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アゲイン×2 《クロスツー》  作者: 紺堂 悦文
第四章 絶対強者
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絶対強者 前編

 



「私、ちょっと疲れちゃいました……」


 セリアの背中から翼が消える。

 するとそれで糸が切れたように、セリアは迅八のすぐそばでへたり込んだ。


「……凄えなセリア」

「ジンくんもかっこよかったですよ」


 そして、今は消えてしまった、翼があったはずの空間を迅八は見る。


「……翼も、魔術なの?」

「いいえ。私たちはこういう体なんです。十二使徒は、アグリアさんとカザリアさんくらいしか私は見たこと無いですけど……」


 二人はポツポツと喋り合う。そして、その会話に空白が訪れると、どちらからともなく、静かに咲いている花を見た。


(こんなものの為に……)


 セリアは思う。

 この少年は、どうかしている。

 しかし、セリアは十二使徒で天使ではあるが、少女の面影を残す女でもあった。目の前の無鉄砲な少年に優しく笑う。


「……けど、素敵です」


 セリアの前で、迅八は疲れ果てた顔で、けれども満足気にその花を見ている。

 セリアの視線に気付いた迅八が顔を上げると、その表情がみるみるうちに強張った。


「……セリアっ。逃げ、」

「え?」


 セリアが振り返ると、切り立った崖の奈落の底から触角(・・)が伸びていた。

それは揺らめきながら、震えながら、その巨体を少しずつあらわにする。

 そして、崖の上まで姿を現したそいつは、薄黄色い液体を並々と溜め込んだ口を、セリアの目の前で大きく開いた。


「え……」

「なっ……五本目!? セリア、逃げろっ」


 迅八が立ち上がろうとした瞬間、最も酸に当てられた左足が、ポロリと取れた(・・・)

 セリアの目の前で、スローモーションの様に全てが動いた。


「うそ……」


迅八以外の者が当たれば、全てを溶かす龍魔術。それが自分に向かって吐き出されるその瞬間に、……突然、横から何かが飛んできた。



「どっっっっっ…………せえええええええええええい!!」



 それがなんなのか、何をしたのか、それすらセリア達には分からなかった。

 ただ、結果としてセリアの目の前から、大きく口を開けた蟲龍の『頭』が無くなっていた。


「な、な、な……!?」


 頭を失い、痛みにのたうちながら暴れる蟲龍の胴体。

それを見て、言葉を失くしたセリアから少し離れた所にそれ(・・)は降り立つと、突然、爆発的な笑い声をあげた。



「……くかかかかかかかっ!! くきききくかかかきははははははっっ!!」



 そのあまりの大声と魔力の波動に、セリアは洞窟が揺れている様に感じた。

 実際に揺れている訳ではない。しかし、確かにセリアの視界は揺れている。


「魔力に、当てられて(・・・・・)……!」


 目眩(めまい)でくらむ頭を振りながら、セリアは突然の乱入者を見る。そいつはセリア達に背中を向けていた。






 ……その赤い長髪は、重力に逆らうようにあちこちに跳ねていた。そして、その中の金の毛の房が、まるで角のように突き立っている。


 褐色の上半身には刺青のように模様が刻み込まれている。しかし、その刺青は、肌の上を動いていた(・・・・・)

 たくましい上腕から鋭く伸びた爪へ。彫り込まれた腹筋から回るようにへそへ。模様は体の各所にその一部を残しながら分離していく。

 まるで一匹の大きな蛇のように動き続けていたそれは、金と赤の毛皮に覆われた下半身——その尻の上で実体化した。


 背中には羽根。……天使のそれとは違う、翼竜のような飛膜の翼。

 下半身には尻尾。……その尻尾の蛇はちりちりと炎を吐き出している。



 そして、爆発的に笑い続けるその横顔。目の前の魔人の邪悪な哄笑の中にある面影(・・)に、セリアは気付いてしまった。

 自分が認めたくなかった『結論』が、目の前に突き付けられた事を。


「……悪魔、魔人。なんで……サジタリアッ!?」






 ————————————————






「……くかかかかかかかかかかかかっっ!! くあかかきかか〜あ!! きかかかきききっ!!」


 意味の無い哄笑を止める事なく、クロウはその内心で、冷や汗を百リットル流していた。



(やべえ……超忘れてた。クソガキぶっちめてやろうとして、セリアの事を考えてなかった!!)



 両腕を広げ胸を張る。天井の穴から空に吼えるように、爆音の笑い声を炸裂させる。

 今は炎で作られた、失ったはずの左足。セリアの水の翼と同じように、クロウは『肉体』として作ったそれを無意味に燃えあがらせる。


(意味ねえ!!こんな事してもなんの意味もねえ!! ……しかし、間が保たねえ!!)


 天を仰ぎ笑い声をあげる『魔人』を、その場の者は全員が驚愕の表情で見つめていた。

 しかし、その魔人の内心は。



(どうするどうする……どうすりゃいいんだ!? ……やべえ、もう帰りてえ!!)



 支離滅裂だった。






 ————————————————






「お前、クロウか!? ……おい、まだムカデが!!」

「うるっせえわクソガキッ!! ……あ〜〜!? こんなの(・・・・)がなんだってんだ!! それどころじゃ」


 頭を失った蟲龍は、もう間も無く死ぬだろう。しかし、その最後の力を尽くし暴れ狂う。


「……バタバタバタバタうるっせえぞ。こんの虫ケラがっ!!」


 クロウが右手を無造作に振るうと、獣の波動が蟲龍に食らいつく。そして、左手はすでに宙に何かを描いていた。


「『西方より来たれぇええい!! ……以 下 略 !!』」


「で、デタラメするんじゃねえ!! なんだそりゃ!?」


 離れた場所からコルテが抗議の声をあげるが、その声を気にする事なく魔人の左手は動く。

 宙に描かれた模様が光を放つと、突然、蟲龍の体が炎に包まれた。


「くあかかかかかかっ、火蜥蜴さえ逃げ出す魔界の炎だ!! ……そこのクソガキには効かなかったがな!!」


 ……ぶわおんっ!! その炎は、蟲龍の体の内部から立ち昇ったように見えた。赤と金の炎の舌が、巨大な蟲龍を舐め尽くす。


 龍魔術を使うに至った『古龍』が、燃えてゆく。ふざけているように放った、クロウのたった一撃で。

 燃えてゆくムカデを前にして、満足気に腕を組んでいる魔人。……ゆらゆらと奈落に消えてゆく蟲龍を眺めていたクロウに、後ろから声が掛けられた。



「ねえ、あなた。サジタリアなんでしょ?」



 圧倒的な力を持つ魔人。その体がピシリと固まった。


「お願いだから、こっちを向いて……」






————————————————






 コルテ達は、息を呑んでその『再会』を見つめていた。

 セリアは鮮血の翼を広げたままで、振り返ろうとしない魔人に語りかける。


「……おかしいと思ってた。サジタリアなんて誰も知らない。死んだっていう奥さんの事も」



 コルテ達からはクロウの横顔が見える。その顔は、情けなく歪んでいた。



「亜人の女の子の所で『首飾り』を見たの。魔力の残滓ざんしを感じました。……これと同じ魔力を」



 セリアが胸元から首飾りを取り出す。……クロウは振り返らない。しかし、その首飾りの鎖が鳴らす音を聞いただけで、体を震わせた。


「……千年の大悪魔からもらったっていう首飾りから、これと同じ魔力の残滓を感じたんです」



 セリアの翼が脈動する。その鮮血の翼は、何かを欲しがる様に揺れていた。













「やべえ……。逃げますか?」

「こんなとこで天使と悪魔が戦うのかい? 勘弁しとくれよ……」

「シズ、俺の後ろに」

「……はい、です?」


 合流したコルテとアゼル達がコソコソと話し合っていると、セリアはクロウに向かい一歩踏み出した。


「……ウソ、ついてたんですね」


 空気が歪む。それを見ているだけのコルテ達が、息苦しさを感じた。


「こっち、向いてくれないんですか?」


 首飾りの鎖が揺れる。その音が大きくなる度に、千年の大悪魔の顔に浮かぶ汗が多くなってくる。



「……アンタ、こっち向きなさいよ」

「ひッッ…!!」



 コルテ達は確かに見た。

 天使の顔が、もはや天使とは呼べなくなっているのを。

 コルテ達は確かに聞いた。悪魔の喉から漏れる悲鳴を。


「……やべえ、逃げますよっ!!」

「苦手。……あたしこういうの苦手なんだよ」

「シズの教育に良くないよ……」

「はい、です?」


 セリアの手がクロウに触れる寸前、クロウは意を決して振り返った。 ……そこには、般若がいた。

その長い人生の朧げな記憶を、クロウは辿る。


(い、ひ、ひおお……!! あ、あの時と同じだ。竜人の女にやられた時と同じだ!!)


 ちなみに、クロウはその時、怒り狂った竜人の女に滅多刺しにされ炎のブレスで焼かれ、半死半生で逃げ出した。

 それを思い出し、震えるクロウに般若が近づいてくると、その手を振り上げた。



(やられる……ッ!!)



 振り上げられた握り拳は、ブルブルと震えている。


 コルテは痛そうな顔をした。

 クーロンは指の隙間からそれを見ていた。

 アゼルは軽蔑するような目でクロウを見ていた。

 シズはよく分かっていなかった。


 クロウが反射的に目を閉じると、その胸に、ぽすん……と、何かが当てられた。






「…………あ?」


 薄目を開く。すると、握られた拳は開かれていて、クロウの顔を確かめるように、その顔の上で動いた。


「な、なんだ……、なんだよ」


 セリアは、自分の額をクロウの胸につけていた。そして、下を向いたままで、クロウの顔を触り続けている。


「……ウソつき」


 気がつくと、鮮血の翼は消えていた。

 すると、伏せられたセリアの顔から、ぽたりぽたり。……一雫、二雫、透明な液体が地面に落ちて、乾いた砂に吸い込まれる。


「……死んでないよね。千年の大悪魔と、戦わなくていいんだよね。だって、本人・・なんだから」



 クロウの顔を触っていた手がゆっくりと降りた。そして、再び握り拳を作ると、弱々しくその胸を叩いた。


「う、ゔっ……ゔぞ、づき。生きてて……くれた。……う、う、ゔゔッッ!!」


 第六位天使が、泣いている。

鼻水を垂らし、呼吸もろくに出来ないほど、激しく嗚咽を漏らしている。


「やだよ……死なないで。ウソつきでもいいから、……やだよっ!!」













(……クズですね)

(クズすぎる……)

(クズが……)

(はい、です?)



 コルテは、複雑な心境ながらもホッと一息つく。最悪の惨状は避けられた。

 しかし、すぐ後ろのアゼルが腰のナイフに手をやった。


「……ちょっとあいつ殺してくるよ。クーロン、シズを頼む」

「アゼル、あんた一人で行かせやしないよ。……コルテ、この子を頼んだよ」

「ちょ、ちょっと待ちなさいってあんたたち!!」


 よく分からない。詳しい事は知らないが、状況証拠だけでも完全なる有罪(ギルティ)

 しかし千年の大悪魔の本気の姿とやりあって勝てるはずも無い。コルテは必死で二人を押しとどめた。






 ————————————————






「……ジンさん」

「イエール?」


 迅八が見上げると、イエールがすぐそばに居た。


「なんで……なんで?」


 イエールが何を言いたいのか迅八には理解出来ない。

怪訝(けげん)な顔の迅八に、イエールは続ける。


「なんで……ここまでするの?」


 やはり、迅八にはイエールが何を言いたいのかが分からない。答える代わりに、すぐそばに咲く小さな白い花を見た。


「……ほら。依頼達成だ。早くんでくれよ」


 イエールはしゃがみ込む。そして、ほんの少しの迷いを見せた後、その小さな花を優しく手折(たお)った。


「……俺には、父さんはいない。母さんも、じいちゃんにもばあちゃんにも、もう会えない」


 会いたいのかどうかも分からない。


「……けどさ。仲良い方が、いいもんな」


 黙ってその花を見つめているイエール。

それを見守る迅八の目に、守りきれなかった花たちが目に入った。そこには、赤青黄色——色とりどりの花が幾つもある(・・・・・)


(あ……)


 怖々(こわごわ)と、迅八は冷や汗を垂らしながら言う。


「そ、その花で、いいんだよね……?」


 イエールは瞳をつぶっている。そして、微かにコクリと頷いた。


「うん。きっと、この花だよ」

「そ、そうか!! ……良かった」

「けど、もう少しだけ……」


 イエールの言い方が、何かおかしい。迅八の頭が疑問符で埋まった。


(ん? なんか、口調おかしくねえか?)






「イエール……、」


 迅八がその疑問を言葉に出そうとしたその時、地面の下から振動が起き、突然地面がひび割れた。


 ……奈落に続く深い闇の淵、イエールの乗っていた地面が崩れる。イエールはとっさにその手で、まだ残る崖の淵を掴んだ。


「地震!? イエールッ!!」


 迅八が手を伸ばすと、イエールは崖を掴む手を自ら離した。


「ッッ!? ……っうおい!!」


 自分の顔をまっすぐ見つめ、奈落の底に小さくなってゆく少女。

 何かを考えるよりも先に、迅八の体は奈落に向かい飛びだした。



 ……ぶおんっ!! 風を切る音が頭蓋に響く。とっさの行動とはいえ、宙に浮く浮遊感に脊髄が痺れる。

どこまでも奈落まで続く穴を、ひたすら下に落ちてゆく。崖の上からは誰かの叫び声がした。



(なんで……、なんで手を離した!?)



 しかし長く考える暇などない。

 この深い暗闇は底なしの奈落に見えるだけで、必ず先にはがある!!


 ……どんどんと深くなる闇の中、真っ赤に燃えるモノがあった。それは壁面に張り付き、その最後の力を振るっていた。


「てめえかっ!! 五本目・・・!!」


 蟲龍は最後の力を振り絞り、その胴体を壁に打ち付ける。そして生命力を全て使い果たした後に止まった。

 蟲龍の死骸を追い越し、迅八は落ち続ける。イエールとの距離は後わずか。


(追いつけねえ!!)


 推進力などなにもない。そして、追いついて、どうなる?

 頭の中に浮かび上がる恐怖を別の感情で塗りつぶす。


(……させねえ。死なねえ、俺は死なねえ!! イエールも死なせねえっ!!)


 うねり逆立つ髪が風圧で流れる。

 体を走る黒線が脈動を刻む。

 生きる意思が、青白い光となり深い闇を切り裂いてゆく。


 青い光が奈落を照らす。

 そして先に落ちるイエールの後ろに『底』が見えた。迅八は手を伸ばす。少女の手を掴もうと。

 伸ばした手、肩の後ろが引き攣れる。蟲龍の酸は背中の穴に溜まり、そこからはまだ止めどなく血が流れ続ける。



 迅八は叫ぶ。今、一番必要な力の名を。

 頭に浮かぶのは第六位天使。

 彼女が振るった、圧倒的な力。



()えろッッ!! ……『(ツバサ)』ああッッ!!」






 ————————————————






「ジンくんっ!!」


 クロウから離れ、セリアは翼を広げた。イエールを追って奈落に落ちた少年の後を追おうとする。


「……待て、セリア。ちょっと見てろ」

「おにいちゃんっ!!」


 奈落に駆け寄り、慌てふためいて自分も落ちそうになるシズの体を、軽々と担いだクロウはその尻を叩いた。


「ひゃっ!」

「うるせえ小娘。いいから黙ってろ。……てめえの兄貴がどんだけふざけたバカ野郎かよく見ておけ」


 クロウの肩からシズを降ろして、アゼルがクロウに食ってかかる。


「ジンが死ねばお前も死ぬんじゃないのか!?」

「丁度いい。お前らにあいつを理解させるいい機会だ。……いいか? バカには二種類いるぜ。ただのバカと、」


 その時、奈落の底から青白い光の柱が立った。その光を見たクロウの顔に、緊張が浮かんだ。


「……よくわかんねえバカだ」



 クーロン達は目を見張る。

 目の前の深い穴から眩い光が炸裂する。


「な、なんだってんだいこの光は……」

「おい、なんか聞こえねえです?」


 コルテの言葉に皆が耳を澄ます。



 ——たぁぁぁぁああああああ……



 ——なんだ?この声は?

 コルテ達が困惑していると、その『声』は微かに、そしてどんどん大きくなってくる。


「ちょ、ちょっと覗いてみなよ。コルテ」

「……嫌な予感しかしねえんですが」


 コルテが中指で眼鏡を押し上げて、奈落の淵に、恐る恐る足をかける。



 ——たああああ、すうううううっ!!



 そして、穴を覗き込んだコルテの喉から悲鳴が漏れた。


「っひっっ!!」

「どうしたコルテ!!」


 アゼルがコルテの肩を引くと、目の前をとんでもないスピードで、何かが上に向かって飛んで行った。



「……たすっっ、けてええええええぇぇぇぇぇ……!!」






 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・







 その場に居た者達は、一人の例外を除き、全員が口をポカンと開けていた。皆が見上げるのは、天井に空いていた大きな穴。

 その切り取られた青空の果てに、遠ざかってゆく黒点が、星のようにキラリと(またた)いた。



「たす、けて? ……は?」

「おにい、ちゃん……?」



 ——こ、殺す気か!? 危うくぶつかるとこだった……

 ——言葉もないねえ……

 ——なんか、私の翼みたいなの生えて……



 それぞれがやいやいと言い合う中で、クロウは一人だけ苦虫を噛み潰したような表情で空を見ていた。



「……はあ。ただのバカでもよくわからんバカでもねえ」



 小さくなってゆく黒点を呆れた表情で見ると、大悪魔は翼を広げた。



突き抜けた(・・・・・)、バカだ……」






 ————————————————






「うおああああああああっっ!! たすけてえええええっっ!!」


 自分がどっちを向いているのかさえ分からない。

重力の制約から逃れた体は、錐揉きりもみしながら空に落ちる。


「と、止まってえええええ!?」


 ピタリと。

その声に反応したかのように浮上は止まり、迅八は、自分がどこにいるのかに気付いた。



 ……遥か足元に、どこまでも続いていそうな草原が広がっている。

美しい滝、雄大な自然、多種多様な生き物達。……あれだけ大きく迅八を圧倒したそれらの存在が、遥か自分の足元で小さくなっている。

そして、耳元で風を切る音に混じり、何かが破裂するような音が断続的に聞こえた。



「出来た……。『翼』が……」



 迅八は、腕の中にしっかりと抱きしめたイエールの、生きている感触を確かめる。

 華奢な体から伝わる熱。そして、胸から伝わってくる鼓動。イエールの鼓動は凄まじい早さで、密着している迅八の胸を叩く。


 風に流れる金糸の髪。紅潮した頬。

そして、ツンと尖った生意気そうな唇が薄く開かれた。


「いい……。すごく、いい……!」


 イエールは大切そうに握りしめた小さな花を、自分の鼻先に持ってくると、愛おしそうにその匂いを嗅いだ。


「……イエール?」

「いい。凄くいい……。なんだこれは……」


 なにか、さっきからこの少女はおかしい(・・・・)


 口調がおかしい。

雰囲気の温度も違う。

奈落に落ちる最中も、泣き喚くでもなく、ひたすら落下してゆく恐ろしいスピードの中で、身動きもせずに迅八の瞳を見つめていた。

 そして、この状況。


 迅八は背中から、まるで血で出来たような『翼』を生やしている。

 人間が、空を飛ぶ。

 イエールは、そんな状況に、全く動じていないように見えた。


「イエール、おまえ……」


 イエールが、まるで白い花を自分の指に見たてたように、尖った唇の前に立てた。



「イエール……?」

「静かに。 ……これはきっと大事な場面だ」



 遮る物の無い蒼天の只中で、二人は世界中で二人きりだ。そばで見ているのは太陽だけ。


「……ジン。手を」


 イエールが左手を迅八の背中に回すと、予想外の力でその体は固定された。

 迅八が、少女の体が落ちないようにと、しっかり抱えていた右手。イエールは優しくその手をほどくと、自分の握っている白い花を迅八にも握らせた。


「けど、どうしよう。……もう少し」


 イエールが何を言っているかが分からない。迅八の瞳には青い空の中で、目の前のはかなげな少女だけが映っている。

 そして、その少女が続きを口にしようとしたその時。













「ところがどっこい。俺様も居るんだなあこれが……」

「どわあああああああああっ!?」


 突然、()から聞こえてきた声に、体が硬直する。そして、迅八は我に返った。


「……つーか、高えええええっ!?」


 その言葉を口に出した瞬間、迅八の体が落ちる。


「うっああああああ!? 落っちるううううううう!!」

「ほれっっ。……流石にこんなとこから落ちたら骨も残らねえわ。てめえは全く目が離せねえ……」


 悪魔がパタパタと翼をはためかせ、尻尾を迅八の腰にぐるりと回すと、迅八とイエールの落下は止まった。


「……や〜っぱり『特別報酬』目当てか? クソガキ」

「ち、違うから、ホント違うから!!」

「そうは見えねえ雰囲気だったがなあ……?」


 クロウは速度を制動しつつ、自らが飛び出してきた洞窟の穴へと降りてゆく。


「んで?」

「は? なにが?」

「なんだよ。その背中の翼は。……てめえは、どこまでデタラメなんだ?」

「お前こそ、なんだよその格好は。悪魔みたいじゃねえかよっ」

「初めっからそう言ってんだろが。千年の大悪魔だってよ!! 」


 足元の大きな穴からこちらを見ている人間達の顔が、少しずつ大きくなってくる。

 面倒臭そうに迅八達を運ぶクロウに、イエールが言った。


「ねえ、待って。……向こうで音がする」


 それは、迅八にもさっきから聞こえていた。

クロウが事もなげに告げる。


「あん? ジークエンドの奴らが戦ってんだろ。……さっきジンパチ(てめえ)の魂を探った時に感じたわ」

「え。なにと戦ってんだ!?」

「知らねえよ。なんかデケえ魂だったが……ん? デケえのが消えてやがるな。行くか?」

「連れてってくれ……って、珍しいな。お前からそんなこと」


 足元でこちらを指差している人間達。その中には第六位天使の姿もある。……クロウはそちらを一度見てから鼻を鳴らした。


「フン。飛ばすぞ。……おい町娘。死にたくなかったら鼻の下伸ばしてるクソガキに掴まってろ」

「の、伸ばしてないからっ!!」


 クロウが空中を蹴るような動作と共に、その飛膜の翼をはためかせる。少しずつ大きくなってきていたアゼル達の顔は、すぐに小さくなった。

 大きく舞い上がってから、風を切るように滑空する大悪魔は胸の中で数々の事を思う。



(ツッコミどころが多すぎるぜ……)



 そしてその内の一つ、迅八が胸に抱く少女を見る。


 ……その視線に気が付いたイエールは、クロウに向けて、笑顔の形に目を歪めた。




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