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アゲイン×2 《クロスツー》  作者: 紺堂 悦文
第三章 ロックボトム スクリーマーズ
35/140

死にかけ

 



 石畳で出来た階段を、足音を立てないように降りていく。室内ガス灯もここには備えられていない。亜人の国で見たのと同じ、等間隔に壁に埋め込まれた魔光石と、手元のランタンの頼りない明かりでゆっくりと進む。


 階段を降りると、そこには甘い香りが漂っていた。館の中で焚かれていたのと同じ香りが、濃厚に漂っている。短い廊下の左右にドアが幾つか並んでいた。

 耳をすましてもこの場所からはなんの音も聞こえない。手元のランタンがチリチリと鳴らす音と、遠く聞こえる雷鳴以外は全くの無音だった。


「…………はッ」


 一番近いドアの取手をゆっくりと掴む。音を立てないようにそれを回すと、呆気なく扉は開かれた。

 その部屋の中に充満していた甘い香りが迅八の鼻を刺す。顔をしかめて入ったその部屋には、中央に大きな台が置かれていた。そして、迅八が一見しただけではその用途が判らない道具が、壁に幾つも並んでいた。


「……道具、っていうか」


 ノコギリのようなもの。金鋏(かなばさみ)のようなもの。動物の腸を加工して作ったホースのようなもの。歪な短剣のようなもの。クスコのようなもの。……所狭しと並んでいる、それら医療器具のようなもの(・・・・・)


 絶句した迅八は、視界の端に、鈍く光を反射する物を見た。近寄って、落ちていたそれを指でつまむ。


「……つめ?」











 ここは、良くない場所だ。今すぐ戻った方がいい。……そう思う気持ちと、先を確かめなくてはいけないという気持ちが迅八の中でせめぎ合う。

 ここは、『収穫祭』の洞窟だ。あそこと同じような場所だ。きっと、先に進めば後悔する。



『てめえは、その転生者がどんな境遇だろうと一切関わるな。自分の妹じゃないという確認だけしとけ』



 クロウからは強く言われている。そして、この頃には迅八も気づき始めていた。

 ……この世界は、美しい。

 しかし、自分から望めばたやすく地獄の口は開く。


 迅八の元の世界での中世や近代まで続いていた、あるいは現代でもひっそりと行われていたのかもしれない『秘め事』が、半ば黙認されている世界なのだ。この世界はまだそういう時代なのだ。

 自分は、その光景を見てしまっても冷静でいられるのか? 妹の為と割り切り、遠回りは避けて通れるのか?


「……見るだけだ。確認するだけだ」


 言い訳のように呟きながら、次のドアを開ける。


 ……そこは、炊事場と風呂が一緒になったような、奇妙な部屋だった。食事を作りながら風呂に入る人間は少ない。しかし、感じる。……禍々しい雰囲気を。

 その部屋の秘密に気が付いてしまう前に、迅八は次の部屋に向かう。もうその時には足音を忍ばせる事も、ドアノブをゆっくりと回す事もしなかった。荒い息で(あえ)ぎながら、次の扉を開く。


 次の部屋は、少し見た感じでは普通の部屋だった。むしろ豪華な部屋だった。天蓋(てんがい)付きのベッドが置かれ、大きな鏡が壁の一面に貼ってある。そして、その豪華な部屋のベッドの端からは、分厚い鎖で繋がれた手枷(てかせ)がいくつも伸びていた。

 それを見つけた迅八は、扉を叩きつけるように閉めた。


 ……背後から音がした。まだ見ていない最後の部屋。その扉だけは薄く開いている。うっすらと光が漏れるその隙間の奥から、人か何かが動く音がした。

 そして、迅八はその扉をそっと開けた。伸ばした手は震えていた。






 普通の部屋だった。今までの部屋にあったような、奇妙な道具も違和感もない。テーブルの上に置かれたランタンが、小さく炎を揺らしている。

 部屋の奥に(こしら)えられた寝台。そこに人間が横たわっていた。

 その人物の方から匂いがする。焚かれた香のかおりに混じり、漂ってくる粘膜の匂い。……唾を乾かしたような、脇の下に出来たシミのような、んでただれた黄色い匂い。


「……っは、っは……はあ……」


 迅八は喘ぐ。もう、恐らく引き返せない。しかしこれ以上は、クロウとの決裂を意味する。


「……、ん、……、」


 何かを、喋った。横たわる人影が。











「……お、……、ちゃ、……、?」


 迅八の腰から力が抜け、倒れこむように寝台にすがり付く。間近でみたその人間の、ふくれ上がった頬に埋れた細い瞳から、ひとすじ涙がこぼれた。


「お、……ちゃん、……な、の?」


 その、醜く歪んでしまった顔が、更にぐしゃりと変形した。

……泣いている。醜い怪物が泣いている。


 その顔は原型をとどめない程に腫れ上がり、喋る言葉もうまく聞き取れない。体の至る所に酷いアザと裂傷があり、その足は折れ曲がってしまっていた。

 死にかけだ。目の前の人間は死にかけている。その体の傷ではなく、心が砕かれかけている。


 そして、その怪物の声。面影さえ残っていない顔。それでも、迅八にはそれが誰なのか解ってしまった。


「……おにい、ちゃん、……おに……ちゃん」


「しずか?」











 何もない、ふっとんだ思考の中で、迅八は『耳がうるさいな』と感じていた。絶叫が聞こえる。とても近い場所から。自分の口から。喉から。魂の奥底から。

 狭い部屋の中に反響するその声を、どこか他人事のように聞いていた。そして、その声に混じり、部屋の入り口から声がした。



「……鍵はね。掛けない方がいいんですよ」


 その声に振り向く事もない。ただ、迅八の心の中では大きな疑問が渦を巻いていた。その渦は大きくなり凄まじい音をたて、迅八の心の中に嵐を巻き起こす。


「逃げるでしょ? ……けどね、無理なんです。それが、いいんだなぁ……」


 クロウは言っていた。

 てめえの妹じゃねえだろうよ、そんな偶然あるもんか。

 迅八だって、その可能性が高い、というか、そうなのだろうと思っていた。


「そうするとね、『良い子』になっていくんですな。……私はね、嫌いなんですよ無理強いが。欲しいのは()だ。……そうでしょ? 誰だってそのはずだ」


 ユカは?

 ベドワウは、ユカだかユウカだという名前の転生者を保護していると言っていた。その、ユカは一体どこにいる? 目の前の傷つけられた少女は、ユカでないとおかしいはずだ。そして、『保護』? これが?


「心苦しい。気が進まないんです。だって、そういう『決まり』でしょ? ……転生者は助けないと……ね?」


 迅八の背後から、ズビっと耳障りな濁音が聞こえた。それは、そこに立っている貴族が、こぼれてしまいそうな唾液をすする音だった。


「……楽しかったなあぁぁ」


 迅八の心に怒りはなかった。ただ、混乱だけしかなかった。


「ベドワウ……、ユカはどこにいるんだ!? シズカの事は知らないはずじゃ」

「ユカはもう居ません(・・・・・・)。シズカの事は今思い出しました。いやいや、申〜し訳ない!」


 ぺしりと自分の頭を叩くおどけた態度を、迅八は遠く見つめていた。


「で、どうします? 転生者殿」


 その言葉の意味が迅八には判らない。すると、ベドワウ・オズワルドは今までその瞳に乗せなかった軽蔑の色をにじませて、転生者の子供に問いかけた。


「そうでしたな。なにも判らない馬鹿でしたな。じゃあ説明しましょうか。……どこにも所属していない転生者、あなたはこの後どうします? シズカとあなたの関係はよく判らないし興味もないんですが、あなたはどうするんです? このあと、何が出来ますか?」


 迅八は、聞こえてくる言葉を意味としてとらえられない。それ程に混乱していた。


「私もね。シズカの事は諦め掛けてました。いつまで経っても私を愛してくれない。お楽しみに進む前に処分しようかと考えてたんです。だから、あなたがソレ(・・)を連れていきたいんなら好きにすればいい。……ま、無理でしょうが 」


 ベドワウが懐から何かを取り出すと、その中身を床に撒きはじめた。


「それよりもね、オススメがあるんですよ。……どうでしょう? 見ててくれませんか?」


 ベドワウは、筒のような物に入った液体を撒き終えると、その筒をまた懐にしまった。辺りには嫌な匂いが立ち込めた。


「これからソレを処分します。で、ジン殿はそれを見ててください。きっと、きっとね、楽しいだろうなあ……。そうしたらね、ジン殿にはこれから一切関わらないし、まとまった金も渡しますよ。見てるだけです。そして、聞いてる(・・・・)だけです。

 ……いやいや、もちろんもちろん、参加したかったら一緒にやりましょう。楽しみましょうよ!!」


 そして、べドワウはランタンの蓋を開けて、炎を紙片に移した。


「きさま……」


 迅八が立ち上がる。その目は昏く濁り出す。混乱が去ると、その心の中には呆気ない程に静かな怒りが舞い降りた。


「きさまあああああああっっ!!」

「……ほ〜ら。やっぱりバカだ 」


 ……ぶわおんっ!! ベドワウが紙片を床に落とすと、部屋が炎に包まれた。ベドワウは部屋から抜け出し扉を閉めた。その扉の上部に備えられた覗き窓、そこから、ニヤけた二つの目が迅八と静を眺めている。


「ベドワウゥゥッ!! ……出せ、ここから出せ!! 開けろおおおっ!!」

「……あ、あ、あ、あ、あっあっアッアッははははははははははは……!!」


 喉から思わず漏れてきたような、乾いた断続的な笑い声。覗き窓の二つの目は、これ以上はないという位に、幸せそうだった。


「ベドワウ、……ベドワウっ!! ベドワウーーーー!!」

「やっぱり、いいなぁ……。出来れば、見ててもらいたかったな……。これだと、一瞬で終わりだもんなあ……モッタイナイなあ……」


 部屋の中を舐める炎は次第に勢いをましてゆく。石で出来た部屋は最終的には消火されるだろうが、部屋の中には燃え種がまだいくらでもある。


「おにい、ちゃん。にげ……」


 迅八は静に駆け寄ると、その体を抱いた。


「静!? しずか!! ……なんで、なんでお前がっ!!」

「あ、お兄ちゃんなんでちゅね。なんでかはわかりまちぇんね。お兄ちゃんにだってわからないんでちゅもんねえ。やっぱりバカなんでちゅね〜。……あっはははあはあはあははははは……」


 覗き窓から聞こえてくるベドワウの人を苛立たせる声が、迅八の辛うじて残る理性をこれでもかと逆なでする。


「ベドワウーーーー!! ……キサマ、殺してやる。必ず殺してやるぞ!!」

「ど〜うぞどうぞ。 ……で、何もわからないし何も出来ない馬鹿が、どうやって?」


 先程までとは違い扉はしっかりと施錠されている。そして、その重厚な扉はとても力で押し開ける事など出来そうにもない。


「きさまあああああああああっっ!!ベドワウ!! ベドワウーーーー!!」

「あはははは。それしか言えないのか? 本当にバカなガキだ。まあ、私は楽しませてもらったんで君達もゆっくりと味わうがいい。ここはけむいから私は失礼するよ。……こうなってしまうと色々とやらなくちゃいけない事もあるからね」


 かこん、と覗き窓の穴が閉まると、ベドワウの足音が離れていった。

 その離れていく足音に追いすがるように、迅八は扉に体当たりした。足が炎に舐められる。もうすでに部屋の中は、直接炎に当たらなくても人間が長い時間生きていられる温度ではない。


「ベドワウ!! きさまあああああああああああああああッッ!!」


 その扉を素手で殴りつける。ビクともしないその扉を叩き切ろうと腰に手を伸ばすが『迅九郎かたな』はそこにない。


「そうだ……夕食の前に!!」


 その時、迅九郎とナイフは家人に預けてしまった。特に問題はないと思ったのだ。


「お、にい、ちゃ……」


 バチバチと家具が爆ぜる音の中で、微かな囁きのようなそれを聞き、迅八は静の元に戻った。


「大丈夫だ静、兄ちゃんが、どうにかしてやるからっ!! 帰ろう、家に帰るんだ!!」

「帰って、どうするの……?」


 その言葉で、迅八の記憶の蓋が外れかかる。


「あそこに帰って、どうするの? おにいちゃん……」


 もはや面影を残していない、崩れてしまったその顔で、静は笑った。


「もう、いいよ……。もう、終わりにしたい」

「やめろ、静、やめろよ……! なんで、なんでそんな事言うんだよ!!」


 迅八の心の奥で、しまっていた記憶が触手を伸ばす。……カタリ、その蓋に手をかける。


(やめろ! ()じゃねえ!! 今は、静を助けるんだ!! ……扉を、力をッッ!!)


 すると、いつの間にか。その右手には『ナイフ』が握られていた。






 迅八は炎に包まれながら、ナイフで扉を切りつける。

 ナイフはその小ささに見合わない程の切れ味で扉を傷つけるが、圧倒的に大きさが足りない。


「うおおおおお!! ……心臓剣(ソードオブハート)心臓剣ソードオブハート!! ……ソードオブハートオオオオオッッ!!」


 名付けを行ったはずのそのナイフは、迅八の言葉に反応しない。クロウが言っていた『青白く長大な剣』。全くそんな姿にならない。


「なんでだっ!? ……なんでだあああああああッッ!!」


 足の衣服は全部焼けてしまい、直接その肌を焼いている。そこから上に登ろうとする炎にも構う事なく狂ったようにナイフで扉を切りつける。人間が耐えきれない激痛に一瞬でも気をやってしまえば、その体はたやすく崩れ落ちる。

 迅八が振り返ると、静の寝台が炎に包まれていた。


「う、うああああああああああ!!」




『……てめえは、その心臓から剣を抜き出したぜ。心臓剣って名前を付けてな』




 頭のどこかで浮かび上がるいつかの記憶。

その悪魔の声に導かれるように、ためらいなくそのナイフを己の心臓に突き立てた。


「ぐ、ぐぷ、ぐっっっ、かっは!!」


 その目からはまっすぐに黒線が引かれ、青白い光が揺らめく炎の中で輝きだす。


「ぞぉど……!!」


 呼ぶ。己の心臓を捧げて、目の前の道を切り開く為の、求め続けたその力を。


心臓剣(ゾォドアブハアアトォ)オオオォ!!』









 ————————————————








 外は、雨だった。

 激しい風が叩きつけられ、空には雷光が走る。

 死にかけの静を両手に抱え、迅八はなかば炭化してしまった足で、夜の町を這うように進む。


「しずか、しずかあああああ……!!」


 このままでは、死ぬ。妹が死んでしまう。

 迅八の方が酷い火傷を負っていたが、静には元から負っていた傷もあり、なにより迅八のような再生能力を持っていないようだった。


「だれか、だれかっ、たすけて……妹をっ、たすけてェッッ!!」


 雨に濡れる体。

 ナイフで穿たれた胸。

 死にかけで迅八に抱かれている、静。


 迅八の心の奥で、しまいこんでいた記憶が蘇る。


「あ、ああッ、あああああ……!!」


 思い出した。迅八は思い出してしまった。

 自分は死んだはずだ(・・・・・・・・・)。いつでも頭の中にあった、そんな思いの裏付けを。失くしてしまったその記憶を。



「……どこにいっても、俺たちは、こうなのか?」



 呪うように空を仰ぎ、そのまま体は崩れ落ちた。







 




 ……足音が聞こえる。雨に濡れた泥を踏みしめて、誰かが迅八のそばに寄ってくる。



「……死ぬのか?」



 迅八に聞いているのだろうか。また、同じ言葉を繰り返す。



「死ぬのか?」



 その時、また空に雷光が走った。

 ……人影は、五人いた。木にもたれかかる者、濡れないように木陰にいる者、雨に濡れるのも構わず腕を組んでいる大きな者、その横にいる小さな者、そして、空を仰ぎ倒れこんだ迅八を見下ろしている者。


 また、雷鳴が轟く。その時、一瞬その光に照らされた人影は、真っ赤な髪の毛が荒々しくうねり、逆立ち、燃え上がる赤い太陽のように見えた。

 そして、『太陽』がまた同じ言葉を口にする。



「死ぬのか? ……答えろ 」



 その言葉で迅八は、腕の中の温もりを思い出す。


(死なねえ……! 死ねない!! 妹を、守らなくちゃいけないッッ!!)


 炭の様になってしまった足で、ゆっくりと立ち上がる。満身創痍のその体で、瞳だけは異常な程に輝いていた。


「死なねえ……。死なねえ!! こんなところで、死んでたまるか!! 俺は、こいつを死なせねえッッ!!」


 最後の力を振り絞り、人影に食ってかかる。そしてそれだけ言い終わると、守るように妹の体を抱え込み、迅八はその意識を手放した。











 雨音に混じり、場違いな口笛の音がする。


「ヒュゥ〜……。シビれた 」


 木にもたれかかる影、口笛が聞こえてきた場所から女の声がした。


「どうすんだい? ジークエンド 」

「……アマレロ。運んでやれ 」


「おう 」


 腕を組んでいた大きな影が、やすやすと静の体を持ち上げる。


「……コルテ 」

「やです。汚れそうなんで」


 すると、アマレロと呼ばれた大きな影のそばにいた小さな影が、迅八の肩を抱き起こした。


「アゼル、あんた運べるかい? あたしがやろうか?」

「……大丈夫だよ」


 そして、しばらくするとその場からは誰もいなくなった。




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