悪魔の条件
「じゃあ自己紹介だな。俺は、」
「聞きたくねえッ」
迅八の腰から闇が伸びる。
左から右へと払うように振るわれた黒刀は、和装の男の刀で止められた。
闇に溶け込むような迅九郎を受け止めたのは、その男が持つ刀——濡れるように光る、白い鋼。
「迅八、短気だなお前。俺にも名前くらい言わせろよ。同じ日本人だ。仲間だろ俺たち。……ところで、お前ムー娘で誰が一番好きだ?」
「話が合わねえよっ!」
黒刀を引き戻し、袈裟斬りに打ちかかる。その斬撃もまた簡単に弾かれた。
「……なんだよ。いまは流行ってねえの? ムー娘、凄かったんだぜ。みんな歌ってた。——にほーんのあしーたはー、ウォウウォウウォウォー……知らねえか?」
「知らねえよ。そんなのはっ!!」
左、右、そしてまた右。
迅八の剣撃は全て受け流される。
それを払う和装の男は、まるで力を入れていないように見えた。
「本当に短気だな。……お前、なんで俺の事を殺そうとしてんだ?」
「てめえは俺の仲間を傷付けたっ。理由は他に必要ねえッ!!」
飛びかかる迅八に向かい、男は足を蹴り上げた。
瓦礫の中から木片を弾けさせ、それが迅八の顔に当たる。
「ぐ。……うおっっ!!」
「だからちょっと話そうぜ。……俺は桜田だ。目上だぜ。さん付けしてくれるか?」
迅八の刀が空を切る。
そのまま瓦礫の山の中に刀は埋まり、迅八は顔に付いた木くずを払った。
「テメエッ。まともに戦え!!」
「だから、なんで戦わなくちゃいけないんだよ。お前、勘違いするなよ。……亜人がなんだ? ロックボトムがなんだ? お前の本当の仲間は、日本人の俺だろうが。こんな訳の分からない世界でよ。助け合おうぜ」
和装の男——桜田が距離を取る。
「……目的は二つだ。一つは、この楽園を支配する事。もう一つが、てめえらを見てみたかった」
薄っすらとした明かりが瓦礫の山を照らしている。その頂点に立つ桜田は、ゆっくりと自分の刀で弧を描く。
黄金の菊が闇の中に残像を残し、それは上段でピタリと止まった。
「反応が見たかった。……だが、これは使い物にならねえか? ただのブチ切れ……バカなガキか」
そこで初めて桜田は刀を打ち下ろした。自分の背後に向かって。
——ガギンッ!!
それを受け止めたのも鋼の輝きだった。
赤と金の髪の房を持つ男。その男が握る鋼——幅広の刀身の真ん中に伸びる金の輝き。
「ほうっ。人間にしちゃ勘がいいなっ!!」
「おまえが千年の大悪魔——クロウか? ……おいおい、おまえも俺の敵なのか? おまえ、悪魔なんじゃねえのか?」
「悪魔だよ。だから気に入らねえ奴はすぐ殺す。こんな風になッッ!!」
桜田の斬撃を受け止めた、クロウのワルギリア。
クロウは残った左の拳を撃ち抜く。
それを、桜田は足の裏で受け止めた。
「ほっ……と」
くるくると夜空に人が飛ぶ。
桜田は瓦礫の山から逃れ、通りの平坦な道に降り立つと、瓦礫の山に残る迅八とクロウを見上げてから声を出した。
「……おっかねえ。けど、大した事ないんだな。千年の大悪魔」
「くかかかか……バーカ」
クロウの嘲りの途中で桜田は刀を構え、首の横を守る。そこに吸い込まれるように、アゼルが振るうナイフが走った。
「死ねッッ!!」
「おいおい、三人がかりか!? ……ははははは!! 手加減してくれよ!!」
「うるせぇええッッ!!そのニヤけ面を犬に食わせてやるぞ!!」
神速でアゼルがナイフを振るう。
(……仕留めた!!)
フェイントを混ぜながらの連撃——その一つが桜田の首に吸い込まれたように見えた。
しかし、そのナイフは空を切り、アゼルの耳元に這うような声が聞こえた。
「くく。一回言ってみたかったんだ。『後ろだ』」
「……なっ!?」
自分の背中を刺す悪寒。
背筋を這い寄る『死』。
しかし、その死は途中で遮られた。
「……起きろッッ!!『迅九郎』!!」
爆発するような鋼の打ち合う音が響く。その火花は夜の町を照らし、おぼろげなガス灯の中で、ひときわ輝く閃光だった。
「アゼル……下がってろ!!」
「なにをっ」
「うるせえ。ジンパチの言う通りにしとけ。小娘」
「……はは。仲良し三人組か? お前ら、本当にロックボトムと大悪魔なのか?」
桜田の蹴りが迅八を刺す。
鳩尾を貫く衝撃に膝が落ちそうになるが、なんとかそれを抑え込んだ。
歯を食いしばる迅八を笑うようにふわりと。……舞うように、桜田は後ろに飛んだ。
「……お前らの仲間は、ジークエンド達はどこ行った? まあいい。殺す相手は少ない方が楽だ」
「クロウ。アゼルをっ!!」
迅八がクロウに話しかけようと振り返った瞬間、視界の端で白い光がきらめいた。
何も考えずに、迅八は迅九郎を打ち上げる。すると、その手に痺れるような衝撃が伝わった。
「……止めるか。おまえ才能あるぞ。やっぱり俺と一緒に来いよ」
「クロウッ!! ……アゼルを逃げさせろっ!!」
ぎりぎりと。
震える刀から伝わる桜田の意思。本気ではない力の入れ方。
必死で刀を押し返そうとする迅八の後ろで、クロウとアゼルの気配が消えた。
「……おい。千年の大悪魔はお前の言う事をきくのか? 驚いたな。しっかりテイムしてんじゃねえか」
「訳のわからねえ事をっ!!」
ぷつりと途切れるように。
桜田の手から力が抜ける。
バランスを崩した迅八が前を向いた時には、桜田はまた、遠く離れていた。
「おい迅八。話をしようぜ話を。……おまえ、まだなんも分かっちゃいねえだろ?」
「自分の敵くらいは分かる……!!」
闇の中で黄金の陽炎がのぼる。迅九郎はその輝きを増し、その周囲にゆっくりと狐火が回り始める。
「それが迅九郎か? い〜い刀だ。俺は他人のお下がりが好きじゃねえから、名付けをしてなかったら頂いてたんだが……」
和装の男は暗く笑う。
「……けどいいか。観賞用にするからそれくれよ。俺のもいい刀だろ。……『散り菊』ってんだ」
——パチパチと。
白い光が小さく爆ぜる。
和装の男——桜田が持つ刀が、その力を解放する。
「迅八、やっぱり少し話そうぜ。言ってない事もあるんだ……」
「うるせえっ。もう喋るなッ!!」
小さな囁きのような桜田の声。
それを無視して打ちかかった迅八の目の前に、突然、『散り菊』は現れた。
「……俺よ。全日本で優勝した事があるんだよ。……本当に、俺と剣でやるつもりなのか?」
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盗賊達が瓦礫の山からなんとか這い出した時、すでに、お頭は誰かと対峙していた。
——助けよう。
そんな考えは浮かびもしなかった。
「な、なんだッ!? 酒場が壊されたぞ!?」
「いいから逃げろ逃げろッ!!」
・・・・・・・・・・・・・・・
誰も歩いていない夜の町。
淡い光の中を疾駆する。
すると、聞こえる。囁き声が。
建物の窓から、暗い路地の裏から。
「おい……。なんで誰も歩いてねえんだ!?」
「いいから急げよ。……なんだったんだあれは!? やっぱり、ロックボトムに手を出すなんてやめときゃ良かったんだ!!」
瓦礫の中には仲間たちが埋れている。穏やかな顔で寝ていた彼らは、眠りに落ちたままで、その穏やかな顔を潰して死んだ。
自分達以外にも、這い出せた奴らは別の方向に逃げた。誰一人として、お頭を助けようとはしなかった。
囁き声が聞こえる。ずっと聞こえている。
「……ちくしょう。なんだこの町の奴らは!? たすけて……だれか、助けてくれっ!!」
「おい、橋だっ!! 大丈夫だ。追いつかれねえ。王都まで行ければ……」
衛兵の詰所でも冒険者ギルドでもなんでもいい。——とにかく、あいつらから逃げなくてはならない!!
「……おい、衛兵だ。一緒に叫ぶぞっ!!」
「本当にやんのか!? 情けなさすぎるぞ!!」
「ウダウダ言うなっ。それが分かってて、こっちに逃げてきたんじゃねえのか!?」
川の向こうで衛兵がこちらを見ている。その衛兵たちに向けて、彼は大声を出した。
「……おおーーいっ!! ロックボトムがいるぞ。大悪党が向こうで暴れてるんだ!! 捕まえろ。捕まえてくれっ!!」
橋の向こうに必死で手を振ると——するん。
なぜか、こんな大切な時に転んでしまった。
「えあっっ!? ……あ、あつ」
口の中に血の味が広がる。
すぐさま立ち上がろうとするが、上手くいかない。
「はあっ、はあ……!! もうちょっと!!」
その橋に手が掛かる。
顔を上げてみると、遥か向こうにいる衛兵が、自分の事を指差していた。
「おぉぉーーーーいっ!! た、助けてくれっ!! 早くあいつらを捕まえてくれ!!」
「……ちょっと、あんたさん盗賊じゃないんで? そりゃ、無理があるんじゃねえです?」
後ろから聞こえた声に、体が固まった。
その固まったままの視線の先で、先程と同じように衛兵がこちらを指差している。……自分の後ろを、指差している。
「痛っ……」
湧き出る冷や汗と共に、体の異常に気付く。痛い。足が痛い。痛すぎる。
「……ふむ。要らんのか? 急げばつけられるかもしれんぞ。持っておけ」
どさ。
自分の目の前に、足首が二つ投げ捨てられた。
考えた。誰の足首?
「あ、ああああっっ!!あーーーッッ!!……俺の、俺の靴!!」
「黙れ」
その声に振り返った。
少し離れた場所に、ゆらりと人が立っている。灰色のコートを着込んだ男が、つまらなそうに眼鏡を押し上げ、足元の人間を爪先で蹴っていた。
「……コレ、あんたさんの仲間でしょ? 悪いですね。ごめんなさい」
眼鏡の男が、足元の人間を見えやすいようにつま先で転がした。
転がされたその体からは、頭が無くなっていた。どくどくと流れる血が眼鏡の男の靴を濡らす。眼鏡の男は不愉快そうに、その靴を、丁寧に死体の服に擦り付けた。
「あ、あ……。あーーーーーーーッッ!!」
「悪いな。強く蹴りすぎた。……おそらく、あそこに飛んでしまった」
目の前に立っている燃えあがる赤い髪を持つ男が、その端正なアゴで川を指す。
盗賊がそちらに目をやると、川面がバシャバシャと波打っていた。
川の途中まで届く、ぼんやりとした楽園の猥雑な光。天に輝く両欠けの月の光。その光が、川の真ん中でキラキラと反射している。
集まってきた魚達のウロコが夜の川で光っている。何かを競い合うように動き回る銀色のウロコの中心で、なにか、赤と黒が混じり合った塊のようなものが見えた。
「……良い最後だな。出来れば、生きたままの方が良かったな」
「ジークエンド大丈夫でしょ。もう一人いるじゃねえですか」
「……ふむ」
赤毛の男は頷くと、そのままかがみ込んで盗賊の顔を覗き込んだ。
「……悪かったな。お前の友達だけ楽に死なせてしまった。ところで、好きか? 魚」
・・・・・・・・・・・・・・・
腕を組みながら川面を眺めているジークエンドの横で、コルテが眼鏡を押し上げる。
「うわー。すげえ勢いですね。しばらく魚料理はやめにしますか」
バシャバシャと川面が波打つ。
月の光に照らされた魚のウロコ、滑らかな光の反射が水しぶきにも映される。
しかし、キラキラと光を浴びた飛沫は、どことなく赤く見えた。
「……ふむ。あと何人いるか分かるか?」
「ジンが暴れ狂ってるから分からねえです。何人逃げられたのか……。けどまあ、言ってましたからね。『作戦』」
全員殺せ。
「クーロンも、内心は怒り狂ってるはずですよ。亜人の女の子で、アゼルが「友達」って言ったんですよ。クーロンは絶対に逃がさねえ。……あそこで魚と遊んでる奴も、追ってきたのが僕らで幸せでしたね」
川面の晩餐は終わりかけている。
最後まで突き出されていた『手の様なもの』は、輝く月に向かいずっと伸びていた。しかし、大型の背ビレがそこに近づくと、引きずり込まれるように川の底へと消えた。
「……なかなか見応えがあったな。次に行くか」
ジークエンドが川向こうの衛兵に手を振ってやると、衛兵は、面倒臭そうに手を振り返した。
「ジークエンド。こいつらの頭はやりそうでしたよ。ジンをほっておいてもいいんで? アゼルも居るんですよ」
「問題ない」
赤毛の男がポケットに手を突っ込むと、眼鏡の男が横に並んだ。
囁き声はずっと続いている。
二階の窓から、建物の陰から。
——もっとやれ。もっとやれと。
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「ほら、聞かせておくれ。これが本当に気持ちいいかい?」
「ふぁ、ふぁーーーっ!! ふぁふっ、へて!!」
辺りには凄まじい臭いが立ち込めている。屋外だというのに血の匂いが止まない。
ほかほかとした内蔵と、糞尿の臭いがその通りに立ち込めている。
辺りの建物から見ていた者たちも、顔を青くしてほとんど中に引っ込んでしまった。
——やりすぎなんだよ。あいつらは!
そんな呟きを残して。
「穴に突っ込めば気持ちよくなるんだろ? ねえ、本当かい? てめえらみたいなクズは必ず言うんだ。今までにも言ったことあるんだろ?」
盗賊は、涙と小便を垂れ流して命乞いをした。血に濡れて笑うダークエルフに。
懸命に閉めている括約筋、それを緩めたら、今にも昨日食べた晩飯が出てしまいそうだった。
「ほら。聞かせておくれ。気持ちいいかい? ……本当に? やられてみると、辛くないかい?」
「ひゃ、ひゃふ!! ひゃふへへっ!!」
「ちゃんと喋りな」
ガツンと。
盗賊の口に入っていた棒を女は殴りつける。
長いそれは喉の粘膜をえぐりながら、奥へと進んだ。
「ほら、気持ちいいかい? ……言ってんだろ? ねえ、こんなの言ってきたんだよねえ?」
せり上がる吐き気が抑えられない。
ガッチリと喉に入り込んだ棒の隙間から、吐瀉が溢れる。
今まさに窒息している盗賊の耳に、荒々しい呼吸が聞こえた。
「ふううううぅぅ……。ふううううぅぅ……!!」
盗賊は確信した。
この女は、狂ってる。
確かに自分は悪党だ。
今まで散々と悪事を重ねた。
女が言ったような事など当たり前にやってきたが、この女はそれを知らない。
決めつけだけで、徹底的にやれる女。
盗賊の、涙で歪む視界に、地獄が映る。
——自分の仲間の成れの果て。肉と臓物と糞尿の山。
「ほら、やっぱり辛そうだ。苦しいだろ? 苦しいよねえ。……じゃあ、風穴を開けよう。呼吸が楽になるはずだ」
「ひゃ、ひゃへへ……へゃふへへっ!!」
「聞こえないね。ちゃんと喋りな」
ダークエルフが手元の道具で、盗賊の口に突っ込まれている『棒』に、火をつけた。
「ひゃへへえええっ!!」
——バチバチと。
その棒から伸びる、細く長い紐。
それに火がつくと、どんどん紐は短くなっていった。
「キディ坊やはいいもんくれたね。あんたは知らないだろうけど、コレは高いんだよ。てめえみたいな芋虫の命にこんなもんを使うあたしに感謝しな」
「ひゃっへへえええええ!!」
盗賊の、後ろ手に縛られた両腕は用を為さない。
——ならばこの、火薬の匂いがする棒を噛みちぎる!!
涙を流しながらアゴを動かそうとした盗賊のコメカミの下を、女がトンッと殴りつけた。
「……あ、あひゃ、あひゃふぁ」
「外しちゃったよアゴ。じゃあね」
血に濡れて上気する肌。
盗賊が最後に見たのは、女の紫色の瞳だった。場違いにも、本当に一瞬だけ、盗賊はその美しさに見とれた。
そして、その直後……光に包まれた。
・・・・・・・・・・・・・・・
「おいおい……。てめ〜はやりすぎなんじゃね〜のか〜? わざわざダイナマイトを使う事ね〜だろうが。もったいねえ」
「これ以上に有意義な使い道なんかないね」
「お、お〜……」
怒り狂うクーロンを鎮める為の『餌』を探しに、アマレロは楽園中を走り回っていた。
餌はすぐに見つけられた。町中の人間が指し示す。「あっちだ」と。
「ふううううぅぅ……。ちょっと落ち着いてきたね。さて、あたしらはどうしようか」
もう恐らく残党はいない。
いるかも知れないが、どうせここからは逃げられない。逃げられなければ自分達の耳に入る。
「流れ者共の親玉はそこそこやりそうだったな〜。助けに行かねえでいいのか〜?」
クーロンは考える。
あの少年と、アゼルの事を。
「いや、放っておこう。あの坊やはアゼルを『ずっと守る』って言った。そんなに簡単な言葉じゃない。……本当に出来るのか、見せてもらう」
それに、迅八が本当にロックボトムだと周りから見なされれば、それなりの力は必要となる。
「坊や。……アゼルの事、守れるのかい?」
「いや、無理そうだったから俺様が連れてきたぜ」
ズコーッ。
血に濡れた女は盛大にコケた。
「な、な、な……!?」
「クーロンっ!! 血まみれに……って、どうせ返り血だよね」
クロウの腕から離れたアゼルが、クーロンに走り寄る。
「お〜!? てめ〜らなにやってんだ? 坊主はどうした、坊主はっ!?」
「……苦戦中だ」
クロウが己の体を指し示す。
そこには幾つもの切り傷があり、その会話の途中にも新しい傷が出来た。
「アマ公、クーロン。……俺はジンパチの所に戻る。その小娘はてめえらに預けたぞ」
クロウの履いていた皮のズボンは、ほとんど半ズボンになっていた。その足だけ金毛に覆われて、まるで動物の脚のように関節がついている。
その脚の筋肉を肥大させると、千年の大悪魔は跳躍する為に深くかがみ込んだ。
「待ちな、クロウ!!」
「なんだよ……。こっちは急いでるんだよ!!」
「なんでアゼルを逃げさせた? あんたになんの得がある」
「俺は悪魔だ」
「だから聞いてるんだよ。ジンやシズなら分かる。けど、なんで」
「俺は悪魔だ。
損得で動く人間なんぞと一緒にしてんじゃねえ」
びゅおんっ。
弾けるように脚を伸ばすと、その姿は月に浮かんだ。
赤と金の毛が流れるようにきらめく。
翼を持たない悪魔が空を跳ぶ。
その姿を見ていた人間達の一人が呟いた。
「言ってくれんじゃないのさ。……シビれた」
「クソっ。あいつ、俺も親玉を倒しに」
「お〜、やめとけアゼル。おめ〜はあの狐の娘のとこに居た方がいいんじゃね〜か〜? やるべき事はそれぞれあるぜ」
その言葉を聞き、アゼルは思い出した。
忘れた訳ではなかったが、怒りで頭が濁っていた。ニコルには、そばにいてやる人間が必要だ。
「まあ、坊主が呼んだ『アイツ』がいるから、家の守りは万全だけどよ〜。もう俺たちもやる事ね〜だろ。帰るぞ〜」
・・・・・・・・・・・・・・・
「らしくねえ。……確かに」
クロウの眼下には、人間の作ったゴミゴミとした薄汚い町がある。その町の中に、ちらほらと人間の姿が見え始めた。
月までも届くかと思われた跳躍も、緩やかに高度を落とす。クロウは地面に着陸する寸前に思い出した。
(やべえ。ジンパチの体じゃこらえられねえか?)
その脚を、着地の瞬間だけ別の脚に変える。超硬度の体を持つ魔物——かつて魂喰らいで取り込んでやった強敵の脚に。
着地の音はまるで爆発のように響いた。石畳は大きく穿たれ、辺りには噴煙が渦巻いている。
クロウは遠巻きに自分を見ていた人間の女に言った。
「まだ終わってねえ。家に入ってろ」
「……は、はい!!」
「あー? わざわざ脚を硬くしなくても大丈夫だったか? ちっ、本当に厄介だぜ。結魂はよ……!!」
別に迅八の足が砕け散ろうがクロウの知った事ではないのだが、今の迅八は戦闘中だ。その隙に、首でも切られたら笑えない。
「あいつはヤバい感じがしたな。……あれも転生者か」
あの剣術。
自分達の知らない動き。
鋭くもあり、なにか欠けているようでもあったが、その方向の『完成形』のような動きだった。とても今の迅八が敵う相手とは思えない。
「くそッッ。さっさと行ってさっさと殺す!!」
クロウが再びその腰を深く沈めた後に、跳躍した瞬間。
「うっっぐあああああああっっ!? ……あの野郎!!」
焼けるような痛みと共に、体から離れ、地面に残された己の左腕が見えた。




