冒険者ギルド
(……寝れねえな。うん、全く寝れねえ)
部屋の中にはクロウの豪快なイビキが響いている。時折……長い時には一分くらい間を空けるその音は、どうにも気になって仕方がない。
そして、迅八にはそれ以上に気になる事があった。
日本人である迅八からすれば大きめに作られているそのベッドは、しかし二人で寝るようには作られていない。
それなのに、ベッドの真ん中では美しい女が、迅八の方を向いてすやすやと寝息を立てている。
迅八はそれに触れてしまわないように、ベッドの端で落ちるか落ちないかの戦いをずっと続けていた。
(ちっちゃいな〜。顔……)
クーロンは身長が高い。そのくせ、迅八よりも顔は小さい。スーパーモデルのように均整の取れた肉体に、更に美しい筋肉をまとっている。そんな女が迅八のすぐそばで寝息を立てている。……幸せそうなその寝顔は、迅八に微笑んでいるように見えた。
(ダークエルフとか言ってたな……。耳、尖ってるもんな)
クーロンのショートヘアの横から、突き立つように耳が伸びているが、亜人を多く見た迅八は今まで特に気にする事もなかった。
ひょっとしたら、ただ耳が長い人間かもしれないし、あるいは亜人かもしれないとは思っていたが、迅八に重要なのは、クーロンは優しいという事実だけだ。
(お姉ちゃん、かあ……)
本当に居たら、こんな感じなんだろうか。
そして、ロザーヌの事を思い出した。
亜人の家族のお母さんであり、迅八を弟のように可愛がってくれた亜人。
(シェリーもルシオさんも、元気かな)
シェリー達を思い出していた迅八の前で、クーロンの黒い瞳が薄っすらと開いた。
「……んにゃ、ん……坊や、あんた、なんでそんな端っこで寝てんのさ」
「いや、だって」
「も〜、気にしないでいいからこっちおいでったら」
「いや、本当大丈夫だからさ。寝れるから」
「んにゃ……もうほらほら、あたしゃ寝るからにぇ……すぴー」
クーロンがその長い腕を伸ばすと、迅八の体は簡単に引っ張られた。そのまま形の良い胸元に迅八の頭を抱き寄せる。そしてそのまま再び寝てしまった。
(う、うひいいいぃぃぃ……。や、やわらかっ。そして、そして弾力が……!!)
フィレットのどこまでも柔らかかったそれとは違い、しなやかな筋肉と柔らかな脂肪が混ざり合ったクーロンの胸は、高級な革製品のように艶やかで張りがある。
そして、フィレットの事を思い出した迅八は、自己嫌悪に包まれた。
(これじゃ俺もあの大悪魔と同じだよ……。なにを比べてんだ。アホか……)
しかし、同時にもうひとつの事にも気付いてしまう。フィレットと一緒に寝た時に感じた、体の芯から湧き出るようなおかしな熱。それが無い。……無い、は言い過ぎだが、明らかに少ない。
その理由を、迅八はまどろんできた頭でぼんやりと考えた。
(……お姉ちゃん、か)
本当にいたなら。こんな感じだったらいいなと。……迅八は、キュッとクーロンの腕を掴むと、ゆっくりと眠りに落ちた。
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……花畑か。
迅八が何度か見た景色。気が付くとそこに立っていた。
……もう何回目だ? あれ?
黄色い花畑ではなかったか?
しかし迅八の目の前では、一面に桃色の花畑が咲き乱れていた。
……あれえ、こんな花畑だったか? それに、『父さん』は?
迅八が疑問を感じていると、後ろから誰かにその手を引かれた。
……ん、あ、あれ? フィレット?
振り向くと、そこにはフィレットがいた。
収穫祭で身に付けていた花嫁衣装を着て、フィレットが迅八の手を引いている。
しかし、その服装。
蜘蛛と戦ったときのように、その胸ははだけ、下着が膝の間までずり落ちている。
……ジンくん、最後も、いいよ
そして、引かれた手がフィレットの胸まで導かれる。
……いや、ちょ、ちょちょ!!
その凶悪な大きさを誇る二つの山に触れる寸前、また別の手に横から引っ張られた。
……もう、お母さんって呼んでくれればいいのに
引っ張られた先にはスーローンが居た。
常に魅了の魔術を振りまいているような魔性の美貌。豪奢なローブから大きく突き出している胸に、迅八の顔をうずめさせる。
……お、おおっ、息が、息があああ!
その圧倒的な質量と快感に、迅八は逆らえない。するとまた後ろに体を引かれた。
なすがままに流れる体が、とん、としなやかな筋肉に包まれた。
……坊や。今は眠るんだ。『お姉ちゃん』とね
後ろから聞こえる声に振り向く前に、気が付くと右手を黒髪の美しい少女に握られていた。
……おにいちゃん、『取るに足りない』よ
左手が幼い少女に引かれる。
……ジンにいちゃん、『知ったことか』だよ
気が付くと辺りから人は消え、目の前には美しいけれど淋しそうな顔をした、一人の少女だけが立っていた。
赤毛の髪のその少女が顔に巻きついていたストールをほどくと、その下からは火傷の跡が現れた。
……ジン。俺の名前を呼んで
その少女は少しずつ服を脱いでゆく。
……ほら、名前を
ア……
……ほら
少女がズボンを脱ごうとする。
しかしその下にはあるはずの下着を履いていないはずだ。それを知っていた迅八の心臓は、どんどんと拍が速くなる。
そして視線がそこに吸い寄せられる迅八を見て、赤毛の少女は柔らかく微笑んだ。
……呼んで。私の事を
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「ア、アゼルーーーーッッ!!」
「キャっ……!? や、」
「アゼルうううううぅぅぅっっ!!」
「ひ、ひいいいいぃぃぃっ!!」
寝ぼけた迅八の下で、赤毛の少女の顔からストールがずれる。すると、そこからは痛々しい火傷の跡が見えた。
「アゼルぅぅ……ア、アゼルううぅーっ!」
「や、やめ、やめてっ……。や、やめろおおおおおッッ!!」
「ひぎっ!? ……あ? 朝?」
横隔膜を引き裂かれるような痛み。そこで迅八の意識は覚醒した。
窓からは燦々と日の光が差し込んでいた。その窓に近い隣のベッドでは、クロウが身をよじって苦しがっている。その光景を見ていた迅八の下から、恐れを含んだ声が響いた。
「な、なに、それ……」
迅八の下では赤毛の美少女が驚愕の眼差しで迅八の下腹部を見つめていた。……そこでは『自由貿易ヒルズ』が、こんもりと己の存在を主張していた。
「な、なんなんだよそれ……なんで、」
迅八は、なんとなく理解してしまった。
(……ああ。あの桃色の花畑は、夢だ)
そして、その夢の続きを自分の下で組み敷かれている少女に、自分はしようとしているらしい。
そこまで考えたところで、これから自分が辿る運命も、迅八はなんとなく理解した。
「……なあアゼル。これも、夢ってわけにはいかねえかな?」
「……祈れええええッッ!!」
そして、鶏の鳴き声の代わりに、迅八の叫び声が朝の宿に響き渡った。
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迅八とクロウは、二人で自由貿易都市を歩き回っていた。
「おうコラクソガキ……。てめえは、俺様に恨みでもあんのか!? 俺はこれ以上、てめえに何をしてやればいいんだ!?」
迅八の肩の上で子狐が吠えたてる。
寝ているところを結魂により迅八から伝わってきたダメージで、クロウも眠りから起こされた。
そして、人型で寝ていた裸のクロウも、やはり自由貿易ヒルズをアゼルに見せつける形となった。結果、なぜかとばっちりを食らいボコボコにされた。ボッッコボコにされた。
寝ぼけていた大悪魔は反撃する事もなく、目の前で怒り狂っている少女に、男の本能から謝り倒した。
「いや〜、しかし怖いよなあ女ってさ。シズはあんな風になって欲しくないなあ……」
「聞いてんのかてめえはっ! ……おう謝れ。俺様がアゼルに謝った分だけてめえが俺様に謝れや!!」
アゼルは、朝になったら姿が消えていたシズを探しに、迅八達の部屋に来ていた。クーロンの姿が見えなかったので仕方なく迅八を起こそうとしたら、突然ベッドに引きずり込まれたのだ。
そして、自分に汚いものを見せつけてくる二人の男達に、天誅を下して帰っていった。
「……けどさ。勝手に部屋に入ってきてアレはひどくねえか? 朝だったら仕方ねえよな」
「てめえは朝だったら誰彼構わずベッドに引きずり込むのか? ……はあ。もういい。もういい……」
迅八の肩の上で、子狐はうなだれると腹を鳴らした。それを聞いた迅八の腹も鳴る。
「メシも食いたいよな。今頃みんなは宿で豪華な食事だぜ。畜生、アゼルの奴め……」
シズはキリエ達と一緒にいた。
朝起きて顔を洗いに行ったら出くわして、色々と話したりしていたらしい。今はジークエンド達と一緒に宿で食事をしている。迅八とクロウはアゼルに追い出された。
「おうジンパチ、和食が食いてえぞ。うまい和食でも食おうぜ。シャケだシャケ」
「俺も納豆とか久しぶりに食いてえけど、さすがにないだろなあ。お前、その姿で和食は無理なんじゃない?」
今はセリアもいないので子狐でいる必要はないのだが、人間の姿になれば服が必要になる。いちいちそれは面倒なので、クロウは最近ずっと子狐のままだった。
「むう……。んじゃおにぎりだ、シャケおにぎり。それとミソのスープだ。漬け物も食いてえ。キュウリな!」
「はいはい」
和食も洋食もこの自由貿易都市にはなんでもある。料理のレシピは特に『特許』とされていないようで、現地の物と合わせて雑多な食文化が形成されているようだった。
石造りの町の広場を眺めながら、迅八は知らない世界を楽しんでいた。近くの屋台でおにぎりと味噌汁、漬け物のセットを二人分買う。併設されていた長椅子に座り、迅八とクロウは久しぶりに二人だけで食事をした。
「コルテさんはあんま和食作ってくんないからなー」
「似合う皿がねえからとか抜かしやがるからな。あの眼鏡は。……細けえ野郎だぜ」
どうでもいい会話をしながら食事をしている二人を、時々、町の人間が横目に見て通り過ぎてゆく。
「……なんか、時々見られるよな」
「まあ、話す魔獣が町の中に居るのも、珍しかねえが当たり前でもねえからな。それにおめえの腰の刀も、人間からしてみりゃ珍しいんだろうよ」
迅八が腰に佩いている『迅九郎』は高価な物だ。見る人間が見れば一目で分かる。
「へー」
「おめえは本当に間抜けな、……いや、やめとこう。俺様が情けなくなってきやがる」
迅八は子狐の言葉を聞き流して町の様子を眺めていた。
迅八が元の世界で見た既視感のある物や、まるで見たことのない美しい建物、歩いている人間達も多種多様な服装や髪型をしている。
そして、そう遠くない建物に人の出入りが多い事に気付いた。一般的な服装と違う人間、鎧や武器を身につけた者達が多く出入りしている。……元の世界では絶対にありえない光景。
「なあ、あそこってなんだろ?」
「ん? ……あそこはギルドだな。冒険者の溜まり場よ。教会と一緒になってないタイプのやつだな」
「へえ……冒険者ギルドかあ」
「気になるんだったら行ってみるか。俺様も見てえもんもあるしな」
「え、いいの? 天使が居たらやばいんじゃ」
「おめえは今更なに言ってやがんだ? いま宿でメシ食ってる中に混じってんのが誰だか分かってやがんのか?」
十二使徒第六位。そう言えば、そんなのがすでに迅八を黙認していた。そして恐らく第三位も。
「……ま、カザリアの一件は、天使達にとっちゃどうでもいいみてえだな。それよりベドワウの事で指名手配になってるかも知れねえ。そっちのが今となっちゃ気になるな。……もっとも天使の全員が俺達を見逃すとも思えねえ。そこのギルドにゃおそらく天使はいねえが、様子がおかしかったらさっさと逃げ出すぞ」
そして、食事を終えた二人はその建物の前に立った。
建物の前には大きな看板が張り出されている。そこには剣と盾の意匠が彫り込まれていた。
「おおー、それっぽいなあ!!」
「……はしゃいでんじゃねえや。ほれ、さっさと開けろよ」
子狐に促されてその扉を開ける前に、迅八は建物を見上げた。
——恐らく、クロウと結魂を結ばなかったら自分は初めにここに来ていたのだろう。そして教会に行き、天使の加護を受け、この世界での知識を学ぶはずだったのだ。
しかし、どういう訳だか迅八は、悪魔の加護を受けて天使を殺して人間を殺して、どこにでも堂々と行ける身分ではなくなってしまった。
(……けど、それがなかったら、静の事は救えなかった)
今は千年の大悪魔と、忌々しい大悪党と行動を共にしている。それでもその『運命』に迅八は感謝していた。妹を、シズを助けてくれた存在達に。
迅八は目の前の扉に手を掛けるとそれを勢いよく開いた。
そこには迅八が初めに見るはずだった……そして、これから初めて見る光景があるはずだ。
……『運命』は、どこにでも転がっている。例えば、扉を一枚隔てた向こう側とかにも。




