聖堂
迅八が奥の部屋へと消えた後、クロウ達三人は酒を飲みながら談笑していた。
そして、ルシオとロザーヌの必要以上になごやかな雰囲気は、家を訪れた時からクロウが感じていた違和感を、確信に変えていた。
「……おう、あの窓。ありゃどうしたんだ?」
ロザーヌが立ち上がり、その窓に近づく。
「ああ、これ? そうね、寒くなる前には直さないといけないと思ってたんだけど」
「まあ、そんなもんは板でも貼り付けておけばなんとかなるさ。……ところでクロードさん、その亜人の国の話をもっと聞かせてくれないか?」
クロウは何も語らない。静かにその割れた窓を見ている。……やがて、その視線におされるようにして、その場から話し声は途絶えた。
「……おい。俺達に気を遣ってるんならそりゃとんだ見当違いだぜ。俺様は悪魔だ。んであの小僧はもう寝てんだろ。さっさと聞かせやがれ」
その言葉を受けてルシオが顔を伏せると、その隣にロザーヌが座る。そして二人は語りだした。
……迅八達がオズワルド——ルシオ達の家から発って数日後。ある一人の天使がルシオ達の元を訪れた。
その天使は、青い髪の美しい女性だったという。
(……青い髪? アグリアじゃねえのか )
クロウは口を挟む事なく続きを求める。
その天使は高圧的に出る事もなく、ルシオ達に『オズワルドの混乱』の事情、その説明を求めた。
ルシオ達は、特になにも隠す事なくそれに答えた。
別に、それを知ったからと言って、天使がルシオ達を罰する事はない。悪魔と友好をもとうが、それは個人の勝手だからだ。
迅八達がカザリアを倒した事は、天使達にとっては今の状態では『個人の喧嘩』だった。天使全体への宣戦布告とは取られていない。しかし、カザリアと仲が良い天使が迅八たちを討伐するのも自由だ。
ただ、町中で喧嘩をされたから事情を知りたいだけで、これがどこかの荒野で天使と悪魔が殺し合いをしようが、そんな事には介入しない。
ルシオ達は自分達に責任がない事を知っていたので、迅八達に迷惑がかかるかもしれない『行き先』に関する事以外は正直に答えた。
『……なぜ、その二体の悪魔達が町中で暴れていたのかは判らないと。そういう事ですね 』
ルシオは聞かれた事に素直に答えたが、特に情報を訂正する事もしなかった。二体の悪魔だと思っているのなら、そうさせておけばいい。
それに、暴れていたと言っても二人はなんの被害も出していない。むしろカザリアが出した被害がひどかった。それもあり、ルシオ達は特に緊張する事なく話を続ける事が出来た。カザリアに殺されそうになった所を、悪魔達に助けられた、という事も伝えた。
『……女性が一人亡くなったそうですが、その件については?』
ルシオは、知らないと答えた。自分達は見ていないし、町の人間も知らないだろうと。
『そうですか……』
(ん、なんだっけ。なんか引っかかりやがるな……)
クロウは気になったが、思い出せないという事は大した事ではないと判断した。
そして、天使はシェリーの首飾りを持っていった。奪う訳ではない。調べたい事があると。
ルシオは、天使がその首飾りを返してくれるのを知っていたし、余計な問題を増やしたくはなかったので、シェリーを説得してその首飾りを貸し出した。
それから数日経ってから変化は起こった。
天使の訪問や、混乱に巻き込まれたルシオ達の事を、あいつらは亜人らしい……と囁く者達が現れはじめた。
初めは、シェリーが泣きながら帰ってきた。
町の子供達にからかわれたのだと言う。
それにルシオは憤慨したが、子供同士の喧嘩だし、まだ強く気には留めなかった。
ある日。
ルシオが留守にしている昼間に、ロザーヌだけの家を男が訪問した。汚らしい男だった。
そいつは意味のない世間話をしてから、じっくりとロザーヌの身体を眺めて帰っていった。
次の日、ロザーヌは家を離れ買い物にいった。
帰ってみると、奥の部屋が荒らされていた。
調べてみると、クロウから貰った宝石がなくなっていた。そして、ロザーヌとシェリーの肌着も。
それに怒りを覚えるより先に、ロザーヌは安堵した。自分とシェリーが家に居なかった事に。
そして、帰ってきたシェリーを抱いて、二人でルシオの帰りを待ち続けた。
それからはロザーヌ達が家に居る時にも嫌がらせは起こった。窓に石を投げつけられた。家の前に汚物が撒き散らされていた。ドアを突然激しく叩かれた。夜中に大声で家の前で喚き散らされた。
それが、毎日続いた。
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「へー」
迅八が寝てからにして良かったと、クロウは安堵していた。今の話はとてもではないが、迅八に聞かせられる話ではない。あの少年の反応は容易に想像できた。
「これは、クロードさん達には関係ない事だからな。余計な心配は掛けたくなかったんだ……。済まない 」
関係ないという事はないが、クロウはそれを言及しない。
「阿呆か。悪魔が心配なんぞするか。……で、お前らはこの先どうすんだ?」
ルシオとロザーヌ、二人は言い淀む。
家に残した妻と娘が心配で、ルシオも仕事にならない日が続いている。
ルシオとロザーヌの消沈した様子を見て、クロウは溜息を一つ吐いた。
「あ〜ん? いいじゃねえか。こんなとこ捨てちまえ捨てちまえ。そんでもっといいとこで暮らしゃあいいだろが 」
「……そんなに簡単なことじゃないんだ。行った先でも同じ事があるかもしれないし、仕事だって、住む場所だってないんだ!!」
珍しく、ルシオが声を荒くする。
すると、千年の大悪魔はもう一度、深く溜息を吐いた。
「だ〜かあらっ、てめえらはさっきの俺様の話を聞いてなかったのか? あるだろうが。住むとこだったら大森林の中によ」
その言葉を聞いたロザーヌが顔を上げる。
「もっとも、てめえらがどうしてもこんな狭っ苦しい世界で生きていくってんなら好きにすりゃいいがな。亜人の国に行くんだったら俺様がどうにでもしてやるわ。あそこだったらそんな事は起きねえよ」
考えもしていなかったのだろう。ルシオの顔は呆気に取られている。
その時、奥の部屋からシェリーが目をこすりながら出てきた。
「ん……ジンにいちゃんは〜?」
その言葉に三人は顔を見合わせる。
「……なに言ってやがんだチビ。お前と寝てたんじゃねえのか?」
「ん〜、いなくなっちゃってるの」
クロウは迅八の魂の気配を探る。近くに反応はない。
「おいチビ。あいつとなんか話したか?」
「……くろちゃんにもらった首かざり、」
「おい、ルシオ、ロザーヌ。話は終えだ。ちょいと出てくる」
慌てる二人の返答を待つ事なく、クロウは人型のまま夜の世界に飛び出した。
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迅八は、『教会』の聖堂と呼ばれる建物の前に立っていた。町を歩いていた酔っ払いに、天使はどこにいると尋ねたらここを教えられた。
その酔っ払いは場所を教えた後、迅八の顔を見てから逃げるように去っていった。
迅八は、なんのためらいもなく、教会の重厚な扉を押し開けた。そこには静謐な空間が広がっていた。
……そこは、元の世界の礼拝堂に似ていた。
長椅子が正面を向けて幾つも並べられ、それと向かい合うように、豪華ではないが美しいステンドグラスが張り巡らされていた。
ステンドグラスの前、元の世界ならその宗教のシンボルや、像などが置いてあるべき場所には大きな台座があった。しかし、その台座の上には何も乗っていない。
ただ、大きな台座だけが置かれていた。
その台座の前に、迅八に背を向けて祈る姿があった。
透き通るような銀髪は、ステンドグラスを通した月光に照らされて、虹色に輝いている。
着ている服は、元の世界で言うのならスーツが一番近いのだろうか。
しかし、その形はむしろ、日本の歴史で言うなら軍服、中世ヨーロッパの礼服のような装飾がされていて、迅八には見た事がないものだった。
青と白を基調としてデザインされているその服は、台座に向かい祈る女に良く似合っていた。……聖域で祈る聖女。
「……誰だ?」
その女は振り返る事なく問いかける。
迅八は、誰何するその声には答えず、ゆっくりと歩を進めた。
すると、その人物が立ち上がり振り返った。
美しい銀髪が流される。その下の瞳にはなんの感情も乗せていない。
象牙の様な白い肌、首筋には青い血管が透けて見える。ふっくらとした、桃色の唇。
その唇が小さく開いた。
「貴様……ここが教会だと知ってのことか?」
その言葉を受けた迅八は、何も気にしない。
目からは真っ直ぐに黒線が伸び、口元には獰猛な笑みが浮かぶ。そしてそのまま、女。……アグリアの前まで到達した。
「返せよ首飾り」
その言葉を聞いたアグリアは、一瞬だけその目に感情を乗せた。それは、迅八の言葉に反応したものでなく、目の前の異形の正体に思い至ったからだった。
「……おまえ、『名無し』か? 相棒の悪魔はいないのか?」
「返せよ。首飾り」
迅八はアグリアの声が聞こえていないかのように、同じ言葉だけ口にする。
「返せよ。首飾り」
「……貴様、ここまでなにをしに来た? あの悪魔は何を企んでいる?」
迅八が、息のかかる距離まで、アグリアに顔を近付ける。しかし、再びアグリアの目に表情が浮かぶ事はなかった。
「……貴様は、何を言っているんだ? 教会に害を為しに来たのか?」
「決めろ」
そこで初めて迅八の言葉が変わり、アグリアは一瞬だけ眉を顰めた。
「決めろよ。てめえが決めるんだ。俺がここになにをしに来たのか」
アグリアは静かに、その心を波立たせる事なく、冷静に状況を分析していた。
この異形は、何かの要求をもってここに来た。『首飾り』という言葉が関係しているのだろう。……心当たりはある。
以前、部下がそんな物を持ち帰ってきて、今は自分の手元にそれはある。それを返してもらいに来た……という事なのだろうか。
しかし、その要求は理解出来ても、その理由も目的も判らない。ならばその要求に答える義理はない。
無意味な殺生はアグリアの望む所ではないし、この異形の少年には聞きたい事もある。なにより、この場所を血で汚す事は気が進まなかった。
目の前の異形は一見冷静に見えるが、その心は覚悟を終えている。それを理解したアグリアは、どうするものかと思案した。
そこに新しい乱入者、『悪食』は現れた。




