金紗のおとこのこ (?
「ねえねえジン。ぎゅーってして。ぎゅーって」
「やだよっ。……つーか、もうお前がしてんじゃねえか。離れろよ!!」
いつの間にか、居間からジークエンドは消えていた。
面倒事からすぐ逃げる男の足音は、その場の誰にも聞こえなかった。
ソファーの上は、夜の酒場のようになっている。しかし先ほどまでとはほんの少し違い、老人サジタリアの横にはシズも座らせられていた。
「おーおー。お前も可愛いのう。アーゼルフィアの友達か? 仲良くしてやってくれよ」
「友達です。大好き、です!!」
その言葉を聞き、アゼルは下を向いた。
「そうかそうか。本当になぁ……。頼んだよ。お嬢ちゃん」
酒で赤らんだ顔を微笑ませて、シズの頭を撫でるサジタリアは、先程までの空気を感じさせない。
迅八の目には優しそうに映った。
「……おい、グルグル。眼鏡の奥で隠した美貌は、とてもじゃないが隠せてねえ。知ってるかこの言葉をよ。……ジュ、テェェエエム」
「はぁ。そうですか。リネンとお呼び下さい。クロウ猊下」
クロウも、両脇にクーロンとリネン——ふたりの女をはべらせてご満悦だった。クーロンがどんな表情をしているかは言うまでもない。
バーカウンターにはアマレロが座っている。アマレロの前に酒の入ったグラスを置くと、コルテは呟いた。
「はー……。しかし、まさかジジイと知り合いとはねえ。さすが千年の大悪魔……伊達に歳取っちゃいねえですね」
「お〜? けどよ〜。完っ璧にあのジジイがへりくだってやがんぞ〜。ただの知り合いじゃなさそうだな〜」
酒に酔い、顔を赤らめさせている老人は、生ける伝説——『救国』のサジタリアだ。
どんな国の国王だろうが、北の国の皇帝だろうが、サジタリアを前にすれば最上のもてなしで出迎える。……『愚王』アルトリウス・ロンダルシアを除けば。
迅八とイエリアもカウンターに座る。二人に飲み物を出してやってから、コルテはソファーの老人に向かい切り出した。
「ジジイ。あんたがわざわざ何をしにきたんです? 多忙なあんたが他の用事をほっぽって何をしに?」
「アーゼルフィアの顔を見にきた。……それ以上に重要な事などこの世界に存在するんか? 言ってみろ」
即答だった。
そして、誰も何も言い返せなかった。
「……もー。はいはい。んじゃオレから説明するよー」
ゴロゴロと迅八の胸に顔をすりつけていたイエリアが、その上唇を開く。皆は自然と彼に注目した。
「いま、ロンダルシアの偉い人たちは頭を抱えてる。突然この町を襲った問題のせいでね」
「え、なに? なんか危ないこと? ……どっかが攻めてくるとか?」
「ジン、君の事だよ。みんな君に興味をもっている。異界からの転生者と、それと結ばれた千年の大悪魔にね」
「は? 俺!?」
間抜けな声をあげる迅八。
それを見たクロウは、黙ってクーロンの胸を揉み続けていた。
「あんた……。本当に、後でどうなるか分かってんのかい……?」
————————————————
……大草原で迅八とキッド達が交戦した時、一人だけ先に逃げ出した者がいた。
その者が商人ギルドにもたらした情報に、ギルド内は震えた。
『千年の大悪魔復活は事実であり、魔人形態まで確認した』
『それと結ばれた転生者は、死なない』
『キッドとキリエはロックボトムと事を構え、千年の大悪魔と交戦し、わざとではないが十二使徒の一人に重傷を負わせた』
大激震。
それから少しするとキッドとキリエが戻ってきた。二人から詳しい事情を聞くと共に、商人ギルドの人間達は悩んだ。
——この事をどうやって処理したらいいのか。王に報告するべきなのか。
商人ギルドは民間の組織なので報告する義務はないのだが、この問題は確実に大きくなる。下手したら、天使と悪魔とロックボトムが、商人ギルドと敵対するかもしれないのだ。
大きくなってから王の耳に入れば、まずいことになるかもしれない。
困ったギルド幹部達は、『大自由貿易都市』に滞在している商人ギルド大盟主に手紙を飛ばした。
訓練された空飛ぶ魔獣により往復させられたその文には、こう書いてあった。
『……ロンダルシア王に報告。キッドとキリエに言っておけ。自分の尻は自分で拭け』
キッドとキリエは王の広間に呼び出され、詳しい事情を報告させられた。
その話を聞いた『愚王』——アルトリウス・ロンダルシアは、その転生者の少年にひどく興味を持った。
そして、愚王の横に立つ男。救国のサジタリアは叫びをあげた。
『……千年の大悪魔がこの町に!? 魂食様が!?』
————————————————
「……つまり、アルトリウスのバカがてめえ〜に会いたいんじゃってよ。このヒヨコが」
「王様が俺に? なんでそんな……。あとさ、じいさん、なんか俺にだけ厳しくない?」
「理由を知りたいのか? ワシの可愛いアーゼルフィアにまとわりつく小蝿。……小蝿は小蝿らしく、馬糞にでもたかってりゃいいものを」
「……いや、なんとなくもうわかった。っていうか、じいさんはアゼルのなんなんだよ」
「てめえーに関係あるんかヒヨコォ……!!」
ノンビリとアマレロが言う。
「ま〜ま〜……んで? ジジイ、てめ〜はクロウとどういう因縁があるんだ〜?」
アマレロの言葉を聞き、老人がクロウの顔を伺う。
クロウは何も言わなかった。——好きにすれば? そんな顔をしている。
「……ヒヨコ。お前、さっき言ってたな。三千対一、いくらなんでもそれはないと。……実はその通りじゃ。本当の数字は違う。ま、おおよそじゃけどな」
「まあ……そりゃそうだよね」
「……です?」
シズがサジタリアの袖を引く。
純粋に物語にのめり込んでいたシズは、ほんの少し残念だったのかもしれない。
その黒髪の少女の頭を、サジタリアは微笑みながら撫でた。
「本当はな。……敵は、もっといた」
「は?」
その場の幾人かが迅八と同じ呟きを漏らす。
伝説の勇者は自分の腰に下げた剣に触れた。……グランソシエ。世界最高の聖剣。
「正確な数字なんてわかりゃせんが、視界のすべてに敵が見えた。……これは本当の話じゃ。この剣に誓って。しかし、ワシも一人ではなかった」
サジタリアがソファーから立ち上がると、クロウに向き直った。
「……その場には、あと『二人』いた。姫を、民を、……我が誓いを守ってくれた御仁達が」
その膝を折り
その拳を地面につけ
伝説の男はクロウの目を真っ直ぐに見たあと、その頭を深く下げた。
「……ただ一つの誓いを忘れた事はありませぬ。しかし、あの日に生まれたもう一つの誓いも忘れておりませぬ。……寄る年波に逆らい、みっともなくも生き続けました。あなた様にご恩を返す。その誓いを果たす為に」
伝説の男。
おとぎ話の主人公が、頭を下げている。
この場にいるもう一人のおとぎ話の主人公——伝説の大悪魔に向かって。
「……あの日。迫り来る軍勢を前にワシと共に戦って下さったあなた様に、いつかお礼を申したい。姫も最後まで言っておったそうです。……ワシの口からで申し訳ありませぬが、故人の言葉、なにとぞお納めくだされ」
「……は。くだらねえ。あんなもんは気まぐれだ」
「「「「えーーーーーーーーっっ!?」」
————————————————
酔い潰れたサジタリアは、リネンと呼ばれた女に背負われ、帰っていった。
『……近いうちに、ロンダルシア王からあなたに召喚命令が出されます。あなたにとって不利となるものではないので、逆らわないように』
そう言って帰っていったグルグル眼鏡は、最後までその奥の目を見せなかった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「腹が減ったぞ。コルテ、食事はまだか?」
「ジークエンド。あんた、本当に分かりやすいですね……」
二階からジークエンドが降りてくる。
一階では酔っ払ったクロウが、アマレロに押さえつけられていた。
「てめえ、アマ公っ。なんでてめえが!!」
「お〜、悪りいんだけどよ〜。ここでこうしとかねえとよ〜」
「……クロウ。覚悟は出来てんだろうね」
かたや、迅八はアゼルに押さえつけられていた。これから、結魂により襲い来る痛みに、暴れ出さないように。
「ジン。動くな」
「は、離せよアゼルっ。……ちょっと、やめてよクーロン!! 俺はなんもしてないでしょ!?」
「ごめんよ坊や。あんたは悪くない。……本当に、ごめんよ……」
「ちょ、ちょっやめ……うぐっっ!?」
ズドン。突然、迅八の肝臓を刺す痛み。
アゼルに殴られた時の数倍の衝撃。
「い……、は、はぁぁああ……!? いっっだああああい………!!」
クーロンは、クロウを本気で殴りつけた。迅八の視界の端で、クロウが先程まで飲んでいたものを口から噴出させた。
「お〜!? きったね〜なおめ〜よ〜。俺は、まだてめ〜のかっこいいとこ一度も見てね〜ぞ。……こいつ、本当に千年の大悪魔なのか〜?」
「……いいや違うねえ。そいつはただの哀れな犬だよ。これから、自分のゲロの海の中で寝る事になる……」
クロウは、死にそうな顔になりながらもクーロンに向けて口を開いた。
「で、でんめえ……おえ〜……。人が酔って動けねえと思っ、おえ〜〜っ!!」
「違うだろ? あんたに許されてる言葉は」
「く、くかかかかかか……。でんめええ……。でめえには、『触手極楽地獄園』の上、絶技『昇天顔四本指』を食らわせてやるぜええええ……!!」
「フンっっ!!」
「アヘっ、おぶ、おえええ〜〜ッッ!」
「……もう一度だけ聞く。本当にいいんだね? その態度で……」
「……ゆる、じで」
大悪魔は許しを乞うた。
千年の時を越えてきた大悪魔。
サジタリア伝説——グラン・ソシエの陰で、彼を助けたのだという大悪魔が、吐瀉物を撒き散らしながら亜人の女に許しを乞うた。
「……ふ〜。スッキリしたあ……って、なにしてんのクーロン。ちょっとさあ、困るよお。オレのジンまで痛がってるじゃない」
トイレから帰ってきたイエリアが、アゼルの手を振り払い、迅八を抱え起こす。
それと同時にイエリアの作り出した結界により、アマレロとクーロンがクロウのそばから弾かれた。
「はいはい、おしまいおしまい。もうっ」
「イエ、リア……。天使、さま……」
「そうだよ〜。よしよし、みんなひどい奴だね。ジンの味方は、オレだけなんだよ……」
そのまま迅八は気絶した。
————————————————
——しゅらりと。迅八の耳に、何かが動く音が聞こえた。
(なんの、音)
身をひねろうとした迅八は、自然に脇腹をかばった。
すでに体は回復しているようだが、痛む気がしたのだ。クーロンのアレは、恐怖を刻み込む打撃だった。
「俺は、なんもしてないのにぃ……!!」
しかし、いつもと立場が逆になっただけだ。いつもは迅八の傷にクロウが巻き込まれる。
「ちょっとあいつの気持ちが分かった……。これからは気をつけよ」
また、しゅらりと。音が聞こえた。
迅八はいつの間にか、自分にあてがわれた部屋のベッドの上で、横になっていた。
窓を見れば、見上げる形で星空が広がる。その星空を切り取っている窓枠——それが、光に照らされているのに気が付いた。
「明るい……」
窓枠を照らす光に迅八が振り返ると、そこには天使が立っていた。
……腰まで伸びた金紗の髪。長く伸びるまつ毛。
天使の背後にはぼんやりと光が浮かぶ。その光の翼に照らされて、天使はそれ自体が光を放つ。
「イエリア……」
——しゅらりと。
衣擦れの音が。
金紗の天使の足元には服が落ちている。
残されたわずかな布が、華奢な天使の腰骨にかかり、そこから下だけが薄い布に隠されていた。
まるで、古代の芸術家が、自分の描いた絵画の中に、ほんの少しの良心で付け足したような布。……迅八の目の前で、美しい少年の口が開く。
「ジン……」
白い肌。
その頬が朱く染まっている。
——はあ……
まるで、冬の寒空の下のように、天使の吐く艶かしい吐息が見える。
薄い胸。——薄くて当たり前のその胸は、本当にうっすらと盛り上がっていた。
……白い肌。薄く、薄く盛り上がった胸。その先端の、小さな果実のような粒。
そこを思わず見てしまった迅八はドキリとした。
……そして言った。
「……いや。おまえ男だろって。別に見ていいだろ!!」
「わーいジン!! ねえねえ、寝よ寝よっ!!」
ばふーん。
豪快にダイブしてくる少年を、迅八はさっと避けた。
「いたいっ! ……ちょっとおっ、普通、受け止めるでしょっ!?」
「普通避けるわ!! なんで裸の男に飛びつかれなくちゃいけないんだよっ」
「いいじゃんいいじゃん。ほらほら詰めてよお。ねえねえ、へいへいっ」
ため息を吐く迅八の胸の中でゴロゴロとするイエリア。その胸の先端の突起——それが迅八の裸の胸にあたり、やはり迅八はドキリと、
「しねえええええわっ!! ……え? なんで俺、下着だけなの!?」
「え、服着たままの方がいいの? ……まあ、別にオレはジンに合わせるけど」
「てめえかッッ!!」
しばらくぎゃあぎゃあとやりあった後、迅八はなんだか色々とめんどくさくなり横になった。
階下からは物音が聞こえる。
まだ他の者たちは、下でなにかをやっているらしい。
「……そういやさ。お前、教会でなにやってたの? もっと早くに来るかと思ってたよ」
「んー、ほら。商人ギルドとの話とかさー。色々めんどくさいんだよ。オレ、なにげに偉いからね」
「そういやさ、キッド……つーか、トムとかもこの町に居るの?」
「居るよー。そのうち会う事もあるんじゃない?」
イエリアの手は、常に迅八の体をまさぐっている。
薄く、羽毛が舞うようなその手の動きが脇の部分に当たり、迅八の肌がひゅんと粟立った。
「ちょっと、もうやめてよ本当に。もっとさあ、男の友情を深めようよ!!」
「本当にそっちの方がいいの?」
「は? どういう事?」
「オレはなろうと思えば、フッツーの男の外見にもなれるけど、本当にそっちがいいの?」
迅八は思い出す。
元の世界の自分の友人達を。
(……えーーーーーっと)
——バンッッ!!!!
突然、響いたその音に迅八とイエリアはすくみ上がり、思わず抱き合った。
「ジ、ジン。なあに? 今の音」
「……よく分からねえ。けど……まるで、中学生くらいの女の子が、壁を蹴ったような音だったな」
「うん。まるで……『そんな事したら殺す、です!!』……って、言われてるような脅迫じみた叩き方だったよ」
「俺も感じたぜ。……不思議な事があるもんだな」
「うん、不思議だよ……。なんだったんだろう」
思わず抱いた体を離して、迅八は横になった。
気狂い天使のペースについていったら体が保たない。
「あー、もういいや。……イエリア、他にはなんもなかったの?」
「ん、んー。……あったっていうか、これからあるっていうかー」
「なにそれ? 意味深だなあ」
「んー。……ジン、この町に大物が向かってきてる。多分そろそろこの町に着くよ。君とクロウに会う為だ」
「は? 大物ってなに? ……まさか、十二使徒?」
「うん。ま、別にだからどうしたって話なんだけどね。どんなのが来るかはお楽しみだあ……。ジンにはオレが手を出させないよ」
「お願いします。是非、お願いします」
迅八は、イエリアの頭をぽんぽんと叩いてやる。イエリアは、にへらと顔を緩ませた。
「やっぱジンはいいなあ……。ねえねえ、大好きだよ」
「あ、そ」
「また明日になったら教会に戻る事になる。ちょくちょく様子を見に来るけど、浮気しちゃダメだよ」
「もうお前黙れよ……。頼むから寝てくれ」
「はーい」
嬉しそうな顔をして目を瞑る天使の顔はとても可愛らしくて、思わず迅八は微笑んでしまった。
窓から見える景色。
星の綺麗な夜。
迅八は幾つかの事を考える。
ニコル。
クロウ。
イエリア。
サジタリア。
ロンダルシア王。
そして、アーゼルフィア。
(本名……真名ってやつか?)
色々と聞きたい。なぜ、大悪党が冒険者ギルド大盟主と知り合いなのか。
サジタリアの伝説にクロウはどう関わったのか。
そして、迅八に会いたがっているというロンダルシア王、こちらに向かっているという十二使徒。
(もう……。ニコルの事で手一杯なのに)
星は輝く。
迅八の考えなどなにも気にせずに輝く。
とりあえず、今の段階では迅八には何も出来ない。
(……あー、めんどくさ。寝よ。明日になったら、またアゼルを誘って、ニコルのとこにいこっかな……)
————————————————
クーロンの足元で、クロウはいつの間にかイビキをかいて眠っていた。
「ぐおー、すぴー、…………………………………………んごーっ」
「かんっぺきに、ただの酔っ払いだねえ」
「お〜? ……コイツ、呼吸してねぇけど大丈夫なのか〜?」
食事を済ませたジークエンド達は、部屋に戻ったシズとアゼルを除いてその場にいた。
「お〜、しかしよお。まさかジジイとこいつに因縁があるたあな〜」
「……ふむ。俺も聞いておくべきだったな。ネタになりそうな話だ」
「あんたが逃げ出したんでしょうよ」
「黙れ。逃げてなどいない」
クーロンが呆れ交じりに言う。
「……大丈夫さ。これだけ材料が揃ってるんだ。いくらでもこの先、ネタになる話が出てくるよ」
「それもそうだな。 ……まさか、アルトリウスに目をつけられるとはな」
クーロンは眠っている大悪魔の顔を見つめる。
(……こいつとジン。二人に会ってから、物事が進み始めてる気がする)
停滞する人間達の集まり、ロックボトム。暇つぶしや意味の無い事に心血を注ぐ者の集団。
(……深入りさせちまう事になんのかねえ)
別にこの大悪魔はどうでもいいが、迅八とシズ。
彼らの事を思うとクーロンは矛盾した気持ちになる。一緒に居たいという気持ちと、離れさせなくてはいけないという気持ちがあるのだ。
「……ま、なるようになるかね」
「あ〜ん? おめ〜、なに言ってんだ。そんなのあたりめ〜だろ。なるようになる。なるようにしかならね〜よ」
クーロンはとりあえず酒を飲む。
酒を飲めば明日が来る。
……そして明日が来たのなら、おそらく誰かが動き出す。




