26.
闇の虎口は建物の天井付近の壁を崩した穴が正体であり、礼拝室とは長い階段で繋がっていた。その木造製の階段はまるで壊すことを前提としたような、『時代の先駆者』と呼称されるシルヴェスタ商社が造ったものだとは到底思えない粗末な代物だった。
クロたち一行は山奥の吊り橋ほどの耐重性しかない階段を下り始めた。
足場の裏側に満遍なく塗布された油脂の異臭が嫌でも鼻をつく。階段の半ばほどに差し掛かった頃、強面の白人がげっそりと呟いた。
「脂くさくて鼻が曲がりそうだ」
するとクロと並んで先頭に立つジャックが、
「しょうがねえだろう。万が一の時には即座に焼き落とす手筈になってんだから」
と、前を向いたまま答えた。
「でも」と、強面の白人は疑問の声を上げる。
「シルヴェスタ商社は魔法使いと懇意にしてるっすよね? それなのに、こんな手の込んだことをする必要があんすか?」
強面の白人はジャックと肩を並べて歩くクロを一瞥した。
新入りの問いかけに対してジャックは「ある」と断言する。
「もしこいつの手で捌ききれないほどの合成獣が沸いたらどうするつもりだ? いいか、忘れんなよ。合成獣は疫病にも勝る最悪の脅威だ。一匹たりとて奴らを地上に逃すわけにはいかねえ――俺らはそういう義務を背負って潜ってんだよ」
真直ぐ前を見据えたまま、ジャックは力強い調子で答えた。それは単なる会話ではなく、ジャックの後ろに続く現場作業員たちに言い聞かせる言葉でもあった。
『合成獣は災厄の一種と思え』――現場作業員の養成機関で耳にたこができるほど言い聞かせられる科白をけれども、正しく理解するには一度合成獣とまみえるしかないのだろう。
しかし他方で、願わくは合成獣と邂逅せず現場作業員を定年退職して欲しいともジャックは思うのだ。
シルヴェスタ商社の現場作業員は三十五の齢で前線を退く。知力技術ともに必要だが、それ以上に体力と逃げ足の速さが求められる職業であるからだ。
クロとジャックを先頭に一行は人工灯に照らされて、なお薄暗い礼拝室内を進んだ。開けっ放しの扉から礼拝室を抜けると、左右均等に半柱が整然と並ぶ廊下が先へと伸びていた。
古代混乱期、文明圏――当時でいう〈世界〉を手中に収めた〈馬飼いの王〉の為に建てられた神殿は、塗装こそ剥げている部位が見受けられるが、どこも絢爛煌びやかであった。柱には細緻な模様が刻まれ、床は象嵌細工、壁は金箔や様々な塗料で飾り立てられていた。塗料の中には古代の書物を読み明かし、最近になって漸く復活した珍しい色さえ使われている。
感心したような口笛がだだっ広い空間に反響する。
「へえ。流石は王さまの神殿だ。馬鹿馬鹿しいくらいに金がかかってるぜ」
強面の白人が鋭い目をキラキラと輝かせながら呟いた。その視線の先には不可思議な図形の軌道上に埋め込まれた、星のように輝く青い宝石があった。
「うへえ! あんなにでっけえフィルダナの瞳、俺、初めて見た! ほじくり出して宝石商に持ち込んだら、一生遊んで暮らせるな」
「アル!」
童顔の白人が同僚を叱責した。
強面の白人ことアルがむっと眉を寄せる。
「なんだよ。冗談に決まってるだろう」
「冗談にしたって悪ふざけが過ぎる。少しは自重しなさい」
「はいはい……ったくサシャお坊ちゃんはお堅いこった」
「アルフレッド!」
『お坊ちゃん』呼びされた童顔の白人はきっとアルフレッドを睨みつけた。
後ろのやり取りを聞いていたクロがさり気なくジャックの腕を肘で小突き、
「なんで仲が悪い奴らを組ませたんだ」
と、こっそり問い質した。
「俺に言うな……サシャはユーラ家の息子で、アルフレッドはその付き人の家系出身さ。上の連中の考えなんざ分からんが、大方、ユーラ家と親しい奴が頼まれでもしたんだろうよ」
クロはジャックを見上げた。
「ふうん。つまり、アルフレッドはユーラ家のお坊ちゃんに何かあった時の肉の盾ってことか」
「お前なあ、もっと言い方ってもんがあるだろう……まあ、間違っちゃいねえだろうけどよ」
へえと、クロは感心したような声を上げる。
「一番上が変わっただけで組織の体質も随分と変わっちまうもんだ。シュナイゼルなら現場に身分を持ってこさせなかっただろうにな」
「そうに決まってる。先代は堅実な人だった……あの人柄に惚れてわざわざシルヴェスタ商会の門戸を叩く発掘屋がいたくらいに魅力的な人だったよ」
ジャックの、先代ことシュナイゼルの人柄の良さを褒めそやす声が、柱廊に反響する。延々と語られる内容をけれども、クロは耳たこだと聞き流しながら歩いた。
「シルヴィが跡を継げれば何も変わらなかったはずなのに」 締めくくりにジャックはそう嘆いた。
「いや、そりゃ無理があり過ぎるだろう」
と、シュナイゼル故社長の愛娘シルヴィの人柄をよく知るクロは、即座にジャックの意見を否定した。
「だってよ、あの脳筋っぷりだぜ、あいつ。三秒たりとて社長の椅子に座ってられないな」
そうだよなあと、ジャックは項垂れた。
その落ち込みようを笑いながら、クロは続ける。
「シルヴェスタ商社が昔みたいに浪曼を追い求める小規模な発掘屋の集団であったならば良かったんだろうな。研究開発に営業、学校の経営から果ては警備まで――シシーが跡を継ぐにはシルヴェスタ商会は大きく、複雑になり過ぎた。だがまあ、たとえそうであったとしてもルルが継ぐことに変わりはなかっただろうよ。あいつは努力家だし、何より強い意志がある。なあ、ジャック。お前は何が不満なんだ? シシー本人は発掘部門の責任者の地位で満足してるんだろう?」
「そうなんだけどよ」と、ジャックは歯切れ悪く答えた。
「耳の早いステファノのことだ。シルヴェスタ商社が現場から手を引くつもりだってこと、魔法使いもあの情報屋から聞き及んでるだろう? ――俺はそいつが不満だ」
「そりゃまた突飛なことをしようとしているな」
クロは純粋に驚いた。
行程は既に柱廊の終わりまで差し掛かっていた。当時のままならば、この先に神の国を模した中庭と命の源を称えた噴水が在るのだが、それらは全て土砂の下に埋もれてしまっている。彼らは中庭をぐるりと囲む、屋根付きの回廊を迂回して目的地へ向かうことにした。
「なんだ、知らなかったのか」
「ああ。ステファノは基本的に曖昧な情報は口にしないからな。その話は本決まりじゃないんだろう?」
「本決まりじゃない。そうだろう、サシャ」
「ええ」と、話を振られたユーラ家の息子は肯いた。
「父が先頭に立って反対運動を起こしています。重鎮たちの中には賛同してくれている方もいますし、早々に現場撤退がなされることはないと思います」
そう断言するサシャの前、中列にいるアルフレッドが甲の合間から覗く目を眇めた。――彼の心の声を上司である男がほぼその通り代弁する。
「奇特な父親だよなあ。普通、息子をこんな危険な仕事に就かせねえし、辞めさせられる機会があるなら喜んでそうするだろうに」
その不信をサシャははっきりと跳ね除けた。
「父と私はそれぞれの人生を歩んでいます。敵対することがない限り、父が私の歩む道を邪魔することはありませんよ」
「そんなもんかねえ」
子を持つ親として男は納得がいかない様子であった。
それまで黙っていたジェナイが口を開く。
「生活に困ってるわけでもなく発掘屋になった奇特な青年の父親が奇特であってもおかしくはないでしょう。むしろ、親子なのだから性質が似ていて当然なのではないでしょうか」
「奇特だなんて」と、サシャは心外そうな声を上げた。対してアルフレッドは愉快そうに笑い声を立てた。
「あんたも言うね! ただのお堅い学者様だと思ってたが、見直したぜ」
アルフレッドの不用意な発言のせいで、また主従が揉める。
やれやれと、クロが肩をすくめる。横目でジャックを伺えば、こちらも先行きに不安を感じているのか、愁眉を作っていた。
長らく放置して申し訳ありませんでした。
不定期ながら完結目指して更新していきます。




