赤毛のおんなのこ
翌日。
アゼルは、少し前を歩く迅八の姿を、なんとなく見ていた。
(……なんなんだよ。もう)
「……ねえねえアゼル。あれってなに?」
「この地方の特産だよ。土産としてよく買われる」
「なんかさ、ダルマに似てるんだけど。……あ、ダルマって知ってる?」
「知ってるよ。ああそうだな。けど、それはナマケウズラがモデルだぞ」
「え。こ、これが……!?」
観光客向けの屋台の前で、いちいち迅八は立ち止まるし、クロウは色んな女に声をかける。その度にアゼルはため息を吐いた。
「はぁー。……なんなんだ」
「あんだよ。ため息なんぞ吐きやがって。 ……お、あそこにいい女が」
「別にどこにでも行け。ナンパでもなんでもしろ。騒ぎを起こすなよ」
「ねえねえアゼル。腹減らない?」
「うるさいなもう、おまえらは……!!」
楽園内のロックボトムの根城から川向こうへ。
迅八とアゼル、そしてクロウ。
王都の食料品店を三人は目指していた。
……昨日の夕食の際、アゼルは緊張しながらコルテ達を待った。掃除はちゃんと終わっているかどうか。おそらくコルテのチェックが入る。
(……こいつらは分かってない。コルテの怖さが分かってない)
ロックボトム達はみんなアゼルには優しいが、少し変わった大人たちでもある。
ジークエンド達は「やれ」と言って、迅八達は、「分かった」と言った。その『約束』を破ったらどうなるか、迅八とシズは理解していない。
しかもコルテはシズの師匠となった。絶対的な命令者となったのだ。
(この世間知らず達は、『師匠と弟子』が分かってない。……まあ、シズは仕方ないけど)
迅八も分からなくても仕方ないのだが、アゼルはそこには目を向けない。
夕食の時間になり、コルテ達が下に降りてくると、灰色の魔術師は真っ先に窓の桟を指で撫でた。
そこは騒動に関係ないから迅八達はやりたがらなかった場所だが、アゼルは予想していたので丹念に掃除しておいた。
「……ま、いいでしょ。七十点」
「き、厳しくない? 部屋中ピカピカでしょって!」
「厳しい、ですっ」
「はいはい。まあいいから食事にしますよ。……ほらシズ。手伝いなさい」
「はい、です!」
アゼルは心の中でホッと一息ついた。
(……七十点。あぶなかった。あと一点でも足りなかったら……)
一晩が明けて今日。朝食の時、コルテは迅八に言った。
「ジン。あんたさん、今日はなにすんです?」
「んー、どうしよっかな。クロウと町でも見て回ろうかな」
「あん? ふざけんじゃねえぞ小僧。なんで俺様がてめえのお守りを……、って言いてえところなんだが、まあいいだろ。俺も暇だしな」
「じゃあ悪いんですけどね。明日の夕食の材料買ってきてもらえます?」
「ん、分かった。お金ちょうだい」
「もうあんたにゃ充分渡してあんでしょうよ!!」
「えへへ……使っちゃった。えへへ……」
「坊や。あんた、そういう可愛くない顔でも笑えるんだねえ……」
卑屈な上目遣いでコルテを伺う迅八に、クーロンが呆れ混じりに笑う。
アゼルは話に加わらず、黙々と食事をしていたが、そこにクーロンが声を掛けた。
「アゼル。あんたも一緒に行ってきな。あたしの買い物もしてきとくれ」
「え? 嫌だよ。なんで俺が……」
「まあまあ。どうせシズはこれからコルテと一緒に居るんだ。あんたも暇だろう」
「だったら俺も、」
「……アゼル。昨日言ったはずです。僕がやることに口を挟むな。あんたが居るとやりにくいんですよ」
コルテが眼鏡の奥からアゼルを見る。
その目の冷たさを見て、アゼルの中で何かに火がついた。
「……おいコルテ。別に俺がどうしようが俺の勝手だよ。シズがお前の弟子になったのは文句つけないけど、なんで俺の行動まで、」
「……ふむ。行ってこいアゼル」
「ジークエンド!?」
ジークエンドはまだ眠いのか、半目のままで食事をしている。
「……いま話のタネに困っていてな。この先の展開に悩んでいる。なにか面白い事があったら報告しろ。あと、紙を買ってこい」
「な……!」
「……話のタネ? なにそれ」
迅八が問いかけるが、それには誰も返さなかった。
ジークエンドまでコルテ達についた。もうこの流れは止められない。
アゼルはそれを認めると、頭を掻きむしった。
————————————————
「……なあなあアゼル。腹減らない?」
「減らないよ。黙って歩け」
アゼルと迅八の後ろでは、少し離れた位置を千年の大悪魔が歩いている。はー、ほーん……周りを見渡して、何かブツブツと言っていた。
「そお? 俺なんてもうさー」
「別にこれから食料買いに行くんだから、そこでなんか買えばいいだろ」
「そうだな。そうしよっかな。……アゼル、なんか食いたいもんある?」
腹は減ってないと言っている。アゼルは迅八を黙殺した。
橋を越えると途端に人が多くなる。昼のロンダルシアは『王都』の時間であり、楽園にはまだ人が少ない。
行き交う人々の流れに当たり、跳ね飛ばされ、迅八はくるくると回っている。クロウは好き勝手にそこらの町娘に声をかけたりしている。
アゼルはそんな二人から少し離れ、近くの屋台で飲み物を買い、それを喉に流し込んでから空を見上げた。
(今日も暑いな……)
小さな雲がぽんぽんと浮かび、その間にそれよりも小さな飛空挺がいくつか飛んでいる。
ロンダルシアの活気ある日常と、平和な町並み。見慣れた風景ではあるが久しぶりの喧騒に、いつの間にか心が安らいでいる。
知らず知らず心の中で、『自分の町』になっているロンダルシア。
アゼルは喧騒の中で屋台の横の椅子に座り、今回の旅を思い返した。
おかしな同行者が増えた今回の旅を。
……『ジジイ』の依頼を受けたロックボトムは、辺境の町——オズワルドの領主の所に遊びにいった。
領主ベドワウ・オズワルドはロックボトムの事を歓迎してはくれなかったが、そんな事はロックボトムに関係ない。自分達のやりたい事をやって帰ってきた。
しかし、そこでは思わぬ人物達との出会いが待っていた。
千年の大悪魔、魂食の大悪魔、悪食。……様々な異名を持つ、上位悪魔族の中でも最高峰に位置する伝説の大悪魔。
実在を疑っている訳ではなかったが、まさかそいつが自分達の前に現れるなんて、アゼルは思った事もなかったのだ。
しかも、この世界に対等な者など存在しない大悪魔は、ちっぽけな少年に名付けられ、あまつさえ結魂で繋がれていた。
ジンとクロウ。そしてその妹のシズ。天使や転生者との出会い。
……未知の力を持つ転生者、強大な力を持つ大悪魔。
——邪魔なんだよ。隅っこ行ってろこのガキ!!
——えへへ、ごめんなさい、えへへ
——ん? ……なんでこんなとこに天使が歩いてやがんだ? いやちげえ。人間か? だがこんなに美しい人間を俺様は見た事がねえ。おいおい……なんの冗談だ?
——えー、私の事ですかー? マジウケるんですけどー。お兄さんカッコいいねー
(……いや、気のせいだな。あいつらはただの変態と馬鹿な犬だ)
雨の中、初めて迅八とシズを拾った日。アゼルは傷付いた少年を運び、その妹の体を癒した。
死にそうになりながら妹の事を守っていた『兄』の姿に、アゼルの胸は引き裂かれそうになった。ジークエンドもそうだったのかは分からないが、彼はその兄妹を助けてやった。
……いつかの記憶。忘れられない記憶。自分達も経験した光景。
(ま、俺達は本当の兄妹じゃないけどね)
自分の事を『俺』と呼ぶようになってどれだけ経ったか、もうアゼルは覚えていない。
昔は心の中では『わたし』と呼んでいたが、いつの間にかそれも『俺』に変わった。
初めは理由があった。自分達の事を必死で隠していたが、今はその理由も薄まった。
敵は自分達の事など本気で追ってきてはいない。昔は様々な刺客と戦ったけれど、いつしかそれもなくなった。
『脅威にはならない』
——敵の中で、アゼル達の存在が、その程度のものになったのだろう。
(だったら懸賞金も外して欲しいもんだけどね……)
……砂混じりの風がアゼルの顔を撫でると、ストールがほどけそうになり、再びそれをきつく巻きつけた。
南の国、王都ロンダルシア。
大陸に名を馳せる『愚王』の治める国。愚王が治めているくせに、大陸の中でも有数の強国——『七つ国』に数えられる国。
中央大自由貿易都市。
北の国——帝都ランドワース。
南の国——王都ロンダルシア。
東方諸島連合——筆頭国コルセア。
西の国——聖都ピレネー。
更に西には魔界が広がる。
今代の魔王が治める魔都ジューダス。
そして、魔界に最も近い国の一つである、西の小国ディアライン。
様々な理由を持ち、大陸の者なら誰でも知っている七つの町や国。その中でもランドワースとロンダルシアは、双璧を為す二つの強国だ。
「……ふぅ」
飲み物を飲み終わり、その器を屋台に返す。噴水の周りではいつものように、大道芸人達が各々の技を披露している。
……熱気と喧騒、享楽と芸術、富と貧困、あらゆるものがロンダルシアにはある。
古い知己である『ジジイ』を頼り、この享楽の都に辿り着いたアゼル達は、楽園に隠れ住んだ。
しかし隠れていたのは昔の話だ。今では何も隠していない。……『あの力』も使っている。
乾いた風と喧騒が、再びアゼルの顔に吹く。南の国に吹く風は、あらゆるものを磨耗させる。灼熱の怒りを、凍えるような憎悪を。
すり減らせ、細かくし、心の底に沈澱させる。思い出す事も少なくなる。そうでなくては人間は生きてはいけない。
しかし、それは見えなくなるだけで、消える訳ではない。忘れられる訳ではないのだ。
心の奥の、深い深い澱の底で、闇は静かに形を持つ。
そして時々、それは表に出てくるのだ。誰かの悲鳴と共に。
アゼルは迅八達を見る。
あの少年はロックボトムにすっかり懐いている。
(あいつは分かってない。……本当の意味で、俺たちの事を知らない)
許してくれ。助けてくれ。
財宝を差し出し震える奴らの首を刈りとり、財宝は当然奪っていく。
——お〜? だってもったいねえじゃねえか
やめてくれ。それだけは。
男顔負けの下衆な女を、人間と交配したがる魔獣の巣に置き去りにする。
——あ〜あ〜可哀想に。あたしだったら舌噛んで死ぬね
違うんだ。理由があったんだ。
たまたま見つけた野盗の集団が、近くの集落からボロ切れのようになった女を運ぶ途中だった。
——聞こえねえです。で? 食われるのと食わされるの、どっちがいいです? 早くみんなで相談しなさい
いつまでも逃げられると思うなよ。
昔はそんな事を言ってくる奴もいた。
——ふむ。これから一週間かけて遊んでやる
それから一週間、本当に遊び続けた。
ロックボトムの犠牲になるのは、吐き気を催すクズと『敵』だけだ。
それでもロックボトムは正義の味方ではない。なんだかんだと理由をつけて、ただただ過剰な暇潰しをする。
それをまだ、迅八やシズは、本当の意味では分かっていない。クロウが言っているように、おそらく自分達に都合の良い勘違いをしている。
それが理解できた時、彼らはロックボトムと共に居たがるだろうか。
……噴水の周りには大道芸人、それを見ている見物客、仕事でそれどころではない男たち。そして、アゼルとたいして歳も変わらない少年少女が仲良さそうに話している。
アゼルは迅八を見る。そしてシズを思い出す。シズは大切な友達だ。友達と呼んでいいかは分からないけれど。
幼い頃からアゼルには友達などいなかった。だから自分とシズの関係が、友人と呼べるものなのかが分からないのだ。
オズワルドの町で迅八が傷付いていた時、涙で顔をグシャグシャにしながら迅八はアゼルに抱きついた。
その時、アゼルは実は、飛び上がるほど驚いた。自分と同じ年頃の男と、あんなに近付いたのは初めてだったからだ。
震える迅八の背中を叩いてやりながら、アゼルは自分の中でおかしな熱が湧いたのを感じた。
恋と呼ぶものではない。アゼルは恋などした事はないが、それとは違うという事は理解していた。それは言ってみるなら、人間の本能に近いものだった。
涙を流している人間がいたら、なんの理由もなく背中を叩いてやる。そばに居てやりたい。人間の複雑な心の中にはそういう部分だってあるのだ。
次の日、木陰で少年と話をした。少年はオドオドと、仲良くしてくれよな。と言った。
アゼルはその時、柔らかな日差しの中で、——そうなったらいいかもしれないな、と思った。
迅八とシズと三人で、短かい間だけでも友達のようになれたらいいな、……そう思ったのだ。思っていたのだ。
(……それを、あいつときたら!!)
初めはオズワルドの風呂場だった。
二度目は自由貿易都市の宿だった。
そして今回は自分の部屋でだ。
許せないにも程がある。
(寝てる間に人の体臭を嗅ぎたがるって。……どんな変態なんだよ)
ヘラヘラと笑いながら大道芸を見ている迅八の顔は、アゼルの目には底抜けの阿呆に見えた。
(……けどもう、ムキになっても仕方ないか)
アゼルは湧き出しそうになる怒りを必死に抑える。
クーロンが言っていたように、いがみ合う関係になったとしたら、シズがどこかに行ってしまうかもしれない。
(……町の案内か)
自分が大人にならなくてはいけないのだろう。そう考えると、アゼルは椅子から立ち上がった。
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「あ。あれコロッケだ!! クロウ、コロッケ食おうぜ」
「おうジンパチ。俺様はシャケフライだ。……タルタル多めなっ!!」
買い物はほとんど済ませた。
コルテのメモにはモヤシと挽肉しか書かれていなかったのだが、迅八は明日の夕食が不安になった。
その間に、迅八は自分の買い物も済ませた。
迅八は本当の『自分のお金』は、イエリアから貰った五万円だけだ。このお金は大切な事に使おうと決めている。
さっき済ませた自分の買い物と、いま買ったコロッケにしか、まだ使っていない。
通りの中には食材を加工して軒先で売っている店も多い。アゼルも、ジークエンドやクーロンから頼まれた買い物を済ませ、迅八の後ろで二人の事を見ていた。
「アゼル、本当に要らないの? 今ならおごるよ」
「だから、お腹は減ってないよ。……お前らだけで食べるといい」
店主から渡されたコロッケとシャケフライ、それに迅八とクロウはかじりつく。
「うん。美味いっ!! 最高だね」
「まあ悪かねえな……。おい、タルタルもっとよこせよ」
クロウが店主に注文をしていると、アゼルがじっと自分の手元を見ているのに迅八は気がついた。
「どしたの? やっぱ食いたいの?」
「んー……」
迅八の手には大量のコロッケが入れられたお土産袋が下がっている。ビニールがまだ普及していないようで皮袋だが、油が染みないようにしっかりと紙で包んである。
「……じゃあ、一個もらおうかな」
「ダメだよ。お前、要らないって言ってたじゃん」
迅八の前で、アゼルの顔が驚愕で歪んだ。
「お、おまえ、それだけあるのに……」
「だからさっき聞いたじゃん! ……もう、仕方ないなあ。はい」
そう言って、迅八は食べかけのコロッケをアゼルに渡そうとした。
「な、なんで食いかけなんだよ……。そっちの新しいのをくれればいいじゃないか」
「こっちはダメだよ。お土産なんだから」
アゼルの美しい目が見開かれる。
その目にはこう書いてある。『信じられない』 。……しかし、迅八にはその字が読み取れなかった。
「……なんだよ。要らないの? んじゃ食っちゃうぞ」
迅八は美味そうに残りを頬張ると、アゼルの目の前で、油で汚れた手を服で拭った。
「おうジンパチ。そろそろ行こうぜ」
「ん、そだね。……ほら、アゼルなにやってんだよ。置いてっちゃうぞ」
固まるアゼルを置いて迅八は歩き出した。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「他にもなんか買おうかな。けど、気ぃ遣わせたら悪いしな……」
迅八は通りを見ながらブラブラと歩いている。知らない世界の知らない町並みは、いつまでも飽きる事がない。
すると、自分の隣に誰かが並んだ。
「……お? アゼルどうしたの。息切らして」
「お前らが置いていくからじゃないかっ。信じられない……!!」
迅八はアゼルに声を掛けたはずだ。だから、ついてきていると思っていたのだ。
「あ、ああ、そうだった? ごめんごめん」
「……ふぅ。もういいよ」
迅八が見てみると、アゼルの手にも皮袋が下がっていた。その視線に気付いたアゼルが迅八に言った。
「……なんだよ。持ってくれるのか?」
「俺が? なんで?」
アゼルの美しい緑色の目に浮かんだ文字は、やはり先ほどと同じものだった。
「普通、こういうのは男が持ってくれるんじゃないのか!?」
「お前いつも自分で男だって言ってるじゃん。こういう時だけそういうのって、ちょっと……」
もちろん、アゼルが重い物を持っていたのなら迅八は手伝ってやる。しかし、大したものは持っていない。
片手にぶら下げる程度の物を持ってやろうとするなど、逆に相手に失礼だとすら迅八は考える。迅八は真の男女平等主義者だった。
つまり、一般的には女にモテない男だった。
「……フー、フー……」
何故か不機嫌そうに鼻息を荒くするアゼル。……二人から少し離れた場所では、それを見ている悪魔が顔をニヤつかせていた。
・・・・・・・・・・・・
商店の並びから離れ、再び橋の方に戻ると、アゼルが足を止めた。
「……どしたの? アゼル」
迅八が声を掛けるとアゼルは下を向いた。何か気まずそうに言い淀んでいる。
それを見た迅八は心配になり、アゼルの耳元で囁いた。
「……大? 小? 我慢出来るか?」
「ちがうっ!! おまえ、おまえ……!!」
それを見ている悪魔のニヤつきは止まらない。
迅八の目の前で、赤毛の少女は深呼吸をした。
その目は揺れている。
その手を握ったり開いたりしている。
その足の爪先で、小さな石ころを蹴飛ばした。
ストールの奥では、意味を成さない言葉をモゴモゴと呟いている。
(どうしたんだこいつ……)
いつもとは違うアゼルの振る舞い、少女のような振る舞いに、迅八の胸がトクリと音を立てた。
……日の光が眩しい。
アゼルの背中の方から迅八に向けて風が吹き、迅八は思わず顔を手で覆った。
そして、その手をどけた時、赤毛の少女はそれ自体が輝いているように迅八には見えた。
——自分達の恩人。特別な、赤毛のおんなのこ。
その少女は何かを決心するように、おずおずと、あるいは、ひょっとしたら……恥ずかしそうに口を開いた。
「……あの、もう、戻るのか? 町、案内してやろうか?」
「あー、あんがと。けどいいや。……ほら、行こうぜ」
——スタスタスタスタ。
「……ゲラゲラゲラゲラ!! うひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!! くかかかかかかかかッ!!」
今まで我慢していた大悪魔の笑い声が町に響き渡る。それに驚いた迅八が振り返るのと同時に、脇腹に痛みが走った。
「な、なんだよクロウ急に……うぐっっ!?」
「……祈れっっ!!」
「え、なになになに!! なんで、なんで!? あっ、アーーーーッ!!」
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肩をいからせながら前を歩くアゼルの背中を見ながら、迅八は思っていた。
(やっぱ女は怖いな……。なんて理不尽な生き物なんだ)
迅八には、なんでアゼルの機嫌が悪くなったのかが全く分からなかった。
せっかく珍しくアゼルと外に出たのに、今は恐怖しか感じない。
(クロウはクロウで、どっか行っちゃうしさあ)
千年の大悪魔は川を渡らずに王都に残った。どうせ好きに暇つぶしをするのだろう。
振り返りもせずズンズンと歩いていくアゼルの後ろ姿に、迅八は声を掛けた。
「アゼル。……もう帰るの?」
「帰る!! お前が言ったんだろ!!」
「いや、帰らないよ。せっかくなんだしもうちょっと付き合ってよ」
「帰るって言ってただろ!!」
「言ってないよ。川のこっち側で用があるんだ」
「え?」
その言葉で、初めてアゼルは迅八の方を振り向いた。
「楽園で? ……なんの用があるんだよ」
「ほら、この間 話したじゃん。ニコルに会いに行こうかなって。町の案内してもらうんだ。 ……あ。あの時アゼルいなかったっけ」
立ち止まったアゼルに迅八が追いつくと、おもむろに懐から何かを取り出した。
「あとさ……これ」
「……?」
それは、薄い緑色の布だった。
涼やかな色に染められたそれは、ピンクの糸で綺麗な刺繍が施されていた。
「なんだよコレ」
「前さ、大草原でさ、ほら、なんていうか、俺がさ……」
「……汚い顔で泣いてた時か?」
「言うなよ!! ……ほら、ハンカチもらったままだったから。お返し」
あの時アゼルが迅八に渡したのは、カバンの底で丸まっていた布だ。ハンカチと呼ぶ程のものではない。
「俺、自分の金はイエリアから貰った五万しか持ってないからさ。そんなに高いもんじゃないんだけど……。ありがとねあの時。あとさ、改めてだけどさ、……仲良くしてくれよな。シズの事、いつもありがとな」
迅八から見た赤毛の少女は、俯いたままだった。
「夕方までには帰るからさ。コルテには言っておいてよ。気をつけて帰れよ」
そして、迅八はニコルの家に向かい歩き始めようとした。
「……待てよ」
「ん?」
「いいよ。俺も行くよ。……少しだけだからな」
「いや、別にいいよ。トイレ我慢してるんだろ?」
「もうお前は黙れ!! ……いいから行くぞっ」
アゼルは再び怒りだして、見当違いの方向に歩いてゆく。
(め、めんどくせえ……)
迅八は、とりあえずニコルの家の方向に向かう為、アゼルの横に並んだ。




