亜人の里の収穫祭
松明の朧げな明かりに照らされて、朝露に濡れる岩肌をたどり、先に進む。
「そういやあさ。お前、光の玉みたいなのよく出してない? あれ出せないの?」
「いや、あれだと照らしすぎるからな」
いまいち会話が噛み合わない。迅八はそれを特に気にする事なく進んだ。
化け蜘蛛が住処にしていただけあって、その内部は広かった。道は曲がりくねり奥に続く。暗闇のせいで時間の感覚が乱されるが、まだ五分も進んでいない。
やがて迅八の鼻も『それ』を嗅ぎつけ、ゆっくりとその足を止めた。
「……なんか、臭くねえか?」
クロウは語らない。そして、自分から動く事もない。迅八の後ろで静かに佇んでいる。
松明に照らされたその顔は、いつもよりも悪魔らしいものだった。
……しばらく進むと、そこは広間のようになっていた。
迅八の持つ松明では、その部屋の隅々までは照らす事ができない。炎は頼りなく揺らめき、その揺らめきが影を作り出す。
ひときわ異臭の強いその部屋を、迅八は用心深く観察した。
テーブルや椅子がある。あと幾つかの調度品も。それらの全てはどこかしら壊れたり、汚れたりしていた。そして、広間の奥へと更に通路は続いている。
「……お化け屋敷じゃあるまいし。雰囲気ありすぎだろ!」
なぜか、怯えを振り払うように、迅八はおどけた声を出す。するとその声に反応したのか、部屋の隅から音がした。
……その人影は、迅八に背中を向けていた。
長く伸びた髪はその後ろ姿を完全に隠していて、迅八の目には、男なのか女なのか、人間なのかすら判らない。
ゆっくりとゆっくりと、人影が振り返った。
……女のようだった。
本当にそうなのかは判らない。
何故、そう思ったのか。
やせ細り、乾いた裸の胸に、萎びた乳のようなものが付いていた。
女の髪は長く長く伸びていたが、その前頭部は禿げ上がり、産毛のような房が所々に生えている。
眉毛は抜け落ち、その下の目にはなぜか瞼がついていない。剥き出しになった眼球には薄く濁った白い膜が貼っている。そして、その下の鼻は、ぴょこんと上を向いていた。
「……ご、はああ、ん?」
その人影が何かを喋ったが、迅八はそれを聞き取れなかった。
痩せ細ったその体の、下腹だけは異常な程に膨れ上がっていた。そこから伸びる足には乾いた排泄物がこびりつき、女が身をよじり迅八に近づくと、それがパラパラと床に落ちた。
「……ごぉお、はあ、んん」
女はその口をぱっかりと開けると、そのまま迅八の元に倒れかかった。
「え……」
迅八の後ろから、凄まじい速度で悪魔の腕が伸びる。その腕は、なんの躊躇もなく、女の胸を貫いた。
「……ふぃぃぃ、なああぁぁ」
すると、腕に押されるようにして、女の下腹がするんとへこんだ。
……くしゃり。何かが地に落ちる音がした。女の下には、西瓜程の大きさの、粘膜にまみれた蜘蛛が丸まっている。その蜘蛛が、産声をあげた。
——まああああ まぁぁ……
……ずどん。
力強い脚がそれを踏み潰す。
クロウが、女の胸を貫いた腕を引き抜くと、女の体はそのまま後ろに、とさりと倒れた。その音は、とても軽かった。
……広間の奥に続く通路。
その先から、ざわざわと音がする。
まるで、何人も、何十人も、誰かがそこにいる様に。
「ジンパチ、これが最後だ。戻れ 」
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迅八は、体を岩肌にこすりながら、それに構う事なく出口に向かっていた。松明は、どこかに落としてしまった。
それでも足が止む事はない。なにかに急き立てられるように、壁を触りながら進む。クロウは先程の広間に残っている。
前方から、明かりが近付いてきた。
「……ジン、探したんだぞ。こんな所に洞窟があるとは……おいジン、なんでこんな所で、」
何かを喋ったそれを手で振り払い、一刻も早く外に向かう。とにかく帰る。人の住む太陽の下に帰りたい。
それしか迅八の頭にはなかった。
洞窟を出た迅八は、全身が擦り傷だらけだった。そのまま勢いよく目の前の泉まで走り寄ると、直接その中に顔を入れ、限界まで水を飲み込み、それを全て吐き出した。
構わずその上に倒れこみ、仰向けになる。
「ああ、あああああ……」
太陽は強く照りつけ、緑の梢は目に優しい。
木々の間をすり抜けた風が迅八の頬を撫でてゆく。迅八が顔を横に倒すと、ぽっかりと空いた、洞窟の穴が見えた。
この世界は、美しい。
しかし、一歩外れれば、そこは地獄だった。
どれほどの時が経っただろうか。洞窟の中から人が出てきた。
ロドと共に、迅八たちを探しにきた大森林の戦士らは、迅八と同じように泉で水を飲む者、地面にへたり込む者、泣きながら近くの木を殴りつける者……様々な者がいたが、全員が顔から色を失くしていた。
しばらくすると、ロドの姿が見えた。
その顔も蒼白で、迅八の元まで来ると、そのまま倒れるように膝をついた。
おそらく誰もが皆、迅八と同じか、あるいはそれよりも酷いものを見たのだろう。
……やがて、洞窟の中から煙が出てくると、それから程なくして、最後にクロウが姿を見せた。
クロウは洞窟を振り返ると、ぽっかりと空いた穴の上部を全力で殴りつけた。バラバラと岩が崩れる音がして、入り口が埋まってゆく。
「……多少面倒だろうが、少し掘りゃあさっきの場所まで行けるだろう。てめえらにもなんだかんだとあるんだろうからな。行きたきゃ行けばいい。俺は止めねえよ」
誰もそれには返事を返さない。……地獄の蓋は閉じられた。もうそれを開ける者はいない。
かつて花嫁として家族を失った者たちは納得しないかもしれないが、この場に集った各部族の有力者達は、決してここに立ち入る事を許さないだろう。
誰も何も言わないのを見てから、クロウはフンと鼻を鳴らして迅八のそばまで歩いてきた。
「……だから言ったはずだ 」
後悔するぞとクロウは言った。
それを押し切りここまで来たのは迅八だ。
なんの文句も言えるはずがない。
「あの、」
「皆殺しだ」
クロウは淡々と言う。
「燃やし尽くしてやった。……俺は、悪魔だからな」
「あ……」
「悪魔が人間共を皆殺しにするなんてよくある話よ。てめえらなんぞとは関係なくな」
「……………あ 」
「俺はやりたいようにやるだけだ。てめえが口出す事などなにもねえ」
クロウは迅八の方を向きつつも、その場に居る全員に聞こえる程の声で言った。
「いいか、これが最後だ。収穫祭は終わりだ。……わかったな?」
その声に初めに答えたのはロドだった。
「……そうだ。収穫祭は終わりだ。みな、里の者たちに知らせてやれ。喜びだけを分かち合うがいい。この場に居るのは戦士だけだ。これを背負うのは、今まで何もしてこなかった我々戦士の務めだ」
その言葉を聞いた者たちは、それぞれ表情は違えどゆっくりと頷いた。
「……さあ戻るぞ。誰かが我らを探しに来る前に」
ロドは恐ろしいほどの強靭な精神で、周りの者に指示を出した。蜘蛛との戦いや、この場所での事。それらをさっき終えたばかりなのに『英雄』は皆を引っ張ろうとしていた。
足取りは重いが皆もそれに付き従う。
最後に迅八も、のろのろと起き上がりそれに続いた。
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「ジンくんっっ!!」
戻ってきたロド達の中に迅八の姿を見つけると、フィレットはそこに走り寄った。
(なんて言えば良いのっ!?)
フィレットは、訪れようとしている収穫祭を前に、ずっと前から不安と恐ろしさに耐える日々を送っていた。
そこに突然現れた転生者。非現実の象徴のような少年に、フィレットは興味をもった。
初対面の時に、恥ずかしそうに慌てながらも、自分の裸に目が釘付けになっている少年の顔が可愛かったから、と言うのもあったし、牢屋の中で食事をした夜の事も、流されたような所があった。
もうその時にはフィレットに残されている時間は少なかったし、言ってみれば『思いで』というやつが欲しかったのかもしれないが、今は違う。
あの化け蜘蛛に蹂躙されそうになったフィレットを助けた少年。己を顧みずに戦ってくれた少年。
祝福の光に包まれながら迅八に抱きしめられたあの時、フィレットの胸の中で、確固たる想いが芽生えてしまった。
そして、いま視界に迅八が入っただけで、その芽生えはどんどんと大きくなっていく。
(……恥ずかしいよ。なんて言えばいいのかわかんない!)
フィレットがその大きな胸を小さく震わせていると、そこに、迅八はもたれかかった。
「……ジ、ジンくんっ、ちょっと、みんなが、みんなが……みてるよっ」
突然その胸に感じる重みに、喜びが溢れ出す。それでもフィレットは顔を赤くしながら周りを見渡し、小さく迅八を咎めた。
そして、そのまま体を預けてくる少年に押し倒されるように、その場に倒れこんだ。
「え、ちょ、ちょっとちょっと、こ、こここ、こんなとこで、みんなが、みんながっ!」
フィレットが、自分の上に重なるように倒れこんだ迅八の顔を見ると、目を瞑っていた。その下の口から小さな音が出てくる。
「ぐぅ……」
「え」
初めは小さく、段々と大きく、もはや完全なイビキになったそれは、静かな空間に響き渡った。
「……おかあさん、コレ、どうすれば」
スーローンは肩をすくめて首を振る。そこにロドが声を掛けた。
「…しばらくそのままにしておいてやれ」
酷い顔をしたフィレットの兄は、疲れを押し隠し他の部族の亜人達と話をしている。
「おうスーローン。メシが食いてえ。ご馳走だぞご馳走っ!!」
「……用意させよう」
千年の大悪魔、クロウは全く普通の声でスーローンに話しかけていた。
よくわからない状況の中で、フィレットはもう一度胸の中の少年を見た。
……フィレットの胸の中でよだれを垂らしながら眠る迅八は、フィレットとそう背丈も変わらない。
その身は全身汚れていて、あらゆる所に乾いた血がこびりついている。豚人や悪魔に比べて、頼りない程に小さな体のこの少年が、少女の運命を打ち破る切っ掛けを与えてくれたのだ。
「……ありがとう。ジンくん」
そして、皆が里に帰るまで、その汚れてしまった髪の毛を、ずっとずっと、撫でていた。




