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アゲイン×2 《クロスツー》  作者: 紺堂 悦文
第五章 魔法の言葉
85/140

楽園

 



「ほらほら兄ちゃん、よそ見してもいいけど人にぶつかるなよ!!」

「ふわ〜……。かっこい〜い」


 先ほど、大木の上で笛を吹いていた少女が、広場の噴水のそばで演奏している。

 すると、行き交う人々の中から一人の男が進み出て、少女の横に座り込み太鼓を叩きだした。陽気なリズムが場に響き出すとそこにまた人が加わった。

 軽やかに舞うような(ストリングス)の音色で空気の色が変わる。すると大道芸人達が集い始め、その音楽に似合う出し物を始めた。


「うわあ……」


 迅八が噴水に近づいてみると、それもまた変わったものだった。普通、噴水は貯水槽の真ん中に放水塔が立つものだ。しかし目の前の噴水には貯水槽などない。

広場の真ん中に木がそびえ立ち、その先端と枝から水が吹き出している。王都の熱気は吹き出す水を蒸発させて、枝から伸びる水のアーチと交差するように虹がかかる。

 ささやかな涼気(りょうき)と音楽に誘われて、いつの間にか見物客が集まりだし、しばらくすると即興の楽団は一人、また一人といなくなる。


 やがて彼らが一人もいなくなると、見物客達も何事もなかったかのように、元の場所に戻り始めた。



「……いやいや、お洒落すぎでしょって!! なに『日常』みたいな感じ出してんの!?」

「日常なんだよっ! ……騒がないでよ。恥ずかしいなあもう」

「どんな日常だよ。日常って言ったらさ……」


 そこまで考えた迅八は、それ以上考えるのをやめた。元の世界での日常など、思い出して楽しい事などほとんどない。

突然、黙ってしまった迅八の手を、亜人の少女が引いた。


「兄ちゃんどうしたの?」

「ん、いや、なんでもないよ」


 自分の手を引いている亜人が『少女』だという事に、迅八はすぐに気付いた。ただ、亜人だという事は気付かなかった。そんな事はあまり気にしていないからだ。

 亜人の少女——ニコルは、先程の店を出てからずっと迅八の手を握って先導してくれる。


(はは。……ちっちゃい頃のシズとか、シェリーみたいだな)



「……兄ちゃんさあ、本当にロックボトムなの? 本物?」

「いやー、なんていうか、一緒に旅してるっていうか」


 あれは啖呵(たんか)代わりについ言ってしまった事だった。


「どっちにしても関係者なのは本当なんだよね? ……すげー! んじゃ兄ちゃんが『ロックボトムの弟』?」

「それは俺じゃないよ。それにあいつは弟っていうか、」


 そこまで言って、迅八の言葉が止まった。

なんでアゼルが男の振りをしているのかも、迅八はまだ知らない。関係者と言っても、迅八は彼らの事を何も知らない。


「うーん……」

「けどさあ、思ったよりも怖くないんだね。大人たちは両方いるよ、ロックボトムが好きな人も嫌いな人も」

「いや、怖いよあの人たちは。あんまり近寄らない方がいい。キレ所よくわかんないから」

「ふーん……。けど兄ちゃんの友達なんだよね?」

「友達……仲間……、うーん、そうなりたい、かな?」

「なにそれ? ……まあなんにしても、ロックボトムが居そうな場所だったら本当に案内してやるよ! それだったら川向こうだ。あっちなら俺の庭みたいなもんさ」

本当に(・・・)ってなに? 元からガイドしてくれる約束だろ?」

「あ、あはははは。まあまあ! さあ行こう!」


 迅八の目に映る活気ある町並みは、見ているだけで楽しい。迅八の手を引いてくれるニコルは、なぜかとても上機嫌に見えた。


(ケーキそんなにうまかったのかな)



 迅八は初め、ニコルの事を背伸びした態度の子供だと思ったが、今は無邪気に笑っている。


(ま、いいけどね。子供は笑顔が一番だ)



 目抜き通りから離れ、人の流れが少ない方に向かってゆく。ニコルに手を引かれながら町の様子を眺める迅八の目に、時々『それ』は入り込んだ。


「……ロンダルシアには亜人が多いんだな」


 大森林に行った事がある迅八にとって、亜人の存在は珍しくはない。一緒に旅するクーロンもダークエルフだ。

 しかし、今まで通ってきた町ではそこまで亜人の姿は見かけなかったが、ロンダルシアの町には普通に亜人がいる。特にエルフが多かった。


「うん。亜人が人族の中で生きていきたかったら仕事が必要だろ? ロンダルシアには仕事があるからね」


 迅八は旅の途中でロックボトムの面々から聞いたし、大森林でもロド達になんとなくは聞いた。この世界での亜人の立ち位置を。

 しかし、迅八には実感としてそれが分からなかった。クーロンが差別される姿なんて想像出来ないし、現に今までの旅でそんな視線は感じた事がない。


「……それは、その『クーロン』がそういう空気を出してんのさ。亜人でもすごい美人だったら普通に男は優しいし、貴族の愛人なんかもいるよ。男でも強ければ有名な冒険者だっているけど、周りの奴らの心の中までは見えない。……馬鹿にしてる奴は、やっぱ本心では俺たちを見下してるよ」

「……そうなのかな」


 迅八の元の世界でも珍しくない話だった。その話を聞いた後で見てみると、この活気溢れる町の風景も、迅八にはどことなく違ったものに見えた。


「けど、兄ちゃんは違うよね?」

「当たり前だ。そんなに馬鹿じゃねえんだ」

「うん……。わかるよ」


 先ほど食堂にいた二人組のような、表に出す人間は滅多にいない。しかし表に出す人間達は、決まって弱い者にそれを向ける。


 ニコルは自分を守ってくれた存在が嬉しかった。……自分の尊厳の為に、母親以外の誰かが怒ってくれた。


「……ニコル、ニコルっ」

「え、なに?」

「そんなに手ぇ振り回すなよ。ケーキぐちゃぐちゃになるぞっ」

「あ……」


 気付かないうちに、嬉しい気持ちが外に出てしまっていたらしい。土産袋をぶんぶんと振り回していたニコルは、慌ててその手を止めた。


「両手で持ってろよ。落とすなよ」

「うん。ごめん……」


 迅八の手からニコルの小さな手のひらが離れる。亜人の少女は下を向いてトボトボと歩いていった。


「……も〜。本当にシズの小さな頃みたいだな」


 鼻から一つ息を吐くと、迅八はニコルの脇の下に両手を入れた。突然の事に驚くニコルは気にせずに、そのまま股ぐらに頭を突っ込み、首の後ろにニコルを担ぎあげた。


「わわっ!! ちょ、兄ちゃんなにすんだよ!」

「ほら。行き先案内してくれよ。俺わかんねえから」


 迅八に肩車されたニコルの目には、いつも見ている町の風景とは違うものが広がっていた。

 ……みんな自分より小さい。

 いつも路地裏から息を潜めて見上げていた町が、今は自分よりも下にある。


(うわあ……)


 ニコルが振り返ってみると、もう遠くなってしまった噴水の周りで、また新しい即興楽団が作られていた。その中の一人がニコルに気付くと、大きく手を振ってきた。

 視線を戻してみればニコルの事を見て苦虫を噛み潰したような顔の者がいる。しかし、かと思えば微笑ましいものを見るように、ニコルと迅八を見ている者もいる。


「どうだ高いだろ。……子供は高いとこが好きなんだよなー」

「子供じゃないっ。降ろせよ!」

「ははは。照れるなって」


 照れてる訳じゃないけど、なぜか顔が熱い。


(さっきよりも、太陽が近いせいだ……)


 ニコルはそう思って、少年のボサボサの黒髪を掴んだ。


「いてえから髪引っ張るな! アゴ掴め、アゴ!!」






 ————————————————






 ロンダルシアを分断するように流れる川——太い所では百メートル程もあるその川には、大きな橋が架かっている。その橋の手前でニコルは少年の肩から降りた。


「ちょっと、もう本当に降ろしてよっ。ここら辺から知り合いが増えるんだよっ」

「あ、そう?」


 川の(へり)には所々に舟が止まっている。緩やかな流れのその川には、中で水浴びしている者や釣りをしている者もいた。


「この橋を渡れば世界一の悪所、ロンダルシア特区さ。通称『楽園』だよ」

「……どうせ言葉通りの意味じゃねえんだろ?」

「慣れりゃ平気だよ。夜になればこの橋も人でごった返す。そのまま帰ってこれない奴もいるけどね。……天国に一番近いから楽園ってのは当たってるよ」

「そんなとこにロックボトムが関係あんのか?」

「うん。なんせロックボトムはこの町の住人だからね」

「住人? ……指名手配されてんのに?」

「それは俺より本人達に聞けば? 仲間なんだろ?」

「それもそうだな……。ニコルもここに住んでるの?」

「うん。けど俺はジークエンドとか、そんな有名人を見たことないよ。……ロックボトムの根城は楽園の中でも一番ヤバいとこだ。『死人(しびと)通り』って呼ばれてる」

「……なんなのあの人たち。そんな名前の場所、絶対に住みたくねえ」

「大丈夫だよ。俺がいるんだから。さ、行こう!!」


 再びニコルは迅八の手を取ると、乗り気じゃない迅八を引きずるように歩き始めた。

 ……川を渡ると王都はその様相(ようそう)を変える。一見、自由貿易都市で見た洋服店のような、大きな一枚ガラスが張られた店が軒を連ねていた。


「……夜になれば商品(・・)が中から出てくるよ。昼からやってる店はもっと奥にあるんだ」


 ロンダルシアは『王都』と呼ばれる場所と、通称『楽園』と呼ばれる二つの町が、川を挟んで向かい合っている。


 王都の町並みとは違い、川のこちらの楽園側は、町全体が汚らしい(・・・・)。人によっては猥雑わいざつだと感じるだろうし、力強いと呼ぶ者もいる。

 町の区画も複雑に入り混じり、路地裏の隅から、民家の二階から、はたまた昼から営業している酒場の中から、幾つもの目が迅八達を見ていた。


「商品って、」

「言っただろ? ここは頽廃と悦楽の都だって。人族も亜人も男も女も、若いのも歳とってるのも夜になればズラッと並ぶよ」

「ほ、ほほ〜う?」


 橋から降りてすぐに目に入ったガラスの通りを越えると、そこは広場になっていた。


「ここで色んな催しやら告知があったりする。楽園の住人が買い物するのもほとんどここなんだよ」

「なんでもあるんだな……」

「そりゃそうだよ。王都側からこっちには色んな奴らが来る。逆に俺達は向こうには行かないよ」

「けど、ニコルはガイドなんだろ?」

「も、もうそれはいいじゃん。……あ、そうだ。兄ちゃんの服買おうよ。ほらほらっ、王都でそんな汚い服を着てたら笑われちゃうよ」

「いいよそんなの……」


 迅八はそう言ったものの、それもいいかもしれないと思った。

 黒いコートは良いものだが、下に着ているのはボロ切れ同然の服だ。クロウも結局服を作ってくれない。……手を引いてくれるニコルに逆らわず、迅八は広場にある一軒の店に入った。



「……いらっしゃい。ん、ニコルかい? 珍しいね。あんた金持ってんのかい?」

「今日はこちらの旦那のガイドしてんだ。ロックボトムの関係者らしいからぼったくろうとすんなよおばちゃん」

「ロックボトムの……? ジークエンド達が帰ってきてんのかい?」


 世間話を始めるニコルと店主から少し離れて、迅八は店内を眺める。世界一の悪所『楽園』の服屋には色んな商品が置いてあった。

 住人に向けた一般的な洋服から、冒険者向けの作りがしっかりとした服、軽装の防具なども置いてある。


「自由貿易都市の店よりもファンタジーっぽいな……。ん?」


 適当に店内を眺めていた迅八の目に、元の世界でよく見た服が飛び込んできた。


「……ビジネススーツ? ダメでしょこれ。あっちゃダメでしょ!」


 その横の棚にはネクタイまで並んでいる。驚きの声をあげる迅八に、店主が話しかけた。


「ん? あんた転生者かい? ……転生者はそれを見ると必ずそんな顔するね」

「わざわざスーツなんて誰が買うの?」

「結構売れるよ。現地人(あたしたち)が転生者と商売する時にはそれを着ていったりするしね。なんかそれ着てると笑いが取れるんだよ」


 迅八は想像してしまう。

 ジークエンドがスーツを着て名刺交換している姿を。


「……ファンタジー感ゼロだな。そりゃ笑うわ」

「兄ちゃん転生者なの? ……けどそんなのカッコ悪いから他のにしなよ。ほら、例えばこんなのは?」


 そして、ニコルによる迅八の服選びが始まった。




 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・




「……これかっこよくない? こんなの着てみたかったんだよ。日本人だからさ」

「う〜ん……」


 迅八は和風の着流しを着て、その上に袖を通さずコートを羽織っている。


「どう? かっこよくない?」

「悪くないけど、腕に自信あるの?」

「自信って……。なんか関係あんのか?」

「それ『和服』って言うんだろ? 兄ちゃんが持ってる()もそうなんだけどさ、そういう格好してる奴らって大抵すぐ殺されるよ」

「な、なんでだよ」


 女店主がその疑問に答える。


「そういうのがあんた達の世界じゃ人気なんだろ? けどそんな服、戦いに向いてないに決まってるじゃないか。家の中で着るんだったらいいんじゃないかい?」

「……時々いるんだよ。『大剣豪』みたいな格好してる奴。そんな格好してたら腕試しの冒険者に襲われたりするよ。ていうか、そういう服装見ただけでイラついて襲ってくる奴もいるよ。今の兄ちゃんの服装は、ザ・大剣豪だよ」


 迅八は急いで服を脱ぐ。

 そんな事で襲われたらたまったものではない。


「刀もなかなか持ってる奴いないしね。しかも兄ちゃんのそれ、魔剣だろ? せめて服装は派手にしない方がいいよ。どんな服装が好みなの?」

「いや、特にないんだけど……。このコートに合う感じと、あと丈夫な靴が欲しいな」

「だったら靴からだね。……ほら、こんなのは?」


 それは黒い革と厚めの(ソール)のブーツだった。迅八には馴染み深いもの。


「お、ニコルいいやつ選んだねえ。それはオススメだよ。底が樹脂で作られてるから足が疲れないし丈夫なんだ。よく売れるよ」

「ああ、これ最高だよ。今までワラジみたいなのずっと履いてたからさ」

「よし、んじゃ上の服も決めよう!!」


 ニコルはあちこちから服を持ってきて、あれでもない、これでもないとやっている。

 迅八としては正直『かっこ悪くなければいい』位の気持ちだったのだが、嬉しそうに迅八の肩に服を合わせているニコルを見て、そのまま続けさせた。


「うーん……どうもパッとしないなあ」

「……おい、遠回しに中身(おれ)の事を言ってるんじゃねえだろうな」


 すると、女店主が奥から服を一着持ってきた。

 ……それは、黒いワイシャツのような服だった。襟口と袖の部分に羽毛があしらわれていて、所々が黒い革で補強されている。迅八がよく見てみると、ボタン代わりに鈍い光を放つ宝石が使われていた。

 一緒に持ってきたズボンも同じ様な作りで、膝の部分やズボンの横のラインが革で補強され、裾からは羽毛が伸びている。


「こんなの試してみたらどうだい? ま、弾かれるかもしれないけど」


 ニコルが驚いたように目を開く。


「うわ、魔道具じゃん。おばちゃん、これ獣人装束?」

「黒狐の羽毛と革が使ってあるよ。合えば(・・・)着れるんじゃないかい?」

「お、かっこいいね」


 迅八がその服に袖を通すと、ピタリと吸い付くような感触があった。革などで補強されているのにゴワつく感じや重たさを感じない。


「うん。いい感じだよ。これが魔道具なの?」

「合うみたいだね。あんたは狐の加護があるのかもしれないよ。その服は魔道具って言っても軽くて丈夫なだけさ。あんまり特殊な効果はないよ」

「……狐の加護ぉ?」


 迅八には思い当たる事が一つあったが、アレは加護とか与えるような奴ではない。すると、ニコルが嬉しそうに声をあげた。


「そりゃそうだよ。俺が一緒にいるんだもん。狐の加護があるに決まってる!」

「ん、ニコルひょっとして、狐の亜人か?」


 ニコルがその帽子を取ると、頭の上に大きなが生えていた。しかし、その耳よりも。


「……うわ、やっぱ可愛い顔してんなお前。将来美人になるよ」


 帽子を取ったその下には、柔らかそうな栗色の毛が生えていた。眉毛に掛からない位の長さのそれは、帽子の重みでぺたりと潰れていたが柔らかそうだった。

 下がり気味の太い眉毛の下には大きな目、その下の鼻は小鼻がぷくりと膨らんでいる。そして帽子で隠されていた大きな三角の耳は、迅八の言葉を聞いて嬉しそうに揺れていた。

 ニコルは目を細めてから可愛らしい口を大きく横に開いた。


「えへへ……母さんがね、とっても美人なんだよ」

「そっか。似てるんだろうな」


 そういって、迅八は柔らかそうなニコルの耳を優しく撫でる。ニコルは一度ビクリと体を震わせると、頬を染めて下を向いた。


「ちょ、ちょっとあんた!? そ、そんな子供になにしてんだいッ!!」

「え、なにって、……あ」


 そこで迅八は思い出す。フィレットの尻尾を触った時の反応を。


(ま、まさか、亜人にとっては、そういう事(・・・・・)なのか!?)



「あんた、そんな子供に……!」

「ご、ごめんごめんごめん!! ち、違うんだっ。知らなかったんだよ!!」


 迅八が急いで手を離すと、ニコルは何も言わずに下を向いたままだった。もじもじと膝と膝をすり合わせている。


「あんた、本当にロックボトムなのかい? 確かあいつらはそういうのが嫌いなはずじゃ……」

「だから違うんだって、誤解なのっ! ……そ、そうだ。ニコルにも服買ってやるよ。だ、だからさ、内緒な? お母さんにも、町の人にも内緒な!?」


 そして、迅八は口封じの為にニコルにも服を買った。






 ————————————————






「けど、本当に買ってもらっちゃって良かったのかな……」

「いいんだって!! ……だから、内緒な? お母さんには内緒な!?」


 仲良さそうに手を繋いでいるから問題ないが、ニコルが怯えた感じだったのなら衛兵が飛んでくる事は確実な言葉だった。

 しかし、ここは楽園の奥に入り込んだ場所だ。衛兵なんてうろついていない。


 ニコルは迅八と手を繋ぎながら歩いていて、暖かくて幸せな気持ちだった。

 迅八がニコルの為に買った、可愛らしい黄色のワンピース。

大切に抱えたそれを見てニコルは思う。……これは、買ってもらってよかったのだろうか。


(お店のおばちゃんもあんまり良い顔してなかったな……)



 ……ひょっとしたら、母親に怒られてしまうかもしれない。

 ニコルは短く髪を切って、その上には帽子をかぶっている。最近膨らんできた胸を抑える為に、シャツの下には布を巻いている。スカートなんて絶対に履かないし、上着も必ず長袖だ。


 どんな事にも理由(・・)はある。なぜなら、ここは世界一の悪所『楽園』だ。


(けど……、だって……)


 嬉しくなってしまったのだ。

 着る事はないかもしれないけど、時々寝る前にそれを眺める事くらいは、許されるんじゃないだろうか。

 ニコルがそんな事を考えて歩いていたら、迅八が通行人にぶつかった。




「……痛えなてめえ。どこに目えつけてやがんだ」

「あ、ご、ごめんなさい」


(……ずいぶん古臭い因縁の付け方だなあ)



 ニコルは相手を観察する。

 ここらで見た事ない顔だ。最近流れてきた奴らがいるのは知っている。ひょっとしたらそいつらなのかもしれない。


(カワイソー……相手がロックボトムだとも知らないで)



 因縁をつけてきたのは三人組だった。

 腰にはそれぞれ剣を下げたり、ナイフを手に持ったりしている。

 それなりに体つきはたくましいが、先ほど食堂で見た時の迅八を思い出すと相手になりそうもない。あの時の迅八は恐ろしかった。そして頼もしかった。


「いってえええええ……。てめえ、どうしてくれんだコラ!!」

「え、いや、そんな強く当たってない、」

「うるせえっっ!!」

「ひっ」


(…あれえ?)



 ニコルが迅八を見てみると、完全に目が泳いでいた。すると、三人組の一人が素早く迅八の頬を打った。


「こっち見ろコラッッ!!」

「いたっ!」


(ええ〜!?)


 迅八は怯えてしまっている。なんとかニコルの前に立ってはいるが、その足も震えていて、さっき刀の一閃で食堂のテーブルを叩き割った時に見せた覇気は、完全に鳴りを潜めていた。

 ニコルは震えている迅八に代わり場を収める為、三人組の前に出ようとした。


「ちょ、ちょっと待ってよ。悪かったからさ! それよりもあんた達、」

「うるせえ引っ込んでろ!!」


 三人組の一人がニコルを突き飛ばそうとしたその時、その場に一陣の風が吹いた。


「お……」


 三人組の一人が思わず漏れたように呟く。ニコルも同じだった。

 ……迅八の左手は、魔剣の鞘を掴んでいる。体を半身に開き、右足を大きく前に踏み出し、右手は真っ直ぐ前に伸びていた。

 そして、右手から伸びる闇。

 紅いしのぎの黒刀は、日の光の下で静かに輝く。



「……ふぅ〜〜ゥゥ」



 下を向いた迅八の口から、絞り出すような呼吸音。そこからは、隠しようのない怒気が滲みでていた。

 ニコルは迅八の怒りを再び見た。そしてこう考えた。……やはり、この優しい少年はロックボトムに違いない。だって、さっき少年が自分で言っていた。


(……ロックボトムは、キレ所が全くわかんない!)



 そして、もう一つの異状。

 迅八の刀は真っ直ぐ伸びている。ニコルを突き飛ばそうとした男の首に向かって。

 しかし、その場に居た者たちはその刀ではなく、それを受け止めた奴(・・・・・・)を見ていた。



 ……一陣の風が吹いた後、いつの間にかその男は立っていた。

 見ただけで分かる高価な服装。たくましい肉体を見せつけるように所々空けられた隙間から、流麗な刺青が見える。

 豪華な刺繍が施されたマントの上にはそれ自体が芸術のような髪の毛が広がる。その髪は、赤と金の房に分かれていた。



「……てめえはよう、なんでそう短気なんだ? 脳味噌の代わりに火薬でも詰まってやがんのか?」



 その男が逆手さかてに握る剣。

 迅八の持つ黒い魔剣と対比するような輝きの剣。その剣が迅八の振るった刀を止めていた。


「魂の気配を探って来てみりゃ、いつも厄介事に巻き込まれてやがる。……あれか? てめえの崇める神はトラブルが好きな神なのか?『とりあえず殺せ』って教えてやがんのか?」


 その声を聞き迅八が顔をあげる。

 すると、そこに立つ男を見て驚いた後、嬉しそうな顔をした。


「やっと会えた……。どこ行ってたんだよ」

「テメエが勝手にはぐれたんだろが。この短足が」


「て、てめえは誰だ!! そいつの仲間か!!」


 三人組が赤い長髪の男に叫ぶ。しかしその男は彼らを全く相手にしない。

 振り返りもせずに一つため息をついた後、嬉しそうな顔をした少年の顔を見て、逆に嫌そうな顔をした。

それを見ていた三人組の一人が顔を赤くした。


「な、ナメやがって……こっち向けコラッ!!」

「助けてやったってのにその態度か……。おうジンパチ。やるんだったらこんくらいにしとけ」


 ナイフを持つ男が長髪の男の肩に手をかけようとすると、その手は空を切った。

 長髪の男が右足を軸にして左回りに体を回す。そして、その左足は伸びていた。


「え」


 ナイフの男の足がすくわれる。

 バランスを崩して顔が落ちる。

 すると、目の前に『拳』があった。


「ほれ」


 ——ばきゃっ。

 肉を打つ音よりも重い、骨が砕けるような音。そして、鉄拳を食らった男の体が羽のように空を飛ぶ。


「「「なっっっっ!?」」」


 叫んだのは三人組の残りとニコルだった。人間が空を飛ぶ(・・・・・・・)。顔面を殴られて。


(こ、こんなことあるの!?)


 たっぷり五メートルは飛んでから、その体が地に落ちる。重たい音が響いた後は、ナイフの男は身動き一つしなかった。



「……ば、ばっかやろう! お前こそアレ、死んじゃったんじゃないの!? ていうか、絶対に死んだだろって!!」

ばかやろう(・・・・・)だあ……? てめえ、誰様に向かって言いやがる。てめえにだけは言われたくねえぞコラ……!」


 やいやいと言い合う二人の周りでアガアガと口を開いているのは三人組の残りだった。目の前で起きた光景に言葉を失くしている。


「クロウ、逃げよう。……早く逃げよう!!」

「そうだな、面倒そうだしな。……あん? おいジンパチ、なんだよこのチビは。くかかかかかか……狐人か。俺様の眷属じゃねえか」


 ニコルの目の前で笑う美しい男。

 しかしその顔は邪悪に歪んでいて、ニコルは自分がとんでもない人間に関わってしまった事を、ここでようやく自覚した。




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