魔法使いの弟子
数時間後。
二階の部屋の中で、コルテはアゴに手をやり忙しなく歩き回っていた。
ベッドの上では千年の大悪魔がうんうんと唸りをあげている。迅八はベッドに寄りかかるようにして、怯えた目で膝を抱えていた。
「ごめんなさい、です。やりすぎちゃった、です」
「シズ、気にする事ないよ。どうせこの変態と下劣な悪魔は死なないんだ。なんだったらどこまで生きてられるのか、実験してみるのもいいかもしれない」
「ア、アゼル。なんなのその発想……。おまえ、マッドサイエンティストなの?」
震えた声を出す迅八に、シズが近付く。
「ひっ!!」
「ごめんなさい、です。わざとじゃない、です」
「いや、おまえ『千切れ飛べ』って言ってただろって。有言実行じゃねえかっ!!」
一階での騒ぎの後、コルテとクーロンは、重症の迅八とクロウを二階の部屋へと運びこんだ。騒ぎを聞きつけたアゼルも今はこの場所に居る。
コルテはブツブツとつぶやきながら、ずっと歩き回っていた。クーロンは椅子に座って、破けてしまった迅八の服をチクチクと繕っている。
アゼルは部屋の入り口で立っているシズの横に並び、優しくシズの黒髪を撫でながら言った。
「けど、いきなり魔術が使えるなんて、シズは天才だよ。やっぱり俺の妹だな」
「おい、アゼル。……俺の代わりにシズの兄貴を気取るんだったら、こういう時はちゃんと叱ってくれない!? 甘やかさないでもらっていいですかねっ!!」
シズとアゼルではシズの方が背が高い。見上げながらシズの頭に手を伸ばしているアゼルの事を見て、クーロンが優しく笑った。
「ははは。あんた達は、本当に仲がいい、」
「……ちょっと待ちなさいよ。あんたさん達。なにフツーの会話してんです? 『真魔』ですよ!? 下の様子見ました!? 壁の一部も傷付いてたでしょ!?」
一階ではジークエンドとアマレロが片付けをしている。血の海さながらの部屋の様子を見て、ジークエンドは「ふむ」と呟き、アマレロも「お〜」と言っただけだった。
「……ジンには魔術が効かない。それなのに効いたし壁も傷付いてる。真魔の使い手ですよ!!」
「もうあたしゃ諦めたから。考えるのは苦手なんだよ。真魔の使い手? 便利でいいじゃないかい」
「そんなんで済む問題じゃねえでしょ!! この兄妹は、いったいなんなんです!?」
体育座りでベッドに寄りかかる迅八は、破れてしまった服を脱いでいる。上半身を露出したその体はほぼ全快していた。
かたや、重症のクロウはベッドの上で、荒い息で喘いでいた。
「……いだあーーい。いだああーーいっ!!」
「見てみなさいよクロウを。千年の大悪魔が情けなく呻いてるのに、ジンはボケに突っ込む余裕まである。……なんて逸材だっ!!」
「そこなの? あんたも気が動転してるのはよく分かったよ……」
混乱したコルテが訳の分からない事を言っている途中で、階段を登ってくる足音が聞こえた。すると、外から扉が開かれ、ジークエンドとアマレロが部屋に入ってきた。
「お〜。あらかた片付いたぜ。……ほれ坊主。忘れもんだ」
ポイっと。
迅八に向かいそれは投げられた。
「ん? ……て、手首っ!? キモッ!!」
「てめ〜の手だろうが。気持ち悪くね〜だろよ」
「怖いよ。キモいよ。こんなの持ってこないでよ!!」
「って言ってもよ〜。んじゃゴミ箱に捨てりゃいいのか?」
「いや、それはそれで……」
「だからてめ〜でどうにかしろよ坊主。屋根の上にでも投げたら丈夫な手が生えてくるんじゃね〜のか?」
「歯じゃねえから!!つーかもう生えたし」
「あんた達。それ以前に、普通、手は生えないよ」
椅子に座るクーロンが、手元の針に結ばれた糸を、尖った犬歯でプツリと千切る。一度その服を見回してから、「よし」と頷いた。
「……そういやジークエンド。さっき、下に誰か来てただろ? ジジイの使いかい?」
「そうだ。もっとも下の有様を見たら勝手に察して勝手に帰っていったぞ」
「あらら……誤解してんじゃないかね。あたしらが誰かを殺したって」
世間話のように話している二人を見て、コルテは言った。
「ちょっとジークエンド。あんたも何を澄ました顔してんです? 真魔の使い手ですよ!?」
「……ふむ。面白くなってきたな」
「なにが面白くなってきただ!! ……テメエ、あんまりふざけた、」
すっ、と。
伸ばされたジークエンドの手がコルテの言葉を遮ると、迅八とシズ以外の人間は、全員ジークエンドを見た。
「そうだな。話し合いが必要だ。……アゼル、そいつらの様子を見ていてやれ。クーロン、アマレロ、お前らも下に来い」
「お〜」
「はいはい……」
ジークエンドが先導する形で、みな部屋を出ていく。コルテは最後までブツブツと言っていた。
・・・・・・・・・・・・・・・
「痛え……痛ええええっ!! ジンパチ、水、水うぅぅ……!!」
「はいはい」
ベッドの上で情けなく声をあげるクロウの口元に、迅八が水を運んでやる。
「クロくん。ごめんなさい、です」
「てめえ、てめえええ!! ……覚えてろよ。いつかてめえには俺様の極技『触手極楽地獄園』で、目を覆いたくなるような姿に、」
「おまえはやめなさいって。人の妹になにするつもりなんだよ」
ばしんと。迅八はクロウの肩を軽く叩く。そのまま流れるように、シズの頭にもゲンコツを見舞った。
「いたい、ですっ!!」
「俺たちの方が百倍痛えわッ!!右手が取れちゃうし、せっかく買った服がズタズタじゃねえか!!」
迅八が買った服はクーロンが綺麗に縫ってくれたが、二日目にして、新品の輝きは無くなっていた。
「む。私も服欲しい、ですっ」
「ん? ……じゃあ小遣いやるから買ってこいよ。服屋さんだったらクーロンにでも教えてもらえば?」
「小遣いやる? てめえはよくもまあ、人の金で兄貴ヅラ出来るもんだな」
三人でやいやいと話していると、椅子に座り何かを考え込んでいるアゼルの顔が、迅八の目に入った。
「アゼル、どうしたの?」
「……いや、シズの力を考えてた。『真魔』か……」
「アゼルさっき言ってたじゃん。シズは天才なんじゃないの?」
「さっきはコルテがピリピリしてたから和まそうとしただけだよ」
朝食の際、コルテが全く同じ事をした時、アゼルはバッサリと切って捨てたが、当然、迅八はそれについては触れなかった。
「俺は別にシズがどんな力を持っていても構いやしない。けど、おまえは気にならないのか? ……気にしないでいいのか?」
迅八の頭に一瞬だけモヤがかかる。そのモヤを払うように頭を振った。
「……気になるけど、考えたって分からないだろ。自分の事だって俺は分からないんだ。それに」
「それに?」
「……あんま、」
——考えたくない。……迅八はその言葉を、喉の途中で止めた。
クロウがベッドの上で身を起こすと、長い足で胡座をかき、接合したばかりの右手で頬杖をついた。
「……しかし、生きているもんにも死んでいるもんにも作用する、伝説の『真魔』。実在するのは理解できたぜ。……クソ痛えがな」
頬杖をついた手の感触を確かめるように、頬を拳に押し付ける。
「数百年も生きてる人間がいるなんて信じられなかったが。……ひょっとしたらだが、『真魔の使い手』ってのは一人の人間じゃねえのかもな。何人もいるそいつらの噂が、いつの間にか一人の人物みてえに語られてたのかもしれねえ」
「一族、みたいな事か? なら、シズはそいつらと関係があるのか?」
「そんなわきゃねえだろ。その小娘はバカの妹で、最近こっちに現れた転生者だろうが。……くかかかか。どうやら真魔の使い手を探す理由が増えたな。おいジンパチ」
クロウの頬は押し付けられた拳のせいで歪んでいる。迅八の目には、その顔が楽しげに見えた。
「……数百年を生きると言われてる人間。そいつが一人なのか複数なのかはまだわからねえが、真魔の使い手は必ず何かを知ってるぜ。少なくとも、シズが真魔を使える理由は分かるだろうよ」
迅八は黙る。
何かの答えが出るという事は、どこかに近付くという事だ。……結魂解除の方法が分かればこの大悪魔との旅は終わるだろうし、いつかこの世界に来た理由が分かるとすれば、その時は何かの決断を強いられるのかもしれない。
「……ま、その前にてめえらの処遇を気にする事だな。今ジークエンド達がシズをどうするか話し合ってんだろ。くかかかか。てめえら見捨てられるかもな」
「見捨てるって……」
「あん? そりゃそうだろ。頭に血が上っただけで、目に付く奴をぶっ殺そうとするバカが二人に増えたんだ。俺だって結魂の事がなかったら間違いなく放り捨てるわ」
「そんな、ちょっとやめろよお前……」
「おい犬。そのへんにしておけ」
いつの間にか、シズはアゼルのそばで、床に直接座っていた。その手はアゼルの服の裾を掴んでいる。
「……ジークエンドはシズを見捨てない。そんな事は俺が許さない」
「あ、そう。まあそうかもしれねえ。ただな、そのガキはどうも勘違いしてやがるからな。……おいジンパチ。何回も言ってるけどな。俺は大悪魔だ。そんでジークエンド達は忌々しい大悪党だからな。テメエにとって都合のいい勘違いだけはするんじゃねえぞ。問題ばっかり作るんじゃねえ。分かったか?」
いつの間にかクロウに説教されるような形になってしまったが、迅八は頷いたあと、何も言い返せなかった。
すると、ドアをノックする音が聞こえた。
「入るよ〜。ん? なんだい、随分どんよりした空気だねえ。どうしたんだい?」
「クーロン。てめえもバカの妹に殺されかけてみろ。そりゃこんな空気にもなるわ」
「ははは。あたしは本当に死んじゃうから勘弁して欲しいねえ。……坊や、シズ、下においで。ジークエンドが呼んでるよ」
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血に濡れた居間は、ある程度の清掃が終わっていた。
しかし、そこかしこに物が散乱しているし、なにより臭いがひどい。カーテンは全部開け放たれて、外の空気が入ってくる。
ジークエンドは長テーブルの上座に座っていた。コルテとアマレロがその脇に座り、迅八達が降りてくると皆が注目した。
「お〜。座れよ坊主。ジークエンドが話があるってよ〜」
灰色の魔術師は冷たい目つきで眼鏡を押し上げる。その奥の目はシズを見ていた。
(……なんか嫌だな。怒られる前のこの感じ)
迅八はまるで、元の世界で職員室に呼び出された時の気分だった。
しかも周りを見てみれば、拭き残しの血や傷付いた家具が転がっている。怒られる事は間違いない。
『見捨てられるかもしれねえぞ』
クロウの言葉が頭をよぎる。
迅八とシズが椅子に座ると、アゼルとクーロンはそのまま横に立ち、クロウはボロボロになったソファーの上に寝転んだ。
「さて……」
ジークエンドが目を瞑る。大して長い時間ではなかったが、迅八には長く感じられた。
「とりあえず、掃除をしておけ。夕食までに必ず終わらせろ。分かったな」
「うん。ごめんなさい……」
「ごめんなさい、です」
ジークエンドは目に何も乗せない。それを見る者が勝手に想像するだけだ。この時もジークエンドの瞳には何も浮かんでいなかった。
「では、俺からは以上だ。……コルテ、後は任せた。俺は寝る」
ジークエンドは椅子を引き、そのまま席を立った。
「え、ちょっと、それだけ?」
「コルテに聞け」
振り返りもせずジークエンドは行ってしまった。
迅八がぽかんと口を開けて階段の方を見ていると、コルテの口から深く長いため息が吐かれた。
「……はあーー、どうせこうなると思ってましたよ。分かってましたけどね……」
迅八がその声に振り向くと、灰色の魔術師は眼鏡をずらして、右手で両目を揉んでいた。
「はい。んじゃ手早くいきますよ。……シズ。あんた、魔術師になりますか?」
「はい、です?」
ざわ、と。
そんな気配を出したのはアゼルだった。
「僕の弟子になりますか?」
「師匠、です?」
「そうです。僕が師匠であんたが弟子です。僕から学びますか?」
「魔法使い、です?」
「まあそんなもんです。で? どうします?」
「なる、です!!」
「ちょっと、まて、まて! 待て待て待て待て!」
声をあげたのはアゼルだった。
「コルテ本気か!?」
「だって制御できなきゃ危ないでしょうよ。しかも真魔ですよ。普通の魔術と違うんです」
なぜかコルテに食ってかかるアゼルを見ながら、迅八は呑気に口を開いた。
「……へ〜。コルテがシズに教えてくれるの? なんか、ありがとね。ほらシズ、お礼言えよ」
「ありがと、です!!」
「だから待てって。変態、お前は黙ってろ!!」
「ム。別に今は変態呼ばわりしなくてもいいじゃん……」
「まあまあアゼル、そんなにきつく言うんじゃないよ。……けどね、坊や。返事は考えてからにした方がいい」
クーロンがなぜ警告めいた事を言うのかが迅八には分からない。コルテはシズの目を見ていた。
「……んで? シズ、僕の弟子になりますか?」
「なる、です!!」
「あーー……。シズ……!!」
シズの即答にアゼルが天を仰ぐ。迅八はやはり意味が分からなかった。
「さて、みんな聞きましたね。今日からシズは僕の弟子になりました。以後、一切の口は挟まないように」
「ま、待てよコルテ!! ……シズ、いいか。今なら間に合う。やめておくんだ。魔術なら俺が教えてあげるから」
「アゼル。外野は黙ってろ」
コルテのその口調に迅八は動揺した。いつもなんだかんだとアゼルにやられているコルテの言葉に、アゼルが気圧されている。
「ま、修行は明日からです。……シズ、ちゃんと掃除しとくんですよ。ちゃんとやってなかったら怒りますからね」
「はい、です!」
コルテはそれだけ言うと、ジークエンドと同じように二階に上がっていった。
・・・・・・・・・・・・・・・
「ああ……シズ。なんでコルテの弟子なんかに。魔術だったら俺が教えてやれるのに」
「ははは。アゼル、あんたじゃうまく出来ないだろ。……まあ、あんなのでも魔術師としての格は圧倒的だよ。いい師匠なんじゃないかい?」
シズは嬉しそうに笑っている。
迅八にはクーロンとアゼルの会話がよく分からなかった。
「……ねえねえアマレロ」
「お〜? 坊主、なんだその顔。よけい間抜けに見えんぞ〜」
「いや、なんでアゼルが反対するのか分からなくて。なんで?」
「お〜、そりゃまあ『師匠と弟子』だからなあ。色々と辛い事もあるぜ〜。……坊主、コルテは『魔術だけ教える』なんて言ってねえからな〜」
他に何を教えられるのだろう。
迅八が考える横で、アゼルが叫びをあげた。
「……はっ!? クーロン、いま何時!?」
「昼過ぎってとこじゃないかい?」
「シズ、掃除を始めよう。俺も手伝うから。……おい変態、ボケっとしてるな。お前もやるんだよ!!」
「お前、いちいちその変態ってのやめてくれない!?」
その後、何度も迅八の「もうよくない?」という言葉は黙殺され、夕飯の寸前まで掃除は続いた。




