。そしてそれを、私にこっそり話してきたりする。


 少しずつ、疲れた心身を癒すがごとく、ただ生活をし続ける。今度は少し短く、20日だった。

<<ピンポーン>>

 お昼どきで庭園の白いテーブルで昼食を摂っていた皆に、戦慄が走った。今日のお昼はそうめんだった。

 皆恐る恐る確かめるように椀や箸を置き、目で空気を追い続ける。玄関へ行くべきだろうが、気が進まないのだ。

 全員揃っている。だから誰かが居なくなってしまうという心配は今は無かった。前回は犬が消えた。しかし今回は消えるべき鶏は居ない。『何が出てくるのか』。皆、あのバケツのイメージを振り払おうとしているのだ。


 皆で寄り添い、一団となって玄関へ到着すると。

「へ?」

 私はマヌケな声を出してしまった。その私の声をちょうど掻き消すようにコウタが、

「鮮度?」

 と言った。

 玄関のドアの上には、今まで存在しなかった、電光掲示板が設置されていたのである。そこには白い文字で「鮮度」「%」と書かれており、1~7の枠にはそれぞれ数字が表示されていた。つまり、数字の部分がLEDで変化し、何番が何%なのかが分かるという仕組みなのだろう。現在の表示は、2~7番は皆50%を超えていたが、1番だけ他の番号と違って0%だった。

「これって・・・」

 皆、なんとなく察していた。この番号が自分たち自身を示していることを。

「俺ぁ、2番になるんかな・・・」

 おじいちゃんが言うと、皆なるほどと目を見合わせた。

「じゃあ1番は、あたしが料理しちゃったから0%なのね」

 残念そうにオバちゃんが言う。

 今の数字は、

1:0%(鶏)

2:57%(おじいちゃん)

3:79%(ユウ君)

4:68%(オバちゃん)

5:82%(ミカ)

6:71%(コウタ)

7:54%(私)

 となっていた。私が一番低かった。これは一番死が近いということなのか。それとももっと別の意味があるのか。私には判断ができなかった。

 その日はそれ以降何も起こらなかった。しかし、日を追うごとに「鮮度」が少しずつ変化する事は確認できていた。それも上がったり下がったり。何を基準にしているのかよくわからなかった。

 ただ全体的に上昇していってるようには感じられた。


 掲示板が設置されてから1週間後。明け方のまだ暗い時間にそれは鳴った。

<<ピンポーン>>

 その不吉な音に飛び起きて周りを見渡したが、音に気づいたのは私だけだった。

 皆を起こそうかとも考えたが、安眠を不幸で妨げることもないと思い、一人で玄関へ向かった。

 よく考えると夜中に玄関へ来るのは初めての事だったから、掲示板が来る前と来たあとで比べようもないが、草木も眠る中、馬鹿みたいに闇に輝くLEDの明かりが、不気味に思えた。

 玄関先には何も置かれていなかった。また死体の処理をせずに澄んだことに安堵し、掲示板をみあげると、数字が変化している。

5:0%

 数字の変化は毎日あるが、これは明らかな変化だった。

 はっとした私は、西の部屋へと駆け出す。

 勢い良くドアを開いてしまったので、皆を起こしてしまう。しかしその中に彼女の姿は無かった。

「姉ちゃんがいない!」

 ユウ君がそういうと、皆、周りを見渡していた。

「い、いま・・・5番が・・・チャイムで、0%で・・・くそ!」

 状況を説明しようとするが息が上がっているのと焦っているので、うまく伝えられない。

「分かったから落ち着きなよ」

 オバちゃんに諭されて、深呼吸したあと、皆にチャイムが鳴ったことを伝え、玄関へ案内した。

「0%って・・・あいつ死んじゃったのかよ!」

「やだ・・・ぅえ、やだぁ・・・」

 取り乱す子どもたちを、オバちゃんが叱る。

「滅多なこと言うもんじゃないよ」

 だが、皆の意見は、深層では一致していた。

「俺のせいだ・・・」

 どうしていいか分からなくなった皆の停滞を、コウタが破る。

「俺・・・昨日寝る前にあいつに告白されたんだ・・・」

 私は突然の事に、驚くしか無かった。家族のように過ごし、運命共同体である私達にも、プライバシーのようなものはあると思っていたが、こんな状況でそんな外の自由な世界のような新たな秘密を抱えるに至るとは予想だにしていなかったからだ。私は固唾を呑んで彼の言葉を聞く。

「でも、こんな状況だろ。なんか、ヤだったんだ。このまま、ココで暮らすみたいで。だってそもそも俺たちどうなるか分かんないし。アイツの事別にきらいじゃないけど、でも、『そういうの』はさ、学校とかでやるもんだろ? こんなところでやるもんじゃないだろ!? だから断ったんだ」

 最後の方は、自己弁護のようになっていた。

「それで?」

 おじいちゃんが、優しく促す。

「アイツめっちゃ落ち込んでた。苦笑いとかしてたけど、落ち込んでるのは俺でもわかったよ。でも、何も言えなくて・・・それで気まずくなって、しばらく庭園の方に居たんだ」

 彼は俯きながら、思い出すように一つずつ話しだす。

「色々暇つぶししてたけど、やっぱり気になって、ここに来たんだ。そしたら、あいつの鮮度は99%になってた。俺の鮮度も90ぐらい有ったし、落ち込んでたら下がると思ったんだけどそうじゃなかったから、『あーよかった』って思ってちょっと安心して、明日から普通にしようって決めて、それで寝たんだ」

 言い終わってから顔を上げ、

「99%にしちゃいけなかったんだ! 今まで誰も99%行かなかったから殺されなかったんだ! なのに俺が、99%にしちゃったから! 落ち込んだら99%になって、そんで俺もそのうち殺されるんだ!!」

「ちょ、ちょっと、落ち着きなさいって」

 彼の剣幕にオバちゃんが気圧されている。彼の目から涙がこぼれた時、おじいちゃんが「そうとも言えない」とつぶやいた。その視線は掲示板へ向いていた。

「・・・むしろ下がってるよ」

 彼の鮮度は80%台に突入していた。

「やっぱり落ち込むと下がるのかねぇ」


 結局、鮮度の意味はよくわからなかった。そして、コウタの鮮度は下がる一方だった。

 私達は、なんとか彼を励ましたが、下降を食い止めることは出来なかった。そもそも鮮度と元気はリンクしているようでしていない。彼が少しずつ元気を取り戻していても、鮮度は少しずつ下がっていた。

 今まで、微量な上下という変化は有ったが、一方的な下降というものは例がない。このまま0%になったら、やはり何か良くないことが起こる気がしてならなかった。それは私だけではないようで、ユウ君ですら、「兄ちゃん、元気だしてよ」と心配するほどだった。


 そんな皆の心配も虚しく、0%は訪れた。

 コウタをみすみす消えさせるのは悔しかった。私達は、ある作戦を試した。いままで、だれかが消える時は誰も見張っていない時だ。だから、コウタを3人で見張ることにした。

 朝はおじいちゃん、昼間はオバちゃん、夜は私、といった具合に3人で交代交代、コウタとともに居た。

 コウタは嫌がったが、「私達のためでもあるから」というオバちゃんの言葉に折れ、付き合ってくれた。

そうして3日。

 コウタの鮮度は相変わらず0%のままだったが、コウタが消えることはなかった。もとから消える予定ではなかったのか、私達がそばにいるからなのかは分からなかったが。

 だがそれでも、チャイムは鳴ってしまった。夕飯前、西日が明るく木々を照らす中、私達は土いじりをしていた。オバちゃんは夕飯の下ごしらえをしていたので、オバちゃん以外は全員揃っていた。

<<ピンポーン>>

 その音が響いた瞬間、私はオバちゃんの身を案じた。が、それも一瞬で打ち消された。

 思考を巡らせている一瞬の間に、ミカが草むらから躍り出たのだ。もう望みは薄いと思っていたその姿を捉え、目を丸くしている間に、ミカは私の横をすり抜けた。そして、一目散にコウタの元へと抱きつく。

「ああ、なんで・・・!」

 おじいちゃんが、驚いていたが、私と違いミカの生存に対してではなかった。その異様さに釣られ改めてミカとコウタへと目をやると、ミカはコウタを包丁で刺していた。

 ユウ君の目をおおいながら、私も「なんで!」と叫んだ頃、オバちゃんが駆けつけてくる。

「だって・・・だってこうしろって言うから・・・こうしないと、もっと酷いことするって・・・! オバちゃんたちもみんな殺されるって言うから・・・! うぅ」

 そういうミカの姿はボロボロだった。痣ややけどがあちこちにある。

「ごめんね、ごめんねお兄ちゃん、ごめんねぇ、っく!」

「いいよ」

 贖罪するミカに、コウタは優しく声をかける。声はかすれていた。

「もう・・・、疲れちゃったからさ。なんていうか、ずっとここにいるのやだな・・・・・・って。でも、最後がこんな形なら、不幸中の幸い・・・っていうか、別にいっかなーって・・・思・・・う・・・・・・から」

 喋る口元から血が溢れてきて、どんどん垂れていく。疲れたと言う人間の血でも、こんなに赤いのが皮肉に思えた。

「あり・・・がとう・・・」

 言い終わると立っていられなくなったコウタが、ミカの足元に崩れ落ちる。

「うああああ、っふああああああああああ」

 何かの糸が切れたかのように子供のように泣きじゃくるミカをオバちゃんが抱きしめる。

 これは恐らく見せしめのようなものなのだろう。99%に達すると連れて行かれ、0%に達すると死を迎えなければならない。そのルールの提示だ。これからこのルールを守ってどこまでも生きていかなくてはいけないという難題だ。希望も絶望も許されない。適度に生き、追い詰められ、またここへ戻り、意味のない毎日を過ごし、そして追い詰められる。その繰り返す波を想像した時、私はとてつもない不毛感に襲われた。これが私達の現状の正体だったのだ。とてつもなく長い長い悠長な拷問に付き合わされているのだと。


 それが分かった時、私はずっと皆と距離をおいてきた自分の保身が役に立った、と、少し嬉しくなった。悲しくはあったが、それはそれだ。仕方がない。

 そして、ミカの手から包丁を奪い、そのまま刺した。これでコウタと同じ。良かった。

 そこで私はああそうだ、これはユウ君にはあまり良くない光景だ、と思い直した。仕方がないので傍らで怯える彼の目元を適当に切りつけ視界を奪っておいた。

 オバちゃんは腰を抜かしているから先におじいちゃんの元へ向かった。とても悲しそうな顔をしていたが、抵抗する気配はなかったので、とりあえず四肢を切断した。疲れていたのはコウタだけではないのだ。

 切断する間オバちゃんはもうわけが分からなくなって叫び続けていた。しかたない。目の前でゴリゴリと人が刻まれるのは恐ろしいのだ。

 人仕事終えてオバちゃんの番だったが、包丁の刃がかけていたので、大きめの石を手に取り、それで直に殴りつけるしか無かった。余り威力がないので致命傷にならないが、仕方がない。なるべく急所になりそうな頭を殴り続けた。

 オバちゃんが終わると、コウタとミカは息も絶え絶えでもう仲良く大丈夫そうだったので、泣きっぱなしのユウ君を抱え、お風呂へ連れてゆく。ついでにおじいちゃんの体も持って行こうとしたが、一人では無理だったのでユウ君に手伝ってもらった。

 おじいちゃんの体を冷蔵庫へしまってから、ユウ君をお風呂へ入れた。フタは綺麗にガムテープで止めた。最後はボコボコと何を言ってるか分からなかったが、水中なのだから仕方がない。

 ボコボコという音が小さくなるに連れて、私はとても寂しくなってしまった。

 なので、助けてあげることにした。止めたばかりのガムテープを剥がし、蓋を開け、血で薄く濁った熱湯の中からユウ君を引き揚げる。

 何度か彼の背中を叩くと、大きくむせながら吐いた。

 荒い息が収まると、腕を体に引き寄せ縮こまったままガクガク震え、

「ごめんなさい・・・ごめんなさい・・・許して・・・」

 とつぶやいている。なんといじらしいのだ。と、西の部屋のドアから物音がした。

 風呂場から覗いてみると、頭から血を流したオバちゃんがドアにもたれかかるようにして立っていた。その光景を目にして、私はとても良いことを思いついて、ユウ君の怯える細い腕をとり、オバちゃんへ近づいていく。

「ユウ君!」

 というオバちゃんの声を聞いて、ユウ君は必死に助けを求めだした。

 その時、「ああやっぱり鮮度とはこういうことなんだな」と私は直感した。

 そしてそのユウ君の鮮度を収穫できる事がとても嬉しかった。

 オバちゃんを見据えながらユウ君を椅子にしばる。もう息も絶え絶えで這うようにして入ってくるオバちゃんの手首を分断する。かぼちゃも切れる包丁が台所に有ったのでそれを使った。

 オバちゃんは悲鳴を上げ、ユウ君も泣きじゃくる。しかし私は失敗に後悔していた。

 私はなんと勿体無いことをしてしまったのだろう。ユウ君の目を奪ってしまっては、何も面白く無いではないか。だから「奴ら」も私達を五体満足で活かしていたというのに。こんなことにも気づけないとは、浅はかだった。

 仕方がないので、手首のとれた腕を割いていく事にした。骨と肉は意外と白いのが気持ちが悪かった。目が見えない今、音だけではつまらないので、ユウ君の手を取り、骨の裂け目のトゲトゲした部分を触らせてあげると、より鮮度をました声が聞けたので私は満足した。

 そうして色々やって、疲れたなと感じた頃には、もうオバちゃんはなんだかわからないものになっていた。

 私は不意に確かめたくなり、椅子ごとユウ君を持ち上げる。ユウ君はもう怯えたりしなかった。


 掲示板の前へ来た時、私はまたも後悔していた。ユウ君の鮮度が0%になっていた。

 私は残念で仕方がなかった。それでも私は、なんだか充足していた。これでもう心配事はない。

 私の鮮度の表記は「-」になっていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ