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アゲイン×2 《クロスツー》  作者: 紺堂 悦文
第四章 絶対強者
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自由貿易都市

 



 迅八達が『自由貿易都市』に向けてオズワルドを発ってから、約一ヶ月以上が経過していた。


 本当なら二週間程で到着する予定だったのだが、ロックボトムの面々は、目的地に着く事よりも、情報収集や寄り道を優先させた。

 途中、立ち寄ったある町で、迅八はクロウに頼み事をした事がある。



 ——なあ、お前さ、シズの事も喋れるように出来ないの?

 ——あん? 出来るに決まってんだろが

 ——じゃ、じゃあさ、悪いんだけど、頼めないかな? お礼は必ずするから



 迅八の視線の先では、シズがアゼル達に言葉を教えてもらっていた。しかし、アゼル達には日本語は分からないし、シズにはこちらの言葉が分からない。


 はい、いいえ、ありがとう、ごめんなさい——ジェスチャーでなんとなく意味を伝えられるそれらの言葉とは違うもの……文法だったり『決まり』の事だったり、ちょっと複雑な単語なども教えるのに難航しているようだった。



 ——おめえよう、本当に俺様があっさり喋れるようにしてやっていいのか?

 ——だって、言葉覚えるなんて大変だろ?



 少し離れた場所で、皆がなんやかんやとシズを囲み、コルテが本を読んで聞かせたり、セリアがなぜか一緒になってコルテの話に引き込まれていたり、それを見たクーロンが茶々を入れたりしていた。

 つまらなそうにそれを眺めていた子狐(クロウ)は、迅八に視線を戻すとため息を一つ。


 ——てめえは本物の抜け作なんだな。ま、どうでもいいが、おりゃあやらねえよ。テメエの礼なんぞたかが知れてるわ。それよりもセリアが居るからそろそろ離れろ






 その後、小さな集落を見つけては立ち止まり、大きな町で宿を取り、今はやっと自由貿易都市がその視界に入ってきた位の場所だ。

 遠くに見えるその町の威容に迅八が息を呑むと、その横で軽快な鈴の音がした。


 ——チリンチリーン


 その光景にももう慣れた。

 迅八達が乗る馬車の横を、『自転車』が走り抜けてゆく。初めてそれを見た時は、迅八は口をあんぐりと開けてしまった。


「……ちょ、ちょ〜っっ!? 自転車、自転車だろアレ!!」

「うるさいな。お前は自転車も見た事がない田舎者なのか?」

「アゼル、なんでそんなに平気なの!?」


 なぜ自転車がこの世界に。迅八の疑問に答えるように、ジークエンドが腕を組んだまま言った。


「アレも転生者が作った物だな。簡単な原理の物だが、今まで誰も思いつかなかった」


 迅八が見た所、それは一部を除いては木製の自転車だった。しかし、鉄製のチェーンはしっかりとハブと噛み合い、車輪にはゴムが巻いてあるし、サドルも尻が痛くならないように工夫されている。


「なんで自転車はゴムなのに、この馬車はゴムの車輪じゃないの!?」


 もう迅八の尻は限界だった。

 場合によっては悪路を走る事もあるし、木と鉄で出来た馬車は、迅八が長時間乗っていても平気でいられるほど優しい乗り物ではなかった。

 すると、騒音に混じり、御者台からのんびりとした声が聞こえた。


「お〜? そりゃあんな辺境にはねえよ。馬車用のゴム車輪なんてよ〜。安いもんでもねえしな〜」


 迅八にはまだ知るよしもないが、それは転生者達の知識と、この世界全体の文明レベルの(へだ)たりから生まれた問題の一つだった。


 迅八は目にしてはいなかったが、辺境にも自転車はあった。驚く程に便利だから、自転車の存在もすぐに世界に広がった。しかし、なかなか量産は出来なかった。いくら転生者達の知識があっても、それを量産する為の体制など出来はしなかったのだ。


 転生者達の知識は、基本的に偏っている。そして、中には例外もいるが、ほとんどの転生者の知識は広く浅く(・・・・)だ。

 自転車の部品が揃っていれば、誰にでもなんとなくなら組み立てられるだろう。しかし、細かな部分はわからない。


 どうすればゴムから車輪が作れるのか、サスペンションがなかったらどれほどの衝撃が伝わるのか、スポークに適した本数も、チェーンを巻きつける後輪真ん中の歯車のような部分……そこをハブと呼ぶ事もほとんどの人間は知らないし、ハブに適した凹凸(おうとつ)の数だって知りやしなかった。

 それらは時間と試行錯誤を重ね、この世界の住民との共同作業で少しずつ片付けられた。


 そして今、その結晶が迅八の馬車の横を通り過ぎる。


「……なんかさ、思ってたよりも早いんだな。自転車って」

「ふむ。そうだな。しかしあれは急いでいるようだし、ここはまだ整備されている方の道だ。馬車は乗っている俺達は疲れんし、結局は馬車の方が便利だろうな。もっとも近場の移動ならあれに勝るものは無いかもしれんが」


 ジークエンドの言葉に迅八は頷く。

 自分の元の世界、日本でも近場の移動なら自転車が一番だった。経費も考えたのなら、ある程度の距離までは他の乗り物と比べても自転車の勝ちだろう。


「は〜、今まで色々と驚かされたけどさ、これはなんか、違う驚きだよ。そっかあ……自転車あんのかあ」


 迅八は驚きを口にしたが、この世界の最先端・・・を見た気でいた。そして、その考えは裏切られる事となる。






 ————————————————






「おいおいおい……。あれ、ビルだろ? なんでビルが建ってるんだよ。ここは、中世ヨーロッパみたいなとこじゃねえのか!?」

「凄い、です……!!」


 幌付ほろつきの馬車から身を乗り出して前方を見る迅八の横で、シズも覚えたばかりの言葉で驚いていた。遠く見える自由貿易都市、その中心には元の世界でのタワーマンションのような、高層建築物が屹立(きつりつ)していた。


「ほら、危ないよシズ。こっちに戻ってきなよ」


 アゼルの言葉も聞こえない程にシズも興奮していた。

 長くはない旅路の中で、シズは言葉を習ったり、この世界の事を観察したりしていた。しかし、遠くに見える高層ビルは、その知識を大きく裏切ったようだった。


「マジかよ。なんなんだよ、この世界は」


 思わず日本語で呟いた迅八の言葉に、シズもこくこくと頷いた。

 本当に少しずつ近付いてくる威容の町。まだ今は遠いその町を、迅八は言葉を失くして見つめていた。



 馬車が自由貿易都市に着く頃には、すでに日は暮れかかっていた。

 薄暗い夕暮れの道で、迅八が馬車から降りると、そこには『電光掲示板』のような物があった。



『自由貿易都市へようこそ』



 そう書かれている立て札は、正確には電光掲示板ではない。魔光石と石材で作られたそれは、ぼんやりと光ってはいるものの、電気が使われてはいない。

 しかし、その発想・・。闇夜でも見えるように作られたそれは、やはり迅八の目から見たならこの世界にはそぐわない物だった。


「……どこまで驚かせてくれんだ」


 呟きのような迅八の言葉を聞き、クーロンが迅八の頭を優しく撫でる。


「坊やは田舎の出身なのかい? 町の中に入っても気絶すんじゃないよ」

「い、田舎もんじゃねえし。俺は都会の出身だって」


 その様子を見たクーロンは、微笑ましく迅八の手を引き寄せた。


「はは、そうかい。悪かったね。……けどね、腰が抜けそうになったらクーロン姐さんの腕にしっかり掴まるんだよ」

「掴まらねえよ。なんだよ、子供じゃねえんだから」


 しっとりとした、クーロンの手。

 鍛え上げられてるはずのその手は、何故か無骨な感じがしなくて迅八は恥ずかしくなり、さりげなく手を離した。

 しかし、少年はすぐにその手に掴まる事になる。


「……な、なあんでええぇェェ……」


 ……自由貿易都市の中に入ると、迅八の横を巨大な鉄の塊が通り過ぎていった。それは、元の世界では『車』と呼ばれていた。


「はい……です……ありがと、です」


 シズもアゼルの手をしっかりと掴み、訳の分からない事を言っている。その様子を見た青い髪の天使——セリアはクスクスと笑っていた。


「そうですよね。初めて見たらびっくりしますよね」

「いや、初めて見た訳じゃねえよ。むしろ毎日見てたよ!! ……けどさ、この世界にもあんの!? 自動車アリなの!?」


 それは迅八が見た事のない、蒸気自動車と呼ばれる物だった。それが迅八の横を通り過ぎていく。

 シズの胸に抱かれた子狐(クロウ)も何か喋りたそうにしていたが、迅八に向かい話しかけるセリアの姿を見て、その目を伏せた。


「ありますよう。あれも転生者の発案です。けど、民間に出回ってる自動車は実用的なものじゃないんですよ。スピードもあんまり出ないし、高価だし、走り出すのに時間も掛かるし。……新しい物好きのお金持ちが、趣味で乗り回してる感じです」


 それでも、『自動車』は迅八の想像を遥かに超えていた。ここは、天使や悪魔が存在する、剣と魔法の世界だった。そして、警察が存在しない程に法律すら整備されていない世界のはずだ。そのくせ、原始的とはいえ自動車が走っている。

 そのちぐはぐ(・・・・)さ。それが迅八の頭の中で、なかなか納得をもたらさない。


「どういうことだ。なんかの理由があるのか……?」


迅八の独り言はそのまま消え、セリアは迅八に話し続ける。


「完全に日が暮れる前に見れて良かったですね。そろそろ自動車の禁止時間になりますから」

「……禁止時間? なんだいそれ」

「危ないから夜は走っちゃダメなんです。それに、自動車が横を通ると馬が怯えるんで。暗いところで馬が暴れ出したら大変ですしね」


 しかしその言葉は途中から迅八の頭の中には入ってこなかった。また気になるものを見つけてしまったからだ。


「うおお……今は『十七時』くらいかあ!!」


 少し離れた場所に『時計台』があった。

 迅八の見慣れた長針と短針が、この世界の数字が書かれた円盤の上で今の時間を指し示している。


 迅八は詳しくは知らなかったが、時計の歴史は元の世界でも長い。

この世界に時計があってもおかしくはないし、転生者の知識があれば尚更だが、その『時計台』は、迅八にとっては元の世界の匂いを強く感じさせる物だった。

ファンタジーに出てくる勇者が腕時計をはめている所なんて、想像した事もない。


 色んな気持ちで迅八が時計台を眺めていると、そのそばを人間が避けるように歩いていく。どうやら往来の邪魔になっていたらしい。


「あ、ごめんなさい……んあ?」


 今、いい匂いがした。

 通り過ぎた男が頬張っていたものに見覚えがある。


「ホ、ホットドッグ……?」


 先程からその様子を見ていたジークエンドが、ふむ、と一つ頷いた。


「クーロン、ジン達を連れて回ってろ。俺達は雑事を終わらせておく」

「ん、そうかい? んじゃそうさせてもらおうかね。どこで落ち会えばいいんだい?」

「コルテ」

「……オズワルドに向かう時にも泊まったあそこでいいでしょうよ。僕の名前で部屋取っときますんで。……ほらセリア、あんたさんも一緒に行ってきなさいよ」


 コルテはセリアから離れられるのが嬉しいのか、さっさと迅八達を追い払おうとした。


「うぅ……。けど、私あんまお小遣いもってきてないんですよう。折角の自由貿易都市なのにぃ」

「……ほら、これ持ってきなさい。だからジンのとこに行きなさいって!」


 コルテがセリアの手に皮袋を握らせると、セリアは中身を見て顔を輝かせた。それを苦々しげに見ているコルテ。

 アマレロはそんな二人の横で、欠伸あくびしていた。






 ————————————————






「凄いです。……すごい、ですっ」


 アゼルの手を引きあちこち動き回るシズを、迅八は疲れながらも微笑ましく見ていた。

 あの妹が、あんなに元気に、嬉しそうに走り回っている。



 ——うわあ、お人形さんみたいなカップルね

 ——おい坊主、彼女の尻に敷かれんなよ

 ——爆発しろ。リア充爆発しろ!!



 通り過ぎる人間達が、シズ達に声を掛けたり怨嗟を撒き散らしたりしていた。


(まあいいけどさ。それ、カップルじゃなくて、二人とも女なんだけどね)


 大きなガラスの向こう側に飾られた華麗な服を見て、シズが頬を上気させながらアゼルの腕を引く。

 アゼルの表情は、迅八からはよく見えないが、優しい顔をしているのだろう。


歩き回る二人を見ながら、迅八は町を見渡した。

今まで見てきた町とは違う、区画整理された町並み。

……煉瓦で作られた時計塔。軒を連ねる石造りの商店。そして、一番の違和感を感じたのは、商店の大きな一枚ガラス——ショーウィンドウだった。


魔光石とガス灯、その光の渦が町を照らす。

その下を行き交う人々を避けて、迅八は自分の手を握ってくれているクーロンを見る。


改めて見てみると、クーロンは美しい。

尖った耳も、滑らかな鼻も、切れ長の目は黒い真珠のように深く輝いていて、その輝きの中には迅八が映っている。


(冷静になってみると、なんでこんな人と手を繋いでるの俺は……。美人すぎだろこのひと)


丈の短い真紅のライダースジャケット。そこから見える薄く割れた筋肉とへそ。

ジャケットの胸元は大きく開かれていて、黒い下着のような革の胸当てが、こんもりと盛り上がる形の良い胸を押さえつけている。

赤革の短いスカート、そこから伸びる足を包む、鋭利なヒールのロングブーツ。

防具、あるいは武器としての機能も備えるそれらは、至る所が金属やベルトで補強されていた。


「ん? なんだい坊や。触りたいのかい?」

「ち、違うよっ!! ……なんかさ、みんなお洒落だよね」


迅八から見たロックボトムの面々は、全員どこか『中世』から逸脱していた。単純な革の鎧なんて誰も着ていない。


「それも転生者のおかげさ。あんた達はなんかしんないけどセンスいいじゃないか。大抵モノ作りには転生者が関わってるよ」


そこで迅八は初めて実感した。

……既視感があるのだ。ライダースジャケットに付けられたジッパーの位置、ポケットの位置。元の世界の知識を流用し、発展させて作られた痕跡が、この世界のあらゆる物に見える。


「しかし、なんていうか……想像を超えてるよな」


 ガラスの中では木で作られたマネキンがポーズを決めて服を着こなしている。継ぎ目なく作られた大きな一枚のガラスは、迅八の頭の中ではこの世界にはないものだった。


「……これって、凄い技術が必要なんじゃねえのかな」

「ガラスの事かい? 坊や、端っこ見てごらん」


 迅八がガラスの端を見ると、そこには美しい宝石がまっていた。


「それが魔石だよ。そいつを埋め込むと魔術が効くようになる。ガラスを作る工程で、魔術でサポートしてるんだろうね」


 迅八には炎の玉を作り出す事すら出来ないので、魔術でどのようなサポートが出来るのかは分からない。


「けどね。やっぱり一点ものだから相当な値段がするんだろうね。この自由貿易都市の店はみんなそうさ。宣伝も兼ねて金をたんまり使う。……さっき通った車も多分そうだよ。あれに乗ってりゃはくがつくし、商売にも繋がるんだろうねえ」


 迅八の世界での首都東京の一等地にも、『なんで潰れないのか』と不思議になる店がいっぱいある。

しかし、そこに出店するだけで価値のある場所……そういう場所だってあるのだ。そして、そういう金の使い道も。


「ここ以外にも幾つかある自由貿易都市は、この世界の最先端なんだよ。転生者達が作ったものだって、たいていは自由貿易都市でお披露目(ひろめ)される」


 迅八達の周りを通り過ぎて行く人々。その服装や髪型なども、どうにもこうにも既視感がある。


「ねえクーロン。あれってさ、ジーンズだよね」

「そうだねえ。あたしも持ってるよ」


 ジーンズを履き、グレーのシャツを着ている若者がホットドッグを咥えながら通り過ぎる。

 彫りが深いその顔立ちとあいまって、どこからどう見ても、元の世界の普通の外国人にしか見えない。

 かと思えば、青い着流し(・・・)を粋にひらめかせ、おにぎりを咥えている者もいる。


(中世ヨーロッパ、って感じじゃねえな。なんだろ、ごった煮? カオスだなあ)


 遠くから見えた威容のビルも、迅八は先程見物してきた。それは間近で見ると、なんと巨大な木造ビルだった。

 転生者達のアイデアにより作られたというそれは、高度な技術と魔術の融合により、生きている巨木をビルの形に仕立て上げた。

 その中には色んな商会の事務所や商人ギルド、あるいは個人の住居なども入っているという。


「あれは自由貿易ヒルズだな……」


 迅八の上からはガス灯の朧な明かりが降ってくる。しかし、その数。

とんでもない量のガス灯や魔光石で照らされた町は、まるで『現代』のようだった。

 商人ギルドや個人商会達が総力を結集して作り上げたきらびやかな町並み。その光景に、目を奪われる。


「坊や、気に入ったかい?」

「うん。すごいよこの世界は……!!」

「……あらあら」


 頬を染めて両手をワキワキさせるクーロンから迅八は距離を取ると、クーロンが苦笑いして手を下ろした。


 そして、クーロンと距離を取って迅八は初めて気付く。さっきから感じていた違和感の正体を。


 迅八は、ずっと人の視線を感じていた。それをなんとなく『自分が転生者だからなのだろう』と思っていた。

 しかし、クーロンと距離を置いて初めて気付いた。行き交う人々が見ていたのは自分ではない。クーロンだった。



 ——すぅぅげ〜美人だな

 ——なんだあの足は。何頭身なんだよ

 ——あのチンチクリンは弟か?いや、違うな

 ——腹筋、腹筋! なんだありゃ、戦女神か?

 ——お前声かけてみろよ

 ——無理に決まってんだろ! 見てるだけでも腹一杯だよ。あのチンチクリンも離れたしな



(……カッチーン)


 迅八は別に自分を美形だとは思ってはいないが、人並だとは思っている。しかし、この世界に来てからというもの、どこに行ってもこんな扱いだ。


(見とけよてめえら!)


 周りの人間達に聞こえるよう、迅八はこれ見よがしにクーロンに声を掛けた。


「……クーロン、あのさ」

「へ? どしたんだい、坊や」


 顔をうつむかせた迅八はクーロンを直接は見ない。そして、わざとらしくモジモジした。


「……? どうしたんだい坊や。具合でも悪いのかい?」

「あのさ……」


 クーロンは迅八よりも背が高い。五センチ以上は大きいかもしれない。その腰を少しだけ屈めて、迅八と目線を合わせようとする。

うつむいている迅八の目の前に、かがんだクーロンの胸の谷間が見えた。


(お、おおお……。マジかこれ)



 ——ん、なんだ、なんか始まったぞ

 ——羨ましいなあ、あのチンチクリンは。チンチクリンは家帰って寝てろっての



(好き放題言いやがって。見てろよこいつら)



 辺りには何人か野次馬が寄ってきていた。その野次馬を見た他の通行人も立ち止まり、少しずつ人の輪が出来あがっていく。


「あのさ、本当に、本当に感謝してるんだ。みんなには」

「……坊や」


 クーロンが頬を染めて迅八に近づいてゆく。しかしクーロンは、目の前の少年の拳が『してやった』といった感じに握られた事には気付かなかった。


「シズが生きてるのも、あんな風に笑ってるのも、全部みんなのお陰だよ。本当にありがとう……」

「…………っ」


 クーロンは、その両手をワキワキさせて、ハアハアと息を漏らしている。その真っ黒な瞳は熱く潤んでいた。


 ——な、なんだなんだ、なんかおかしいぞ

 ——お、おう、空気が

 ——まさかあのチンチクリン、恋、恋び

 ——バカ言うんじゃねえ。そんな訳あるか!


(くくく……。ここからなんだよ諸君)


 すでに、クーロンは迅八の真ん前で両手をワキワキさせている。まるで『お預け』されている忠犬が、主人の合図を待っているようだった。


「みんなのお陰なんだ。けどさ、アゼルとクーロンには特に感謝してるんだ。なんかさ、クーロンといるとさ、その、あったかいって言うか、なんて言うか」

「な、なななな、なんなんだい、なんなんだい!? なんていうか、なんなんだい坊や……!!」


 そこで迅八は顔を上げる。完璧には上げない。あくまでもうつむき加減に、上目遣いで、はにかむように。

 そこでトドメを口にした。その時、視界の端ではアゼルとシズ、そしてシズに抱かれたクロウの姿も見えた。


「お姉ちゃん、って呼んじゃダメかな? クーロンのこ、」






 その言葉は最後まで続かなかった。

 突然、目の前の美しい女が迅八の事を抱きしめると、次の瞬間には目の前にその女の端正な顔があった。

 そして、その瞳。黒いはずのその瞳。


(え、紫……)


 その紫色の美しい瞳が閉じられるとその顔が高速で近づいてくる。そして、迅八の唇に、クーロンの長い舌が、


「リア充爆発しろッッ!!!」


 ——スッッパーン!!

迅八の後ろからその頭がぶっ叩かれた。

迅八は、それがアゼルか誰かなのだと思った。

 迅八もまさかここまでなるとは思っていなかったので、救われたように後ろを見た。


 そこには、見た事のない人間が立っていた。この世界の人間らしい彫りの深い顔立ち、青い瞳、金髪。珍しくない顔立ち。


 しかし、なぜか着ているそのシャツには『萌え魂』と書かれていた。




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