ジン クロウ
スーローンは走る。
少ない護衛と共に、まだ暗い森の中を。
森の主のすみかは知らないが、決まりにより定められた『花嫁』の貢ぎ場所へ。
護衛達にはこう言った。
『収穫祭が何者かに邪魔されている。確認する為にその場所に向かう 』
その言葉は真実なのか、それとも方便なのか。
それは荒い息を吐き、己の体を傷つける枝葉に構う事なく走り続けるスーローンにしか判らない。
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クロウは迫り来る蜘蛛の眷属を前にして、余裕の笑みを浮かべていた。
「くあ〜っかかか!! 知らねえって事は悲しいもんよ。……もっとも、昆虫程度の脳味噌じゃあ理解も出来ねえのかもしれねえがなっ!!」
その右手に巨大な魔力を纏わせて、薄汚い蜘蛛どもに嘲笑を浴びせる。
右手の魔力はどんどん高まり大きくなり、それは可視出来る程になった。やがてクロウの右手は、赤い魔力で作られた巨大な手になっていた。
「一瞬で終わるのがもったいねえなあ。新しい技だ。なるべくゆっくり味わえよ!! ……『赤い右手』ッッ!!」
がおんっ!!
空気を食らうかのように無造作に振るわれたその右手。
それが振るわれた半径一メートルほどには、なにも無かった。先程まで迫っていた、小蜘蛛達の脚一本も残っていない。
代わりに、辺りには嫌な匂いが立ち込めていた。……何かが灼けた匂い。
「……やあっぱり一瞬だなああああ。おい虫ケラ共。もっと気合いいれてかかってこねえと、次は痛い技にしちまうぞぉぉ」
ゲラゲラと笑いながら、恐ろしい蜘蛛の化け物を一方的に蹂躙していく魂食の大悪魔の姿を横目に、大森林の勇士、ロドは戦慄の思いで目の前に迫る蜘蛛の相手をしていた。
(クロウのあのチカラ。なんだ、なんなんだあの強さはっ!? ……まさか、ここまで規格外の怪物だったとは!!)
目の前の敵に対し、ためらう事なく力を振るう大悪魔の姿は、ロドが決して辿り着けない高みにある『暴力』だった。
あの少年とのやり取りを見て、自分は勘違いをしていた。目の前にいるのは、紛う事なく伝説の悪魔。
この世界でも特別の位置にいる、千年の大悪魔だ。
(しかし……運が良かった!!)
迫る蜘蛛はクロウからすればただの雑魚だが、ロドにとってはそうではない。
大森林に名を轟かせる、歴戦の勇士ロド。相手が一匹だけなら大した事ないが、この無数の蜘蛛共は物量でもってこちらに迫る。
しかし、その半分以上……、言ってしまえば『ほとんど』クロウが相手にしている。しかも、笑いながら。
(……ここしかなかった。この、忌まわしい因習を断ち切るのは、今日この場においてしかないっ!!)
ロドは思う。
自分一人では無理だ。しかし、今はすぐそばに大悪魔が、離れた場所では未知の力を持つ転生者が、たった一人で親玉蜘蛛を抑えている。
「……この戦いを全力で乗り切れば、里には新しい未来がやってくるっ!!」
ロドが両手に握る愛用の斧に更に力を込めると、こちらに向かってくる影が見えた。
「……ッ!? フィレットオオオっ!!」
その少女は、息を荒げ裸足のまま、ロドに向かい走ってくる。
その姿を見つけたクロウが、舌打ちしながら『赤い右手』で雑魚を屠る。『赤い右手』により薙ぎ払われた空間。そこだけ蜘蛛が居なくなった場所で、兄妹は向かい合った。
「兄さん……ごめんなさい」
フィレットは、気丈にその瞳に力を込めて、ロドの目を真っ直ぐ見つめた。
「フィレット……なにがだ。謝るのは、俺だ。俺達だろう!!」
すると、フィレットは幼い頃のように、兄のたくましい胸にその身を埋めた。
「ごめんお兄ちゃん、やっぱり、やっぱり、花嫁になるの、いやっ! ……あんなの、あんなのいやだよ!いやだよううう……!!」
そう言って、フィレットは泣きじゃくった。兄の胸の中で、幼い頃のように。
「フィレット…… 俺だって嫌だ。お袋だってそうだ。ジンが、思い出させてくれたんだ。
……妹を守るのが、兄貴の役目なんだ。あんな薄汚い化け物に、可愛い妹をやってたまるかっ!!」
ロドは、妹の体を抱きしめる。この小さな体に、全てを押し付けてしまっていたのだ。
……ここから先は兄貴の仕事だ。目の前の無礼な昆虫共を、一匹残らず叩き切る!!
「兄さん……お兄ちゃん、お兄ちゃん……うああああああん!!」
ロドは、泣きじゃくる妹の体を軽々と抱え上げると、その近くにあった木の側に降ろした。
ここらの蜘蛛は全てをクロウが屠った。あとは、親玉を残したら数少ない。
「……フィレット。俺は俺の戦いをする。あの転生者が教えてくれた。俺がなんの為に今までこの体を鍛えてきたのかを。なんの為に、技を磨いてきたのかを。……お前も出来るな?」
……全ては、今日の為だった。
この大森林に根付く、忌まわしい因習を断ち切る為。
それの犠牲になるはずだった、妹を縛る鎖を断ち切る為。
自分は、その為に今日まで斧を振るってきたのだ!
フィレットは涙を拭い、その足で地面を踏みしめる。
そしてコクリと頷くと、頼りない木の枝を構え、戦う意思をその身に宿した。
「……強くなったな。帰ったら、あいつらと美味い飯でも食おう。……母さんも一緒にな 」
もうロドは振り返らない。
自分は自分の戦いを始めた。妹も同じ事だろう。
たとえ、どこかから新しい蜘蛛が現れフィレットが危機に陥ったとしても、それはもうそれぞれの戦いなのだ。
しかし、ロドはもうフィレットが蜘蛛の一匹程度に負けるなどとはこれっぽっちも思っていなかった。もう、アレは、戦士だ。
そして戦士なら、自分の事は自分でやるしかないのだ。
その手に握る斧に力を込めると、大森林の勇士は自分の戦いに赴いた。
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「……こんのクソ蜘蛛がっ!! 脚が多いんだよっっ!!」
迅八は魔剣を振るい、怒涛の如く自分を襲う、無数の脚から身を守る事で精一杯だった。
上下左右どころではない。その脚は、曲がり、くねり、あらゆる角度から迅八を襲う。
それでも迅八がまだ生きているのは、その手に持つ魔剣のお陰だった。
その刀は巨大な脚を易々と弾く。まるで刀が意思を持つかのように、蜘蛛の体の空いた場所へと滑り込む。
その斬撃が深く入り込む事は無いが、目の前の大蜘蛛は明らかに刀の存在に苛立っていた。
(凄えこの刀……! まるで自分のチカラじゃないみてえだ!)
しかし、迅八は同時にこうも思う。
——こんなものじゃない。この魔剣に秘められた力は、こんなものではない!!
「うおおおあああああああっ!!」
気合いを叫び、迅八がその刀を雨のように振るう。
まるで、迅八が望めば羽のように、あるいは鉛のように重さを変えるその刀は、凄まじい連撃を大蜘蛛に見舞う。
しかし、渾身の力でもって迅八が打ち落ろした斬撃は、蜘蛛の脚の一振りでもって弾かれた。
弾かれた勢いのままその身を捻り、地面に落ちた迅八は、初めそれに気付かなかった。
「……なん、だこりゃあっ!?」
自分の右手に、細い細い糸がついている。
それを左手で取ろうとすると、気が付くと左肘から糸が伸びていた。
それを取ろうとすると、今度は肩に。それを取ろうとすると他の場所に。
大蜘蛛の尻から伸びた糸は、どんどんとその数を増やしていった。
「う、おおおあああっ!? ……クソ、クソッ!!」
大した時間は経っていない。
しかし、迅八の体は蜘蛛の糸に囚われ、巨大な繭のようになっていた。
まだ糸が巻きついていない顔。
残された口を大きく開き、その糸を噛みちぎろうとすると、その視界も糸で閉ざされた。
暗闇に閉ざされてしまった世界で、迅八は叫ぶ。
「クソックソッ!! ……まだだ、まだこれからだ!!」
その想いにも糸は巻きつく。それはどんどん重みを増し、暗闇の外からは大蜘蛛がこちらに迫り来る足音が聞こえた。
右手の魔剣を強く握る。
「……まだだっ!! まだ、俺もお前も ……こんな所で終わらねえッ!!」
魔剣は語らない。喋らない。
迅八の重みを増す体に比例するように、その刀は重くなり、力を失くし、ただの鉄の塊に成り下がる。
「ここからだ、ここからなんだ!! 俺は守りてえ。フィレットを、静を!! ……もっと力を!!」
迅八の目から身体中に伸びる黒線。
そこに一瞬青白い光が走る。
心臓の鼓動と同期するようなその輝きは、次第に力を増してゆく。
……蜘蛛はその八つの目で目の前の変異を捉えていた。
自分の作り上げた『繭』の中から、青白い光が一筋、二筋、きらめきながらその数を増してゆく。
その光が爆発的に大きくなると、作りあげた繭の中心から声が聞こえた。
「……うおおおおおお!! 起きろおおおおおおおおおっっ!!」
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繭に囚われた迅八を見つめ、クロウはどうするか考えていた。
この状況を楽しむと決めたクロウだが、ひとつの見極めをする事も決めていた。
あの、未知の力を持つ小僧はただの足手まといなのか。それとも、戦力となり得るのか。
『漆黒』のカザリアを倒せたのはまぐれのようなものだ。カザリアは恐怖で己の心を迅八に呑まれていた。
それも迅八の力と言えばそうなのだが、今戦っている大蜘蛛にはそれは効かない。
全くの実力で、こんな小物相手に負けてしまうのでは、とても戦力としては期待出来ない。
(……これが『森の主』だあ? はっ、笑えねえ冗談だぜ)
クロウが少し本気を出せば、目の前の蜘蛛など五秒で十回は殺せる。
(ここで旅の方針が新たに決まるな。……まあ、どうでもいい事だが)
迅八が完璧に繭に覆われてしまったのを見届けてから、クロウは溜息を一つ吐き、面倒くさそうに魔力を練り上げた。
そして、迅八を捕食しようと迫る蜘蛛を一撃で葬り去ろうとしたクロウの目に、眩い光は飛び込んだ。
「……な、ジンパチかっ!?」
「……起きろ『迅九郎』ッッ!!」
その声と共に繭が突然黒く燃えた。
ぶわおんっ!! ゆらゆらと立ち昇る黒炎の中で、少年はその刀、『迅九郎』を一度振るった。
その刀身は変わらず黒く輝いている。
しかし、鍔から立ち昇る陽炎はその色を変え、黄金の輝きで炎のなかを揺らめいている。
そして、刀の周囲に浮かぶ狐火。
青白い人魂のような形で浮かんでいるそれは、ゆっくりと回転していた。
「……っく、くかかかかかか。なんて名前付けやがる……だが、悪かねえ」
辺りにはもう子蜘蛛はいない。
クロウが振り返ればロドも戦いを終え、目の前の光景を驚愕の目で見ている。
クロウは大きく跳躍し後ろに下がると、大声で迅八に言った。
「おうこらジンパチ腹ァ減った!! ……とっとと終わらせて帰るぞ!!」
そしてクロウはそのままフィレットの方へ向かった。これからあの転生者が大蜘蛛にどんな止めを刺すかは知らないが、その余波から護ってやらないと、あとでグチグチと言われる事が判っていた。
「は〜ああ……なんでこの俺様がよう」
クロウはいつものように溜息をつく。
しかし、その頬はいつもと違い、楽しげに歪んでいた。
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……自分の力が増してゆくのが判る。
その力が、『迅九郎』に流れ込んでゆくのがわかる。自然と迅八はその刀を天高く掲げ、そのまま跳躍した。
弓矢のように引き絞られた背中、黒刀は輝きを増してゆく。すると、刃先に小さな玉が浮かび、それはどんどんと大きくなり、小さな太陽のようになった。
「ぶっ潰れろッッ!! ……『黒陽』ッッ!!」
振り下ろされた刀から、その小さな太陽は射出された。
しかし、黒い円球は大蜘蛛の身体を焼き尽くすのではなく、じわりじわりと焦がしながらその身を押し潰してゆく。
必死になって蜘蛛はその八本の脚を動かして逃れようとするが、『黒陽』はそれを許さない。恐ろしい重力と質量でもって、蜘蛛の胴体を完全に押し潰そうとする。
それは、最後の足掻きだったのか。大蜘蛛が脚の一本を大きく振るうと、その脚が飛んだ。
鋭利な剣のようなそれは、迅八ではなく真っ直ぐにフィレットに向かい飛んでいった。
「な……フィレットッッ!!」
それを見たロドは全速で駆け出した。
しかし到底フィレットの元には間に合わない。
まん丸く開かれたフィレットのその目を、人影が遮った。
それは、両手を広げて娘を護る、母親の姿だった。




