外伝 亜人国家
シェリーはご機嫌だった。
大森林の亜人国にやってきてからというもの、毎日は楽しかった。
町のそばに住んでいた頃に不満があった訳ではないけれど、急に自分をからかい始めた町の子供たち。理由がわからない悲しみが、シェリーを襲った。
それでも、それ自体は勝気なシェリーにとって大した事ではなかったが、自分がからかわれていた時、普段仲良くしていた友達が、その場でシェリーの目を見なかった事は幼い心を傷付けた。
それに、父と母も最近は沈んでいる事が多かったのに、この国に来てからそれは少なくなった。それもあってシェリーは自分に納得させた。……この国、大森林の亜人国に来たのは良かった事なのだと。
大好きなクロウはこの国に少しだけいて、すぐに町に戻ってしまった。それは少し寂しかったが、新しい友達がたくさん出来た。その中の二人とこれから遊びに行くのだ。
シェリーの幼い心は浮き立っていた。
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「……こらこらシェリー。あんまりはしゃいじゃダメよ。怪我したらスーローン様に怒られちゃうわよ」
緑色の肌を持った美少女がシェリーを追いかける。すると、その小鬼族の少女に後ろから声が掛けられた。
「怒られるのはあんただけどねー。気をつけなさいよ。最近丸くなったけど、あのひと怖いから」
それは豚人の美しい女だった。小鬼の少女も豚人の女も、同じように活動的な服装だったが、与える印象は全く違う。
亜人は寿命が長い種族が多い。そして、人族と同じような成長——老化をするとも限らない。
小鬼の美少女はシェリーよりもずっと年上だが、その肌の色は違うものの、並んで立ってみればまるで姉妹のようだ。
かたや豚人の女は小鬼の美少女よりも年下だが、見た目だけで言えばこの場の最年長に見える。その活動的な服装から覗く、美しい肢体。それは、成熟した女性のものだった。
「フィーナ、あんたも怒られるわよ! ……私の身にもなってよ。ただでさえ私はスーローン様に目をつけられてるんだから!!」
「自分の男があんたと寝たからって……。あのオバサンも器が小さいわよねえ」
「フィーナ!!!」
「トットちゃ〜ん、これこれ〜」
「シェリーっ。そ、それ毒キノコっ。……た、食べないで、食べないで!!」
豚人の女、フィーナ。
小鬼の少女、トット。
彼女達はシェリーのお守りとしてこの場にいる。もっともシェリーはそうは思っていないようだが。
大森林の亜人国家は、収穫祭の終りの後、改革と調和、相反するものを求める道を進み始めた。しかし、それは簡単な事ではない。
亜人の各部族達が手を取り合ったからといって、いきなり仲良く同じ場所に住めるわけもない。
別に、亜人同士で抗争があった過去などはないが、抗争とは言わなくても狩場を巡る小さな小競り合い、生活習慣や部族の風習、お互いの誇りから生じる喧嘩などはある。
心から打ち解けるには、精神的にも少なくない時間が必要だし、物理的に住める場所もない。なにせ、大森林は広いしそこら中に部族は広がっている。急に巨大な町などは作れない。
そして、『亜人国家』の噂を聞きつけて、近隣の亜人達が続々と大森林にやって来ている。そんな亜人国家は、すでにこの世界の注目の的だった。
「トットちゃん。これあげる〜」
「いらないわよ毒キノコなん、か……。ちょ、ちょっと。そんな顔しないでっ、私を悪者にしないで!!」
風は梢を揺らす。
大森林は生命に溢れている。
緑の樹々も、美しい花々も、そこに住む動物達も。
……そして、危険な魔獣も。
森の中で、時おり影が走る。
その影はフィーナ達からつかず離れず、一定の距離を保っている。
フィーナの耳に、遠くから魔獣の唸りが聞こえると、その次の瞬間に影が走る。
すると魔獣の唸りは消えた。その命の灯火と共に。
(あいつらも仕事熱心ね……)
……彼らは、シェリーの護衛だ。そして、それは豚人の中でも屈指の戦士であるフィーナも、小鬼の魔術師であるトットも同じ事だった。
この場には、命に順位が存在する。
この場に立つ人間達の命の価値は、等しくない。この場でもっとも死んではならない存在は、シェリーだ。
辺りを守る護衛達は、シェリーの代わりに死ぬ為にここにいる。周りの護衛が全員死ねば、次はフィーナとトットが死ぬ番だ。しかし、フィーナとトットが本当に死ぬ事は許されない。
死ぬ気で守る。それが二人の仕事だった。
「フィーナあ〜。キノコ食べてえ〜」
「嫌。嫌っていうか、ムリ。……シェリー。人が嫌がる事をすんじゃないの」
「は〜い」
フィーナは豚人の中では珍しい性格だった。自由を好み、異性にあまり興味がなく、物事にすぐに飽きる。
フィーナから見たシェリーは可愛い少女だった。シェリーは亜人らしいが、その見た目は人族と変わらない。……フィーナは人族があまり好きではない。特に、いやらしい目つきの男たちは。
それでも、可愛らしく人懐こいシェリーは、フィーナから見ても守ってやりたい存在だった。
オークの里は、今は一応、亜人国家の首都という事になる。小鬼のトットは最近そこに移り住んだ。
いきなりみんなで一緒に暮らすのは無理だ。しかし、いつかはそれを目指すのだ。その為の第一歩として、それぞれの里から色々な里へ、様々な人員を移住させる事になった。
そして、ゴブリンの少女であるトットがオークの里に来る事になった理由には、千年の大悪魔が関係していた。
「フィーナ〜。ふわふわってしてえ」
「はいはい……。もう、ちょっとだけだからね」
フィーナは美しい肢体を包む上着を脱ぐ。その下には何も身につけてはいない。
男達が見れば騒ぎ出す光景だが、ここにはそんな者はいない。フィーナは腰を屈めると、シェリーの事を背負ってやった。
「う〜んんん……もふもふぅ……」
フィーナの乳房やお腹、体の前面には毛が生えていないが、後ろ髪からたてがみのように、背中に体毛が生えている。
豚人の中でも毛深いフィーナはそれが少し嫌だったが、シェリーはお気に入りのようだった。
「くろちゃんみたい……。えへへ〜……」
クロウ——千年の大悪魔。
悪食、魂食の大悪魔、そして新しい森の主であり、亜人国家の国王たるロドの、名付けの上での親。
シェリーと、その両親であるルシオとロザーヌは、そのクロウが直々に連れてきた、この大森林でも上位の『賓客』だ。
クロウはシェリー達を特別扱いしろなどとは言わなかったが、ロドとスーローンがシェリー達にした扱いは、最上級のものだった。なにしろ今では同じ家に住まわせているのだ。
「フィーナ……そのまま、そのままでいて。少し休ませて……」
トットは疲れ果てている。その腰に下げた水筒を手に取ると、中身を喉に流し込んだ。……ゴブリンの美少女であるトットは、クロウから直々に寵愛を受けた。と言っても、それはトットだけではない。
オークの前里長であるスーローンは、トットよりも深く気に入られているようだし、あまり表立ってはいないが他にもお手つきになった女は山程いる。そう。山程いるのだ。クロウが滞在したのはたった二週間程だったが、凄まじいクズだった。
しかし、それが理由となり、トットはオークの里に住む事になった。そして、今はフィーナと共に、シェリーのお守りとして日々を過ごしている。
「……まあ、別にシェリーと遊んでればいいんだから楽な仕事だけど」
フィーナの背中でゴロゴロとしているシェリーの軽い体重。
しかし、この少女の命の重みは実際には違う。いざとなれば、国王であるロドですら彼女を守る為に戦うだろう。
「けど、危険なんてないしね。あー、いい生活ねー」
護衛達は精鋭ばかりだし、そもそも危険な魔獣の生息域には近寄らない。出会ったとしても一匹や二匹どうとでもなる。見守っている護衛達も含め、この場に居るのは精鋭だけだ。
これで三食昼寝付きだ。フィーナもトットも、今の毎日に満足だった。そして、自分達が寝てるうちに、各部族の親交は勝手に深められるだろうし、大森林はどんどん住みやすくなるだろう。
「フィーナ。そろそろ戻るわよ」
充分に休んだトットが、フィーナに声をかけると、シェリーがぐずりだした。
「もっとあそぼうよ〜」
「こら。ロザーヌさんに言いつけちゃうぞ」
「やだ〜!」
渋々と納得したシェリーを背負ったまま、フィーナは来た道を戻る。
「……もうそんな時間? トット、その話し合いって、本当に私達も居なくちゃダメなの?」
「シェリーの護衛に関わるかもしれない話よ。フィーナ、あなたは戦士長でしょ? 関係ないはずないじゃない」
「エルフの問題事だっけ?」
……大森林——亜人国家成立の為には、幾つかの問題があった。
その中でも最大であり、そして一番困難だったもの。それは、全体の『空気』だった。
何かが変わる時、人は大多数の意見と共に居たがる。尻馬に乗ると言うと言い方は悪いが、安心が欲しいのだ。
それの最大の障害だったはずの、保守派の筆頭で強い力を持っている耳長族が、真っ先に『国家』に対して賛成したのは大きな要素だった。
「まあ、なんかあるんだろうなとは思ってたけどね」
「けど、その為の互助組織である『国家』よ」
「あんた詳しい話は知らないの?」
「うっすらとは聞いたけど……。まあ詳しい事はこれから分かるわよ。……嫌でもね」
大森林の因習、『収穫祭』は終わりを告げた。しかし、亜人の問題はそれだけではないのだ。
「ところでフィーナ」
「なに?」
「そろそろ服着なさいよ」
背中でもふもふし続けるシェリーを思うと別にこのままでもフィーナは構いやしないのだが、そういう訳にもいかないのだろう。
三人とそれを取り巻く護衛達はオークの里のすぐそばまで戻っていた。
ちょうどその頃、エルフの有力者達もオークの里に入っていた。




