大魔術
「……あ」
少し先に、白い花が揺れている。
「ジンくんっ!!」
「なにしてる。よけろっ!!」
迅八は、その小さな花に向かって身を投げ出した。
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……鈍い頭痛を感じたシズが、その『機械』にもたれかかると、ふぉん、となにか低い音がした。
「……なっ、おい小娘。てめえ、何に触りやがった!?」
クロウの吠え声に、シズの体が揺れる。
眩い光が部屋全体を包み込み、爆発的な白がその場の人間の網膜を灼いた。
「クーロン!!」
目を閉じながら伸ばしたアゼルの手は、白い光の中で空を切った。
・・・・・・・・・・・・・・・
クロウはその場の誰よりも早く己を取り戻した。しかし、いまだ視界は快復しない。
「……罠か!? それともッ」
「クーロン……クーロンッッ!?」
アゼルの声がする方向を向いて、シズがガタガタと震えていた。
何が起こったのかは分からない。しかし、シズが何かに触ってしまった後、台から光が溢れ出したのだ。
「ごめん、なさい……、ごめんなさいっ!!」
その声のする方向に、アゼルが手探りで近づいてゆく。
「シズッ、シズ! ……クーロンが、クーロンが!!」
「あ、あああ、ごめんなさい、ごめんなさい……!!」
抱き合いながら涙を流す二人の少女。
「クーロン! クーロン!!」
「クーロン……クーロン!!」
「……おい、呼んでんぞ。鉄拳女」
「「え?」」
わんわんと泣いている間に、緑色に包まれてはいるが、アゼル達の視界は快復した。
アゼルが振り返り円台を見てみると、床から一段高くなったその中央で、腰を抜かしたダークエルフがへたり込んでいた。
・・・・・・・・・・・・・・・
「さて……」
クロウは腕を組み、部屋の中を見回した。
もうどこにも異状はない。
アゼルとシズは、クーロンに抱きつき無事を喜んでいる。シズは安堵の為からか、いつまでも泣き止まない。
「ごめんなさい、です。……ごめんなさいっ」
「ち、チビるかと思った……。もう、仕方ない子だねえ。気を付けておくれよ」
「クーロン、下品だよ……」
自分の胸に顔を埋めて泣いているシズの頭を、クーロンは優しく撫で続けている。
そんな三人を横目にして、シズが触ってしまった『機械』に千年の大悪魔はゆっくりと近寄った。
「おいてめえら。そこからどけ」
「ちょっとあんた、なにするんだい?」
「いいからどけって。また光が出るかもしれねえだろが」
その言葉を聞き、三人はいそいそと円台から離れた。三人が離れたのを確認してから、クロウはその『機械』をいじり出した。
「おい、迂闊な事を!」
「うるせえや」
アゼルが慌てて声を掛けるが、クロウは意に介さない。そしてしばらくあちこちいじった後に、つまらなそうにその機械をコツコツと叩いた。
「ふん……。もう動かねえな」
「動かれたらたまんないよ。あんた、それが何か分かるのかい?」
「いや、分かりゃしねえ。だが……」
その『機械』の側面に書かれている文字。クロウはそれに見覚えがあった。
「……門を潜らば、誘わん……遥けきより此方、此方から彼方、彼方より悠遠に至れり、……谺を返す……」
「ちょ、ちょっとちょっと……。あんた読めんのかい?」
「俺様が何年生きてると思ってやがんだ。……しかし、細けえ字だ。直接彫られてるせいで崩れてるもんが多いな。いつの時代のどこの言語だったか……」
「意味は? なんの事なんだい?」
「それは……」
再び腕を組み『機械』を睨みつける千年の大悪魔を、三人は固唾を呑んで見つめた。……すると、クロウは重々しくその口を開いた。
「……分からねえ」
ドッと。
皆が、緊張からの弛緩に思わずズッコケそうになる。
「まあ待て。分からねえってのは、確証がねえって意味でだ。推測ならあるぜ。……おめえらも話くらいなら聞いた事があるんじゃねえか?」
「旧遺跡の噂……。まあ、数え切れない程あるからねえ」
曰く、かつてあった旧文明の遺跡、昔の転生者達の遺産、……他愛ない噂からおとぎ話にまで手を広げて、その手の話は山程ある。
「昔からあったぜ。コレの噂はな。……門を潜れば……悠遠に至る……。その光を放つ円台が『門』だとするなら、単語の断片だけの推測だが、コレが『転移魔法陣』じゃねえのか?」
「……まさか。ただの噂だろう」
「そうかもしれねえし、違うかもしれねえ」
此方から彼方、何処かよりこの場へ。
遠い場所に一瞬で移動できる『魔法陣』の存在は、昔から囁かれていた。
「それとな、見たか? ……光が始まってから、その壁になんか映りやがったな」
その言葉にアゼルが頷く。
クーロンは背中を向けて見ていなかったらしいが、アゼルには見えた。一瞬、壁一面に流れたおかしな文字列が。
「確かに、なにかの文字列が見えたな」
「……だが、もうウンともスンとも言いやしねえ。さっきのが最後の、なんらかの力だったみてえだな。……ま、よかったじゃねえか。転移魔法陣かどうかは分からねえが、力が満タンだったらてめえはどうにかなってたかもな」
クロウがクーロンを見ると、ダークエルフは口元に手を当てて何かを考え込んでいた。
「……どうした? 何かに気付いたのか?」
「そういえば、聞こえなかったかい?」
「なにがだ。焦らすんじゃねえよ」
「声。……なんか、さっき、『声』が聞こえたような……」
アゼルとクロウは思い返す。
しかし、そんなものは聞こえなかったはずだ。
「……気のせいじゃないか? 唐突な事だったし、俺かシズの声かもしれない」
アゼルの言葉に対し、クロウはやはり先ほどと同じ言葉を口にした。
「そうかもしれねえし、そうじゃないかもしれねえ。……で? なんて言いやがった。その『声』は」
クーロンは言い淀む。
自分しか聞いていないのだとしたら、それは少し気味が悪い。
一瞬の迷いの後、鼻から一つ息を出してから、なんでもない事のように言った。
「……見ているぞってさ。……気のせいだね。きっと」
クーロンが軽く言ったその言葉で、場は沈黙に包まれた。
「……まあ、それは置いておく。考えても分からねえもんは分からねえし、それにこれが転移魔法陣だとしても、だからどうしたって話だ。別に行きたい所なんぞねえしな」
それよりも。
冷静を取り戻した四人は、足元を伝わってくる振動に気付いていた。先程から断続的に続いていたそれは、無視できない程に大きくなり始めている。
天井を見ていたアゼルが、シズの頭をかばいながら言った。
「地震か? ……やばいな。また入り口が崩れるかもしれない。クーロン動ける?」
「もう平気だよ。別に怪我したわけじゃないしね」
「……地震ならいいんだがな。嫌な予感がしやがる。そこの小娘のバカ兄貴がなんかやらかしてる気が、」
その時、ひときわ大きな振動が遺跡を揺らした。そして、長々と続く振動の中、クロウの背中に大きな痛みが走った。
「ぐあっ!? ……あんの、馬鹿野郎ッ!!」
「おい。お前背中見せろ!!」
アゼルがクロウの背中に回ると、そこにはまるで巨大な剣山を突き刺したように、幾つもの穴が空いていた。
「う……待ってろ。回復術を、」
「……いや、要らねえ。それよりも急ぐぞ! あの阿呆がどれだけブチ切れてるのか分からねえ。ここはまずいかもしれねえぞ」
すると、洞窟の入り口の方から大きな音がした。まるで何かが崩れるような。
「……まさか、入り口が崩れたのか!?」
アゼルが入り口に向かい走りだそうとしたその時、クロウの体が崩れ落ち、再び苦悶の声をあげた。
「うっっぐあああああッッ!?」
「あんた、背中がっ」
クーロンが大悪魔に駆け寄ると、その背中は酷く焼け爛れ、所々に空いている穴の中から煙が昇った。
クロウが突然、怪我をしたということは、迅八の身に何かがあったということだ。
入り口の様子を見に行くべきか、それともクロウに回復術を掛けるかアゼルが迷っていると、再び洞窟は揺れた。
「……いてえ。いっでえええええっ! あんっの、クッソガキが!!」
「お前、脚がっっ!?」
クロウの足元、そこに脚が落ちていた。まるで根元から切り落とされたように、丸々一本転がる左脚は、その断面が、酸で溶けたようになっていた。
「アゼルッ、クロウに回復術を! ……あたしは入り口を見て、」
「待ちやがれっ。クーロンッ!!」
クロウの声に、クーロンは返しかけた足を止める。
「あの野郎、すぐそこに居やがる。……この壁の向こう側だッ!!」
クロウは魂の気配を探る。
……すぐそこで、迅八が何か巨大な魂と戦っている!!
「入り口なんて必要ねえ。今から出口を作る……!!」
怒りを圧し殺し、吐き出される言葉に、その場の者が息を呑む。
「……あんのガキがああッッ!! 脚なんぞつけときゃ治るがな。痛くねえ訳じゃねえんだよ。……いつもいつも、いつもいつもよおおっっ!!」
クロウの体が、ミシミシと骨を軋ませながら人型になる。結魂の事も人間形態の事も何も分からないシズは、さっきから目を白黒させていた。
「……クーロン。てめえ前に言ってたな。本当の姿かってなあ!!」
その人間形態の体に彫られた刺青が形を変えてゆく。肩の後ろが歪に盛り上がる。手に生えている爪がまるで魔獣のそれの様に尖りだす。
「……これが、『本当の姿』だ!!」
揺れている。遺跡の部屋が揺れている。千年の大悪魔が、『本当の姿』に変わってゆく。
(こ、こんな魔力、化物……!!)
波打つ波動から顔をかばいながら、クーロンは自分の足が震え出すのを感じた。
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「う、ぐ、うううううっっ!!」
背中が無くなった。
余りの衝撃と熱に、迅八はそう錯覚した。
蟲龍の鋭利な脚で穿たれた背中には、幾つもの穴が空いている。そこに酸のブレスは直撃した。
背中の表皮は一瞬で蒸発した。真皮を焦がし、穴から内部に染み込むように、その酸は迅八の体を侵す。
迅八は、体を丸めた。
痛みからではない。自分の顔の下にある、小さな花を守る為に。
「ジンくんっ!!」
「撃てっ。コルテエエッッ!!」
「『西方より来たれ……。其が名は静寂。暗き聖者よ……!』」
コルテを渦巻く雪の結晶、それが形をとってゆく。
……初め、それは巨大な足のように見えた。そこから上に向かい、雪の結晶が渦巻きながら登ってゆくと、腰が作られ、胸が作られ、まるで女の体が出来上がってゆく。
「『天の原より降れ。地の園より至れ。……いと高き人、猛き者よ。我が供物を受け西方より参れ……』」
……悲鳴が聞こえる。
雪の結晶で象られた美しい巨人の顔、その口から歓喜を歌う悲鳴が聞こえる。
「……ムカデにはもったいねえ。いい女だ。楽しめ」
コルテのその声と同時に、雪の女神が宙を滑る。まるで愛しい男の元に駆け込むように、一直線に蟲龍の左の頭に向かう。
すでに黒陽は消えた。しかし蟲龍が自由を取り戻す事はなかった。動こうとした左の頭、それを雪の女神は許さない。
蟲龍の巨大な胴体に抱きつくように腕を回すと、その頭に口づけをした。
『アアアアアアアアアアアッッ』
バリン、バリンと。パキンパキンと。氷に水をかけたような、細かく何かが割れる音。
女神が歓喜の悲鳴を高め、その腕に力を込める。
『……ィィィイイイイイイイッ!!』
その音は、女神の歓喜だったのか、蟲龍の絶望だったのか。
その声が鳴り響いた後、雪の女神と巨大な蟲龍は、抱き合い地面に倒れこむ。そして、地面に達したその瞬間、溶け合うように砕け散った。
「すげえ、な……大魔術……!」
目の前で繰り広げられる、おとぎ話の戦い。倒れこみそれを見ていた迅八の背中は、痛覚すら鈍い。
ただ、疼くような熱を感じる。そして、止まらない血液と共に力が抜けてゆく。
「酸が……」
……身体の回復が、遅い気がする。迅八からは見えないが、その酸はまだ背中に残り、侵食を続けていた。
(けど、良かった……。半分魔術って言ってたからな)
迅八には魔術は効かない。なので、龍魔術で強化されているという酸のブレスも、自分には即死する程のものとはならないと思っていた。
「けど、……いっっ、てぇえ」
「……ジンくん。よく頑張りましたね。キュンとなりました」
迅八のすぐそばを、青い天使が通り過ぎる。ゆっくりと。歩くように。
「……だから、ちょっと本気でやります」
広がる翼。
川の流れのような、寄せては響く波のような。しかし、その色と動きが、少しずつ変わってゆく。
「……十二使徒第六位。『青き鮮血』のセリアが 」
青い翼が、赤く変わってゆく。
流れる水のようだった動きが、どくんどくんと刻み出す。
「セリア……?」
迅八の目の前で、その天使の水の翼は、まるで脈動する血液のようになった。
そして、それは大きく、歪に肥大する。
ひゅん、という音が幾つも聞こえた。
血の翼は、その羽根の一枚一枚を鋭利な鎌の形にして、右と左から包み込むように蟲龍に襲いかかった。
「大したもんですね……」
コルテは、バラバラになり崩れてゆく蟲龍を、荒い息を吐きながら見つめていた。
「だるま落としじゃねえんですから……」
『古龍』の体が、まるで厚めにスライスされたハムの様に、やすやすと切られてゆく。
「しかしまあ……疲れた。クロウは、ずっとこんな奴と一緒に居たのか?」
花をかばうようにうずくまっている少年を見て、骨の髄の疲れを絞るようにコルテはため息を吐く。
(嫌な事を思い出させやがって……)
迅八が言った言葉。
コルテは、ロックボトムは、よく知っている。
やるべき時にやれなかった人間が、引いてしまった人間が、どんな思いで生きているのか。
(いや……)
自分の心の声を誤魔化してもなんの意味も無い。思い出した訳ではない。そもそも、忘れた事などないのだから。
戦闘が終わり、一瞬の隙を突くように暗い想念に囚われる。しかし、それも長くは続かなかった。
セリアは細切れにした蟲龍を一瞥すると、迅八の元に踵を返し、やはりコルテと同じようにへたりこんだ。
いくらムカデとはいえ、『古龍』と全力の戦闘を行ったのだ。その精神も肉体も、くたびれ果てている。
しかし、コルテの目に飛び込んだのは、奈落に続く深い穴から這い出てくる、想定外の存在だった。
「な!? ……『五本目』だとっ!? まだいたのか!!」
そして、その驚愕の声はかき消された。背後から聞こえてきた、爆発するような破砕音。
「こ、これ以上、何か出てくるのかっ!?」
コルテは振り返る。そして、土煙りの中に浮かぶ影を見た。
……背筋が凍る。肺が萎みそうになる。生まれて初めて感じる程の、規格外の魔力の波動。
その土煙りから外れて踏み出された左足。それは、炎で出来ていた。




