大森林
大陸のどこからでも見える『南の木』。
その巨木から北東の方角に、シェリー達の住む『オズワルド』の町があり、北西の方角には大森林が広がっている。
一部では常夜とも繋がっているその森林は、亜人達の領域とされていて、人族や天使は必要なければ近寄らない。
亜人は人族に害を働くわけではないし、仕事として大森林を訪れる狩人や木こりなど、迷ってしまった者を見つければ保護する事もある。
確かに亜人の中にも邪悪な者は存在するが、それはどの種族でも同じ事だ。大抵そういう者たちはどんな社会でもそうなるように、爪弾きにされ、どこかに流れていく。
現在、迅八はクロウと共に、その大森林の中にある亜人の里へと向かっていた。
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——大森林までテメエの短え足でなら二日はかかるかも知れねえな
これはクロウの言葉だった。
その道行で、迅八はこの世界を初めてゆっくりと観察する事が出来た。
元の世界にいた動物と似ている生物もいれば、全く見た事のない生き物もいる。
日本の都市部に住んでいた迅八には、なかなか目にする事がなかった大自然の美しさや、『南の木』に代表されるような想像を絶する光景に、その心が浮き立つ事もあった。
クロウもまた長い眠りから覚めた後の世界が珍しかったようで、さほど急ぐ事なく迅八の足に合わせていた。
——長い眠りと言っても、せいぜい何十年かだろうよ
オズワルドを発ち一日目の夜、焚き火に枯れ木を放り込みながらクロウが言った。
もっとも、その数十年は人間にとっては長い時間であり、時代は大きく変わっていた。それには転生者の力が大きく関わっていたのだ。
道のりの途中、ポツポツと街道沿いに立ち並ぶ民家や、小規模の集落などをいくつか見かけた。それを見て迅八が思ったのは、想像と違うという事だった。
もっと中世的な光景だと思っていたのだが、むしろ文明としては近代に近いようだった。そして、その文明にちぐはぐな印象を受けた。おそらくそれは転生者達の知識による所が大きいのだろう。
のどかな集落の真ん中にガス灯が立っていたり、中世そのままの格好の子供達がゴムボールのような物で遊んでいたりする。
そして、ほとんどの者が普通の体型で、ガリガリに痩せている人間などは、どこにもいない。
もちろんこの世界にもスラムや貧困は存在するのだろうが、普通にキチンと働いているのに飢えている、そんな時代ではないようだった。
「ジンパチ、その短剣の事だが……」
野営の為に街道沿いで火を起こした二人は、軽い食事のあと向き合っていた。
クロウの長髪は揺らめく炎に照らされて、その赤と金の輝きが闇夜に映えている。
「そのチンケなのにてめえは名付けてやがったぞ。心臓剣だ、覚えとけ。何処かで役にたつかも知れねえしな。……もっとも、そんな状況は御免こうむりたいもんだがよ 」
迅八は今、そのナイフを左肩に下げていた。
適当に鞘ごと腰に差していたのだが、クロウはそれを嫌そうに見てから肩に留められるベルトを作ってくれた。光沢のある革で作られたナイフホルダーは、やはり迅八の心をくすぐった。
腰に佩いた黒刀も、最初は適当に差していたのだが、「それじゃダセエだろうが」とクロウが言って、握りが下を向き、鞘が斜めに上を向くようにさせられた。
そのままの形で固定出来る留め金も、クロウが作ってくれた。
「……なあなあ、お前服作れるんだろ? ついでに俺にも服作ってよ。かっこいいやつ」
「はぁ? なんで俺様がてめえの為にそんな事しなきゃならねえんだ。……なに考えてんだ? 何も考えてねえのか?」
ナイフを留めるためのベルトや、帯刀のための留め金は、自分が作った物へのこだわりからやっただけで、迅八の為ではないらしい。
しかしクロウは迅八の姿を上から下まで睨め付けると、心底嫌そうな顔をした。
「その格好で俺様と歩かれるのもな。……気が向いたら作ってやる。んな事よりもそのちっぽけな剣の名前を忘れんじゃねえぞ。ソードオブハートだ」
「ソードオブハート。……俺が付けたのか?」
「カッコ付けて横文字なんぞ使いやがって……。てめえも男だったら『しんぞうけん』って呼びやがれ。いいじゃねえか、格好なんか気にするんじゃねえっ。男に大事なのは心意気だろ? だから、次からはこう言えや。……うおおおおおっくらいやがれええええ、しーんぞーうけーん!! ……ってな。げひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!!」
ちなみに、先程までクロウは、その絢爛な格好つけた服をまとい、おお……『ワルギリア』。おめえはなんて美しいんだ、などと自分の剣に話しかけていた。
段々とこの悪魔との付き合い方がわかってきた迅八は、本気で怒る事もなく、騒がしくその夜は更けた。
次の日、昨日と同じく二人はゆく。
すると、迅八の視界の遠くに大森林が見えた。まだ陽はさほど低くはなかったのだが、クロウが「疲れた」「足がダルい」「スープが飲みてえ」などとグチグチ言いはじめたので、その場所から少し歩いた集落で宿を借り、次の日の朝から大森林に入る事となった。
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三日目、早朝から二人は行動を開始した。
「なるほどね……。よくわかんねえって事は理解出来たよ」
「俺様もお前に理解を求めちゃいねえよ。その内おめえにでもわかるように、丁寧に時間を無駄にしてくれる奴とも出会えるだろうよ。……『真魔の使い手』だったりな」
迅八は、自らの肉体復元と、クロウのそれとの違いを話しながら森に向かっていた。
「カンタンにこれだけ覚えとけ。
……俺様は右腕をぶった切られても、その腕を拾って断面に合わせりゃくっつく。完全には時間がかかるがな。これはてめえら人間にはねえ、悪魔だとか天使だとか、一部のもんの肉体能力よ」
「へえ……」
「ただ、その右腕が燃やされちまったらそれは叶わねえ。当然だ、無くなっちまったんだからな。……しかしだ。千年の大悪魔たる偉大でカッコ良いこの俺様は、魂の形を変える事が出来る。無くなったはずの右腕が、無くなっちゃいねえと情報を書き換えられる。すると右腕が生えてくるわけだ。……これはくっつけるのと違って相当時間がかかるがな」
「ほうほう……ん? よくわかんないんだけど」
「うるせえ、黙って聞きやがれ。対してお前はだ。……貧弱なてめえら人間は、右腕ぶった切られりゃ当然くっつきゃしねえ。相当の回復術と医療行為を並行しねえ限りはな。そして腕が生えてくるはずなんてねえ。これも当然だ」
「だがジンパチ、てめえは違う。…腕だろうがなんだろうが、バンバン生えてくるし復元しちまう。しかもかなりのスピードでだ。……理由は俺様にも全く判らねえ。おそらく魂が関係してるんだろうが、確証はねえ」
元々、この世界の魔術の話をクロウに聞いたら、回りまわっていつの間にか肉体の話になった。
最初は、この世界の魔術は生物にしか効かないというクロウの言葉に、疑問を感じての事だったのだが。……迅八は先程クロウが口にした名前を思い出した。
(真魔の使い手、か)
クロウは魔術の説明をすぐに放棄して、そんなに気になるんだったら『真魔の使い手』でも探しやがれと言った。
その者が使う『魔法』は、対象が生きてようが死んでようが、関係なく作用する……と、伝説には残っている。
「そんな奴だったらてめえにでも理解出来るように教えられるだろうよ。実在すりゃあだがな」
最後に歴史に登場したのは二百年以上前。
千年の時を生きるクロウでも、そんな魔法を使う者には会ったことないし、少なくとも二百年は生きる『人間』。そんな存在クロウは信じてはいないらしい。
「おい、聞いてんのか?ジンパチ 」
「……ん、おお、なんだっけ?」
「てめえ、人に話をねだっておいて……いいか、覚えとけ。おめえは滅多な事じゃ死なねえ。ただ、理由が判らねえって事は保証もねえって事だ。過信した行動を取るんじゃねえぞ」
クロウは自分の命まで危険にさらされるのはまっぴらだった。しかし、その言葉を聞いた迅八は、クロウに感謝を口にした。
「ああ、心配してくれてありがとな、クロウ 」
「……はぁ。もうそれでいいぜ。俺とてめえは言いたかねえが一蓮托生になった、」
言葉をそこで止めたクロウが、突然ワルギリアの握りに手をかける。迅八は正体不明の寒気に襲われた。
「なんだこの感じ……、背筋が」
「ジンパチ、用心しろ! ……なにか来やがるっ!!」
そして、それは空から飛来した。
……その女は恐ろしいスピードで地面まで急降下し、その直前でピタリと止まった。
それにより巻き起こった風圧から迅八は顔を庇う。風が止み、再び前を向いた時にはその女は地面に降り立っていた。
まず目についたのは、背後に浮かんでいる細長い板のような物だった。
その一つが三十センチ程の板は、冷たい銀色の光を放ち、その先端は恐ろしく鋭利に見える。まるで一本の剣のようだ。
それが何十本、もしかすれば百を超え、女の背後に浮かび、広がり、翼のようになっている。
女が、指をパチリと一回鳴らすと、その翼は硬質な音をたてながら折りたたまれ、背中に隠れ見えなくなった。
その女の顔は、恐ろしく美しかった。
透き通る様な白い肌と、流れる様な鼻の線。桃色の唇はふっくらとしているが、横に固く結ばれている。
そして、その瞳。陽の光を受けきらきらと輝くような銀色の瞳は、その美しさの代わりに感情を失くしたように、冷たい光だけを乗せて二人を見すえていた。
風で乱れてしまった見事な銀髪を、一度頭を振って直すと、その女は桃色の唇を開いた。
「……十二使徒第三位『白銀』のアグリアが貴様らに問う。
第七位『漆黒』のカザリアの受肉体を滅ぼし、オズワルドの町を混乱に巻き込んだ二体の化け物。『悪食』と『名無し』とは、貴様らのことで相違ないか。……違うと言うのなら、名乗りをあげて釈明せよ」
そこから先は電撃的だった。
クロウは握っていたワルギリアを、空から飛来した女……アグリアに向けて、全力で投げつけた。
それを見たアグリアが再び指を鳴らすと、銀色の翼が神速でもって展開され、その身をかばうように包み込む。
ぎゃりんっ! 硬い音を弾けさせ、クロウの剣はその翼に落とされた。
しかし、その時にはすでにクロウの左手には輝く光の玉があった。クロウはそれをアグリアの上に放った。
「ジンパチ、いけえええええい!!」
その言葉を聞いた迅八は、脇目も振らず、森に向かい駆け出した。背後では凄まじい閃光が起こり、迅八の前方まで照らしたが、直視していない迅八は速度を緩めることなく走り続けた。
事前に決めておいた数々の事の中で、一番重要な取り決め。——もしも、クロウが驚異だと判断するくらいの敵に出くわしたら、迅八はさっさと逃げる。
後の事は考えない。とにかく命を繋ぐ事だけを考える。それが、クロウから厳命された事だった。
町の近くなら町に、森の近くなら森に、とにかく何も考えなくていいから走れ。それが出来ないのなら二人の関係はご破算で、妹の事も協力しないと言われた。
精神と魂のスペシャリストであるクロウは、その気配から迅八の事を、時間をかければ探し出す事が出来る。
そして、逃亡戦や持久戦、敵の足止めはクロウの戦闘スタイルの得意とする所だったし、クロウ一人だったらどんな敵からでも逃げる事が出来る自信がある。
迅八が未知の力を持っているとはいえ、全力の戦闘が行われる場所での素人の存在は、クロウにとって足手まとい以外の何物でもなかった。
しかもその素人が自分の命を握っているのだ。クロウの厳命は、当然の事と言えた。
「はっ、はっ! はっはっ……!」
迅八は走る。言われた通りに振り返らずに。……もう少しで森に入る。
その時、背中に衝撃を感じた。結魂によるダメージではない。直接切りつけられた衝撃。
「いっ……! うううううっ!!」
鋭い痛みを背中に感じたまま、それでも迅八は走り続けた。
・・・・・・・・・・・・・・・
どれほど走ったのだろうか。
あの後、木の根に足を取られ、無様に転び、尖った枝が肌を切る中、それでも迅八は走り続けた。
しばらく走り、初めて後ろを振り返ると、もう森の外は全く見えなくなっていた。
そこで初めて迅八は深く息を吐き、近くの木の根に座り込んだ。
背中の痛みを思い出し、恐る恐る背負っていた鞄を下ろした。その鞄は切り裂かれていて、首をひねりなんとか背中を覗き込むと、そこは真っ赤に染まっていた。
「うわあ……」
衝撃を感じた時には相当の激痛を感じたのだが、今はもうそれ程でもない。今までは記憶が曖昧で、迅八は自分の回復能力をよく解っていなかったのだが、これはなかなか凄いもののようだ。
切り裂かれた鞄の中身を確かめると、幾つかのものが|こぼれ落ちてしまったようだった。穴が空いてしまった水筒に口をつけ、ごくごくと喉に水を流し込む。
「水筒、もう一つあって良かった。けど、手紙が……」
二つあった水筒の一つが壊れ、食料もいくつか落ちてしまっていたが、それよりも迅八の心を乱したのは『手紙』がどこにも見当たらない事だった。
それは、亜人の子孫であるルシオ達が、迅八達のために書いてくれた手紙だ。どうやら、亜人の里との渡りをつける物だったらしいのだが、ルシオは効果があるかどうかは判らない、と言っていた。
それでも、自分達のために書いてくれた物を無くしてしまった事実に、迅八の心は痛んだ。
「気にしないのは無理だけど、今は他の事を考えないとな。どうしよう……」
クロウは野営中や集落での夜に、迅八に幾つかの事を教えてくれたり、物をくれたりした。
例えば宝石。どこに行ってもある程度の価値を持つそれを、幾つか迅八の鞄に入れてくれた。人や亜人に出会ったら、それでなんらかの交渉を行えるからだ。もっとも善良な存在だけとは限らないので、無闇に見せる事はするなとも言われた。
もしも迅八が一人で野営をする場合に備えて、知識と道具もくれた。
「まず、水を探せって言ってたな…」
その次に、身を休める事が出来る安全な場所。それは出来れば屋根付きの物が望ましい。照りつける太陽や突然の雨は、迅八の身体から様々な物を奪っていくからだ。
そして、最後に食べる物。
食べ物がなくても一日は普段通りに行動出来るし、無理をすれば二日三日も可能だ。
そして、上記の三つを、状況により優先順位を変えろ、とクロウは教えた。
迅八は、自分の持ち物を点検し、まずはその優先順位をつけた。
「今は、住居、水、食料の順番か……。亜人に会えるといいんだけど」
亜人の里の近くまで来ているのかもしれないが、それは迅八には確認出来ない。住居に適した場所を探す間に見つけられればいい、迅八はその位に考えていた。
水と食料は豊富ではないが、今はまだある。火を起こしたり住居を作ったりと慣れない作業をしなくてはいけない事を考えると、もう時間が足りない。
早速迅八は行動を開始する事にした。
……その森は、常夜とは違う美しさだった。常夜の妖しい植物達とは違う、瑞々しい生命力に溢れた森。
闇の中で光るあの森も幻想的で美しかったが、この森は健康的なたくましさを感じさせた。迅八が元の世界で、テレビの向こうによく見た光景。
——チチチチチ
なにか動物の鳴き声が聞こえ、がさりと草むらの揺れる方を見てみれば、見た事もない美しい馬のような生き物がこちらを見ている。
木の上の音に目をやってみれば、可愛らしい猿のような生き物が、果実をちょこちょこと食んでいる。
こちらの視線に気付いたのか、猿はその果実を取り落としどこかに行ってしまう。
迅八はその果実を拾い、ぺろりと舐めてみた。
「……うわっ、うまっ」
気が付けば、その爽やかな甘みを持っている果実を、迅八は芯だけ残して食べ切っていた。
「どうやら、食料に困る事はなさそうだな…」
思いがけない情報に迅八は満足し、足を進めた。
幾らかの時が過ぎ、気付けば日は翳りをみせていた。
「やばい。そろそろ家を作らないと…」
迅八は今まで歩いて来た光景から、どの場所もさほど変わらないと結論付け、大きな木の根元に住居を作る事にした。出来れば洞窟か穴倉を探したかったのだが、そうそう都合良くはいかないらしい。
まず、元の世界で言う所のバナナの葉のような、鋭角的な大ぶりの枝葉を持って来て、その葉っぱの間にどんどんと大きな葉や枝を差し込んでいく。
それをいくつか作り、迅八の頭の位置に空いた木のうろに差し込むと、簡易的な屋根が出来た。
「おお…、いいんじゃねえのかこれ」
水筒を一口飲んだ後、ほんの少しだけ中身を屋根の上にこぼすと、その葉を伝わり屋根の外に水は落ちた。
これなら強い風や雨が降らなければ大丈夫だろう。これも元の世界のテレビで得た情報だった。
「けど、やっぱ思ったよりも時間がかかるな。……火を起こさないと 」
迅八は、鞄からクロウに貰った道具を取り出す。
それは、真ん中と両端に穴が空いている細長い木の板と、滑らかな木の棒だった。棒の片方にも穴が空いている。
まず、木の板の真ん中に棒を差し込む、すると、横から見ると『+』この様な形になった。
途中で採取しておいた柔軟性のある木の蔓を、棒の片方に空いた穴に差し込む。そして蔓の両端を、木の板の両端の穴に通し結ぶ。これで完成だ。
やはり道中で集めておいた枯れ枝や枯れ葉を集めて山を作る。その中から板状に出来るくらい太い枝を取ると、左肩のナイフで厚めの板を作る。
そして、板の中心部分だけ深めに穴を掘ると、スプーンで抉ったような形となった。
その穴に先程の道具の、蔓が通ってない方の棒の先端を置いたら準備完了だ。
+の横線、板の部分をくるくると回すと、棒に蔓が巻きついていき、それに合わせて板が上がり、『†』今度はこのような形になる。
そのまま両手を使い板を下ろすと、巻きついた蔓がほどけて回転し、蔓がほどけきるとその反動で今度は逆回転で巻きついていく。
回転と反動を使った高速のすりこぎのような物だ。
無事に動いた事を確認すると、先程えぐり出した木屑を穴の中に戻して、高速すりこぎを回転させる。
すると、あっという間に火種が出来た。
「うお、こんなに簡単についちゃうの!?」
驚いた迅八が手を止めると、すぐに火種は消えてしまった。
「うへえ〜。さすがに千年も生きてると、色々知ってるんだなあ……」
今度は火種を起こしたらそこに木屑を足して、慎重に火を大きくしていき、枯れ枝の山の下にそれを入れた。
すると、中からパチパチと爆ぜる音が聞こえ、少しずつ火が強くなっていった。
「よし、あとは枝を足したりして調整するだけだな」
こうして迅八は、辺りが完全に闇に染まる前に、なんとか住居を手に入れた。
……辺りは焚き火の揺らめきの届く範囲外は、鬱蒼とした闇だった。
見上げた木々の切れ間から見える夜空には、今までに見た事もない程の大量の星が瞬いている。そして星空に大きく浮かぶ月は、その両端が欠けて見えた。
「やっぱり、異世界なのかな」
この世界で目覚めてからというもの、ずっと騒動の連続で、一人で静かに考える時間など持てなかった迅八は、今更ながらの考えを思い出していた。
「夢、じゃないよなあ……」
明晰夢を見る事が出来る迅八も、今となってはその可能性は低いと思っていた。
もうこの世界で何度も眠り、目を覚まし、記憶が連続している。そんな夢はないんじゃないだろうか。そう考え始めていた。
「天使と悪魔か……。なんだそれ」
死後の世界。その可能性はいまだ否定出来ない。
想像していた物とは大分違ったが、天使も悪魔もこの目で見てしまった。それだけではなく、あろう事か自分は天使を殺したらしい。クロウは、その内復活するから気にすんなと言っていたが、そういう問題ではない。特に宗教を信じている迅八ではなかったが、その心は晴れなかった。
「いや、まずいだろ。だって、天使だろ? ……それを殺しちゃダメでしょって。そりゃ不利にもなるよ」
どうやら天使は転生者と密接な関係にあるらしい。迅八はその恩恵を受けられなくなってしまった。その代わりに、と言ってはなんだが、悪魔の加護(?)を受けている。
「ああ〜、やり直してえっ! なんだよ、仲間が悪魔って」
もっとも、これはカザリアとの戦い、その行為をあまり憶えていないからこそ出た言葉であって、天使と悪魔、どちらが信用に値するのか、あるいはどちらも値しないのか。その答えは、この先で迅八自身が出していく事になる。
そして、迅八にとっての一番心を占める事。
「静……」
迅八と静は常識に照らし合わせると、不幸な少年少女だった。二人で身を寄せ合い生きてきた。
元の世界の最後の光景は思い出したが、依然、何故その光景に至ったのかが思い出せない。いまだにこの世界が死後の世界だという考えに方向が向くのも、その最後の記憶による所が大きい。
「このナイフは、なんなんだろう…」
左肩、鞘に納められたナイフを見る。
元の世界、最後の光景で、自分の胸に刺さっていたナイフ。
この世界で目覚め、胸に刺さっていたナイフ。
(死後なのか、夢なのか、それとも…)
異世界なのか。
……気付けば焚き火は消えかけ、迅八は自然と身を丸めていた。
辺りの闇に同化する様に、迅八の意識も眠りに沈んでいった。
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迅八が目覚めると辺りはまだ薄暗かった。
いつの間にか眠りに落ちていた迅八は、その日はすぐに行動を開始した。
まずは水を探す。
水筒の水は節約すれば今日一日くらいは平気だろうが、余裕を持っておきたいし、辺りの地形を知りたい。
その途中でクロウに合流出来たり、亜人に出会えればそれに越した事はない。
迅八はカバンの中の食料を取り出し軽い食事を取った後、焚き火の始末をしてから再び探索に出掛けた。
途中で頻繁に枝を折ったり、石を動かしたりして先程の場所に戻れる様に、目印をつけながら進む。
少しずつ増してゆく朝の光を受けた森は、燦燦とその生命力を放ち始める。
しばらく歩いた所で迅八の耳に水の跳ねる音が聞こえ、迅八はその方向に向かった。
……そこは、美しい泉だった。
おとぎ話で出てくる妖精が遊ぶような、光を湛えた泉。その美しい光景に迅八は息を呑む。もうこちらの世界で何度目の事だろうか。この世界は、美しい。
溜息を吐く迅八の耳に、水の跳ねる音が聞こえた。
それは先程よりも激しい音で、そちらに視線を巡らせた迅八は、再び息を呑んだ。




