フィレット
……そこには妖精がいた。迅八はそう思った。
この世界に来てからというもの、迅八の美的感覚はぐんぐんと磨かれている。
『クロード』しかり、カザリアしかり、あまり憶えていないが、昨日襲われた天使も絶世の美女だったし、ロザーヌも健康的な美人だった。シェリーも将来はそうなるのだろう。
しかし、今回の衝撃はその方向性を変えて、迅八の心のど真ん中に凶悪に襲いかかった。
水浴びをしていたのだろう少女の白い巻き毛からは水が滴り落ち、
(……うっわ、妖精、エロッ!!)
迅八はそのあまりの凶悪な肉体に、細かい所まで目が行かなかった。
(……でっっか! え、マジ? 嘘でしょっ!?)
迅八は、妖精とは小さなものだと思い込んでいたが、その身長は普通の人間と変わりはしなかった。水浴びをしていたのだろう『妖精』は、迅八よりも少し小さいくらいだった。
ただ、迅八が大きいと評したのは、その身長なのか、それとも組んだ腕の上に乗っかっている大きな二つの物体の事なのか、それは迅八にしか判らない。
その下の腰は細くはない。しかしそこから盛り上がる尻は男なら誰でも目がいく程に張っていて、それと比べるとつややかな曲線を描く腰は締まって見えた。
腰から流れ、張り出した尻、その下のつやつやとした太ももにも、みっちりと肉が詰まっている。
全身は薄桃の肌色。
なぜそこにだけ肉が付かないのか疑問になるような可憐な顔。
触ればふわふわとしていそうな短めの白い巻き毛。その全てが絶妙なバランスで、
(うわ。うっわああぁ……!!)
と、なるようなのだった。
「えと…、水浴び、したいのかな?」
迅八から少し離れたその距離のまま、『妖精』の少女が話しかけてくる。
迅八は、自分が食い入るようにその少女を見ていた事に気付き、それでも視線を外せないまま慌てて言った。
「いや、ごめん!! その、音がしたから来てみただけで……そう、水を探しててっ」
支離滅裂な迅八の言動に、少女はクスリと笑った。
「うん、わかった。……羽織るものを取りに行きたいから、ちょっと後ろ向いててくれる?」
少女がチラリと視線を送った先に、木の枝に掛けられた衣服が見えた。
「あ、ああ、わかった!!」
そう言いながらも迅八の目は少女から離れない。
少女は困ったように眉を下げ、それでも目は笑いながらポリポリと頬を掻いた。
「えっと……、後ろ、向いてくれる?」
「お、おう、ご、ごめん!!」
そこで初めて迅八は視線を外し、後ろを向いた。
(こ、こええ、この世界、こええええ)
普通、女の着替えやらを覗いた男は、謝罪を口にしてすぐにそこから退散する。誰だってそうする。迅八もそうするはずだった。
しかし、迅八の体は動かず、動くのは視線だけだった。それも少女が目に入る場所限定で。
「……マジか、これがよく聞く『魔眼』ってやつか」
「えと、そんなんじゃないから」
いつの間にかすぐ後ろから聞こえた声に、迅八は飛び上がった。
振り向くと間近に少女の顔があり、迅八の鼻に優しい香りが届いた。
やはり苦笑しながら頬を掻くその少女は、とても可愛らしい顔をしていて、迅八は顔が熱くなるのを感じた。
大きな瞳の上には下がり気味の眉が弧を描いていて、その下の鼻は、ぴょこん、と小さく上を向いている。
服を着た少女はさっきの非現実的な存在ではなくて、直視するのも恥ずかしい。迅八には今更さっきの反動がきたようだった。
「……ねえ、きみの名前は?」
「えと、ジン、ジンだ。なんかゴメンよっ、本当にわざとじゃないんだ」
「ジンくんかぁ。いい名前だね。気にしなくていいよ。それに、そんなに欲情してくれたら悪い気はしないよね」
下から覗き込むように顔を近づけてくる少女に、迅八はどきりとして目を逸らす。それを見てまた少女がクスクス笑った。
(よ、欲情って。……しかも、こんなに可愛い顔してるのに、魔性っぽい雰囲気持ってるし)
「ジンくん。水飲まないの? ついでに水浴びもしちゃえば?」
いたたまれなくなってきた迅八は、促されるまま水筒を取り出し、それを泉の中に沈める。
コポコポと気泡が上がる間に、少女の方を見ないまま迅八は話しかけた。
「……け、けど、本当に綺麗な泉だな。妖精に会えるなんて思ってなかったんだ。ホントごめん」
やがて、気泡が上がらなくなり、その水筒に口をつけ、乾いた口を湿らせる。
「……うまいっ! さすがは妖精の住む泉だな」
迅八が振り返ると、少女はキョトンとした顔をしていた。
「妖精? ……ここにいるの? 初めて聞いたけど」
「あれ、君は妖精じゃないのか? いや、あまりにも絵になってたから」
「……褒めてくれてるのかな? ふふ、ありがと。けど、私は妖精じゃないよ。亜人だから」
その言葉を聞いて、驚きと共に喜びが迅八の中に湧いた。思いがけぬ幸運にどうやら出会えたようだ。
「そうなのか!? 俺は亜人の里に向かってたんだけど、動くに動けなくて途方に暮れてたんだ」
「そうだったの? それは良かった。……私はフィレット。オークのフィレット。よろしくね。ジンくん」
「え?」
迅八はそれを聞き間違えかと思った。……今、この少女は自分の事をなんと呼んだ?
「えと、フィレット、が種族の名前?」
それを聞いた少女が苦笑しながら言う。
「そんなわけないでしょ。名前がフィレット。……豚人のフィレット。ちゃんと覚えてね、ジンくん」
「ええええええええっ!?」
迅八の間の抜けた顔を見て、今度は普通にフィレットは笑った。
迅八のさほど詳しくない知識の中で、豚人と言えば、フゴフゴ言いながら他種族の女を攫って陵辱の限りを尽くす、『雑魚』と言ったものだった。
(……こんなに可愛いオークが、この世に存在するわけがない!)
それ以前に、普通オークは存在しない。
そんな事は言えない迅八も、フィレットのもつ見た目と『オーク』とのギャップから、ついつい不用意な一言を言った。
「……せ、性欲、強かったり、するの?」
ピシリと。
フィレットの笑顔が固まり、迅八は世界が凍った気がした。
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今、迅八はフィレットの案内により、亜人の里へと向かっていた。
先程の失言の後、フィレットは頬を膨らませて迅八に注意したが、すぐにその顔は笑顔に戻った事から本気で怒ってはいないようだった。
しかし、迅八は叫び出したい程の恥ずかしさを、顔に出さないのに必死だった。
「……でね、スーローンさまは、」
喋りながら歩くフィレットの言葉は、ほとんど迅八の耳に入ってこない。
(なんて事言っちまったんだ俺は……!!)
性欲どうのという質問に、律儀にもフィレットは答えた。
普通、他種族間では子を成しにくい。
と、いっても成しにくいと言うだけで、子供自体は作れる。
ただ、魔獣と人間などの生物としてかなり遠い所にある種とは、それはほぼ不可能だ。
人族と亜人のハーフなどは存在するが、ミミズの化け物と人族のハーフはいない。しかし、豚人は違う。
豚人は、ほぼ全ての種と交配可能だと言われているらしい。しかし魔獣と交配したがる豚人もなかなかいないので、らしい、という事しかフィレットは知らない。
そして、豚人の生殖能力は凄まじい。
豚人の女は、快楽の為や一種の娯楽としての交わりとは違う、子作りの為の行為をすれば、ほぼ確実に子供を宿す。
加えて、性に関して豚人はおおらかだ。
欲情されれば素直に喜ぶし、気が合ったなら行為に及ぶ事も多い。
そこから豚人は他種族からは好色だとされているが、ある意味ではそれは正しいと言えた。
「……今ね、里は『収穫祭』の準備で大忙しなんだよ。私は、」
(うわあ、舐めるみたいに体を見ながら、性欲強いのって……。そんなのタダの変態だろ!!)
少なくとも、静の周りにそんな人間がいたら、迅八は間違いなくそいつには消えてもらう。
「……ジンくん聞いてる?」
「おわっ!! き、聞いてるよ。収穫祭がどうたらだろ?」
「もう……ふふ」
フィレットは優しく微笑む。それを見た迅八の胸は、なにか温かいものに包まれた。
迅八は改めてフィレットを見た。
外見で言えば迅八よりも少し歳上といった所のその少女は、優しげな雰囲気を漂わせていた。
元気でもない、ほわほわでもない、『柔らかい』空気を持っている。
他人に害意をぶつけられた事もなければ、ぶつける事もない。そんな存在が纏う空気感だ。
(……愛されて、育ったんだろうな)
迅八の心の中で、一瞬だけ昏い想念が鎌首をもたげたが、すぐにそれを打ち消すように話し掛けた。
「里はどこら辺なんだい? ……もう俺腹減っちゃってさあ」
特にそんな事はなかったのだが、迅八は無理して陽気に声を出した。それを見たフィレットはクスクスと笑う。
「もう。まあいっか。里に着けば色々判るし。……ほら、向こう側の木が開けてるでしょ、あの向こう側だよ」
そして、迅八は亜人の里に辿り着いた。
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開けた木々の向こう側、豚人の里は美しい場所だった。
迅八が辿り着いた里の入り口から道は真っ直ぐに伸び、伸びる道を横切るように十字路になっていた。
十字路に沿ってぽつぽつと立ち並ぶ、素朴だけれども暖かそうな家。
家のそばには深い緑と青の木が立ち、美しい苔がその木を覆っている。
ぽつぽつと建てられた家の横には必ず大きな木がある。……森の生命力。その具現のような木々は亜人達の住処を守っているように見えた。
「……あら、フィレット。おかえんなさい」
「ただいま」
「なっっ…!」
十字路に向かい進んでいた迅八は、時々フィレットに声を掛けに寄ってくるオークを見る度に驚愕の声をあげた。
「その子はなに? ……人族?」
「なんかね……泉で……」
迅八から少し離れ、道端で話し合っているオークの女達。
「な、なんなんだよ、オークは美人しかいねえのかっ!?」
話しかけてきたのは大人の女だった。
上半身は乳房だけを布で隠し、毛皮を腰に巻きつけているだけの女。
ふくよかな肉体と美しい顔、そして、その鼻はぴょこんと上を向いていた。
「……すげえ。オークすげえ」
「どうしたの? ジンくん」
話が終わり、離れていったオークの女の元からフィレットが戻ってくる。
下から迅八を見上げてくるその顔は、大人の女とは違う少女のものだが、向けられる笑顔の中には確かに魔性が存在した。
「な、なんでもないよ!!」
「……? 変なの、いこっ」
再び歩き出した迅八が里の中を見ていると、慌ただしく多くの亜人が色々な仕事をしていた。
「収穫祭とか言ってたな……」
十字路の真ん中は広場となっていて、そこに辿り着いた迅八は、辺りを見渡してからそんな言葉をつぶやいた。
収穫祭というからには何かの祭りであり、神事の側面もあるのかもしれない。
なにやら祭具のような物を作る者もいれば、迅八が知る神輿のようなものを作る者達もいる。その中の一人の男が迅八達に気付き、手を上げた。
「……フィレット、そいつはなんだ?」
「なんかね、転生者なんだって。なんか用事があって来たみたいで、今からスーローン様の所に連れていってあげるの 」
迅八は道行で、フィレットには簡単な素性を明かしていた。
フィレットとその男が話し始めると、周りで作業をしていたオーク達が迅八に目を向けた。……明らかな不審の目。
すると、フィレットと話していた男がその場の者を代表するように、迅八に向かい話しかけた。
「ほほう、全く普通の子供じゃないか。転生者なんて初めて見たぞ」
その男もまた迅八の想像するオークとは大きく違った。
たくましい体つき、知性の宿る目、背中には立派な斧を背負っている。
やはり鼻は小さく上を向いていたが、目の前の男は充分に男前だった。
「転生者の子供。……名は?」
「あ、ジンです。よろしく……」
「俺の名はロド。この里の戦士だ。……スーローン様に失礼のないようにな 」
そういって大柄の偉丈夫——ロドは迅八の肩を叩き、元の場所に戻っていった。
「……普通にイケメンじゃねえか豚人」
その言葉が理解出来なかったのか、フィレットは特になんの反応もせず、迅八を連れて里の奥へと向かった。
十字路の一番奥にあったその家は、大きな樹木をくり抜き作られていた。
その木の周りに螺旋階段が伸びていて、途中で木に直接ドアが付いている。
「あそこが里長、スーローン様の家よ」
その巨大な木はまるで森の神樹のようだった。南の木とは比べるべくもないが、見上げると首が痛くなる程に巨大な木。
ここに着くまでに迅八が目にした豚人の人々は、怪物のような者など一人もいなかった。
蠱惑的な女、たくましい男、可愛らしい子供達、迅八の目から見た彼らは魅力的に見えた。
特に女達はみな肉感的で、痩せている者は誰もいない。男も女もその鼻を、ぴょこんと上に向けていた。
そして、その中の誰もがフィレットを見かけると、声を掛けたり頭を下げたり、子供はまとわりついてきたりした。
(有名人、なのかな?)
その有名人に手を引かれ、迅八は顔を赤くしながら里長の家の扉をくぐった。
……その家の中は主に木材を使った作りで、美しい調度品で溢れていた。豪華な額縁に飾られた絵画が掛かっていたりもする。
「ジンくん、こっちだよ」
奥の扉をフィレットがノックをすると、中から誰何する声が聞こえた。
「誰だ?」
「……フィレットです。転生者がスーローン様にお目通りを願いたいという事なので、連れて参りました」
中で、ほう、と何人かの声がすると、落ち着いた女の声で、入れと告げられた。
……その部屋の中には大きな円卓があり、何人かがそれを囲んでいた。老若男女問わないその集いの上座、豪華な椅子に背を預け、肘をついた右手に顎を乗せていた女が立ち上がる。
「……この里の長を務めるスーローンだ。転生者、わざわざの運びを嬉しく思うが、此度は何用でこの里へ?」
それに合わせ円卓の人間は立ち上がり迅八を見る。フィレットは膝を付き頭を下げて、迅八にもそうする様に目線で促した。
すぐに迅八も膝をついたのだが、その頭が下げられる事はなかった。
(うわっ……!!)
フィレットは、柔らかな空気を持った肉感的な美少女だが、目の前のスーローンは違った。
迅八を見下ろす切れ長の瞳は、美しすぎて恐ろしい。
悠然と張ったその胸は、自分の足元すら見えない程に張り出している。……身に纏った大きく胸を開けた服には華美な装飾がされているが、その胸の存在感に邪魔されてしまって全く目に入る事もない。
顔以外は全体的にぽっちゃりとしたフィレットと違い、スーローンの肉体は、一言なら豪華。二言なら、豪華、絢爛。
成熟したその体は、不自然な程に起伏が激しい。魔性の女。素晴らしいではなく、一周回って危険な女。
これでは周りの男に常に魅了の呪いを振りまいているに等しい。迅八はその瞳が吸い寄せられる魔性の美貌に、ただただ固まってしまっていた。
「……おや、転生者殿はどうされたかな?」
そんな反応は見慣れているのだろう。スーローンはフッと鼻を鳴らすと、艶然と唇を舐めた。
……そして、迅八はまだ十八歳の少年で、社会のルールを知らなかったので、素直にその言葉を口にした。
「うわあ。こんなに綺麗なオバサン見たことねえや……」
「「「ちょっ……!!」」」
隣ではフィレットが呆けていた。円卓の何人かは目を見開きアワアワしている。
「……そのクソガキを、牢屋にぶち込んでおけ」
あくまで艶然とした微笑を崩さないように言ったスーローンの目の下は、ヒクヒクと痙攣していた。




