イーター
部屋の入り口では子狐が座り込んでいた。それを避けて部屋の中に入った迅八は、目の前の光景に目を見開いた。
「な、なにしてんだてめえら!!」
クーロンとアゼルが二人がかりで静を押さえつけている。アゼルは静の体を羽交い締めにして、クーロンは自らの手を静の口の中に突っ込んでいた。
「静になにしてやがんだ!! やめろっ!!」
迅八が、クーロンの体を静から引き剥がす。静の口から霧の様な鮮血が舞った。
「痛っ……」
「やめろ!! 離れろよ!!」
自分の右手を押さえるクーロンを静から引き離すと、何かを言いかけたアゼルを力任せに引っ張って、静から遠ざける。
迅八は静を背中に庇い、二人と向き合った。
「アゼルッ、なんで、なんで静をいじめるんだ!! こいつが何をしたんだよ!!」
「……ジン、俺たちは、シズをいじめてる訳じゃない。おまえは離れていてくれ。……この部屋から出るんだ 」
「ふざけんな……寄ってたかって静を。良い奴らだって信じてたのに。……信じてたんだ!! 畜生 …ちくしょう!!」
迅八の体は震えている。怒りによるものではない。ただ、怯えたように、ガタガタと震えている。
その肩に、後ろから手がかけられた。
「……お、にい……ちゃん」
「し、しずか……、大丈夫だ。大丈夫だよ。兄ちゃんが、守ってやるからっ」
そう言って振り返った迅八の首に、静の細い指が食い込んだ。
「し、しず、か……?」
静は迅八の首を両手で掴む。すがりつくように。まるで、首を絞めるように。
「なん、で、なんで、なの? おにいちゃん」
ギリギリとその手は力を強めていく。少女のかぼそい指はそれに見合わない力で迅八の気道をゆっくりと押しつぶした。
「ぎひっ、いっ!? じ、じず、が」
「もう、嫌なの、嫌なのおおおおおお……!!」
乱れて顔に張り付いた髪の隙間から覗く、怨念にまみれた両目。涙をこぼしながら迅八を睨みつけるその顔は、迅八の知っている妹ではなかった。
迅八は、心の底から震え上がった。目の前の妹に対してもそうだが、妹がここまで壊れてしまった理由。……ベドワウの館で静がどんな経験をしたのか、それを想像してしまった。
「ヒィ……!」
「どきな坊やっ!!」
迅八が強く服を引かれると、わずかに出来 た間隙に滑り込ませるように、クーロンの手が静の腹に突き刺さった。
迅八の首を締め付けていた静の両手から力が抜けると、そのまま静の体は崩れ落ちた。
「ごめんよ。けど、こうするしか」
クーロンの右手からは鮮血が滴り落ちている。さっき、迅八が無理やり静から引き離した時に、静に噛みちぎられた場所だった。
「あ、あ、……え」
迅八は、アゼルが静に近寄るのを止めようとした。何かを考えての行動ではない。反射的なものだった。……すると、迅八の顔をアゼルは鋭く平手で打った。
「……あ」
「ジン、何から何まで言ってやらないとわからないか? ……おまえは、今はその子のそばに居ない方がいいんだ」
くたりと迅八はその場に膝をついた。無表情のその顔からは、なにかがすっぽりと抜け落ちてしまったようだった。
「……おい小僧。こっちに来い」
子狐が迅八を呼びつける。その目は鋭く部屋の中を見ている。
「俺の居ない間になにがあった。…まさか、本当にお前の妹だったのか?話を聞かせろ 」
迅八は、狐男に戻ったクロウに引きずられ、一階の食卓に座らされた。そこにはジークエンドとコルテ、アマレロもいた。……三人は子狐の姿から狐男に変化したクロウを一瞬だけ怪訝な目で見たが、特になにも言わなかった。
一人だけ椅子には座らず、腕を組み、壁にもたれかかったクロウが言う。
「おい、小僧。話せ。……何があった」
・・・・・・・・・・・・・・・
クロウは自分が大森林に向かってからの話を迅八から聞いた。もっともその内容は支離滅裂で、聞いている側に推測と労力を必要とさせた。しかし、クロウがその話に口を挟む事はなかった。
「クロウ……ごめん、ごめんっ、おまえに言われてた事、忘れてたわけじゃないんだ……!」
迅八は気が付くと泣き出していた。そして、転がり落ちるように椅子から離れて、クロウの足元まで近寄った。
「けど、けど、本当に、妹だったんだ。静を、助けないとって!!」
迅八はクロウの脚に、まるで懇願するようにしがみついた。
「だから、お願いだから……俺をぉ、俺達を、」
しかし、その後の言葉はクロウに向けて言った訳ではないのだろう。掠れるように、消えいる位の声で、迅八は床に顔をつけて言った。
「だれか、たすけてっ……!!」
クロウは静かにそれを見ていた。そして、頭の中で一つの事を考えていた。
(……なんだこりゃ )
クロウの心、そんなものがあるのなら、その『心』の中でおかしな力が渦巻いている。
(……馬鹿らしい。そんな事よくある話だ。こいつの元の世界は楽園か?)
目の前では、いつも生意気にクロウに悪態をついたり容赦無く殴りつけてくる『面倒事の種』が、弱々しく、惨めに泣いている。それを見て、やはり奇妙な気持ちになる。
(う〜ん……。気に入らねえなあ)
クロウは王者だ。なんだかんだと暴力がものを言うこの世界で、自分の意思を貫く事が出来る数少ない一人だ。
王者は細かい事は気にしない。いざ、本当に腹を決めれば、必ず自分が勝つ。だから目の前の子供の事も本気になって相手にはしないし、先程挑んできた三人も必要ないなら相手にしない。ムカつく事はムカつくが。
その精神的に王者の位置にいる自分が、なんだかよくわからない気持ちになっている。よくわからない。それが気に入らない。
「……どけ小僧。邪魔なんだよ 」
「あっ……」
脚を無造作に振り払い、クロウは目の前の子供を突き放す。すると、なんでだか知らないが、その子供はクロウに突き放されて、傷ついたような顔をした。
(だから、なんだってんだ。気に入らねえ……)
その子供を放ってクロウは二階への階段を上がる。迷いなく静の部屋に入ると、クーロンがその前に立ちはだかった。
「あんた、こっちが本当の姿かい? ……あんま可愛くないねえ」
「本当? 最適ではあるが、本当の姿じゃあねえな。まあどうでもいいこった。どけ 」
苛立つ大悪魔の体から暴力の気配が放たれる。本当に少し、本気の苛立ち。
「アゼル!!その子を連れて逃げ、」
「そういやおめえには殴られたっけな」
クロウが敵意を乗せずにその首筋を打ち付けると、クーロンの体は呆気なく崩れ落ちた。
アゼルが静かに転生者の少女を背後に庇う。その顔には汗が浮かんでいた。
「……寄るな」
「何を勘違いしてんだか知らねえが、別に害を働くつもりはねえよ。どけ小僧 」
アゼルが懐から二本のナイフを取り出し構えるが、その両手は震えていた。その様子を見てからクロウは鼻をヒクつかせた。
「ん? ……ん〜? おめえなんでそんな格好してんだ? …まいっか」
クロウが何かを呟くと、その右手から『糸』が伸びた。それはアゼルの体に絡みつき、そのまま壁まで引き寄せた。
「なっ!? おまえ、何をするつもりだ。やめろっ」
「はぁ。だ〜かあら、……もういい黙ってろ 」
クロウはゆっくりと静に近付く。その圧倒的な暴力の気配に静がゆっくりと目を覚ます。
そして、目の前に立っているその気配の源——化け物の姿を認めると、安堵したように両手を広げた。
「……っ!シズ、シズカッ、逃げろっ……逃げてっ!!」
静は動かない。目の前に現れた死神に期待のこもった目を向ける。そして、ひとすじ涙を流してから微笑むと、口を開いた。
「おねがい……」
「……どいつも、こいつも」
……ぶおん。クロウの右手から波動が放出される。異変を察知した迅八が部屋に飛び込むのと、クロウの腕が振るわれたのは同時だった。
「や、やめろっ!!」
がおんっ! その波動が静に食らいつく。そして、ゆっくりと静の体は後ろに倒れた。千年の大悪魔は一度体を震わせ片膝をつくと、低く呻いた。
「……う、ぐぅっ」
「静!? ……しずかああああ!! てめえっ、静になにしやがったああああ!!」
迅八が、膝をつく悪魔の体を滅多やたらに殴りつける。その度に悪魔の体が、右に左に小さく揺れた。ちっぽけな少年の素手の攻撃で、大悪魔の体が傾いでいた。
「なんで、なんでっ!! なんで俺達ばっか……なんで静をいじめるんだよおおっっ!!」
「…………っぐ」
一階から上がってきたジークエンドが部屋の中を一瞥すると、そのまま静の元まで行った。
「おいジンやめろ。……シズカは死んでいないぞ 」
「えっ!?」
一瞬放心した迅八を、クロウの豪腕が吹き飛ばした。
「黙ってりゃバカスカ人の事を殴りつけやがって。……どけクソガキッ!! 邪魔なんだよ!!」
「痛っ!! ……クロウ、テメエッ!!」
睨みつける少年を置いて、クロウはフラつきながら部屋を出て行った。部屋の外では黙って騒動を見ていたコルテが腕を組み立っていた。
「……少しだけ、同情しないでもねえです。あんた今まで随分と厄介なの抱えてたんですね」
「フン。どけ 」
そのままクロウは一階に向かい、家の外へと出て行った。
……クロウがいなくなると、アゼルを縛りつけていた糸の拘束は解かれた。自由になった体でアゼルはそのままクーロンの様子を見る。
「綺麗に気絶させられてる。怪我はないよ。……ジークエンド、シズは……」
「……ふむ。ジン、おまえは確か、クロウに言葉が理解出来るようにしてもらったと言ってたな?」
「あ、ああ。それより、それより静は!」
「……その時は、いじった……与えたのか? 今回は……食った?」
ジークエンドは一人で考え、一人で何らかの答えを出した様だった。
「……シズカはきっともう大丈夫だろう。目を覚ましてみないとわからんがな 」
その言葉を聞いた迅八が恐る恐る妹に近寄ると、その顔はとても安らかに見えた。……それを確かめた迅八は、安心してまた涙をこぼした。
ジークエンドは窓の外を見て呟く。
「……ふむ。随分と、伝承と違う悪魔もいたものだな 」
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自分の脳内に、知らない『記憶』の奔流が通り過ぎてゆく。与えられる苦痛と恥辱、怒り、悲しみ、それらが全て終わったあと、『絶望』だけが残った。
「ぐぅっ……クソッタレがァ……!!」
クロウは家から少し離れた巨大な木の前で膝をついていた。その顔には大悪魔に似つかわしくない苦悶の表情が浮かんでいる。
(……あのクソガキが。好き放題殴りやがって)
別に迅八の打撃などなんの痛痒も感じなかったが、今はクロウの精神に巨大な負荷がかけられている。静に行った行為の代償として。
(……面倒くせえ。厄介事しかねえ 。なんなんだ。なんなんだ……!!)
あの子供は泣いていた。小汚い顔をして涙と鼻水を撒き散らして、素手で悪魔に殴りかかってきた。
その妹は泣きながら笑っていた。手を広げて目の前の悪魔を受け入れようとしていた。
『おねがい』
そう言っていた。
「……ィィィイイイ」
クロウはつい目の前の巨木を本気で殴りつけてしまった。鬱憤晴らしに軽く殴りつけようとしたのだが、なぜかその右手は全力で振るわれた。
ドン、という音と共に木の根が引きちぎられる音が聞こえ、数秒後には十数メートル先にその木は轟音を立て墜落した。
「……イラっ、つく、ぜええええええ……!!」
誰に向かって放った言葉なのか。それはクロウにもよく理解出来ない。
しかし、その『誰か』はまだ知らない。
自分が、この世界の王者の機嫌を損ねた事を。
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夜、食卓では誰も喋る事もなく食事が進んでいた。時折コルテがアマレロとクーロンにマナーをしつけていたが、二人は揃って無視していた。静はまだ寝ている。今はアゼルも同じ卓を囲んでいた。
「……おうこらクソガキ、いつまでメソメソしてやがんだ!! さっさとブッチめに行くぞ!!」
ばんっ!! 突然乱暴に扉が開かれると、そこには人型のクロウが立っていた。そのままズカズカと中に入ると無造作に食事に手をつける。……突然の乱入者に、皆が目を丸くした。
「な、何もんですかてめえ! ……ちょ、スープから飲みなさい! スープから!」
『死にかけ』達はまだ、クロウの人間形態は目にしていない。それでもコルテが真っ先に指摘したのは食事の作法だった。
「……ひょっとして、あんた『クロウ』かい? ありゃまあ、今度は随分といい男っぷりの姿だねえ」
クーロンの飲みかけのスープを横からかっさらい、クロウが豪快に口に流し込む。
「ん〜? 悪くねえ味だ。誰が作ったんだ」
「……僕です。作法はひどいもんですけど、まあ舌は確かなようだ」
「なんだてめえかクソ眼鏡。褒めて損したぜ 」
「……なんだと? ぶっ殺されてえです? このチンピラが!」
突然の乱入者によって、静かな食卓は騒がしさに包まれた。その空気についていけてない迅八の様子を見て、クロウは溜息を吐いた。
「……おいクソガキ。ぶっ飛ばしに行かねえのか?」
「え、え、」
「……殴られたら殴り返す。それが『生き物』のルールだ。世界の決まりも種族もカンケーねえ。それを忘れた阿呆は食われるぞ。……テメエの世界じゃちげえのか?」
「なに言ってやがんだ! けど、まだ静が落ち着いてないから……、そばにいなくちゃ、」
「あいつはもう平気だろうが。明日になりゃ別の言い訳しやがる人間よう、てめえはそのうち怖くなるんだよ。 ……おうコラクソガキ。やるんだったらさっさと行くぞ」
その言葉に迅八は胸を刺される。すると、食卓の上に静かな笑い声が聞こえた。
「ククッ……」
「ジークエンド、さん?」
赤い髪の男が笑っている。堪えるように、耐えきれないというように。その笑い声が高まり、やがてまた小さくなった。
「クククク……。おめえら予定を変えるぞ。今日だ 」
その言葉を聞くと、アマレロがあくびをしながら立ち上がった。
「お〜? ……んじゃさっさと終わらせるか」
アゼルとクーロンは階段を登っていく。それを横目に見てコルテが口を開く。
「シズは僕が見ときましょう。……僕が行かなくちゃいけない程でもねえでしょうし」
手あたり次第に食事に手を付けるクロウが、ジークエンドに問いかける。
「おい大丈夫なのか? このクソ眼鏡が守りで。出来るんだろうなコイツ」
「……だそうだ。大丈夫かコルテ」
「僕のこと舐めくさってます? 食らってみるか?」
「……だそうだ。これでいいか?」
「ふん。まあ気張って働けや 」
迅八の目の前で事態はどんどんと進んでゆく。赤いライダースジャケットのような防具を着たクーロンが、呆然とする迅八に二階から声をかけた。
「坊や、それでも着てな」
「な……」
……ふぁさり。二階から落ちてきたそれは、真っ黒いコートだった。仕立ての良いそれを見てジークエンドが声をあげる。
「懐かしい物を……」
「もうあんた着ないんだろ? ほら、あんた達も」
アマレロに青いコートを、コルテに灰色のコートを投げ渡す。降りてきたアゼルは緑色のコートを身に纏い、やはり顔の下半分にストールを巻きつけていた。
「……はい。ジークエンド」
そしてアゼルがジークエンドに真っ白いコートを渡すと、それぞれが身に纏う。そして皆、何を話し合うでもなく、さっさと外に出て行ってしまった。
その場に残ったコルテは溜息を吐きながら食事の後片付けをしていた。
「全く……自信作だったのに」
「え、あの、みんな何処に……」
「みんな? なんですソレ。あいつらが何処に行って何しようがあんたにゃ関係ねえでしょ。あんたはあんたのやる事をすりゃあいい。バッタリ行き先が一緒なら協力する事もあるでしょうよ。……てめえはそこまでガキなんですか?」
「あ……」
その言葉を噛み締めて迅八も黒いコートを身に纏う。少し大きめのその服は、なぜか迅八にひどく馴染んだ。
「……コルテ、俺行ってくる。静の事、頼んだからな!!」
騒々しく扉を開けて少年が出ていくと、一人になったコルテは苦々しく吐き捨てた。
「だから、呼びつけにするなっての……!」
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迅八が外に出ると、集団はすでに先を歩いていた。クロウも当たり前のようにその中にいた。
「……おい鉄拳女。俺様には服はねえのか?」
「なんだい、あんたも欲しかったのかい?」
「俺様は安物は着ねえ。だが用意されてないのも気に入らねえ。一言聞けや」
「……あんた、思ったより面倒くさい性格してんだねえ」
後ろを歩いていたアゼルに迅八は追いつき、その隣に並んだ。
——どこに行くんだ?
聞きたいその言葉を迅八は抑え込む。彼等が向かう先は関係ない。迅八は、今日のうちに、やるべき事をやらなくてはいけない。
ただ、もう一つの疑問が囁きのように出てしまった。
「みんなは、なにをしに……」
アゼルが口を開く前に、先頭を進むジークエンドがなんでもない事のように言った。
「……悲鳴をあげさせに、だ 」
月明かりが照らすか細い道を、集団は静かに歩いてゆく。迅八が眺めるその後ろ姿は、頼もしく、力強く、……あとなぜだか。
とても楽しげに見えた。




