水平線
「……あの人は、サジタリアって名乗ってました。けどね、町にはそんな人いないって。戦いに巻き込まれて死んだっていう奥さんの事も、誰も知らないんです……」
ピンク色のハンカチで涙をぬぐいながら、セリアはコルテに訥々と語る。
はあ、ほう、お〜……、適当に相槌を打ちながら、コルテはこの場にいない者全員を恨んでいた。
特に、あの大悪魔と転生者の少年。元はと言えばあいつらの持ってきた問題なのに、悪魔は子狐の姿で早々と脱出したし、少年もなんだかんだと逃げ出した。
(あいつら、許せねえ……)
コルテは二人組に復讐を誓った。
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「ちょっとごめんよ〜、ひっ!」
迅八が、アゼルの部屋の扉を開けて中に入ろうとすると、その顔の横にナイフが突き刺さった。
壁に突き立ち、まだ細かく振動しているその刃に迅八が冷や汗を流すと、部屋の奥から声がした。
「変態が。勝手に部屋に入ってくるなよ」
「ア、アゼル……。あの、ごめん。あの、色々とごめん!」
「色々と? 何の事だ」
ゆらりと立ち上がったアゼルが迅八の元まで進み、壁に刺さったナイフを引き抜いた。
「何の事だ」
「いや、ほら、あの……昨日さ。風呂覗いちゃ、」
迅八の首筋にひんやりとした感触が当たる。ついさっきまで壁に刺さっていたナイフが、今は迅八の首にギリギリまで食い込んでいた。
「ひっっ……!」
「なんのことだ」
迅八は目の前の少女を見る。
その顔は今もフードを目深に被り、ストールをぐるぐると巻きつけているが、迅八を見ている緑色の目。……その目は冷たく据わっていた。
(あ、あああ、……あれだ。ベドワウの事を見てた目だ……!)
「……ジン。昨日? 昨日、なんかあったか? ……正解分かるよな?」
「あ、ありませんでした。なにもありませんでしたっっ!!」
「そうか。そうだよな。……じゃあ二問目だ。俺の名前を言ってみろ。間違えるなよ」
「え? あ、アゼル、」
その瞬間、迅八の首筋から体に悪寒が走った。……ナイフが、動こうとしている。
「スターン!! アゼルスターンッ!!」
「正解だ。忘れるなよ」
素早くナイフを腰に戻し、アゼルがシズの元に戻る。
迅八がへなへなと腰を抜かすと、シズが心配そうに兄を見た。
それを見ていたアゼルが言う。
「シズ。……お前には兄なんていなかったんだ。今日からは、俺の事をお兄ちゃんだって思えばいいよ」
「あ、ありがと……です」
アゼルが何を言っているのか分からないシズは、とりあえず知っている言葉を口にしていた。
迅八がそこに口を挟む。
「お、お前……。いくらなんでもそんな無茶苦茶な……。だいたい、シズは一緒に風呂入ったんだから、お前が女……ひっっ!?」
凄まじい形相で、アゼルが再び腰のナイフに手をかけた。
「わ、分かった、もうなんも言わねえから!! ……クロウと話がしたいんだ、クロウをこっちに投げてくれ!!」
その言葉を言い終わると同時に、迅八の顔にクロウが叩きつけられた。
「あひっ、いだっ!!」
「クーローッ!!」
「ほら。出てけよクズども」
「クロ、です……? クロ、クロです!?」
アゼルは迅八を蹴り出すと、扉を豪快に閉めた。
放り出された迅八は、まだ震えたままの子狐の体を、なぜかぎゅっと抱きしめてしまった。
・・・・・・・・・・・・・・・
廊下の隅で迅八と子狐はコソコソと小声で話をする。アゼルの癇に触らない為と、階下のセリアに気付かれないようにだ。
「はあ……それにしてもあんなに嫌うかね。まあ、そりゃいいとして、……いや、よかあねえ。よかあねえよ」
「お、お、落ち着きやがれ。て、てめえ、い、いい、言ってる事が、め、めめ、メチャクチャだ、だぞ」
二人とも、体を丸めて支離滅裂になっている。
迅八はアゼルに嫌われた事に対するショックから。クロウは過去に何度か経験した、痴情の果ての修羅場を思い出していたからだった。
「まあ、今はそりゃいいんだ。……で、どうすんだよ俺たちは。ジークエンドさん達はもうここから出るってよ」
「ふ〜。まさかあいつが第六位だったとはな。……恐ろしい」
「だからそりゃいいんだって!!」
千年の子狐は居住まいを正すと、迅八に向き直った。いつもの『方針』を話す時の雰囲気だった。
「そうだな。話しとくか。……いいか。これから俺たちは『真魔の使い手』を探すのと、結魂解除の方法を並行して探す。だがな、はっきり言って当てはねえ」
「真魔の使い手って……。お前から聞いた伝説の? 本当に居るのかよ」
「だ〜かあら、当てはねえって言ってるだろうが。……ここからは無理して急ぐ必要もねえ。お前の心配は片付いたし、俺様もとりあえず、テメエは滅多な事じゃ死なねえのは理解した。……いいか? 永遠を生きる俺様は、あと八十年で死ぬなんてまっぴら御免だ。だがな、長い眠りにもつかずに八十年過ごすとしたら、俺様からしてみても結魂解除の時間切れはまだまだ先だ。だから、ここからの旅は急ぐ必要はねえ」
「前も言ったけど、俺たぶん八十年も生きられねえからな……」
それに、クロウは迅八には説明していないが、迅八との結魂を解くだけなら方法はある。ただ、それをやると『クロウ』という名前が残ってしまう。
クロウは死にたくないが、それと同じ位、自分に『真名』が付いているのが嫌だった。だから、無かったことにする方法を探している。
いよいよそれが無理だと分かったなら、迅八との生命ダメージ共有だけ解いてしまえばいいと考えていた。
「……つまり、これからの俺達の旅にゃ目的地はねえ。行く先々で情報を集めて回る。たまには亜人国に戻ってもいいし、遠くに行っても構やしねえ」
「ならさ、ジークエンドさん達と一緒に行くのはどうかな?」
迅八は、その事も考えていた。そして、それはクロウも同じだった。
「死にかけか……。それも別に構やしねえ。どっちを取っても一長一短だ。俺様にしてみりゃな」
クロウは『子守』が欲しかった。毎日毎日、目を離さずに転生者の兄妹に構ってやるなんて、考えただけでゲンナリする。
しかし、自分が目覚めた後の世界で悪名を轟かせているらしいロックボトム。彼らと共に旅をするなら、厄介事は避けられないはずだ。
(だが、『戦える子守り』なんて探しても中々いやしねえ。いざとなったらあんな奴ら放ってコイツだけ連れて逃げりゃいいしな。それも悪かねえ……)
「……ん? どうしたの? なんだよ言えよ」
「まあ、どっちでもいいんだがな。……てめえはどうしてえんだ? あいつらと居りゃ面倒はあるぞ。いいのか?」
「俺は、俺とシズは、お前とジークエンドさん達に恩を返す。俺たちの事はその後だ。転生者達と話をしてみたい気持ちはあるけど、それも後だ」
子狐は顔を歪めると、その前脚で迅八を追い払う仕草をした。
「だから、別に恩とかじゃねえ……あー、はいはいそうですか。んじゃ赤毛に言ってきやがれ」
「え。お前も来てくれないの?」
「てめえがあいつらに恩を返してえんだろ? んじゃてめえでやれや。それともなにか? てめえの崇める、」
「分かった、分かったよ……。言ってくるよ」
子狐を置いて、迅八がジークエンドの部屋の前に行く。扉をノックしても返事は無かった。そっと扉を押し開けると、中からかすかな寝息が聞こえた。
「ジークエンドさーん……」
部屋の中に入ると、床には丸められた紙が散らばっていた。文章やら何やらが書いてある書き損じのゴミの真ん中で、ジークエンドは寝ていた。
「……なんで裸なの。このひと」
寝る時は裸になる癖でもあるのか、股間と腹にだけ薄い布を掛けて横たわるジークエンドは、まるで一体の彫像の様だった。
「……なんだ。ジン」
「あ、起きてたの?」
「ここまで接近されたら誰だって目を覚ます。たとえナマケウズラでもな」
ナマケウズラがなんなのか迅八には分からないが、とりあえず言おうとしていた言葉を伝える事にした。
「えと、俺も、俺達も、ジークエンドさん達と一緒に行きたいんだ。その……いいかな?」
「そうか。好きにしろ」
「うんっ、ありがとう……っていうか、なんか軽くない? いいの? そんな簡単に」
「それはこっちの台詞だ。お前、分かってるんだろうな? 俺達と行動を共にする意味が」
迅八もそれは考えた。
恐らく、その旅路は楽なものではないだろう。しかし、迅八の胸の中には確固たる想いがあった。
ジークエンド達に恩を返す。
あの冷たい雨の中で、本当なら妹は死ぬはずだった。そして回復能力を持つ迅八は、意識を取り戻した後に妹の亡骸を抱えているはずだったのだ。
ジークエンド達に助けられなければ。
たまたまアゼルがいなければ。
「……ああ。想像はつくよ。けど、俺にはやらなくちゃいけない事があるんだ」
ジークエンド達に恩を返す、そして、彼らからこの世界で生きる術を学び取る。
迅八はこの世界での短い生活からも、すでに思い知らされた。もしも、ロックボトムもクロウもいなければ、自分とシズは、遠くない内に悲惨な末路を迎えるだろう。
この世界の生き物は、みんな強かだ。目の前の人間が善人か悪人かなんて分からない事は、ベドワウに高い授業料で散々教えられた。
ジークエンド達は悪党かもしれないが、匂い立つような邪悪とは違く思えたし、なにより彼らは強い。物理的にも、精神的にも。
「ジークエンドさん達のそばにいさせてよ。そうすれば、なんか身につくと思うんだ。……俺は、シズを守らなくちゃいけない。守れるようにならなくちゃいけない」
「……そうか。まあ、言う事は変わらん。好きにしろ」
のそのそとベッドからジークエンドが起き出すと、そのまま迅八に構う事なく服を着だす。そして、なぜか下着を身に付けなかった。
「ちょ、ちょっと。パンツ履かないの?」
「あんなものは飾りだ」
(いや、それは違うんじゃ……)
「アゼルも履かないぞ」
「な……」
(まさか、まさかこの先で、そんなラッキースケ……)
「お前、今なに考えていた?」
「いえ! なにも……」
「あらかじめ言っておくが、俺はアゼルの事は気にしないぞ。好きにしろ」
それは、どういう意味だ?
迅八が固まる思考を動かそうとすると、表から音がした。窓から外を見下ろすと、アマレロとクーロンが二台の馬車からそれぞれ体を出して、こちらに手を振っていた。
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迅八が慌ただしく旅の支度を整えていると、アゼルが離れた場所から話しかけた。
「……お前、なんで来るんだよ。シズの事は面倒見るけど、お前は今日死んでもいいよ。むしろ死ねよ」
「アゼルさあ……ひっっ! …アゼルスタンさ、ちょっとひどくない? 俺だってわざとじゃなかった……ひっっ! もう止めろってそれ!! 会話にならねえだろ!!」
今にも投擲しようとしていたナイフを下ろし、アゼルが迅八に冷たく言う。
「会話するつもりなんてないよ。俺はお前に一方的に言いたいだけだ。死ねよ」
「まあまあ。アゼルもそこらへんにしときなよ。坊やが生まれたてのナマケウズラみたいになっちまってるじゃないか」
(だから、それなんなんだよ。……畜生、ナマケウズラ気になってきた)
幾つかの衣類や鞄などを持って、クーロンとアマレロは家と馬車を往復している。ジークエンドはまだ部屋で何かをしていた。
「けどさ、急すぎない? いつもこんななの?」
「ジークエンドはいつもこんなさ。まあ、退屈しないからいいんじゃないかい?」
コルテは未だ馬車のそばでセリアの話を聞かされていた。すでに千年の大悪魔の話ではなく、その内容は仕事の愚痴に飛び火している。
迅八は自分に時々送られる、コルテからの殺気がこもった視線には気付かないようにして、シズの元まで近寄った。それを見たアゼルが鋭く言う。
「待てよ。シズになにする気だおまえ」
「俺はこいつの兄貴だっての!! なんもしねえから話くらいさせてくれって!!」
嫌そうな顔をするアゼルの横を通り抜け、迅八はシズに日本語で話し掛けた。
「なあ、静。俺達はこれから、」
「はい、です」
「え?」
「いいえ、です。ありがと、です」
こちらの世界の言葉でシズは喋り出す。そして、そのあと日本語で迅八に話しかけた。
「……これだけアゼルに教えてもらったんだけど、これからもっと覚えるから。……ねえ、お兄ちゃん。私はこれからシズになるから。本当に、静じゃなくなるから」
その言葉を迅八は噛みしめる。
自分は、寺田迅八だ。しかし、覚悟は必要となるだろう。どちらの世界で生きるのか、いずれ選ぶ時は来るのかもしれない。
「だから、お兄ちゃんも私には日本語で話し掛けないで。早く言葉を覚えたいから」
「……分かったよ。けどさ、説明は必要だから。俺たちはこれからしばらく……いつまでかは分からないけど、アゼル達と一緒に行く。だから、お前もみんなと仲良くしろよ」
「私は仲良くしてるよ。みんないい人みたいだし。それよりもお兄ちゃんの方がうまくいってなくない? アゼルとか、コルテさんとか……」
全くもってその通りだった。なぜかコルテはぶっきらぼうながらもシズにはとても優しい。アゼルに至っては言わずもがなだ。クーロンも優しくしてくれている。アマレロはシズにも迅八にも同じように接するが。
「いい人……いや、否定は出来ないんだけど、複雑な人たちだからさ。怒らせるなよ本当に!」
「ふ〜ん、そうなんだ。……あ、クロくん」
家から出てきた子狐は、シズが膝を屈めて両手を広げると、その胸に飛び込んだ。
「……ふふ。本当かわいい」
迅八は頭を抱えたくなった。
考えてみたらこの大悪魔の事をなんて説明すればいいのか分からない。まさかその子狐が、その気になればシズの事など一瞬で殺せる危険な存在だという事をなんて説明すればいいのか。
そして、迅八と結ばれた結魂。天使の事、悪魔の事。
「……もういいや。めんどくせえ」
「え、なにが?」
旅の間にシズも分かるだろう。そう考えた迅八は、色んな問題を棚上げする事にした。
「ジン、シズ、乗れ。そろそろ行くぞ」
いつの間にか迅八達のそばに立っていたジークエンドが迅八に声を掛ける。その手には小さな鞄を一つだけ持っていた。
「なんて言ってるの? お兄ちゃん」
「出発するから乗れってさ」
「はい、です! ありがとです」
「……あのう。私も乗せてもらっていいですか?」
輪の外で旅支度を見ていたセリアが、ジークエンドにおずおずと切り出すと、ジークエンドはそちらを見ずに答えた。
「好きにしろ」
「ちょっとジークエンドっ、あんたなに考えてんです。十二使徒ですよ!? ……こいつ、絶対なんか企んでますって!!」
「な、なにも企んでませんようっ! 私はこれから一回北の国に行くんです。だから、途中まで乗せてもらおうかなって」
「ふむ、構わん。コルテ、任せたぞ」
「ちょっとジークエンド、そんな……!!」
そう言うとジークエンドはさっさと馬車に乗り込んだ。迅八はシズの乗る馬車に一緒に乗り込み、コルテはセリアと共にもう一台の馬車に乗り込んだ。その目は迅八の事を恨みがましく見ていた。
「……お〜。全員乗ったか〜? んじゃ行くぞ〜」
御者台に座ったアマレロが手綱を引くと、ゆっくりと馬車は動き出した。少しずつ遠ざかってゆくオズワルド。迅八にとっての始まりの町。
小さくなってゆくその町を見ながら、迅八はジークエンドに問いかけた。
「ねえ、ジークエンドさん。これからどこに行くの?」
「ここから見て北にある自由貿易都市だ。そこに行ってから南の国の王都に向かう。」
「へえ……王都って事は、都会だよね?どんなとこなの?」
「すぐに分かる。自分の目で確かめろ」
遠ざかってゆくオズワルド。遠ざかってゆく南の木。
……フィレットもシェリーも、みんな遠くなってゆく。次に彼女達に会えるのはいつの事なのか。
その距離は遠くなっても迅八が彼女達にもらった温もりは冷める事はないだろう。
馬車が小高い丘を超えると、遠くにどこまでも広がる水平線が見えた。そして、その水平線はどこか違和感のあるものだったが、迅八がその時、それに気付く事はなかった。




