バカ
判決は下った。
執行者はゆっくりと歩み寄る。
「じゃあ始めようかね」
「待て……。待ってくれ!!」
「なに言ってんだいあんた。……もう充分に待ったはずだ」
死にかけ。
情報を扱うキッド達は、嫌というほど知っている。犠牲者がどんな目にあわされるのか。
紫色の瞳のダークエルフは、キッドの耳をひねりあげた。キッドの耳の根元からミチミチと嫌な音が鳴り、ダークエルフの声が鼓膜から脳に伝わった。
「……朝までかける。一時間後にはあんた達は自分から死にたがる。けど、それは許さない」
「こっわ。母熊こわっ!! ……あははははは。楽しそ〜う」
ケタケタと笑う場違いな声すら気にならない。
キッドはこの場で一番の発言力を持つ男に、再び叫んだ。
「待ってくれ……。これ以上、何を話せばいいんだ!!」
「ふむ。何か勘違いしているようだが」
ジークエンドはポケットに手を入れたまま、キッドの瞳を見つめていた。
「お前の『先読み』の話は、お前にとって一番重要な話らしいが、俺たちにはさほど関係ない。面白い話くらいのものだ。……そんな事よりもな」
ジークエンドは腰かけていた岩から立ち上がり、ゆっくりと御者に歩み寄った。震える御者の目を覗き込む。
「……どこに行ったんだ。もう一人は」
御者は、ジークエンドの瞳を見ながら静かに泣き出した。それは恐らく、自分達の死期を早める発言となる。
泣きながら震える御者の代わりに、キッドが地面を見つめて言った。
「……ロンダルシアの、商人ギルドに向かっている」
「そうだ。そういうのが聞きたいんだ。 ……で? 何をしに?」
「……諸々だ。千年の大悪魔の『魔人形態』や、そこにいるオズワルドの転生者の事を、仲間に知らせに行った」
「ジークエンド、もういいだろ。……生かしておく理由が無くなった」
ロックボトム達には関係ない事だ。しかし、クーロンはもう迅八達に対して入れ込んでしまった。
一撃で内臓を破裂させる程の蹴りを、一番近くにいたキリエに見舞う。
「死にな」
「ひぃっ!!」
キリエの喉から叫びが漏れたが、衝撃はその手前で結界に阻まれ、クーロンの足はキリエに届かなかった。
「あんた……。邪魔するのかい?」
「ダメダメ、ダァアメ。殺さない方がいい。ジン達の事を考えるんだったら尚更だ。いたぶる程度ならいいよ。けど殺すのはダメだあ」
そこでクーロン達、ロックボトムはイエリアを見た。
光の翼を持つ天使は、今はその翼を消している。見た目には町娘そのままだが、その温度、口調、顔つき——全てが異質なものになっていた。
「……今は問題が多いんだ。あんたには後で話を聞く。……それともあんた、敵なのかい?」
「知ぃ〜らない。そうじゃないと思ってるけど、ジンの為にならない事をクーロンがやるんだったら敵になってもいいよ。……けどさあ、クーロンのこと嫌いじゃないよ。だからやめときなって。……『どうでもいい人』位には思ってるからさ。殺したくないなあ」
その、挑発めいた言葉にロックボトムは反応しない。
目の前の天使は、悪意を乗せずに本気でそう言っている。
クーロンが緊張を高める横で、迅八がキッドに向けて口を開いた。
「なんで、クロウと俺の事を知ってた?」
「……一部の転生者は、もうみんな知っている。転生者だけじゃない。現地人もだ。……のんきに旅をしてるつもりなのはお前らだけで、長い眠りから覚めた千年の大悪魔と、それと結ばれた転生者。もうお前らは注目の的だ。劇にまでなってるくらいだからな」
「チッ、あの劇はそんなに有名なのか!?」
「……ボク達は本当にたまたまだ。けど、動き出している人間は他にもいるはずだ。そこの十二使徒みたいにな」
キッドは光の天使を静かに見る。
イエリアは何も言わず、甘えるような笑顔で迅八を見ていた。
「……ふむ。『ギリギリどっちでもいい』位にはなってきたぞ。もう少し何かないのか?」
ジークエンドは語りかける。しかし、キッドの頭には何も思いつかない。
『ディアラインの懸賞金』についても本当にただの好奇心だった。誰かに指示を出された訳でもない。
先読みしたら体重が減るが、その理由なんてロックボトムにとっては塵ほどの価値もない。喋ることなどなにもない。行きがけの駄賃ほどのつもりで手を出したのだ。
脂汗を浮かべるキッドをジークエンドは静かに見ている。そこに光の天使が話し掛けた。
「……逃がしてやるのが一番いいよ。こいつらは商人ギルドの有名人だ。こいつらを生かしておけば、ギルドに渡りがつけられるんじゃないの? 異界の品物が手に入るよ。……それに、こいつら殺しても気が済むだけだけど、その後には敵が増えてるかもね〜」
「それは俺の一存では決められんな。しかし、それもそうだな。ふむ……」
「ジークエンド、あんた正気かい? セリアは、クロウは死にかけたんだよ」
「……クーロン。お前こそ何を言っている。それが俺たちに何か関係あるのか? 『ロックボトム』の方針を決めるのは俺だ」
クーロンは押し黙る。すると、アマレロがのんびりとそこに口を挟んだ。
「どうでもいいけどよ〜。あの『バイク』って言ったか? あれ、俺が貰ってもいいか〜?」
「好きにしろ」
その言葉にキリエが反応するが、アマレロと目が合うと下を向き黙った。
キッドには場の流れが少しだけ好転しているように見えた。その気の緩みが、つい余計な一言を言ってしまう。
「ま、待ってくれ。元々あれを運ぶ途中だったんだ。あのバイクは依頼者の元に届けないと……っあぐ!!」
「あんたさん、さっきそんな事言ってなかったでしょうよ。……それと、アマレロがバイクが欲しいんですってよ。てめえらの意見なんて聞いてねえ」
コルテが裏拳でキッドの鼻をえぐるように鋭く叩くと、手の甲にキッドの鼻血が付いた。
コルテは一度舌打ちすると、横で震えている御者の服で、手の甲についてしまった血を丹念に拭いた。
「……じゃあ、あたしは何を貰おうかねえ」
先ほどから喋っていないキリエの前で、クーロンが腰をかがめる。
目の前の日本人——クーロンからしてみれば異世界の人間は、普段のふざけた態度など少しも見せずに震えている。
丸い目が恐怖に濡れている。後ろ手に縛られて前に突き出された胸が、乱れた息のせいで走っているように上下している。……それを見て、ダークエルフの紫色の瞳が爛々と輝いた。
「さて、僕はどうしましょうかね。……じゃあ、残りはぜんぶ僕のもんですね」
残り。……コルテが言ったその言葉の意味が分からないキッドが、問いかけるように言った。
「残りって、」
「銃とか爆発するやつ……ダイナマイトでしたっけ? あれとか。ま、全部もらっときましょ」
「そ……」
「なんです?」
キッドは先を続けられない。そこにジークエンドが畳み掛けた。
「……なら俺も貰っておくか。お前ら全員 服を脱げ。コートが血に濡れてしまった。代わりが欲しい」
縛られていた手を解放され、三人は下着だけ残して服を脱いだ。迷いはなかった。『助かる』方向に話は進んでいる。
「ふむ。趣味に合わんな。燃やせ」
ジークエンドが呟くと、コルテがそれらを全て、焚き火のなかに投げ込んだ。
「あ……!」
「言いたい事でもあるのか?」
その、何も乗せない声に、キリエは口をつぐむ。
「……ふむ。俺たちからはこれ位か。じゃあ後は頑張ってくれ。死なないようにな」
ジークエンドは立ち上がり、焚き火から少し離れる。迅八を残し、他の者も皆そうした。
「ま、待て。どういう事だ? 逃がしてくれるんじゃないのか?」
「俺たちと『そいつら』は別物だ。さっき言ったろう、俺の一存では決められんと。俺たちは手を出さん。後は好きにやってくれ」
焚き火の揺らめきの外からジークエンドが声を掛けると、キッド達の前に人が立った。
「ジ、ジン」
「………………」
迅八は、黙っていた。そして、その目つきは昏い。
「……俺は正直、もうお前らを殴りたくねえよ」
イエリアが結界でキッドの事を守っていたと知った時、迅八はホッとした。
もうこっちの世界には慣れたつもりだった。しかし、キリエが泣きながら這ってゆく姿を目にした時、それは間違いだったと知った。まだ迅八は、そこまで心を決められない。
「……けど、決めるのは俺じゃない。アイツがそう決めたら、もう仕方ない。……お前らも言ってただろ。仕方ないってよ」
……馬車の方から、音がする。
すると、中から人影が二つ出てきた。
キッドの体中の毛穴が開き、そこから汗が流れ出る。
……キッド達は忘れていた。ジークエンドと話をつけたので、もう大丈夫だと錯覚した。この場で一番巨大な存在に、自分達がした事からは目を逸らし続けていた。
——コツ、コツ
そいつは、杖を突きながら歩いてきた。大きな布をローブのように纏い、キッド達に近づいてくる。……キッド達が吹っ飛ばした右手が、ある。しかし左足がない。先ほど炎で作られていた足は、今は消えてしまっているようだった。
すると、現れた男はキッド達ではなく、迅八に向けて口を開いた。
「……よう。この阿呆が」
「ク、クロウ。大丈夫か!?」
クロウの姿は人型だった。
迅八がキッド達を怒りのままに追跡し始めた時には、両腕を失ったセリアと同じように半死半生だった。
今は、生命の危機から脱した様子に、迅八は安堵の息を吐いた。
「良かった……。平気そうだな」
「……大丈夫か、じゃねえわ。てめえから伝わってくる傷が多すぎてよ。てめえは俺を殺す気か?」
「ご、ごめん。それとさ、セリアは……、セリアは大丈夫なのか!?」
「大丈夫の訳ねえだろ。……そっちに聞け」
クロウが指さす方を迅八が見ると、そこには沈んだ顔のアゼルが立っていた。
「アゼル……。セリアは!?」
「……両腕を失った。粉々に吹っ飛ばされたから、くっつける腕がない。もう、回復術じゃどうにもならない」
「お前の力……よくわかんないけどアレは」
「ジン。お前が言いたい事は分かるけど、アレは使えない。条件が色々とある」
アゼルが無表情に言う。
クロウは手に持っていた杖をゆっくりと前に出し、キッド達に近づいた。
「……よう。『絶対強者』。……散々やられたみてえだな。クソガキによ」
キッドの震える足が、勝手に跪く。
元々、奇襲にダイナマイトを使わせるほどに巨大な相手だ。武器を奪われ、裸で立ち向かえるはずなどない。
大悪魔の眉間には深いシワが刻まれている。激怒しているのは間違いない。
しかし、その『怒り』の表情に、キッドは違和感を感じた。……大悪魔の目がちらちらと時々泳ぐ。そして、なぜか困惑を含んだ怒りの視線の先には、常に迅八がいた。
「……おい、ジークエンド。話はどうなってやがんだ?」
「こっちはもう済んだ。煮るなり焼くなり好きにしろ」
「な……!」
話が違う。
確かに、千年の大悪魔は無関係だと言っていたが、けしかけるような事まで言うとはキッドは思っていなかった。
「……そうか。好きにするか」
御者はついにそこで気を失った。
キリエは膝を抱えて震えている。
キッドは息を止めて、クロウの言葉の続きを待った。
「……もうどうでもいい。放っとけ」
キッド達は、その言葉に耳を疑った。
「……待て。何が望みなんだ」
「だあ〜かあら、なんもねえよ。もういい」
キッド達は目を白黒させた。話の流れが理解出来ない。
命が助かる方向で話を進めたいのは当たり前だが、『どうでもいい』などという結論は想定すらしていない。そんな事を言われたら、逆に恐ろしい。
今度はキッドがハッキリと困惑した。
大悪魔の真意を問いただしたい。しかし、終わった話を蒸し返すな、という心の声もする。
キッドの心の中で結論が出る前に、その場に怒りを押し殺した声が響き渡った。
「ちょっと待て。……どうでもいいだと?」
それは、アゼルだった。
すると、焚き火の揺らめきの外に居たクーロンが、アゼルの横に並び立った。
「あたしも聞き捨てならないねえ。あんた、本気かい? どうでもいい?」
「……なんでテメエらが怒り出すんだよ。やられたのは俺とセリアじゃねえか。黙ってろ、機嫌が悪いんだよ俺は」
「機嫌が悪い? ……わかるよ。あたしも同じだからねえ。なんでそれをこいつらにぶつけない?」
「なんでどうでもいいんだ? そいつらに復讐しなくていいのか? 大悪魔のプライドは許すのか?」
クロウの胸の位置に頭がある小柄なアゼルは、ストールの奥から冷たい目で大悪魔を睨んだ。
「本当にうるせえ女どもだ。別にいいんだよ。……どけ。邪魔だ。しなくちゃいけねえ事があるんだよ」
「待ちな」
杖を突き、迅八の元に向かおうとするクロウの胸を、クーロンが強く押しかえす。
「……セリアはどうなる。あの子は両腕を失ったんだよ」
「それこそテメエらの知った事じゃねえだろが。……そもそもな。アイツが勝手にやった事だ。俺にだってカンケーねえな」
「きさま……!」
アゼルが腰のナイフに手をやると、高速でそれを抜き払った。
「関係ないって言ったか? セリアのおかげでお前は死んでないんだぞ」
「はあ? だからどうした」
クーロンが紫色の瞳を大きく見開く。呼吸音が、少しずつ荒くなってくる。
アゼルはその口から泡を飛ばしてクロウに向かい喋り続けた。
「……アマレロから聞いた。セリアがジンを庇ったらしいな。けどな。セリアは、お前とジンが結魂で結ばれてるのを知っていた」
「だあ〜かあら、それがなんだってんだ」
「セリアは、お前を守ったんだっ。ジンにだけは、お前にだけは傷が及ばないように、翼で自分を守らずに両腕を失って!! ……どうでもいいだと!? どうでもいいはずがあるかッ、こいつらを殺せッ!!」
千年の大悪魔は深々とため息をつくと、自分を殺す勢いの女たち二人に言い放った。
「どうでもいい。あの天使がバカな女ってだけの事だ。……くかかかかかか、きかかかかかか……」
「……お前、死ねよ」
神速でアゼルのナイフが振るわれた。流星のようなクーロンの拳が撃ち放たれる。
しかし、二人の攻撃は、クロウの元まで辿り着かなかった。
————————————————
クーロンは、己の目が信じられなかった。
殺すつもりで殴りつけた。アゼルも同じだったはずだ。しかし、クーロンの拳とアゼルのナイフ、それを止めた人間。
「坊や……!」
「……やめてくれよ。二人とも」
自分達の攻撃を受け止められる人間は少ない。しかし、アゼルのナイフは黒い魔剣に、クーロンの拳は片手で受け止められている。
「ジン……お前、そいつの味方をするのか? 結魂で繋がってるからって、そいつの言った事を許すのか!? ……お前がセリアに助けられたんだぞ!!」
アゼルの叫びにクーロンは我に返る。クーロンはそれを忘れていた。クロウを傷つければ迅八にもそれは及ぶ。
だが、迅八が止めるとは思っていなかった。むしろ、これは迅八の役割だと思っていた。
「坊や。ごめんよ。あんたの事を忘れてた。……けど、そいつの言った事は許せない。そいつに取り消させな」
「……クーロン、やめてくれ」
迅八は退かない。
すると、今まで黙っていたイエリアが、場違いな声をあげた。
「ジンがやめろって言ってるからさあ。ごめんね〜。すっこんでてね」
迅八とクロウの方から、見えない壁がクーロン達を押し出す。アゼルが再びナイフを振るうが、それは結界に阻まれた。
「きさま、余計な事を!!」
「あはははは。こわ〜い」
翼を広げてイエリアは宙に浮く。そして、迅八達の元まで飛んでいった。
「ねえねえ、千年の大悪魔。クロウって呼べばいいの? ……ていうか、ほんとに千年の大悪魔なの? らしくない事しようとしてない?」
「……おかしな娘だとは思ってたがな。誰なんだよテメエは。なんで天使がここで遊んでやがる?」
「あははははっ。……めんどくさいから自己紹介は後でまとめてね」
「ごめんな二人とも。……すぐに終わると思うからさ」
迅八はそう言うと、結界の向こう側でクロウと何かを話しだした。
アゼルは口汚く迅八達を罵っている。ジークエンド達は無表情にキッド達を見ている。クーロンは、信じられない思いで迅八を見ていた。
……雨の中で拾った少年は、死にそうになりながらもジークエンドに生きる意思を示した。
これまでの旅で、クーロンは迅八とシズを弟や妹のように見ていた。アゼルの友人になれるかもしれない彼らは、善良で優しい者たちに見えた。迅八と結ばれたという大悪魔も、善良ではないのだろうが、邪悪な存在だとは思えなかった。
「……騙したのかい?」
クーロンの口から小さく、呟きが漏れた。しかしその呟きを、クーロンは自分の中で打ち消した。
……別に騙した訳ではないのだろう。元からそういう奴らだったのだ。
しょせんは悪魔と、それと行動を共にする人間だ。自分の都合しか考えない。
ロックボトムは強いし助けてくれた。だから仲良くしていただけで、元の世界の『仲間』を生かす方が大切なのだ。
後々こちらの世界で利用出来る、商人ギルドの方が大切なのだ。
ダイナマイトの前に出てきたバカな女の事なんて、この二人にはどうでもいいのだ。
「……イエリアって言ったかい」
「ん、クーロンなあに? こ〜わいカオしちゃってさあ」
「この結界をあんたが解いたら、そいつらを殺す」
「出来ないと思うよ〜。クーロンじゃ」
「それでもやるよ。千年の大悪魔だろうが、未知の力を持つ転生者だろうが、必ずだ。……せいぜい結界を途切れさせないようにしときな」
「う〜ん。そういう意味じゃないんだけどなあ……」
クーロンが、その心を冷たく決意で固めた頃、迅八達は普通の口調で何かを話し続けていた。
「……うまくいくの? 本当に?」
「さっきあのバカ女の事は読んだ。 それにあいつとは以前繋がってる。うまくいくだろうよ。……うまくいかなくても知ったこっちゃねえな」
「お前さあ、なんでそんなに口悪いの? 誤解されちゃうよ?」
「誤解も六階もねえだろ。……俺は悪魔だ」
世間話のようなそれに、憤怒がクーロンの頭を灼く。
目の前に殺したい人間がいるのに何も出来ない悔しさに、アゼルが瞳に涙をためて結界をナイフで切りつけた。
……殺意には、上限がない。裏切られた悲しみには果てがない。それを、クーロンは久しぶりに思い出した。
「ねえねえジン、なにするの?」
「イエリア……で、いいのか?」
「うん!」
「ちょっと離れててくれよ。どこに飛ぶか分からねえから……」
「よく分からないけどさ。は〜い。どいてるね」
そして、それは大した時間を掛けずに行われた。
まず、クロウがそのローブを上半身だけ降ろした。そして、両手で杖を握った。迅八はその横に少し離れて立った。
すると、迅八はクロウに向けて大上段に迅九郎を構えた。
「……なにを」
クーロン達が結界内部の異状に気付いた次の瞬間には、それは終わった。
迅八はその刀を打ち下ろした。
クロウは防御する事もなくそれを受けた。
クロウの両腕——女のような細い腕が、飛んだ。迅八の腕も同じ瞬間に飛んでいった。
血を撒き散らして放物線を描き、迅八の腕はクーロン達の目の前で結界に阻まれ、空中でびしゃりと血液が叩きつけられる音がした。
そして、腕は地面に落ちた。
それだけだった。
誰も喋らない。
キッド達は恐れおののいていた。クーロンの先程までの怒りに。また、自分達の方に飛んできそうな怒りに。しかし、場は静まり返っている。
キッドも何も言葉を喋る事が出来ない。しかし、もう何回思ったか分からない思いが、いつの間にか口からこぼれていた。
「……バカな」
満面の笑みでイエリアがクーロンの元に向かう。すでに結界は解いたようだった。
「……ねえねえクーロン。殺すんじゃなかったの?」
アゼルは毒気を抜かれたように、迅八の腕が生えていた場所を見ていた。再生はまだ始まっていない。恐ろしい量の血液が二人分——足元に池を作っている。
「……アゼル」
それは、迅八の静かな声だった。何かを抑えるような、静かな声。
「それを、」
アゼルは動けない。
血の池の中で横たわるクロウが低い唸りをあげる。その体からは、両腕と左足が失われていた。
「……さっさとしろ小娘。俺様の腕が痛み始めるだろうが」
「僕がやりましょ」
いつの間にか、コルテがクロウのそばに立っていた。
「女の腕……。これも変化ですか?」
「うるせえ。さっさとしろ」
鼻から息を一つ吐き出し、血まみれの腕を拾うと馬車の中にコルテは戻る。ジークエンドは笑っている。アマレロは頭をかいている。
そして、とてつもない傷を負った悪魔と転生者——二人は叫び声もあげずに目を合わせると、迅八は残った肘までの腕を使い、不器用にクロウの体を起こした。二人で身を寄せ合い、その場から離れようとする。
「ま、待て……。待てよっ!」
アゼルが二人を呼び止める。迅八とクロウは、何も喋らずに目で応えた。
「あ……、」
アゼルが何も喋れないのを確かめると、二人は暗闇に向かい去って行った。
「……ねえクーロン。だから言ったよね。出来ないって」
その言葉が遠く聞こえる。クーロンがイエリアを見ると、光の天使は頬をうっとりと歪めていた。
「いい……すごくいい。本当にいいよ。アレは」
かくりと。
クーロンの膝から力が抜けた。
見てみると、アゼルもその場にへたり込み、じっと『血の池』を見ている。
「あいつら、は……」
クーロンが独り言のように呟くと、イエリアがその言葉に答えた。
「人間と、悪魔だあああ……。あははははははははっ。天使の為に自分の腕をぶった切る悪魔だ。痛みを恐れない人間だ!! ……そんな奴ら見たことない。最高だああぁ……。あはははははは、あははははははっ!!」
————————————————
迅八とクロウは馬車から離れ、今は森の中にいた。
遠く見える焚き火は豆粒程の大きさになっている。歩いてきた跡には血が点々と——所々が線のように繋がりながら続いていた。
「クロウ……」
「……もう平気だ。誰も来ちゃいねえ」
クロウのその言葉を皮切りに、突然、二人は地面に転がり出した。
「……痛い痛い痛いっ、死ぬ、死んじゃうよ!! 助けてええええッッ!! ……痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いイイッ!!」
「いでえええええええ!! お、俺様の腕が……腕があああああああッ!?」
迅八は泣きながら自分の両腕を見る。そこは、ウネウネと気味悪く蠕動していた。
「痛い痛い痛いィィイイイッッ!! ……クロウ、回復術かけてっ。本当に、本当に死んじゃうよ俺ッッ!!」
「てめえはもう薄っすら生えてきてるじゃねえか。このデタラメ野郎……!! 俺様の方が時間がかかるわあああッッ!!」
クロウは必死に己の傷口に回復術を掛けている。それを、恨みがましく迅八が見つめていた。
「いたい、いたいイィッ!! ……ダメだ。これ、ヤバいって!! 本当にダメだってコレッ!!」
当たり前だ。戦闘でもなんでもない時に、己の意思で腕を切り落としたのだ。その痛みは耐え切れるものではない。
迅八の顔には滝のような脂汗が流れ、その目はピクピクと痙攣していた。
「おい待てッ!! ……てめえ、気絶して楽になろうとしやがるか!? させねえ。させねえぞコラッ!!」
「やめて、やめて……。寝かせて、寝かせてえええッッ!!」
「かっこつけるんだったら最後までやり通せやクソガキがあああ!! てめえ一人で楽にはさせねえ……!!」
迅八とクロウは悶え狂う。
痛いのは分かっていた。痛いどころではない事も。
「マジで無理だよ……。普通の高校生なんだよ俺は!! いてえいてえ、……いたい……ひっ、ひ、ひっ! ひぐっ」
「……おい、てめえ、まさか」
泣いている。ボロボロと涙をこぼしている。
「……なんて情けねえ野郎なんだ」
「ゔ、ゔゔゔゔゔゔ……いだ、いだいぃぃぃいい!!」
目の前で情けなく泣きながら這いずり回る少年を、クロウは色んな思いで見ていた。
クロウの傷は両腕以外はもう痛みはない。左足は失ってしまったが傷口は塞がっているし、魂の再生によりその内また生えてくる。両腕には絶え間無く回復を掛けているのでその内塞がるし、そこからも腕は生えてくる。
今までも、何度でもこんな事はあった。死にそうになる事なんて、何度でもあった。
「……気に入らねえ」
クロウは泣き続ける少年を見る。
キッド達のダイナマイトで吹っ飛ばされた時、突然の混乱にクロウは恐怖した。それはいい。許しがたいが、それすらもよくある事だ。
……ただ、痛みと混乱の中で、あの時、自分は何をした?
「くろうぅぅううう!ぐぅぅうろおおおお!!」
泣きながら自分を見ている迅八の、なくなってしまった左手の辺りを見る。
(……気に入らねえ)
あの時、クロウは迅八の手を掴んだ。強く掴んだ。
「ッッ……!!」
セリアの事もそうだ。瀕死のセリアを見た時、クロウの中でおかしな熱が湧いた。
キリエとキッドは殺してもいい。しかし、恐らくその後にクロウと迅八に降りかかる問題を、セリアは望まない。
「……ねえ、お前冷たくない? 少しは心配しろよ。俺のこと」
「こんな短時間で腕を生やしておいて、テメエの何を心配するんだッ!? こんのクソガキが!!」
痛い痛いと喚いていた迅八が、クロウの方に寄ってくる。いまだその両腕は蠢いているが、すでに形は作られていた。
すると、その手が、クロウの前に差し出された。
「あん? ……なんだこりゃ」
「お前立てねえだろ? ほら」
その手をクロウは髪の毛で弾く。赤と金の長髪は、鞭のように迅八の手を打った。
「ふざっけんな。馴れ馴れしいんだよ小僧」
「お前、今さらなに言ってんの? ……仕方ねえ奴だなあ」
迅八が、再生したばかりの腕を、クロウの残った肩に回す。そして、担ぐように二人で立ち上がった。
「そろそろ戻ろうぜ。……セリアがどうなったかも確かめねえと」
「おい、クソガキ」
「ん?」
「なんで、さっきクーロンとアゼルを止めた? ……ありゃあ普段だったらてめえがする事じゃねえのか?」
——う〜ん……。迅八は頭を捻る。そして眉を下げて言った。
「なんかさ、おまえ、言い過ぎてるな……って思ってさ」
「……はあ?」
「よくわかんないよ。けど、セリアの事はお前がどうにかするって信じてたよ」
「…………」
クロウの頭に、唐突に昔の事が思い出された。ある一人の天使の事が。
長すぎる人生、長すぎる時間。クロウに思い出せない事など山ほどあるし、忘れられない事だって幾つかはある。
「ワルギリア……」
「ん? なに?」
「……ふん。なんでもねえよ。おうコラ、俺様は疲れた。こんな時くらい役に立ちやがれボンクラ」
「はいはい……もう」
その体重を迅八に預けてくる千年の大悪魔に、迅八は苦笑する。遠くで燃える焚き火の光が、少しずつ大きくなってくる。
「セリアさ、大丈夫だよな?」
「……知らねえよ」
その後に続いたのはクロウにしては珍しい声色で、気のせいかもしれないが、迅八の耳にはほんの少しだけ悲しげに響いた。
「……フン。俺には、カンケーねえ」
焚き火まで戻ってきた迅八達は、その炎のそばに立っている青い天使の背中を見た。
「……セリア、良かった!!」
その、両腕がある。
断面だった部分に引き攣れのような傷が残っているが、問題なさそうに腕がついている。
「セリア!!」
「おま、ちょ待っ、……いでえ!!」
クロウを放り出し、セリアに駆け寄った迅八は、そこで辺りの雰囲気が異様なのに気付いた。
「あ、あれ? みんな、どうしたの?」
キッド達が死にそうな顔をしている。
あれだけセリアを心配していたクーロンとアゼルまでもがその顔を青くしていた。ジークエンドはいない。アマレロとコルテはシズと共に馬車の陰で身を丸めていた。
すると、ゆっくりと青い天使が振り返った。
「お……、あ……」
そこには、般若がいた。
その背中に鮮血の翼が浮かぶ。
殺る気満々、意気軒昂、赤い瞳が焚き火の炎を写している。
「……なんで、なんでェェ……? なんでェェ、こいつらが、生きてるのおおオオオ……!!」
「えッッ!?」
クロウが間抜けな声を出した。
「そうね……みんな私にとっておいてくれたんですね。ありがとぉぉおお……!!」
「ちょ、ちょっと待ちなよセリアぁ……。ほら、もうさ、そんな感じじゃないんだよね〜」
「……イエール、……違う? あんた誰よ」
イエリアがセリアをなだめようとする間に、気絶していた御者が目覚めた。そして、最初に目に飛び込んだのは般若の姿だった。
「ヒィィィィィいいいいい!?」
「もう、もうイヤっす……。殺すんなら早く殺して欲しいッス!」
「ス、スタップ、スターーップ!! やめろ、た、助けてくれ!!」
「今から殺してあげます。言われなくってもねええええ……!!」
場は混迷を極めている。
そして、迅八はいなくなったジークエンドを思い、呟いた。
「……なんかあのひと、こういう時はすぐに逃げるよな」
その後、セリアが落ち着くまで少なくない時間が必要とされた。




