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アゲイン×2 《クロスツー》  作者: 紺堂 悦文
第四章 絶対強者
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その記憶に

 



 ……机の上から優しいピアノの旋律が聞こえる。


 携帯の待ち受け曲に設定されているそれは、今はもう活動していないアメリカのポップスデュオの名曲だ。

 父さんと母さんが好きだったその兄妹デュオは、ボーカルである妹が亡くなってしまって活動をやめたらしい。

 数々の名曲の中でも特に父さんと母さんが好きだった曲、それを俺は待ち受け曲に設定していた。


「……はい、どした? なんか用?」


 通知されていた名前を見て、すぐに要件を聞く。すると、電話の向こうから不満げな声が届いた。


 ——ジンせんぱい、いきなり『なんか用?』って、ヒドくないですかあ?


「いや、そういうつもりじゃ……ごめん、悪かったよ」


 電話口の向こうで、静の親友で俺とも面識がある由布子(ゆうこ)が、頬を膨らませているのが目に浮かんだ。


 ——まあいいや、そんな事より!

 しずかちゃん、今日学校来なかったけど、さっき悪いグループと歩いてるの見かけて……。わたし一人じゃ怖いから、ジンせんぱい来てよ!


「……どこだ」


 電話を耳に押し付けたまま部屋から出ようとして、一旦机の前まで戻る。引き出しの中に入っていた『それ』をポケットにしまうと、そのまま階段を駆け下りた。

 その音を何事かと思ったんだろう。様子を見に来た母さんが、俺に一声かけた。


「あら、どうしたの」

「し、静がなんだか、」


 その言葉を最後まで聞かず、母さんは奥へと戻っていった。


 ——ジンせんぱい? ジンせんぱい!


 俺の耳に由布子の声を吐き出している携帯を床に叩きつけたい気持ちを抑え、代わりに玄関の扉を強く叩きつけて外に出た。





 ————————————————





 ——こっちこっち、ジンせんぱ〜い!


 由布子が手を振るのが見える。耳元の携帯の通話を切ると、由布子の目の前まで走った。


「由布子、どこだ? そいつらどこ行った!」

「あ、あっち! あっち!」


 繁華街にある一つのビル。由布子はその中のゲームセンターを指差す。由布子がまだ何か喋っていたが、俺はそれを聞くことなくその中に入った。

 最近のゲームセンターなんてのは昔よりも健全らしい。あからさまな不良の溜まり場になってる所なんて中々ない。昔は違ったらしいけど俺には見当もつかない。……けど、姿形は変わっても、どこにでもクズは紛れ込む。


 俺は辺りを見渡して静の姿が見えない事を確認すると、奥のトイレへ向かった。男女兼用らしいそのトイレの入り口で、ガキが二人立っていた。


「おい。小便したいから中入れてくれよ」

「あ〜、ちょっと今まずいんスよ。表の他んとこ行ってもらっていいスか?」


 こっちを睨みつけて威嚇してくる訳でもない、本当に普通そうなガキ二人。俺たちの年代の二〜三年は、だいぶ体つきが変わる歳だ。高校三年生でほぼ体が出来上がっている俺には、目の前のやせっぽち二人はなんの障害にも見えなかった。


「うるせえ。どけっ!」


 怒声をあげ一人の肩を引っ張ると、そいつの体は呆気なく流された。驚く片割れは相手にせずに、そのままトイレの中に入る。

 トイレの中には静を囲むように、五人ばかり人がいた。女が三人、そして遠巻きに男が二人。


「なにやってんのお前ら」


 静を囲んでいる女の一人に近寄り、乱暴に制服を引っ張ると、何かが破ける音がした。


「きゃっ。……ちょ、なにすんだよテメエ!」


 女が金切り声でわめく。すると、遠巻きに見ていた男が慌てて俺の服を掴んだ。


「テメ、」

「うるせえ」


 振り向きざまにフルスイングで一発。その後の言葉を聞いてやる義理はない。よろめく顔面を目掛けて、更に一発。鼻を潰すつもりで殴りつける。

 (ほう)けた顔でそれを見ていたもう一人の男に近付く。


「ちょ、待って! 俺はなんも、」


 喋りながら反射的に体を丸める男の、髪の毛を掴んで壁に叩きつける。一回、二回、三回、


「ご、ごめんなさい! すいません!」


 言い訳が謝罪に変わってから、俺はその頭を離してやった。


「お前ら、俺の妹になにしてんの?」


 女三人に向き直る。二人は震えていたけれど、俺が服を破いてしまった女だけはまだうるさく(わめ)いていた。


「……別になんもしてねえだろが!! ショーコあんのかショーコ!! 服ベンショーしろベンショー!!」

「お前、甘く見てんだろ? 女だからって、年下だからって、殴られねえって思ってんだろ?」


 そいつの顔面をメチャクチャにしてやろうとした俺の顔を見て、その女の言葉が止まった。


「……やめてっ、お兄ちゃんやめて! お願いだからっ!」


 その女の方に進みかけた俺の体を静が止めた。それでも俺は振り返らない。事態はまだ終わってないからだ。

 こいつらは弱い。中学生なんて体はまだ子供だ。けど、やる奴はいる。……決めたらやる。そんな奴が、この中にもいるのかもしれない。

 俺はポケットの中の『それ』をぎゅっと握りしめ、内心では緊張していた。


「なん、だよ……! 痛、鼻血……!」


 初めに俺が殴った男が、鼻を押さえて立ち上がる。口の周りを隠すみたいに押さえている指の間から赤い血がポタリ。

よろめきながら外に出ていくそいつが通った跡には、星印みたいな血が点々と落ちていた。


そいつが出て行くと他の奴もそれに続く。俺が服を破いてしまった女だけは残っていて、真っ赤なグロスを引いた毒々しい唇を俺に向かって開いた。


「テメエ、訴えてやっからな……。絶対に訴えてやるからな!!」

「やれよ。教師でも親でもいいからチクれよ。そのかわり約束してやる。……捕まろうがどうなろうが、俺は絶対にやり返す。それでまた捕まったら何度でもやり返す。一生続けてやる。俺は絶対に約束を破らねえ」


 最後まで喚いていた女は俺の言葉を聞いて、息を呑んだ。女は静の方を向いて言った。


「……静、テメエのキチガイ兄貴にされた事は忘れねえからな」


 捨て台詞。

……ああ、こいつ勘違いしてるんだなって思った俺は、出て行こうとするそいつの肩を後ろから強く掴んだ。


「きゃっ……テ、テメエなんだよ!? ……離せよ変態ッッ!!」

「お前、また静になんかしようとしてんだろ? もういいや、今やっとく」


 振り上げた俺の拳を、女が驚愕の目で見つめている。こういう勘違いしてる馬鹿は、本当には分かっていないんだ。……女だったら何をしても許される? そんな事がある訳ねえだろう。

 

「……逃げて、早く逃げてっ!! ……お兄ちゃん、お願いだからやめてえっ!!」


 後ろから俺の右腕を押さえる静。そこに女は叫ぶ。


「静……、テメエ、絶対に許さねえからな!!」


 そしてその女も出ていった。




・・・・・・・・・・・・・・・




「チッ、ふざけやがって。……しずか、大丈夫だったか? なんもされてないかっ?」


 ほっと一息ついた俺が静の肩を揺すると、その手を静は振り払った。


「なんで……なんで殴ったの!? 誰もそんな事頼んでない!!」

「な……」


 俺はその言葉にショックを受けた。褒められたくてやった訳じゃないけど、妹からの拒絶の言葉に、俺は深く動揺した。


「ご、ごめん……。けど、あいつらにイジめられたんだろ? なんで兄ちゃんに言わないんだよ。あんな奴ら兄ちゃんがぶっ飛ばしてやるよ。……それが嫌だったら、俺から言ってやるよ。静と同じ歳の奴らは兄ちゃんの友達の弟とか妹もいるんだ。そいつらから言わせたって、」

「いいからやめて! 私の事は放っておいてよ!!」


 その叫びに、俺は言葉をなくしてじっと静の顔を見た。すると、静の綺麗な目が歪んで、そこから涙が垂れた。……俺が、泣かせたのか?

一瞬だけ罪悪感のようなものが心の中に湧き上がったけどそれはすぐに怒りで塗りつぶされた。


 ……だってさ、おかしいだろ? 静は悪くないけど、俺だって悪くねえだろ?

 あいつらは、静の事を傷付けようとしてた。そのくせ、自分達がやられるなんて思っちゃいないんだ。『やりすぎ』なんて、ねえだろ? 人を傷付けたら殴り返される。それは、百倍になって返ってくることだってあんじゃねえのか?

 ……目の前で泣いている妹に、ほんのわずかな苛立ちを覚える。すると、またトイレの扉が開かれた。


「ジンせんぱい、大丈夫? ……静ちゃん、なんで泣いてるの!?」


 俺の体を押しのけた由布子が静に駆け寄ると、優しく静の事を抱き寄せた。静は、一瞬ビクリと体を震わせたが、されるがままにしていた。


「もう、もう大丈夫だよ。怖かったよね……大丈夫だから」


 由布子が静の頭を胸に抱えて、安心させるように撫で続ける。静はそれで緊張の糸が切れてしまったのか、トイレだというのに構う事なくへたり込んでしまった。


「せんぱい、とりあえず外に出よう。……せんぱいの家の近くに公園あるよね、とりあえずそこに行こうよ」


 俺は頷くとトイレの扉を開き先導する。振り返ると由布子に抱えられた静が立ち上がるところだった。

 元気付けてやっているのか、由布子が静に話しかけている。それを聞いた静は嫌がるように首を振っていた。


「せんぱい、行こう。公園でゆっくりさせて、落ち着かせた方がいいよ」





 ————————————————





 公園に静を連れていってから、自販機で飲み物を買って公園に戻る。ベンチの上では由布子が静の手を握って、何かを話しているようだった。


「静、由布子、ほら」


 二人に飲み物を渡してやる。


「ありがとせんぱい。ほら、しずかちゃん」


 静の手に由布子が飲み物を握らせる。けど、静がそれに口をつける事はなかった。


「せんぱい、ちょっといい?」


 由布子がベンチから立ち上がると、近くの木の陰まで俺の手を引いた。


 間近で見る由布子はかなり可愛い。緩くパーマのかかった髪を明るい栗色に染めている。こんな状況じゃないのなら、少しはときめくものなのかもしれない。


「静ちゃん、さっきの奴らに脅されてるみたい。……お金、取られてるのかも」






 誰かを殺してやろうって本気で考えた事あるか? 俺は何回もある。けど、考えるのと実行するのは別物なんだ。あるいは、俺は今まで本気で(・・・)は考えていなかったのかもしれない。


「けどね、なんで脅されてるのか、それは教えてくれないの。……せんぱいも、機会があったらそれとなく聞いてみて」


 ベンチに座る静を心配そうに見ている由布子に、心の底から感謝の念が湧いてくる。


「由布子、本当に、いつもありがとな。今日もお前から電話がなかったらどうなってたか」

「じゃあ、チューして」

「……はあ?」


 俺が顔を上げると由布子が頬を染めてモジモジしている。由布子は静の親友で、俺も昔から知っているが時々こんな冗談を口にする。そしていつものように、俺はそれを冗談として受け止めた。


「……なにバカなこと言ってんだよ。そろそろ帰るぞ」

「ちぇ〜」

「由布子、送って行くよ。まださっきの奴らがどっかにいるかも……」

「だいじょぶだよ〜。せんぱいはしずかちゃんをちゃんと守ってあげて。……しずかちゃん、明日、絶対に学校でね!」


 元気に手を振って由布子は帰っていった。本当に、本当にあいつには感謝してる。あいつがいなかったら今日だってどうなってたか分かったもんじゃないし、静を安心させてやれる友達なんて、俺はあいつ位しか知らないんだ。


 ベンチに座り続けている静の隣に俺も腰掛ける。

 なんて切り出せばいいか分からなかった俺は、率直にそれを口に出した。


「なあしずか。兄ちゃんは、頼りにならないかな……?」


 その言葉に静はピクリと肩を震わせた。


「俺はさ、俺は、兄ちゃんはしずかの味方だよ、絶対に。……だから、しずかの辛いこと、兄ちゃんにも分けて欲しいんだ」


 俺は黙って、静の答えを待った。

 俺は伝えたい事は言った。あとは、いつまででも静からの反応を待ってるつもりだった。


 ……どれくらいの時が経ったのか、静がポツリと漏らした。


「お兄ちゃん、いつもありがとう。……けど、まだ、勇気が出ないの」


 その言葉は弱々しくて、その姿は折れてしまいそうで、俺はそれ以上は何も言えなかった。


「……お兄ちゃんは凄いね。私もね、そうなれたらいいんだけどね」

「しずか……」


 誰もいない公園で、俺の妹が震えている。……そして、俺はポケットの中で握りしめていた『それ』を、そっと取り出して静の手に握らせた。


「……これ、なんで?」

「お守りだよ」


 それ(・・)は、折り畳み式の、刃渡り十センチ程のナイフだ。少し前に買ったそれは、武器としては余りにも頼りない。けど、別にこれを使って人を殺したい訳じゃない。だから小さな物で充分だったんだ。


最近のガキは何をするか分からない。別にこれを使うつもりなんてないけど、相手がその気(・・・)になった時は、これがあれば少なくとも服従はしないで済む。


 ……それに、そのナイフを握っていれば、なんとかなる気持ちになったんだ。力って奴は、持っていれば使わなくても安心を与えてくれる。

 周りにいないか? デカくて力が強くて、けれども穏やかな奴。そいつは知ってんだ。力を使えば自分が勝つって。だから余裕があるんだ。きっとな。

 俺もそんな疑似的な『余裕』をそのナイフからもらっていた。そして、それを静に分けてやりたかった。


「……お守りみたいなもんだよ。けど、使うもんじゃないぞ。危ないからな」


 その時の俺はそんなトンチンカンな事を言ったと思う。ナイフを渡しといて、『使うなよ』って。

 喧嘩の後だったから知らず知らずのうちに興奮していたってのもあったのかもしれないし、単純に俺が阿呆だっただけかもしれない。

 何も言わないでナイフを見つめている静に、俺は帰ろうと(うなが)した。


「しずか、帰ろう」

「……ごめんね。少しだけ、一人にさせて」

「けど、危ないよ。一緒に帰ろうぜ」

「ここなら家も近いし、もしもさっきの人達が来ても走って逃げられるから」


 更に静は言葉を重ねる。


「それに、私が『助けて』って言ったら、お兄ちゃんは助けにきてくれるよね……?」


 そう言って、本当に、本当に久しぶりに、静は俺に微笑みを見せてくれた。


 ……俺は、単純に嬉しかった。妹の笑顔を久しぶりに見れた事が。それと、怖かった。ここで静にしつこくして、また泣かれてしまう事が。

 結局、俺は静を残して一人で家に帰った。






 俺は、本当に阿呆だ。世界一の馬鹿だ。

 精神が不安定な女の子にナイフを渡して、一人っきりにさせる奴がどこにいる?

 今になりゃ自分を責める気持ちが出てくるけど、その時の俺はそんな事は思わなかった。ガキ共を痛めつけてやったし、静も笑ってくれた。なんか、一つ問題が少なくなったような気がしていたんだ。……あくまで、気がしてただけなんだけどな。





 ————————————————





「ただいま……」


 俺は母さんの顔を見たくなかった。だからわざと声に出してただいまと言った。『あいつ』じゃないって分からせてやれば、母さんはわざわざ玄関まで見に来ない。

 けれど、予想外にも奥から俺を出迎える奴が出てきた。


「迅八。静はどうした? ……部屋にもいないみたいだな」


 奥から出てきた藤堂が俺に話し掛けてきた。もっと遅く帰ってくる……あるいは帰ってこないと思っていた俺は、思わず体を硬直させた。


「迅八。話すのも久しぶりだな。たまには一緒に食事でもどうだ」

「……ごめんなさい。食欲がないんで、少し寝ます」


 藤堂と目を合わせないように靴を脱ぐと、そのまま階段を上りかける。けど、やっぱり動揺してたんだな。普段はしないミスを俺はしてしまっていた。


「迅八。……靴」


 その言葉で、反射的に体がビクリとした事に気付いて顔が熱くなる。……それを悟られないように、顔を伏せたまま玄関に戻り綺麗に靴を揃えた。


「ごめんなさい。気をつけます」

「……迅八。最近どうした。前みたいに仲良くキャッチボールでもするか?」


 その言葉から逃げるように俺は二階へと上がった。

 自分にあてがわれた部屋に戻り、少しの隙間を空けて扉を閉める。そしてベッドに腰掛けると、急激に疲れが襲ってきた。

あいつから逃げる為の方便だったのに、本当に少し眠くなってきた俺は、そのままベッドに横になると枕元の時計を見た。


「三時過ぎか……」


 そのまま気が付くと、俺は眠ってしまった。

 外では、ポツポツと雨が降り始めていた。




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