王都
ここから一〜二話は長いです。
迅八の旅の始まりは、世界の最果てとも呼ばれる場所———『南の木』から始まった。
辺境にそびえるその大木は、あまりの巨大さから世界のどこからでも見ることが出来る。
そして、その木が生える常夜の森で、転生者と千年の大悪魔は出会い、最寄りの町オズワルドでシェリー達と出会った。
大森林で亜人と触れ合い、オズワルドで妹と再会し、おかしな転生者達と大草原で戦った。
この世界で迅八が目覚めてからすでに三ヶ月。しかし、言ってしまえばまだ三ヶ月だ。
そのわずかな時間で、迅八は人生観が変わるような経験を何度もした。
そして、迅八は南の国、王都ロンダルシアに辿り着く。
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「……ファーンタジー……」
どこかから笛の音が聴こえる。
それに合わせるような、飛び跳ねる太鼓の音も。
当たり前のように大道芸人達が噴水の周りで芸を披露し、当たり前のように人々は大した注意を払わない。
音楽に乗せられて町は息づく。その息吹と共に人々は動き、ごった煮の喧騒が作られる。
祭りのような人の波。
弾ける音と熱の洪水。
南の国——王都ロンダルシアの日常。
——今日はいい肉があるよー!!
日光が照りつける下で生肉が台の上に置かれ、たくましい男が手に持った棒を台に打ち付ける。すると、肉にたかるハエのような虫が、その音に驚き空に飛んでいった。
——魔光石のネックレスだ! 今の時間から半額だよ!!
本物かどうかも分からない怪しげな装飾品が、威勢のいい掛け声で売られてゆく。しかし、ある程度の時間が経つと、なぜか売り子は店ごとそこから消えてしまうのだ。
目抜き通りの遥か向こうから、埃混じりの強い風が吹いてくると、砂の混じったその風から身を守るように、美しい女たちが羽織っている布で顔を隠す。
日に焼けた肌の男達は、吹き付ける風など気にせず商売の荷物を運んでいる。急いでいる彼らは周りなどよく見ない。勢いのままに男達は、道の真ん中で突っ立っている少年にぶつかった。
「おいおいどけどけ!! そんなとこでボッとしてんじゃねえよ」
「ご、ごめんなさいっ」
その少年は真っ黒いコートを着ていた。照りつける太陽の下で汗だくになりながら。
さっきから右にふらふら、左にふらふら、仕事をしている男達に邪魔にされて、あちらこちらに行ったり来たり。
いかにも田舎者といったその少年は、飽きもせず珍しそうに町の様子を眺めている。枯れた大地に突然現れた、享楽の都を。
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大草原を越えた辺りから緑はまばらになっていた。
乾いた土が多くなり始め、頻繁に目にしていた緑の丘は、いつしか黄色い砂丘に姿を変えた。
砂丘には、常に上から砂が降り注ぐ。見上げれば、絶壁になっているそこから、滝のように砂は降り注ぐ。
細かな砂が黄色い霧となり、風に巻かれて空を飛んでゆく。……仲間の一人が少年に声をかけた。
——坊や。少し離れた場所には砂の大瀑布なんて呼ばれてる名所があるよ
じりじりと焼きつく熱気に耐えて反対側を見てみれば、そこには美しいオアシスがあった。
行商人達が疲れを癒し、彼らを護衛する冒険者達が周りに目を光らせる。
やがて乾いた大地に再び緑が見え始め、その先には大地を横断する川があった。そして、その川の上をまたぐように、王都ロンダルシアは存在した。
……ロンダルシアは熱気と芸術が溢れる砂の都だ。昼間から酒を飲んだ酔っ払いが道端で寝ている。なぜだか知らないが、路上で楽器を掻き鳴らし、叫び散らしている女がいる。
女の周りに無造作に投げられた小銭をかすめ取ってやろうと、路地裏で悪ガキが目を光らせている。
売り物が並ぶ小屋や屋台、その奥には建物が並んでいた。
赤土を焼き固めて作られた住居、この地方の様式で作られた木造の家——立ち並ぶ家々の間には時おり四角い大木が生えており、その大木には窓がある。
窓ガラスの中を、黒いコートの少年が覗き込むと、住人が嫌そうな顔をしてカーテンを閉めた。
「これも家か……。自由貿易都市のアレと同じだ」
生きている住居である大木の枝は、力強く張り出している。吹き抜ける風に乗り笛の音が響く。
……そよぐ枝葉を少年が見上げると、その大ぶりな枝に腰掛け笛を吹いている少女がいた。先ほどから聴こえていた笛の音の正体は、この少女が吹いているものだった。
「……ファンタジィー」
大木の上で笛を吹く少女。
しかしその遥か上空では『飛空挺』が飛んでいる。
大小様々なプロペラを回し、半透明の皮膜の翼を広げて大空をゆく。下から見上げたその翼は、太陽の光を受けてきらきらと輝いていた。それを眺める少年の目には、それはまるで、真昼の空に輝く星が動いているように見えた。
「ファンタジイイィ……!」
少年は、先ほどからずっと同じ言葉を口にしている。だらしなく口を開けて同じ事を呟いて、口に砂が入り顔をしかめる。
そして、そんな少年を、路地裏の悪ガキは見逃さなかった。
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(しめしめ。……良さそうなカモだなあ)
ニコルは頭に乗ってる帽子を目深にかぶり直すと、どうやってカモから搾り取ってやろうかと考えた。
(あのすっトロい顔した田舎者。なかなか良い物を持ってるなあ……)
纏っている黒いコートは少しサイズが大きい気がするが、遠目に見ても仕立てが良い。そして、黒いコートの少年が腰に下げている刀。……ニコルには武器の正確な価値などは分からないが、確実にそれは安いものではないのが見て取れた。
しかし、少年はそれ以外には汚れた服を着ているし、おまけにお洒落なのかなんなのかは知らないが、左手首にボロボロの布を巻いている。
(お登りさんが精一杯カッコつけてるけど、他のとこまでは金が回らなかったってとこかあ……)
ニコルから見たその少年は、典型的な田舎者だった。田舎から都会に来た者は、金払いが悪いのを格好悪い事だと勘違いしたりする。
しかし常に不安が頭にあるので、少し位の疑問を感じても金で済むことならそれで済ませようとする。だからいつまでたっても都からは、善良な者を狙ったボッタクリがなくならない。
(他の奴に目ぇつけられる前に……)
思い立ったら即行動。
ロンダルシアの目抜き通りはカモがネギを背負って歩く場所だ。
ニコルは一度鼻をすすると、帽子を押さえながらその少年の元に向かった。
「……ねえねえ、兄ちゃん兄ちゃん!」
「ファンタジーだ。飛空挺ハンパないんだけど……」
間近で声を掛けてみても、その少年はニコルを見ない。
「ちょっとちょっと、兄ちゃん!!」
「……ん? え、おれ?」
少年は振り返るが視線はニコルの顔の上を通りすぎた。ニコルは少年の黒いコートの腰の部分を引っ張った。
「兄ちゃん、ここだって!」
「ん……ちっちゃいなあ。どうした? 迷子か?」
「違う違う……。ていうかさ、兄ちゃんが迷子なんじゃないの?」
ギクリと。音が聞こえそうな程に少年が顔を歪めると、その反応を見たニコルは心の中で喝采をあげた。
「俺はこの町のガイドだからね。困ってる人は見過ごせないよ。……ところで兄ちゃん、こっちこっち。ほらほらっ、人の邪魔になっちゃうからさあ」
「お、おう……」
周りを見渡し自分が往来の邪魔になっている事に気付くと、少年は大人しくニコルについてきた。
(ヤバイ、チョロすぎるぜこの兄ちゃん……)
近くの屋台でニコルは飲み物を二つ買う。この出費は痛いが、ここでケチる訳にはいかない。
「ほら兄ちゃん。飲みなよ」
「え、悪いよそんな……」
「いいんだっていいんだって。……お近付きの印だよ。少しでもこの町を好きになって欲しいんだよ」
少しの押し問答の後、少年は飲み物を口にした。
(これはイケる。余裕すぎる……!!)
黒髪の少年を建物に押し付けるようにし、ニコルは巧みに進路を断った。
「兄ちゃん。あんな道の真ん中でなにしてたんだい? あんなとこに突っ立ってたら文句言われても仕方ないよ」
「いや、ちょっと色々珍しくてさ。仲間ともはぐれちゃって、探せばいいのか待ってた方がいいのかもよく分からなくて……」
仲間。
その単語を聞き、ニコルは頭の中で考えていた幾つかの『手段』の中から、手荒なものを除外するかどうか検討する。
「へえ〜、なるほどねえ。男、女?」
「両方いるよ。……よくわかんねえ奴も」
(……よくわかんない奴ってなんだ?)
ニコルは思うが、とりあえずそれは置いておく。最低でも少年の仲間が二人は居るというのは分かった。では、そいつらは危険な奴らなのか。
「へえ……。三人だけでここまで来たの? ひょっとして兄ちゃん冒険者なのかい?」
「いや、三人じゃないよ。もっといっぱいいるんだ。冒険者……じゃないと思うけど、魔術師とか剣士とか、あとまあ、なんか色々と」
(こいつ頭の中まですっトロいぞ。あやふやな事ばっか言って……)
しかし仲間に魔術師と剣士が居るようだし、目の前の少年も立派な刀を腰に下げている。その事を考えて、ニコルの中で幾つかの『手段』が除外された。
(う〜ん……。自分から金を出してくれる方にもってくか)
「んじゃ俺そろそろ行くから……」
「ちょっと待ってくれよ兄ちゃん。せめて俺が飲み終わるまで話そうぜ」
「え? う、うーん……」
気の弱そうな少年は小さな子供に押し止められた。気が弱い、とは少し違うかもしれない。単純に人が良いのだろう。無理やり押し付けられた飲み物でも、飲んでしまえば気がひける。
「……ねえ兄ちゃん。じゃあさ、俺が町を案内してやるよ」
「え? いや、いいよ。だって仲間が」
「まあまあ、冷静に考えてみてくれよ。……兄ちゃん、このロンダルシアがどれだけ広いと思ってんの? この目抜き通りの市場なんてほんの一角で、少し離れた商業区と居住区、ギルドや教会がある職人区、お高い奴らが集まる王区に王城……。更に、川を渡れば世界一の悪所が広がってるんだよ。……そんな中で兄ちゃんが一人で仲間を探してたって出会えるはずないよ」
「いや、けど……」
「まあまあ聞きなって。……言っただろ? 俺はこの町のガイドだ。冒険者が来そうなところもいっぱい知ってるし、色んな場所や店を案内してやるよ。別に仲間と合流出来なくても死にやしない。むしろ、そうなった場合の事を考えた方がいいよ。……例えば、兄ちゃん一人でぼったくられない宿を探せるのかい? ここにはそんな店はいくらでもあるんだ」
「むむ……」
「だからさ、とりあえず色んなとこを案内してやるよ。けど金は貰うぜ。仕事だからな」
「う〜ん……!!」
もう一押し。早口でまくしたてるニコルは、怒涛の口撃があと一歩のところまで効いてるのを感じた。
そして、ニコルは知っていた。あと一歩まで押し込まれた男が、最後はなにで転ぶのか。
「それにさ、兄ちゃん兄ちゃん……。まぁ、あんま大きな声じゃ言えないけどさ……」
「ん?」
「女いるんだろ? 仲間内に。……合流するのは、明日でもいいんじゃないかなあ〜」
「へ、なんで?」
「いやあ、なんて言うかさあ。……男一人で行きたい店とかも、あんじゃないかなあってさ」
ピクリと。少年の眉が動く。
「……さっき言ったろ? 川の向こうは世界一の悪所だって。そこは頽廃と悦楽の都だよ。男だったら一度は行かなきゃ損するよ。これだけは間違いなく保証できる」
「……ほ、ほ〜う?」
「人間の女に飽きたんじゃないか……? 豹人の女を見たことあるかい? オークは? 小鬼は? ……中には珍しいダークエルフなんかもいるんだよ」
「う〜ん。俺、全員見たことあるな」
「え?」
予想外の言葉にニコルは呆気に取られた。……こいつはどうやら純情そうな顔をして、相当な好き者らしい。
「けどそうなるとなあ……。あとは普通の店しかないなあ」
「いや、別に興味ねえし!」
「変な服装の店とか……。あとは、そうだなあ。肌の色とか髪の色とかだよ。金髪専門とか、赤毛専門とか……」
「……ちょっと待て。今なんて言った」
「え? 変な服装の店?」
「ちげえよっ。その後っ!! ……赤毛専門?」
「うん。あるけど……」
「……例えばだけどさ。そこは、なんか背がちっちゃくて緑色の瞳で、常にブスッとした顔してて態度が悪くて、そのくせ笑うとすげえ可愛い女の子なんかもいんのか? ……いや、興味はねえけどさ」
「探せばいるんじゃないかな? ていうか、そんなのほとんど性格でしょ? 幾らでも客の要望に……」
「あとさ、あとさ! ……一ヶ月に一回くらいしか風呂に入らないのに、なんか甘い匂いがするんだよ。そんで冷たい目つきで人を蹴りつけながら『変態が』って言うんだよっ! ……けどさ、やっぱ優しいんだと思うよ。本気では蹴らないんだ。青アザ残る程度にしか」
「青アザ残るくらい蹴っちゃうの……? あ、あと、一月に一回しか風呂入らないって、それダメじゃない……?」
……こいつは、思ったよりも上級者だ。ニコルは自分の中でそれを認めると、とりあえず他の方向から話を進める事にした。
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自分の横であっちをキョロキョロ、こっちをウロウロ、忙しなく目線と体を揺らしている少年を見る度に、ニコルは思わず忍び笑いが漏れてしまう。お登りさん丸出しの様子が滑稽だからではない。
先ほど、少年から見せられた、『お小遣い袋』の中身を思い出したからだ。
(あれ、幾らくらいあるんだよ。宝石なんかもジャラジャラ入ってたし……!!)
交渉の末、ニコルは少年のガイドになった。
しかし、実際にはニコルはこの町のガイドではない。『川向こう』なら案内出来るが、ロンダルシアのこっち側には仕事をしにくるだけだ。ガイドなんて出来やしないが、そんな事は分からないだろう。
ニコルの後ろでちょこまかしている少年はとんでもない金持ちらしく、自分一人で買い物なんてほとんどした事ないのだという。
ガイド料の相場もよく分からないし、王都の物価がどれ程なのかも分からない。……これだけあれば充分か? と見せられたその袋の中身は、まるで貴族の財布のようだった。
(絞ってやる。徹底的に、絞ってやる!!)
ニコルは己に誓うが、同時に警戒もする。
なんせ『お小遣い袋』にあの大金だ。どれだけの金持ちなのかは知らないが、どうにもこいつは得体が知れない。下手したらヤバい事になるかもしれない。
上着と刀以外は身なりも貧相だし、ゆるみきった顔は間抜けにも程がある。しかし、ひょっとしたらとんでもない人物の身内の可能性もある。
(……保護してた、って方向でいけば謝礼がもらえるかもな。ちょっと気をつけるか)
そこまで考えたところで、ニコルの腹が、ぐぅ……と鳴った。今日はそう言えば朝から何も食べていない事をニコルは思い出した。
「……ん。腹減ってんのか?」
「いや、平気だよ。……それよりまずはどこへ行こうか」
「……俺、腹減ったな。メシ食おうか。案内してくれよ」
「ん、そう? んじゃ適当に俺が買ってきてやるから金を……」
「いやいや屋台じゃなくてさ。せっかくだから、ああいう所でさ」
少年が指差す先には、ロンダルシアでも有数の高級料理店があった。
「いや、えーっと……他のとこにしようよ兄ちゃん。いい店知ってるからさ」
「いいじゃん。これだけあったら食えるんだろ? たまには俺だってうまいもん食いたいよ。……畜生。アゼルの奴、いつも俺を追い出しやがって」
「ちょ、ちょっと!」
ニコルは少年に手を引かれた。
そしてニコルの目の前で、少年が料理店の扉を開けようとした時、店の前に立っていた給仕に止められた。
「申し訳ありませんが、お引き取りを」
「え、なんで? ……まさかあれ? ドレスコード?」
「いえ、お客様お一人様でしたら。申し訳ありませんが、亜人の入店はお断りさせて頂いております」
「はァ?」
(しくじった……)
ニコルは顔をしかめた。
金持ちが、わざわざ亜人にガイドを頼むとは考え難い。ニコルの耳は帽子の中に隠してあるが、この町の住人ならほとんど自分の事を知っている。
亜人だとバレてしまったのでどうしようかとニコルが考えていると、『少年』の低い声が響いた。
「……あんたは、俺の連れに文句をつけたいのか?」
「いえ、ただ、」
「亜人だから、文句つけたいのか?」
「いや、そのような、」
「じゃあ何か問題あるのか? 言葉を選べよ」
……背の低いニコルからは、下から見上げる黒髪の少年の顔がよく見えない。しかし、前に立っている給仕の顔はよく見えた。
一流店の給仕として、完璧に自分の感情をコントロール出来るはずの給仕は、なぜかその顔から色をなくしていた。
給仕がニコルをチラチラと見る。そこでニコルは少年の手を強く引いた。
「ほら兄ちゃん行こうよ。いいんだって!!」
「ちょっと待てよ。まだ話が、」
「いいのっ!! ……給仕さんごめんね」
少年の手を引きその場から足早に立ち去る。店から遠ざかるニコルの耳に、給仕が漏らした安堵のため息が聞こえた。
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「……もうにいちゃん。揉め事は勘弁してくれよ」
「そっかあああ……。悪い事しちゃったなあ、ヤバ、どうしよう……」
目の前で顔をヒクつかせる少年を、ニコルは呆れた顔で見た。
「さっきの人は良い人なんだよ。よく余ったもんをくれたりするんだ。亜人が入れないのも別にあの人のせいじゃないし、ロンダルシアの高級店はみんなそんなもんだよ」
ニコルと少年は、目抜き通りから少し離れた場所にある料理店に来ていた。
「う〜ん……。今度ジークエンドさん達とあそこ行こうかな。あの人に謝らなくちゃ。……けど、やっぱ気に入らねえな」
「だから、そんなもんなんだって!」
時おり、独り言の様に少年は人の名前を出す。仲間の名前なのかもしれない。
(ジークエンドって……。まさかね。そんな名前の奴いくらでもいる)
「……けどね兄ちゃん、ここもいい店だよ。むかし、母さんと一回だけ来た事があるんだ。……それよりさ、兄ちゃん亜人が嫌いじゃないの? ふつう、金持ちは俺なんかと一緒にメシ食わないよ」
「俺は金持ちじゃないから気にしねえよ。……さ、なに食う? メニューメニュー」
こいつは、思った以上の大物かもしれないと思い、ニコルは気を引き締める。
自分が金持ちだという事に気付いてすらいない。そして、亜人の事を気にしない。
亜人を差別しない人間はいっぱい居る。しかし、そういう人間には、たいてい裏側に優越が見える。自分達は、他人に施せるぐらいの善意は持っているのだと。
だからといってニコルはそういう人間が嫌いな訳ではない。敵意を出されたり嫌がらせをされるより余程マシだ。
目の前でメニューを広げている人間は、裏側を感じさせない。ひょっとしたら、俗世に疎いレベルの金持ちなのかもしれない。
先程の高級店の給仕は、なぜかこいつに気を呑まれていた。ニコルには、その時の少年の顔が見えなかったが、給仕から見た少年の顔には、逆らえない何かが浮かんでいたのだろうか。
「うーん。よくわかんねえな。ニコルはなに食うの?」
「……俺も食っていいの? おごり?」
「いいよいいよ。なんでも食えよ。どうせ俺の金じゃねえしな」
「じゃあ俺、肉食べたい!!」
「はは。おっけーおっけー。甘いもんは? デザートもあるみたいだぞ」
「それもいいの? ……ほんとに?」
「いいよ食えよ。やっぱ女の子は甘いものが好きなんだな」
「え」
ニコルは面食らう。
「ちょ、ちょっと兄ちゃん、俺が女だってなんでわかったの?」
「なんでって……可愛い顔してんじゃん」
面と向かってそんな事を言われたことがない。ニコルはどきりとしたが、そんな事よりも。
「いや、顔なんてほとんど見えないじゃん! なんで!?」
「いいか、ニコル……」
少年は、どこか遠い目をして語った。
「俺はさ、決めたんだよ。 ……もう騙されねえ。アゼルもイエリアも。も〜う騙されねえ……!!」
「よ、よく分かんないけど、誰それ? 理由になってるの?」
「なってるんだよ。特にイエリアの奴め。……まあいいや、頼もうぜ。すいませ〜ん!!」
本当に、よく分からない人間だ。店の給仕に注文している少年を見ながらニコルは思う。……けれど、こいつは案外、良い奴なのかもしれない。
……運ばれてきた食事はどれも美味しかった。先程の高級店の余り物なども美味いが、客に食わせる為にきっちりと盛り付けされた料理など、ニコルは本当に久しぶりに食べた。
「ほらニコル、これも食ってみろよ。うまいよ」
大皿に盛られた魚の揚げ物を、少年が一匹丸々取り分けてくれる。
熱々の野菜と、とろみのついた液体が乗せられたそれは、甘酸っぱい香りが食欲をそそる。しかしそこでニコルは動きを止めた。
さっきから少年は肉を切ってから渡してくれる。それにフォークを突き刺してニコルは食べるだけだ。けれども今渡された魚は、ナイフとフォークを使わなくてはうまく食べられない。
ニコルはナイフとフォークを器用に使うことなど出来やしない。思わず周りを見渡してしまうと、前に座る少年が呟いた。
「……なんだよこれ。骨多いな〜。めんどくせえや」
ニコルが少年の方を見ると、両手で魚の頭と尻尾を持って、豪快に腹に噛り付いた。
「は、はふ、あづっ。……うん。うまいっ!!」
(……なんだ。手で食べていいんだ )
ニコルは安心して魚を掴むと、少年の真似をして腹に噛り付く。
「あつ、あつ!! ……うまーーい!!」
口の中の湯気を吐き出し、外の冷たい空気を入れる。すると、とろみのついた液体の香りが鼻から抜けてゆく。
野菜の歯ごたえを奥歯で確かめると、舌の上ではぷりぷりとした魚の身がほどけてゆく。
「おーいしーい!!」
思わず満面の笑みで魚を食べ続けるニコルを、少年は微笑みながら見ていた。
……食事は食べ切れない程あった。
肉や魚の他にも、生野菜のサラダ。野菜と肉の切れ端が入ったスープ。柔らかいパン。大皿に盛られた麺。
少年はそれらを食べやすいように、切ったり盛り付けたりしてからニコルに渡してくれる。
小皿に取られた麺などを見て、ニコルはやはり一瞬止まる。しかし、そういう時に少年の方を見ると、決まってニコルが作法に迷ってしまった物を食べていた。
金持ちが食べてる姿を真似すれば間違いはないだろう。幸い少年は難しい食べ方をしなかった。……気が付くと、ニコルはほとんど一人で料理を食べ切ってしまっていた。
「すげえな……よく食ったなあ。もう腹いっぱいか?」
「さすがにもう食えない! ……兄ちゃんは、あんま食べないんだね」
「はは、食べたよ。 ……もう食えないのか? デザート要らないの?」
「食べるっ!!」
少年は苦笑してからまた給仕を呼んだ。
しばらくすると、少年の前には湯気が立つ琥珀色の飲み物が、ニコルの前にはよく冷えた果実水が運ばれてきた。
「……なにそれ。うまいの?」
「ん、飲むか?」
少年の前に置かれた湯気の立つカップを手に取り、両手で支えるように口に運ぶ。その液体を口に入れると、ニコルの舌の上で苦味が広がった。
「まずっ、コレまずっ!!」
「う〜ん……。ニコルにはそうかもな」
そこまでしてからニコルは気付く。
……直接、口をつけてしまった。
なんだか親しみやすいから忘れていたが、目の前のこいつは得体が知れないが大金持ちなのは間違いない。
そんな人間の食器に、亜人である自分が口をつけてしまった。
(やば……)
「お子様には分からないんだよなあ……。このうまさが」
少年はそのカップに口をつけると、うまそうに琥珀色の液体を飲み込んだ。
「それもうまそうだな。……一口ちょうだいよ」
そして、ニコルの果実水を飲む。
「これもうまいな。 ……けど、やっぱ俺はこっちかなあ」
……こいつは、本当によく分からない。
ニコルの口の中から琥珀色の液体の苦味はすぐに消えた。そして、喉の奥にほんの少しだけ、香り高い甘みが残った。そして、その残った甘みよりも、もっとほんの少しだけ。
本当に、この少年を『川向こう』に案内してやってもいいかもしれないな。
ニコルはそう思った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「おいしかったあああ〜……」
ニコルは心の底からの声をあげた。
すでにズボンの紐は緩めている。
運ばれてきたデザートは、王様の食べ物のようだった。
黄色いスポンジの間にスライスされた果実が挟まれ、そこに真っ白いクリームが塗りたくられている。おまけに、それは豪華にも上や横にも塗ってあったのだ。
ふわふわのそれはフォークを突き刺し持ちあげると溶けてしまいそうだったので、ニコルは急いで口に入れた。すると、やはりそれは溶けてしまった。それと同時に自分のほっぺたも溶けるかと思った。
帽子の下で満足そうに目を細めているニコルを見て、自分の前に置かれたデザートも少年は差し出した。
「これも食っていいよ。もう食えないか?」
「食う!! ……けど、いいの?」
「どうぞどうぞ……」
少年は静かに二杯目の琥珀色の液体を飲んでいた。ニコルは少年が持ってるカップを見て考える。
(……あの苦味があるお茶は、このデザートと一緒に食べたらもっとおいしいのかも)
どうやってこのデザートを食べてやろう。この機を逃したら、もう一生食べられないかもしれない。……そんな事を考えていたら、ニコルの頭に違う考えが浮かんだ。
(……母さんにも、食べさせてあげたいな)
このデザートはケーキと呼ばれるものだ。高い事は高いが、ニコルには絶対に手が出ないという訳ではない。
……ただ、ニコルが一人でこれを買えるかといったら、それは分からない。
「ねえ兄ちゃん。これ持って帰っちゃダメかな?」
「いいんじゃねえの? けど崩れちゃうかもよ」
「少しくらい崩れても大丈夫だよ。母さんに、食べさせてあげたいなって」
「……そっか。店員さんに頼もうか」
微笑んでくれたその少年の顔に、一瞬暗い影がよぎったが、ニコルはそれに気付かなかった。
すると、少し離れた場所からその声は届いた。
「……さっきからひでえ食い方してるが。しまいにゃ持って帰るってよ。よくもまあ」
「ほっとけよ。亜人なんかにゃこの程度の店でも贅沢なんだろうよ」
……その声で。
ニコルの中で膨らんでいた、先程までの幸せな気持ちが、ゆっくりと萎んでゆく。
「こんなご馳走食った事ねえってよ。くくくくく……こんなんがご馳走だってよ」
「どうせ川向こうのガキなんだろ。仕方ねえだろ。普段はゴミと虫しか食ってねえんだ」
……胸の中の暖かいものが、ゆっくりと冷たくなってゆく。
外からいつも眺めていた。本当にもう、思い出せない程に小さな頃、母に連れられて訪れたというこの店を。
そして、今食べた食事はどれもこれも、天上の味わいを持っていた。ニコルは、こんなに美味しい物を今まで食べた事がなかったのだ。
「亜人が入れる時点で大した店じゃねえって分かりそうなもんだがな」
「いいじゃねえか。俺たちみたいな見習い職人も恵まれてるんだって分かったぜ。……あんなスカスカのケーキも食った事がねえ、川向こうの淫売母さんに比べりゃな」
「店員さ〜ん」
突然、空気が薄くなってしまったようだった。息苦しさを抑えて下を向くニコルの耳に、目の前の少年の声が届いた。
「お会計。あとケーキいっぱいちょうだいよ。持って帰るからさ」
——くくくくくくくく
見習い職人達の隠そうともしない笑い声が届く。
「あとさ、このテーブルって幾らくらいなの?」
「はい?……ええと」
「値段。これで買えるくらい?」
少年の手の中にはきらめく宝石があった。それを見た店員は息を呑んだ。
「こ、こんな、」
「足りない? んじゃこんくらい?」
宝石が三つに増えた。
それを見てニコルも正気に戻る。
「ちょっと兄ちゃん、そんな大金、」
「あ、これだったら足りるのね。……んじゃこれ売って。はい」
宝石を店員に握らせると、少年は席を立った。そして、まっすぐ見習い職人達の元へゆく。
自分達のテーブルの前に立つ少年の腰に下がっている刀を見て、見習い職人達は目を細くした。
「あん? ……なんだよ冒険者か? 別にあんたの事を悪く言ったわけじゃ」
それは、一瞬だった。
少年の手がブレるように揺れ、その腰の鞘から一筋の闇が走った。
「おま……」
その言葉の途中。
最後まで言い終わる前に職人達はそれに気付いた。腰から伸びた闇が、いつの間にか床に突き刺さっている。
その黒刀の鍔からはゆらゆらと陽炎が立ち昇り、紅い鎬が日の光を受け妖しく輝いた。
すると、それから一拍遅れて、職人達のテーブルは真っ二つに割れた。
「こ、こいつ抜きやがっ」
「黙れ」
関係ない周りの者たちは、テーブルの割れる音でその異変に気付いた。何が起こったのかは知らないが、王都の真ん中で刀を抜いてる奴がいる。
そんな気狂いには、間違いなく関わってはいけない。
「いいか。黙れ。……もう喋るな」
見習い達は何も喋れない。そして、それはニコルも同じだった。
ロンダルシアは、『王都』だ。衛兵が当たり前にうろついているし、冒険者も山のように居る。
そんな所で真っ昼間から刀を抜くなんて、正気の沙汰とは思えない。
「……お前らの息が臭えんだ。メシの余韻がまずくなるだろ?」
見習い達は震えながらガクガクと首を振る。そして、少年の次の言葉で、静まり返った店内に再びざわめきが走った。
「……俺は『死にかけ』だ。またお前らがどこかで臭え息を吐いてたら次は切るぞ。気に障る事を言わないで生きてけよ」
店の人間達は、みな同じ事を考えていた。
……こいつは、本物の気狂いであり、途方もないアホだ。そして、名乗った。ロックボトムと。
「に、兄ちゃん出よう! 早く出よう!!」
「……そうだな。店員さん、ケーキ」
「は、はいっ……はいっ!!」
店員が押し付けるように少年にお土産袋を渡すと、それと入れ替えるように、少年も再び宝石を二つ渡した。
「ごめんね。お店騒がせちゃって。……悪いんだけど、これで他の人達の払いも済ませといて。あ、そこのバカ二人以外の人達のね。……いいか、てめえら、」
「兄ちゃんもういいから!! ……はーやーくっ!!」
「ちょ、ニコル、」
少年達は急いで店から消えてしまった。……そして、静寂の店の中に少しずつ話し声が響きだし、やがてそれは興奮を伴う会話となった。
「……ロックボトム帰ってきたのか。いつ!?」
「つーかあんな奴いたか!?」
「おお、クーロンの腹筋がまた見れる!!」
「きゃー!! ジークエンドさま!!」
「しかしあいつが本当に新入りだとしたら……。可哀想にな。その二人は」
店内ではざわめきと共に店員が後片付けに奔走している。そして、見習い職人二人組は、魂が抜けたように口を開けていた。
————————————————
「ぜはあーーー!! ぜはあーーー!!」
少年の手を引きニコルは疾走する。そして路地裏の一角で辺りを見渡すと、そこで初めて足を止めた。
「ぜはあーーー!! ……兄ちゃんなに考えてんだよ、指名手配かけられたいのか!?」
「え。あんなんでそんな事になるの? ……ちょっとした喧嘩じゃん」
「刀抜いたらちょっとしたじゃ済まないよ! なに考えてんの!?」
「そこはファンタジーじゃねえのか……。やりにくいなあ」
ニコルは座り込む。これは、失敗だったかもしれない。
まさか、ロックボトムの名前なんか出てくるとは思わなかったのだ。そういえばジークエンドやらなにやら言っていたが、まさかあのジークエンドだなんて思うはずがない。
「ふーん。ま、大丈夫だろ。結局なんもしてないし。それよりほら」
「なんもしてない? ……やったじゃん!! 刀振り回したじゃん!! 真っ二つに、 ……え?」
少年から手渡されたそれは、袋に入れられたケーキだった。一つだけではなく沢山ある。
「母ちゃんに食わせてやれよ」
……熱砂の国の燦燦とした日の光は、少年の姿を後ろから照らしている。しかし、その姿は先ほどまでとは少し変わっていた。
その目から下には黒線が引かれ、身体中にそれは伸びている。ボサボサだった黒髪は、うねり、逆立ち、照りつける日差しと重なって、ニコルの目には黒い太陽のように見えた。
「ニコル。俺はジンだ、よろしくな。……良い店だった。次はどこに案内してくれるんだ?」
そして、その途方もないアホで本物の気狂いは、亜人の少女に向かい優しく微笑んだ。
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