ロックボトム
そこは、いつか見た花畑だった。
記憶なのか夢なのか、定かではない光景。またそれを思い出している。
父親と自分が、木陰に座り話をしている。
……そうか。俺が死んだ後は、そんな事になったのか
父親が迅八の肩を抱く。
……頑張ったんだな。偉いぞ。迅八。
涙が止めどなく溢れ出る。
…けどな、もう、大丈夫だ。ここには、なんにもない。お前が望む安らぎだけがあるんだ。
迅八の胸に疑問が溢れる。
ここは、どこだ?
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「……お〜クーロン。その子供はまだ起きそうにね〜のか〜?」
「アマレロ。……時折うなされてるね。…どんな夢を見てんだか」
「その風貌からすると転生者みたいだけどな〜。娘の方は喋れないみたいだ。アゼルが付きっきりでやってるぜ」
「……今は好きなだけ寝るがいいさ。この坊やもあの子も。可哀想にね、なんであんな事になってたんだか……」
「可哀想〜? 鬼のクーロン姐さんの口から出た言葉とは思えねえな。ジークエンドとコルテはあの野郎の事を調べてる。その子供も関係してんのかもな〜」
「……ふう。嫌になるね。けど、そうだったら。……楽しみも増えるねえ」
「……おっそろしい顔で笑うよなぁ。お前はよ〜」
「魅力的だろ? ……アマレロ、ご飯持ってきてよ。あたしはここで食べるから」
頭を撫でる優しい手。
夢と現の狭間から、迅八の意識はまた落ちていった。
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幼い頃の記憶。
母親の胸の中で、迅八が安らかに眠っている。母親からはいつでも柔らかい匂いがした。
「ジンくん。今ね、おかあさんのおなかの中に、ジンくんの妹がいるんだよ」
「ほんとうに? はやくでてこないかなあ…」
「ジンくんは妹にやさしくできる?」
「うん、あたりまえだよ」
「そう……。ジンくんはいい子だね。ママは、ジンくんの事大好きよ…。ジンくんも、ママのこと好き?」
「うん!!」
「……そう。けどね、母さんは、あんたの事なんか大っ嫌いよ」
「え?」
気が付くと、迅八は現在の姿になっていた。
「あんたたちが、あんたたちがいなければ……」
いつの間にか母親は、鬼のような形相になり迅八の事を睨んでいる。
「あんたたちがっ!! ……いなければああああ!!」
「……やめてっ!! やめて母さん!!」
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「アアアアアアアアッッ!!」
ベッドから飛び起きる。心臓は破裂しそうな程にうなりをあげていた。迅八が震える手で口元を抑えると、その隙間から吐瀉物が溢れ出した。
「う、え、おぶ、ゲッ……!!」
迅八の胸の内から溢れ出るように、それは止まらない。すると、迅八の背中がゆっくりとさすられた。
「……大丈夫だ。全部吐くといいよ 」
「うえ、げ……!!」
胃液だけしか出てこない。その吐き気が収まり涙で滲む視界の中、自分の背中をさする人物に気が付いた。
……迅八よりも小柄なその影は、部屋の中なのにコートに付いたフードを目深にかぶっていた。そして、顔の下半分を覆うように長いストールをぐるぐると巻いている。
フードとストールの隙間からは褐色の肌と真っ赤な髪の毛、緑色の美しい目が迅八を見ていた。
「……ほら。全部吐いてしまうんだ」
まだ声変わりをしていないのか、その高めの声は小柄な影によく似合っている。
「……なにがあった? アゼル、なにしてんです?」
その声と共に、扉を開けて入ってきたのは長身痩躯の男だった。薄い青色の髪を真ん中で分けて、かけている眼鏡を指で押し上げる。
「アゼル、どうしました?」
「様子を見にきたら丁度こいつが起きたんだけど、ひどく混乱してる。……クーロンを呼んでくれ」
一度肩をすくめると、眼鏡の男は去っていった。
小柄な影は、迅八の背中を叩いた。
「……大丈夫。大丈夫だ。お前の連れも無事だから今は休むんだ。お前が落ち着かないと連れにも会わせられないぞ」
「あんたたちが、たすけて、くれたのか?」
「助けたかどうかは判らないが……。お前の連れの女の子は無事だよ。順調に快復してる。だから、お前も……んっ!」
迅八はその小柄な影に抱きついた。そして、涙を流し、震えながら感謝した。
「……あり、が、とう! ありがどうっ! おれは、おれは……っ!」
小柄な影は、驚いて振り上げた手をどこに降ろしていいのか迷い、やがて、ポンポンと迅八の背中を優しく叩き始めた。
「……ふう。わかった。わかったから離してくれ。お前はいま、自分がゲロまみれなのを判ってるのか?」
「あんたの、なまえは……?」
それでも自分の体を離そうとしない迅八に向かい、影は溜息をつく。
「アゼルスタンだ。もういい加減離せ」
小柄な影——アゼルスタンが迅八の胸を押しのけると、そこにクーロンと呼ばれる女が入ってきた。
「……おや? おやおや? いいとこだったのかい?」
「馬鹿な事を……。クーロン、後は頼んでいいか」
アゼルスタンは迅八の手をゆっくりとほどくとその部屋から去っていった。
「坊や、目が覚めたのかい? ……覚えてるかい? 何があったのか」
入れ替わりその部屋に入ってきた女性は、美しい彫刻のようだった。短い黒髪と褐色の肌を持つその女の耳は、長く尖っていた。
タンクトップのような部屋着と革で出来た短いスカートからは、薄く割れた腹筋と、しなやかな太ももの筋肉が艶やかに光っている。怜悧な美貌をもったその女は切れ長の目を優しく緩め、迅八の頭を胸に抱いた。
「……今はなにも話さなくていい。明日になったら少し話を聞かせてくれるかい? ……今は、坊やも眠るんだ」
その優しい感触に、迅八の意識はまた闇に沈んでゆく。
「あんたは、あんたたちは……」
「あたしかい? あたしはクーロン。……あたし達は、巷じゃ『死にかけ』なんて呼ばれてるね」
ロックボトム。どこかで聞いた言葉。
また闇に沈む前に迅八が最後に感じたのは、自分の汚れてしまった顔を拭う、優しい手の感触だった。
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目覚めると、朝の光が目に入ってきた。
そんなに広くはない部屋の中、迅八は一人でベッドの上で目覚めた。そして、ベドワウの館で起こった事を思い出す。それから、断続的にある記憶……アゼルスタン、クーロン、自分達を救ってくれた者たちの事も。
「しずかっ……!」
飛び起きた迅八がそのまま扉を開けると、そこには人間が五人いた。
「静……静はっ!?」
その中の何人かは目を丸くしている。すると、真ん中に座っていた燃え上がるような赤い髪をした男が口を開いた。
「……朝からやかましいぞ。落ち着け 」
「静に、静に会わせてくれないか!? 頼むよ!!」
すると、迅八のそばに座っていた大男が突然立ち上がり、迅八の顔面を掴んだ。そしてそのまま片手で持ち上げる。
「がっっ!!」
「坊主。やかましいってよ〜。顔でも洗って来い。アゼル、ちょっと連れてってやってくれ。……コルテ、座れよおめ〜はよ〜 」
「…………」
赤い髪の男の隣、いつの間にか立ち上がっていた眼鏡をかけた男が、その様子を見て再び座った。
「いってええええ!!」
「アマレロ、頭割れちゃうよ 」
アゼルスタンがそう声をかけると、大男は無造作に出口の方に迅八を放り投げた。
「いってええ!! きゅ、急になにすんだ!!」
「うるさい。いいから来いよ」
アゼルスタンに引っ張られた迅八は、外の水汲み場まで連れてこられると、頭から水をかけられた。
「ぶわっ、なにすんだよ!」
「後でアマレロに礼を言っておいた方がいい 」
「アマレロって……、俺を投げ飛ばした人の事か? なんで急に、」
「コルテがお前の事を殺そうとした。アマレロがああしなかったらお前は今頃死んでる 」
「殺す? 俺を? ……なんでだよ。冗談きついよ」
「ジークエンドはやかましいと言った。お前はそれでも黙らなかった。……だからコルテはお前を殺そうとした。わかったか?」
「……はあ?」
迅八は呆気に取られた。論理がまるで理解できない。
コルテというのはあの眼鏡をかけた長身痩躯の男の事だろうか。そんな事で人間を殺す奴なんて、迅八は聞いた事がない。
「警告はしたぞ。次は誰も助けてくれないかもしれないから。……いいか。ジークエンド自身はお前がどんな態度でも気にしないけど、コルテは許さない 」
それだけ言うとアゼルスタンはまた家の中に戻っていった。残された迅八は、その後ろ姿を呆然と見ていた。
水汲み場で、一人で頭から水をかぶる。
コルテという男が本当に迅八を殺そうとしたのかは判らないが、迅八には冷静になる時間が必要だった。
「ここは、どこだ? ……あれは、オズワルドの町か?」
近くには町を囲む外壁が見える。あの館であった事を思い出すと、瞬時に脳が煮え立った。
「ベドワウ……!!」
しかしその前に、今は静だ。
アゼルスタン達に、自分と一緒に保護してもらった妹。その容体を確かめ、彼らに感謝しなければならない。
必死になって暴れ出そうとする心を抑え、迅八も家の中に戻った。
……家の中では何事もなかったように先程の光景が続いていた。迅八の姿を認めると、皆の声が途絶えた。
「……ジークエンド、さん。俺を、俺たちを助けてくれて、ありがとうございます」
そして迅八は深く頭を下げた。その様子を赤毛の男、ジークエンドは黙って見ていた。
「……お願いです。静に、妹に会わせてください。……お願いします」
いつの間にか、迅八は涙を流していた。その掠れる声を聞き、ジークエンドは隣の男に声をかけた。
「コルテ」
「……フン」
薄青髪の男、コルテが眼鏡を押し上げると、椅子から立ち上がる。
「こっちにこい。……あなた、名前は?」
「迅八、……ジンです 」
「ふん。さっさと来なさい 」
そう言ってコルテは二階に続く階段を登り始めた。
普通の家だった。変わった所など何もない。幾つかの扉を通り過ぎると、一番奥の部屋の前でコルテは振り返り、迅八に言った。
「いいですか。君の妹……シズカと言ったか? その子が中で寝ている。起こすんじゃない。見るだけだ。いいですね? 」
コルテはおかしな言葉遣いだった。乱暴なのか、丁寧なのか、よくわからない。
「うん、わかった。おとなしくしてるよ……」
迅八がそう言うと、コルテはその部屋の施錠を解いて中に入った。
その部屋も、迅八が寝かされていた部屋と同じような作りだった。そして、その部屋の窓際。日の光に照らされたベッドの上で、静は横になっていた。
その顔は、迅八のよく知る妹の顔だった。館で見た時はどれだけの暴力を振るわれたのか、ゆがんでしまっていたはずの骨格も元に戻り、今は迅八のよく知る端正な顔に戻っている。その体もひどい事になっていたはずで、迅八はかけられた薄い布団をめくって確かめたかったが、起こしてしまうかもしれないのでやめておいた。
しかし、その胸。ゆっくりと、一定のリズムで上下している胸。……生きている。妹は生きている。
「しずか……よかった……!!」
コルテに袖を引かれる。もう部屋から出ろと言う事なのだろう。迅八は後ろ髪を引かれる思いでその部屋を後にした。
階段を降りる途中、迅八はコルテに抱きついた。
「な、なにをするんです。やめろっ。やめなさい!」
「コルテさん……ありがと、ありがとう……!!」
そのまま迅八は泣き崩れ、コルテの腰にしがみついた。
「は、離せ、離しなさい!! 鼻水が……ああもうっ!!」
コルテはその細身に似合わない怪力で迅八を担ぎ上げると、泣き止まない子供の鼻水が自分につかないように、慎重に皆の所に戻った。
戻ってみると、アマレロが椅子の上で寝ていた。他の者たちも思い思いの事をしている。
机の上に頬をつけただらしない体勢のクーロンが、コルテに声をかけた。
「コルテー、腹減ったよあたし。さっさと作ってよごはん」
「……このダメ女が。てめえで作れないんですか?」
そう言ってコルテは溜息をつくと、迅八をアマレロの隣に降ろしてから台所に向かった。
「……ん? お〜。見てきたか妹 」
椅子の上で寝ていたアマレロが目を覚まし、迅八に声を掛ける。
「うん、生きてる……生きてるんだ!!」
「お〜。そかそか。よかったじゃねえか」
まだ眠そうな顔でアマレロは言う。
アマレロはいかにも精悍な男だった。茶色い短髪の下から伸びる首は太く、おそらく迅八が本気で殴りつけてもビクともしないだろう。
その目は優しげ、というか眠たいだけなのかもしれないが、恐らく戦闘になれば全く違う印象を与える事を迅八に感じさせた。
「あと、さっきアゼルスタンに言われたんだけど、礼を言っておけって。……冗談だよね? コルテさんが俺を殺そうとしてたなんて」
「お〜? 試してみたらどうだ? 次は助けてやらねえけどな〜」
「……冗談、だよね?」
台所でエプロンをつけ、ぶつくさと言いながら食事の支度をするコルテを迅八は見た。しかし、周りの人間達は誰も冗談を言っている風ではなかった。
「あたしらの悪評なんてほとんどあいつが作ってんじゃないの? 迷惑だったらありゃしないね〜」
「お〜。よく言えるなあ…。おまえはよ〜」
クーロンとアマレロがのんびりと言いあっている。
その様子を見ていた迅八の中で、一つの単語が思い出された。
『死にかけ』
ベドワウや宿屋の女将から聞いた話を思い出す。悪名高い、忌まわしい、罪のない者でも容赦無く手にかける連中。
(本当に、この人達が……?)
そんな事を迅八が考えていると、赤い髪の男が迅八に声を掛けた。
「……皆と仲良くなったようだな 」
「あ、えと、その」
「ジークエンドだ。ジン。食事をしたら少し話をする。言いたくない事は言わなくてもいい。俺達も少しお前に聞きたい事が出来た 」
そして、太陽のような髪を持つ男、ジークエンドと迅八は出会った。




