『まほうのことば』
「……返事を急かすつもりはないの。けど、考えておいてね。きっとあなたに有利になるわ」
「いや。それは無理だよ」
迅八の目の前にはティーの顔がある。視界の端ではクロウとキリエが喋っていた。
——本当っすか? 本当にデビューできるっすか?
——当たり前だ。お前ならセンター間違いなしだ。握手会なんぞダントツで一位だわ。……俺の言う通りにすりゃあな。
「いや、この世界にアイドルいねえだろ。つーか、どこまで話飛んでるんだよ」
「アイドル? いるわよ」
「いるのっっ!?」
ティーの言葉に度肝を抜かれるも、迅八は話を元に戻す。
「ま、まあ別にそれは今はいいんだよ。それよりさ。……さっきの話、イマイチ分からないんだけど質問していい?」
「どうぞ」
迅八は先程ティーから聞いた話を思い返す。『転生者ギルド』の事を。
・・・・・・・・・・・・・・・
正式に転生者ギルドと呼ばれる組織は存在しないが、ある組織の一つの側面がそう呼ばれている。
「……つまり、冒険者ギルドだろ?」
「そうよ。そうなんだけど。……派閥って言ったら言い方が悪いけど、主に教会と一緒になってる所が転生者ギルドって呼ばれてるわ」
迅八は、自由貿易都市で冒険者ギルドに足を運んだ。イエリアと出会った場所だ。そこは、教会と一緒になっていない場所だった。
「そこの事を、『冒険者ギルド』って呼んでるわ。教会と一緒になっている所が『転生者ギルド』って呼ばれてるの。同じ組織だけどね」
「どっちもサジタリアのじいさんのとこでしょ?」
迅八のその言葉に、ティーは息を呑む。
「……あなた、まさか『救国』のサジタリアと知り合いなの?」
「知り合いっていうか。嫌われてるよ」
「そう……」
迅八の目には、ティーの表情が緩んだように見えた。
「……確かに、冒険者ギルドの大盟主はサジタリアよ。けど、転生者ギルドは違うわ」
「だから、そこが分からないんだって。結局どっちも冒険者ギルドなんでしょ?」
「そうなんだけど、サジタリアは特に天使たちと親交を持っていないわ。……昔から、天使は転生したての者たちを保護してきたの。そこで色んな事を学ぶうちに冒険者になる転生者が多いわ」
「そうかもしれないね。多分、俺もそうしてただろうな」
視界の端でキリエと話しているおかしな悪魔と出会わなければ。
「そのうち、冒険者ギルドの建物を増やすのに、教会を間借りさせてもらおうって言い出した転生者がいたのよ。そしたら転生者にとっては一石二鳥でしょ? ……それが転生者ギルドの始まりよ。教会と一緒になってる冒険者ギルドの事ね」
「よく、そんな事を天使が許したね……」
「現地人達もそう思った。だから思い付きもしなかったみたいね。……それから、習慣的に、天使達とは『転生者の王』が話を進めてるわ。そのうち、教会のギルドは転生者ギルドって呼ばれるようになったの」
「転生者達の王……? そんな奴がいるのか?」
「リーダーの事よ。……サジタリア閣下は冒険者ギルド大盟主よ。けど、転生者達のリーダーは他にいるわ。『転生者ギルド』の統括者が」
転生者ギルド統括者。
その言葉は迅八の胸にしっかりと沈んでいった。おそらく、忘れてはいけない知識。
「……名前は真よ。あなたが転生者ギルドに所属するにしてもしないにしても、いつかは必ず会う事になるわ。彼は楽しそうな事を見逃さない」
「楽しそうって。なんだよ人を見世物みたいに」
「珍獣みたいなものよ。あなた、色々聞いてるわよ。それに、千年の大悪魔。……こんなレアモンスターをどうやってテイムしたの?」
「テイム? なにそれ」
「おい女。俺の話か? だったら俺に聞きやがれ」
キリエと話し込んでいた大悪魔が静かに言う。
「ちょっとちょっと。……そんなんどうでもいいっすから続きが聞きたいっす!!」
「あ? ……ああ。どこまで言ったっけか?」
「本当っすか? 本当に自由貿易ヒルズでサイン会を出来るっすか?」
「あったりめえだ。だがな、まずその為には……」
そして、クロウはキリエの太ももに手を置いてから、迅八達から視線を外した。
運ばれてきた冷たいお茶は、熱気ですっかりぬるくなってしまっている。迅八が見ていると、ティーがそのお茶を一口飲んだ。
「……まあ、『クロウ』の話は今はいいわ。けどね。転生者ギルドに来ればあなたが知りたい事や欲しい物が手に入るかもしれないし、なにかと有利な事があるわ。考えておいてね」
「だから無理だって。俺はロックボトムの仲間だ。ギルドからは追われる立場なんじゃ……」
そこで迅八は思い出した。サジタリアとロックボトムの繋がりを。
「……思い当たる事があるみたいね。指名手配なんてサジタリアにとっては建前よ。けど、そんな事とは関係なくロックボトムを狙う奴らはいるわ。恨みを買ってるし、懸賞金は本当だからね。……ジン、あなたが転生者ギルドに来れば私達が保護出来るわ」
転生者ギルド。
そして、転生者達の王。
迅八が新しい情報を頭の中でまとめていると、ティーが再び迅八の手を握った。
「ちょ、なに……」
「ジン。これは大切な事よ。ちゃんと聞いて」
恐ろしい程に真面目な顔で、迅八とさほど歳も変わらない女は囁くように言った。
「まだ引き返せる」
「……え?」
「知ってるわ。ベドワウ・オズワルドの事も。キリエ達と交戦した事も。……けどね、今なら間に合うわ。早くロックボトムからは離れなさい」
迅八の目から見て、ティーの顔は真剣そのものだった。
そして、その顔には確かに『心配』が浮かんでいた。
「千年の大悪魔との結魂も、マコトだったらなんとかしてくれるわ。あなたは今ならまともな道に戻れる。……そして、一緒にこの世界を攻略しましょう」
「攻略? なにを………」
「おい、女」
剣呑な声が迅八の耳を打つ。
そちらに振り返る前に、目の前の少女が口を開いた。
「……なあにクロウ? ティーって呼んでほしいわ」
「女。……てめえ、そのガキになにを吹き込んでやがる。それとな、結魂をどうにか出来る? ……聞き捨てならねえぞ」
ティーは迅八の手を離すと、その手を上に伸ばして軽く伸びをした。前に突き出されたティーのほっそりとした顎が、迅八の目を引いた。
「……ふう。ちょっと真面目に話してたら疲れちゃった。そろそろ終わりにしましょっか」
「ナメてるのか? ……この俺を」
千年の大悪魔が視線に敵意を乗せたが、ティーはなんの反応も見せなかった。
「どうにか出来る、かもしれない。……絶対なんて言ってないわ。ごめんなさいね。期待させちゃって」
「てめえ……。まあいい。無理やり喋らされるのが好きだって事だろ?」
クロウが椅子から立ち上がったその時、その場に『声』が響き渡った。
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アゼルは必死で走っていた。
ニコルが消えた。
すでにジークエンドやコルテにも事情を話し、彼らは楽園を探し回っている。ニコルの特徴しか伝えられていないが、ニコルの外見が詳しく分からなくても、彼らにはそんな事は関係ない。
疑わしきは罰する。
少しでも似ている者がいれば、彼らは尋問を開始する。
「はっ、はっ……」
アゼルは迅八を探していた。
ひょっとしたら、ニコルは迅八の元に行ったのかもしれない。
——そんな事は、ある訳がない。
それでも、そうだったらどんなにいい事か。願ってアゼルは走り続けた。
やがて、王都の噴水広場まで戻ってきたアゼルは迅八達を見つけた。
「ジンッ!! 大変なんだ。ニコルが……!!」
「おわっ! ……ちょ、なんだよ、ビックリさせんなよ」
迅八達は、間抜けた顔でお茶をしていた。キリエと、さっき見たもう一人の黒髪の女と。
(……こいつ)
アゼルの中で、瞬間的に怒りが湧き上がり、それが声となり喉まで上がってくる。しかしそれを出すことは抑えた。それは、ただの八つ当たりだ。
ニコルにあの服を着せたのも、目を離したのも、どちらも迅八ではない。
「……ッ。ジン。一緒に来てくれ」
「ちょっと待ってよ。まだ話が」
「ニコルがいなくなった。……早くしろッ!!」
「え?」
ティーから視線を外したクロウがアゼルに言う。
「アゼル。てめえ、何を言ってやがんだ? お前と一緒にいたんじゃねえのか?」
「目を離したら消えてたんだ!! ……そうだ、お前なら魂の気配で探れるだろ!?」
「待て待て。なに興奮してやがんだ。一回した会った事ねえ奴の気配なんて……」
「いいからやってくれ!! 早く!!」
迅八は、アゼルがこんなに取り乱す所を見るのは初めてだった。キリエがそこに口を挟む。
「ニコルって、さっきいたちっちゃい子っすか? あたし、聞いてみてもいっすよ。商人ギルドの仲間に」
「本当か!? ……頼むよ。恩に着るっ!」
迅八には、アゼルがなんでここまで慌てているのか分からなかった。戸惑うように視線を動かすと、ティーと目が合った。
「ジン。大変みたいね。また今度お話しましょう。クロウもね」
「……チッ。行くぞジンパチ」
迅八にはよく分からないが、アゼルはとても慌てていて、クロウもアゼルの後を追う。そして、立ちすくむ迅八に、ティーの声が聞こえた。
「ジン、忘れないで。今なら間に合うわ。……あなたの道は血で濡れる。まだ戻ってこれるわ。こっち側に」
「だから、一体なにを……」
「ジンパチっ。いいから行くぞ!!」
千年の大悪魔が少年の手を引き駆け出す。ティーは、その背中をずっと見ていた。
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「……クロウ。まだ分からないのか!? 犬のくせに鼻の利かない奴だな!!」
「ぐぬぬ……てめえ、この俺様が協力してやってるってのに……!!」
迅八達は、王都の職人街にまで来ていた。
ここに来るまでにアゼルから説明は受けた。
ニコルは楽園にいる可能性の方が高いが、あっちはジークエンド達が探している。
それに、誰かに攫われたのだとしたら、どこにいるかなど分からない。
「……ちょっと待てって。なんでそんなに慌ててんだよ。そりゃどっかに歩いていく事だってあるだろ。その内、帰ってくるよ」
「お前の世界ならなっ!!」
職人街の裏道を通り、一軒の酒場の前でアゼルは足を止めた。
「……アゼル。ニコがここにいるの?」
「なにか知ってる奴がいる可能性がある。入るぞ」
まだ昼間だというのにその店の中は賑わっていた。
王都の中でも闇寄りの人間達が集まる店。
(……こっっわ!! ギャングみたいなのがいっぱいいるじゃねえか!!)
迅八が見ている前で、アゼルは目の前の人間を突き飛ばし、どんどん奥に進んでいく。その度に怒声があがりそうになるが、自分を突き飛ばしたのが誰なのかに気付くと、みな目を伏せた。
「……ん? アゼルスタンか? お前、こんなとこに何をしに」
その男は店の中、一番奥のテーブルで酒を飲んでいた。……岩のような胸、山のように盛り上がる肩。その気になれば、迅八の頭など握り潰せそうなその男は、アゼルの顔色を見て声を失った。
「……ま、待て。なんだ。俺達はなんもしてねえ。お前らが留守にしてる間もだ」
「俺の仲間が攫われた。……俺達が留守にしてる間に流れてきた奴らがいるだろ? 俺達の事を、『本当には』知らない奴らだ」
その一言で、酒場の中は急に静かになった。
先程まで騒いでいた連中が、黙って下を向いている。中には顔を青くさせて呟く者もいる。
迅八の耳にはその小さな声がはっきりと聞こえた。
——なんてバカな奴らだ
「ま、待て。俺たちはなんもしてねえ。それは分かって……、うぐっ!?」
アゼルが右手で男の顔を掴む。
屈強なその男は、自分の半分程の大きさのアゼルに顔を掴まれ、まるでお面のように口を突き出している。その屈辱的な行為に男は怒る事もなく、ただ体を震わせた。
「や、やめてくれっ!!」
「……うるせぇええ。そんな事は分かってる。最近、楽園に来た流れ者がいるはずだ。……俺たちに手を出すバカがなッッ!!」
「ひうっ!! ひうから、……はなひてっ!!」
「お、おい。アゼル、やめろって!!」
「放っとけジンパチ」
迅八が振り返ると、腕を組む千年の大悪魔と目が合った。悪魔の表情はとても不機嫌に見えた。
「なんだよ、どうしたんだよお前まで。大体おまえ、自分は関係ねえとか言うタイプだろ?」
「狐人は俺様の眷属だ。……流石に、気分が悪りいな」
アゼルが男の口から手を払うと、震えながら男は喋り出した。
「……知ってる。いるよ。最近流れてきた奴らが。……ロックボトムなんかブッ殺すって息巻いてた奴らだ。もちろん誰も相手になんてしなかった。あんた達が帰ってくればどうせ始末される。……どこに居るかなんて、本当に知らないっ。どうせすぐ死ぬ奴らだ!!」
「……それだけか? お前正気か? そんな情報だけで、生きれると思ってるのか?」
アゼルがその腰のナイフに手をやった。
「っおい!! アゼル、お前なに考えてんだ!? やめろって!!」
「待て。ひょっとして、アレか? ……おいジンパチ。ここに来て初日、俺たちに絡んできたアホがいたな。……あの時、確かチビも一緒にいたはずだぞ」
「あ? ……あの時の奴らがなんだよ」
迅八は思い出す。
クロウとこの町で再開した時——ならず者の三人組に、因縁をつけられたことを。
「あの後、俺達をどっかで見かけてるならロックボトムと関係してると思われてるかもしれねえ。……別にあいつらだって決まった訳じゃねえが」
「あいつらがニコルを攫ったって? ……おい、お前本気で言ってるの? ……今頃ニコは家に帰ってるよ。とりあえずおばさんに会いに行こうぜ」
アゼルは苛立ちながら腰のナイフを再びしまう。そして、迅八の事を突き飛ばすようにして外に出ていった。
「おい、アゼルっ!! ……なんだよあいつ。クロウ、追い掛けようぜ」
「待てジンパチ」
踵を返す迅八の肩をクロウが強く掴む。その後に続いた言葉はひどく冷え込んでいた。
「……これは忠告だ。先に進めば後悔するかもしれねえぞ」
「忠告って……。なんだよ、やめろよ。脅かすなよ」
「ここはてめえの世界とは違う。今までも何度も見たはずだ。……お前、耐えられるのか?」
「耐え……、」
クロウの顔が歪む。
千年の大悪魔に相応しい表情に。
「……シズを思い出せ。収穫祭の洞窟を思い出せ。てめえ、覚悟は出来てるのか? あり得るぞ」
ぞくりと。
迅八の背中を昏い気配が舐め上げる。
——怪物のように変わっていた妹。
——見る影もなく、変わり果てた花嫁達。
今までも何度か目にしてきた、美しい世界の横にある、ぽっかりと口を開けた地獄。
「おい小僧。……この先に進むのか? てめえが決めろ」
————————————————
……部屋の中には一筋の光が。
打ち付けられた板の隙間から、暗い部屋の中に光は入り込む。——人が住んでいない家。かつては誰かが生活していた廃墟。
迅八達がいる職人区とは、遠く離れた場所。楽園の中でもジークエンド達が歩き回っている場所とは全く違う場所。
……迅八達が探し当てるには、まだまだ時間が掛かる場所。
今は誰にも必要とされていないその部屋で、珍しく埃が立った。日の光に透かされたそれは、まるでガチャガチャとうるさく見えた。
「……大人しく出来るか? 騒がねえって約束できるか? ……ズズッ 」
こくこくと。
亜人の少女は頷いた。
「そうか。なら約束だ。破ったら、ズーッ。……分かるな?」
また、こくこくと。
太い眉毛の間にシワを寄せて、亜人の少女は必死で頷いた。
「そうか。良い子だなあ。……ズズッ。じゃあ、外すぞ」
よだれと鼻水で窒息しそうになっていた少女は、その言葉を聞き瞳を輝かせた。
「ほら。……外してやる」
「…………っぜは!! ひっ、はっ」
「うるせえ」
少女の口を塞いでいた布を剥ぎ取った男は、少女の腹を蹴り上げた。
「あっ!! ……ぅぅうゔゔゔっ!」
「あれ? こいつ叫ばなかったぞ。……お前、ダメだろ。うるせえって言っちゃったじゃねえか。ズズッ。普通、ここで騒ぐんだよ。そんで、俺はお前を殴って分からせるんだよ。『立場』を。……ズッ、けどまあ、分かったみたいだな。同じ事だ」
「……おい。加減しろよ」
「大丈夫だ。こいつらは、俺たちみたいな人族よりも頑丈だ。まだまだ壊れねえよ。……それよりよ、聞いたか? この亜人、俺の事を嘘つきにしやがった。ズズッ……許せねえ」
少女のそばに立つ男の他に、その部屋には二人の男がいた。
「ひでえなおめえは。そりゃ言いがかりだろ」
「うるせえっ。……ズズッ俺はな、ズーッ!! ……ウソだけはつくなってお袋に言われて育ったんだ。結局こんな人生を送ってるが、ウソだけはつかねえッッ!!」
少女を蹴った男には、鼻がなかった。もとから無いのか、怪我で失ったのか、それとも別の理由なのか。
顔の中心にぽっかりと空いた二つの穴から、透明の液体がポタリと落ちた。
「ズズッ。……はぁ。今日は鼻水がよく出る」
少女は痛みの外から聞こえてくる声を、必死で聞いていた。……この部屋には、自分以外に三人いる。
鼻なし。
そしてさっきから鼻なしと喋っている、耳が欠けている男。
それともう一人、入り口の近くでずっとこちらを見ているナイフを持った男。
こいつらはおそらく、楽園に流れてきたならず者だ。
「おいお前。……騒げ」
鼻なしが言う。
少女は、鼻なしがなにを言っているのか分からなかった。
「俺を嘘つきにするんじゃ、……ズズッ!! ああイラつくッ!! 早く騒げ!!」
少女は痛みを堪えるので必死だった。
猿ぐつわは外されたが、今は溢れそうになる吐瀉物が喉を塞ごうとしている。
耳欠けが言う。
「おい。……分かってるだろうが、騒いだら殺すぞ」
鼻なしが言う。
「ズズッ、騒げ!!」
「騒ぐなって言ったら騒ぐな」
「早くしろ。騒げ!!」
「騒いだら殺すぞ」
「ズズッ……。黙ってたら殺すぞ!!」
「黙ってろ」
「黙るな!!」
「殺すぞ」
「殺すぞ!!」
「殺すぞ」
「殺すぞッ!!」
「ううううううううううううううううっっ、あああああああああああああッッ!! やめて、やめて!!」
「うるせえっ。騒いだら殺すって言っただろうが!!」
「……ひへえやつらだあ。だいひょうふか?」
「あ、あ………え……、あ……」
痙攣しているのか、震えているのか。
定かではないが、少女の体は揺れていた。
「わふぁるか? おれのかふぉ」
薄く差し込む光。その中で、少女の目が焦点を結びだす。
「ほれ。ひゃんと見ろ。……ほまえの連れになぐあえて、あご、ほんなんなっちはった」
ダラダラと、よだれを垂らしながら喋り続ける男の顎は、大きく下に垂れ下がっていた。
「……はいふくじゅつれも、すふには、なほらねえっへよ。じはんが、ふぁかる」
痛みだけで塗りつぶされていた少女の思考に、再び恐怖が湧き上がる。
「……おい、よだれ。本当にてめえがやられたのはロックボトムの弟なのか?」
「ほれがやられはのは、はぶん、ひーくえんどだ。ほんほうに、はいようみたいなはみのいろらっは」
「ズズッ……。噂だと、黒髪のガキはメシ屋で自分で名乗ってたんだろ? 多分そのガキが『弟』に違いねえ。ズズッ。……で、お前を殴ったのがジークエンドか」
少女——ニコルは気付いた。……こいつらは、勘違いをしている。
どこで聞きつけたのかは知らないが、料理店で迅八が暴れた話を聞き、よだれと揉めた少年が『ロックボトムの弟』だと勘違いしている。そして、一緒に居た赤毛の男をジークエンドだと。
「本当に、こんな亜人の娘を人質に取って、ロックボトムが言う事きくのか?」
「ズズッ。……お頭が決めた事だ。俺たちにゃ関係ねえ。……おい、聞いてたか? 死にたくないか? 死にたくないなら言う事きけ。しばらく俺たちと、ズズッ……ここで遊んでよう」
その言葉で、ニコルの全身がたまらなく震えた。
「ひょっほまへ」
「あ? なに言ってんだお前。ちゃんと喋れ」
「ズズッ……。そうだぜ。聞こえねえよ」
「ほれがいひばんだ。ほいつには、はのひまへてほらう」
「だから、何言ってんだよ」
べしゃりと。
緩やかな液体がニコルの顔に落ちた。
下に落ちた顎。そこから伸びる、苔の生えた舌。
耳欠けの声がする。
「……ああ、そういう事ね」
「い、ひ……。いや、いや……」
「はいひょうふ、はいひょうふ……。すふに、ひもひよくなふはらあああ……」
「いや……いやッ!! ……いやだ、いやだっ。やだ、やめてっ。おねがいっ! やめて、おねが」
「だから騒ぐなっつってんだろ」
「あ……、い…………」
「……おい。やりすぎじゃねえか? お楽しみに進む前に、死んじまったらどうすんだ?」
「ズズッ……。別にいいだろ。死んだら死んだで。……こいつらなんてオモチャと一緒だ。遊ぶ、飽きる、邪魔になったら壊して捨てる。……ズズッ!」
「お前、さっきは殺さないって言ってただろ」
「ズズッ。……ありゃ嘘だ」
「ひっっどいね〜。お前の母ちゃんの教えはどうなった? 今頃、母ちゃん泣いてるぜ」
「ズズッ。お袋はもう泣けねえよ。俺が泣けなくしてやった。ズ、ズズッー! ……はぁ。いい匂いだな子供は。可愛い服だあ。い〜い、匂いだぁ……。は。あは……」
「……おい。こいつ、足を開かねえぞ」
「ズズッ。……ふぅ。めんどくせえ。もう殺すか。人質じゃなくて、物質でもいいんじゃねえか? 髪とか指とか送ってやりゃいいだろ。……ズズッ」
「そうだな。お頭には適当に言おうぜ。はっ。……せっかく亜人を嬲ってやれると思ってたのによ」
「ほれに、やらへろ。……はら、はいてやふ」
「『—————————』」
「ん? ……こいつ、いまなんつった?」
「ズズッ。おい、もう一回言ってみろ」
「『——————————』」
「ふ、」
「ふふ、ふははっ」
「ふひゃひゃひゃひゃひゃひゃほ」
「……おい。聞いたか? くくく……。いいぜいいぜ。分かった分かった。はっは!! ……本当に亜人は卑しい奴らだ。ここまで卑しいと殺す気もなくなるぜ。……大丈夫だ。お前は殺さねえ。俺たちが飼ってやる。だから頼むぜ。……ほら、力抜けよ」
「ズズッ、……ダメだ。うまくいかねえ」
「はなはふたふある。ナイフでふなげりゃいい」
「何言ってやがんだ。そんな酷い事は出来ねえよ。優しくしてやろうぜ」
「「「ははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははッッ!!」」」
「ずいぶんと、楽しそうだな」
「あ?ズ……」
——パチリ。
誰かが指を鳴らす音が聞こえた。
細い細い日の光に照らされて、鼻なしは自分の胸に突然生えた『剣』を見た。
「え?」
パチリ。もう一本。
今度は腹から。
更に胸から。
パチリ。
——ざくりざくりざくりざくり、ざくざくざくザクザクザクザク。
気が付くと、自分の体の前面全てに、後ろから刺し貫かれた剣先が生えていた。
「おお……?」
横を見る。
よだれの顔が、ない。
いや、顔はある。しかし、その顔も、後ろから細い細い剣が数十本も刺されている。
「なは、なひぇ? なはははんへえ?」
血に濡れた剣の隙間で、よだれの舌がおぞましく動く。最後、トドメのように放たれた一本の剣が脳天からよだれを穿つと、そのままよだれは地面に縫い付けられた。
それを確認してから、鼻なしもその場に崩れた。
……耳欠けは、口をぼんやりと開けていた。
誰かの声が聞こえてから、まだ十秒も経っていない。
「はあ? ……なに、これ」
「死体だ。いま、私が殺した」
耳欠けが振り返ると、闇の中に女が浮かんでいた。
青と白を基調とした美しい服。
象牙のような白い肌。
首筋には青い血管が透けて見え、なんの感情も乗せていない美しい銀色の目が耳欠けを見ている。
そして、その女の背後に浮かぶもの。
それは、一つ一つが三十センチ程の、銀色の板だった。その剣のような板が、数十、あるいは数百。……全ての切っ先を、耳欠けに向けている。
「おまえ……それッ………!!」
「聞こう」
「てめえ、まさか……!! や、やめろっ……。てめえらは、人類の守護者なんじゃねえのか!?」
象牙の様な白い肌——その中で、そこだけは薄桃色の可憐な唇。それが、闇の中でそっと開いた。
「ならばこちらも聞こう。……十二使徒第三位、白銀のアグリアが貴様に問う。おまえ、まさか人間のつもりなのか?」
——パチリと。
その女が指を鳴らした。




