願い
「待ってくれ、ジン。少し話を聞いてくれないか」
「ロドさんっ!?」
里を飛び出そうとする迅八に、後ろから声がかけられた。
その戦士はたくましい背中に愛用の斧を背負い、歩を緩めて迅八の横に並んだ。
「慌てなくても、フィレットがすぐにどこか行ってしまうわけじゃない。それにお前一人では迷わずに泉に向かうのは難しいだろう。一緒に行こう 」
そこで迅八は、少し冷静を取り戻した。
そもそも、迅八はなんで突然走り出したのかさえ、自分でもよく判っていないのだ。
「……ああ、そうだね。案内頼むよロドさん」
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迅八はロドと共に、フィレットと初めて会った泉に向かっている。森は昨日と変わらず美しい。
青々と繁る葉と、枝から伸びる丸々と育った瑞々しい果実。森の生命力を凝縮したようなそれは、爽やかな芳香を放つ。
ロドがその中の一つをもぎとると、迅八にほうった。
「まだ今日は何も食っていないだろう?」
「……ありがとう」
「フィレットもそれが好きでな。しかし、最近じゃダイエットだなんだと言って、控えているようだがな 」
迅八は、昨日の夜のフィレットの食べっぷりを思い出した。
(ダイエット、してたのか? あれで?)
微笑ましい笑いが漏れる。そんな迅八の心を知らず、ロドは続けた。
「それだけじゃないぞ。あれも好きだしそれもよく食っている。……ほら、あれなんてフィレットの大好物だ」
ロドが示す先には美しい果実や滋養のありそうなキノコ、訳のわからない草や、可愛らしい動物まで指差した。
迅八はそれをポカンと見ていたが、やがて先ほどよりも強い笑いが漏れ出した。
あの食いしん坊のフィレットが瞳を輝かせ、それらの物を幸せそうに頬張る姿が目に浮かんだからだ。
それを見たロドも、普段あまり変える事のない表情を綻ばせ、先を続けた。
「……あいつは、食べる事が大好きでな。小さい頃は常に俺の周りをうろちょろして、お兄ちゃんあれ取って、これ取って。そんな事を言って振り回してくれたよ。……今となってはそのお陰で、俺は里で一番の狩人だ。本業は戦士なのにな 」
苦笑しながらもロドは嬉しそうだ。フィレットの事が可愛いのだろう。
ロドは再び歩き出し、迅八もそれに付いていった。
「ロドさん、その、フィレットが嫁ぐ相手の事なんだけど。どんな人なんだい?」
「……わからん。誰も見た事はない。どこにいるのかも知らん。それでも、ずっと昔から収穫祭は続いてきた。この大森林には他にも亜人の里がある。それぞれ収穫祭では決められた物を『森の主』に差し出す。……我々豚人は花嫁だ」
それを聞いた迅八は、信じられない思いでロドを見た。……今、この男は相手の事など知らんと言ったのだ。
「知らないって……そんな事なんで続いてるんだ? だって居るかどうかもわかんない奴なんだろ!」
「決まりを破った種族には、災いが降りかかると言われている。それに、花嫁は貴い存在に嫁ぐのだ。楽園のような場所で幸せに暮らすと言われている。もっとも真実は誰も知らん。……そこから帰ってきた娘は誰もいないからな 」
「だったら、なおさらフィレットをそんな奴の所に行かせちゃダメだ!!」
ロドの言う事は、全てが伝聞だ。
ひょっとしたら行った先はひどい所かもしれないし、そもそも、顔も知らない相手に嫁ぐなんて幸せなわけがない……迅八は、そう思った。
「ジン。この先に進む前に、聞きたい事がある」
ロドはそう言うと迅八に向き直った。
その有無を言わせない空気に、迅八は口をつぐむ。
「そもそもだ。お前はなんで必死になっているんだ? スーローン様の言うように、お前は部外者だ。なんでそんなお前が我らの事に口を挟むんだ?」
それを言われた迅八の頭は一瞬真っ白になった。そう言われてみれば、自分にはなんの権利もない。
しかし、初めはただフィレットと話をする為に走り出した迅八は、今のロドの話を聞いている途中から、その心の中である思いが渦を巻いていた。
「……確かに、俺にはなんにも言う権利はないのかもしれねえよ。けど、気に入らねえな。そんな決まりも、弱い女の子ひとりを差し出してよくわかんねえ奴にゴマをすってる里の人達も。それに…… 」
迅八はそこで息を吸い、ロドの目を真っ直ぐに睨みつけた。
「俺の目の前で言い訳するみたいに、自分達は悪くないって言ってるような情けない『兄貴』もな。……決まりなんか関係ねえ。兄貴は妹を守るもんだ。正直、そんなことも解らねえ情けない兄貴は俺がぶん殴ってやりてえな 」
ロドの表情は変わらないが、その瞳に驚きの色が出た。
目の前の貧弱な人間は、ロドが本気になれば一瞬で真っ二つに出来るだろう。それは迅八にも解っているはずだ。それなのに、巨大な斧を持った豚人を前にして、迅八は本気で言っている。
おそらくここでロドがまた何か迅八の気に障る事を言ったなら、目の前の少年は本当に殴りかかってくるだろう。
怒っているのだ。少女に降りかかる運命に。それを助けようとしない大人達に。
その強い瞳の力は、里一番の狩人であり、大森林にその名を轟かせる戦士の心を決意させた。
「……ジン、お前に頼みがある。フィレットを、俺の妹を、連れてここから逃げてくれ」
頼む……。そう言って下を向き、ロドはその拳を震わせた。
・・・・・・・・・・・・・・・
ロドは最初から迅八の事を観察していた。
伝え聞く『転生者』達は、みな凄まじい伝説を残している。この少年もそんな連中と同じように、なにか秘めたる力があるのかもしれない。
妹を、フィレットを取り巻く状況を、どうにかしてくれるかもしれないと。
しかし、ロドの目論見は外れた。
目の前の少年はなんの力も持っていないようだった。……ただ、その連れだという伝説の大悪魔。彼からは恐ろしい程の力を感じた。クロウがどれだけふざけた態度を取ろうが、その力は隠しようがなかった。
そもそもあんな無礼を働けば、普通ならロドが一撃で葬っている。それをしなかったのは、単純にそれが出来なかったからなのだ。
彼と行動を共にする少年になら、妹を預けても大丈夫かもしれない。
そして、ロドは見た。迅八の意思の力を。この少年ならなんの力も持たずとも、自分のような情けない兄貴よりも妹を守ってくれるだろう。そんな戦士としての確信があった。
「……言い訳に聞こえるかもしれんが、俺も里の取り決めに表立って反対する訳にはいかないのだ。無論、それはスーローン……里長であるお袋も同じだ。これが突然起こった話なら別だ。どんな相手だろうとこんな話は蹴りつける。しかし、ずっと続いてきた事だ。今まで他の家から娘を差し出してきたのだ。自分達の番になったからと言って、」
「言い訳してんじゃねえっ!!」
宣言通り迅八はロドの顔を殴りつけた。身長が全く違うため、その腰に力は乗らず頬を打った音も情けない。それでもその一撃はロドに確かに痛みを与えた。
「……済まない。そうだな言い訳だ。誰かが止めればよかったのだ。誰もそれをしなかったから今まで続いてきたんだしな」
打たれた頬を構う事なくロドは続けた。
「頼むっ! ジン、あいつと……、あいつを説得してここから連れ出してやってくれ。あとの事は俺がどうとでもする。俺があいつに言ってもききやしなかった。あいつ一人では人間の世界に行っても生きていけるかは判らんが、お前と一緒なら違うだろう。差別はされるかもしれんが生きていける。……頼む、ジンッ!!」
それを聞いた迅八も、一旦は怒りの矛先を納めた。目の前の情けない兄貴がなにも考えずにいたわけではない事が判ったからだ。
「……とにかく、フィレットと会って話をしてえ。話はそれからだろ。泉へ行こう」
そう言うと、今度は迅八が先導して歩き出した。
……もう泉まで目と鼻の先、迅八が駆け出そうとしたその時、森の藪の中から突然人影が飛び出て、迅八の行く手を阻んだ。
「……収穫祭を明日に控え、花嫁は他人と過度の接触を断つ決まりだ。ここを離れろ」
その人影は、迅八にそう言い放った。それを聞いた迅八の顔に獰猛な笑みが浮かぶ。
右腕をぐるぐる回しながら、人影、豚人の狩人に向かって行った。
「どいつもこいつも決まりだなんだと」
「待てジン。……ロドだ! スーローン様の許可は貰っている。この転生者を花嫁に会わせる為の護衛として俺は来た」
すると狩人がロドの顔に気付き、声を掛けた。
「そうなのか? ……まあ、それならいいだろ」
「そうだ。あと花嫁の護衛も俺が引き継ぐ。お前は里に戻っていいぞ」
「……まあ、お前がそう言うならそうなんだろうな。花嫁は今は沐浴中だ。後は任せたぞ」
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初めてその少女を見た時、迅八は彼女を妖精だと思った。
迅八は今、その時と同じ感情、あるいはそれ以上の感動が静かに胸に寄せて来るのを感じていた。
燦々と降り注ぐ日差し。
その光は泉の水面を跳ね返り、少女の身体を眩しく照らしている。
昨日と違い、白い薄衣を羽織ったその体は、水が張り付き線を際立たせていたが、そこに扇情的は物は一切ない。ただただ、迅八の心に静かに感動を与えていた。
少女は目を閉じ手を組み、何かに祈る様にしていた。その姿は花嫁というよりも、聖女のように映った。
「……ジンくん? それに兄さんも」
物音で気付いたのだろう。フィレットは目を開け迅八達を見た。
その顔が、一瞬だけ満面の笑顔になる。
巻き毛は水に濡れてボリュームを失くしてしまっている。額に張り付いた髪の毛の下で、その眉毛が困ったように下がった。
「……そっかあ。聞いちゃったんだね」
そして、満面の笑みはその顔から消え、困ったようにポリポリと頬を掻いた。迅八と出会った時のように。
「フィレット。素直に言って欲しいんだ。花嫁になるの、嫌なんだろ?」
迅八は直截に切り出す。
「……ジンくん。悪いんだけど、今は一人でいたいの。だから、」
「だったら、俺と来ないか? 決まりとか、そんなのどうでもいいじゃないか。俺と行こうよフィレット」
その言葉に、フィレットは困惑の表情を見せた。
「ま、待ってジンくん。……兄さんに何を聞いたのか知らないけど、そんなの、駄目だよ。ずっと続いて来た事だし、私が行かないと里が、」
「ずっと続いて来たとかみんながとか、そんなのどうでもいいじゃないかっ! フィレットはもっと幸せになるべきだよ。……こんな所に居たってしょうがないよ。俺と外の世界に行こう」
「ちょ、ちょっと待ってよ、ジンくん。私の話を聞いて」
その言葉を迅八は遮る。
迅八の心は怒りで乱れていた。
「フィレット、言ってたじゃないか。……デザート食べたいんだろ? そんなの俺がいくらでも作ってやるよ。他にも、もっといっぱい美味いもんがあるよ。綺麗なもんもあるだろうし、楽しい事だっていっぱいある。……きっと、この世界には素晴らしい事がいっぱい、」
「やめてッッ!!」
近くの木から小鳥が飛び立つ。
魂から絞り出した様なフィレットの叫びに、泉は静寂に包まれた。
「……なんで、なにも知らないくせに、そんな事言うの? 私が里のみんなにどれだけお世話になってきたか、なにも知らないんでしょ? 外の世界にはどれだけ素晴らしい事があるの? それだって本当は知らないんでしょ?『転生者』さん」
そこで初めて迅八は我に返った。
どうやら、自分がフィレットの説得にあたって致命的な間違いを犯してしまった事に気付く。
「もうお願い。一人にして。今は、あなたの顔を見てると辛いの。……こんな事になるんだったら、あなたの事なんてほうっておけばよかった……」
フィレットのその言葉で、迅八の心に大きくヒビが入った。
「あ……」
「よせ。ジン」
意味を成さない言葉をそれでも続けようとする迅八の肩を、後ろから誰かが引いた。
「ロ、ロドさん…」
「もういい。いいんだジン。…行こう」
有無を言わさずその肩を引くロドに、迅八は抵抗もせずに身を任せる。
迅八の視界から遠ざかる少女は、泣いているように見えた。




