目撃者
友人から沖縄旅行に誘われたのは、アリバイ作りの為だった。女友達との旅行だと実家住まいの彼女が自分を隠れ蓑にしていることぐらい知っている。
(今晩から、どうしようかなぁ)
青い空に碧い海。暖かというよりも暑い真夏の日差しを受けながら、のんびりビーチでかき氷を食べていた紗里奈は、溜息をついた。
隣に座っている友人は、今晩合流する彼氏とのメールに忙しいらしく、携帯電話から目を離そうとしなかった。
浜辺を見てみると、賑やかな小学生の集団が見えた。
近所に住む子供たちなのだろうか、仲良く砂山を積み上げて、トンネルを作っている姿は微笑ましい。
(小さい頃、私もやったっけ……)
両親や親戚の叔父叔母、イトコたちと出掛けて行った磯辺でのバーベキュー。お腹がいっぱいになると、磯蟹を探しに探検したり、浜辺に行って砂山を作ったり……海水で遊ぶよりも、磯辺での遊びに夢中になっていた。
(あっ、あの子、可愛い)
小学校高学年くらいだろうか。小さい子たちと一緒になって遊んでいる少女は、目がキラキラ輝いていて、とても目を引いていた。
現に、何人かの男の人が少女に近付き声をかけていたが、そのたびに、少女と遊んでいた子供たちに追い払われている。
(小さなナイトってとこかな?)
きっとお姉さん的役割の彼女に、恋をしているのだろうと、少年の甘酸っぱい恋模様を想像して、紗里奈はクスクス笑った。
「紗里奈、あたし、そろそろ行くわ」
「ん~」
彼氏との連絡がひと段落したのだろう。友人は紗里奈にそう言うと、立ち上がり砂を払った。此処は砂浜の海の家。椅子の上にも細かな砂が付いていて、服を払うと、パラパラと砂が落ちて行った。
友人の声に、紗里奈も色水と化したかき氷を飲み干すと、ゴミ箱に入れる。
海の家の外は日差しが強そうだ。
「あっ! アレ見て」
友人が叫ぶ方向を見ると、緩やかにウェーブした金の髪をなびかせた、芸術品のような美女が優雅に砂浜を歩いていた。砂に足を取られることも無く、それどころか砂さえも彼女の美貌にひれ伏し、彼女を煩わせることを躊躇わせる、美姫。
スタイルが良くなければ絶対に着る事の出来ない水着を身に付け、ケープのように薄手のパーカーをはおった彼女。繊細な模様の黒い水着が彼女の肌の白さを際立たせていた。まるで天女の羽衣のような薄い上着が風に揺れ、水着の隙間から見える白い肌に浜辺にいた男たちは息をのんだ。
彼女の姿を一目目にしてしまえば、サングラスを付けていても隠しきれない美貌に釘づけになる。
ポカンと口を開いて彼女を目で追う人の姿を見て、紗里奈は自分も同じような顔をしているんだろうなと、慌てて口を閉じた。
彼女が近付くと、慌てて避ける人たち。彼女の邪魔をすることなど考えもつかない。
まるで天女のような軽い足取りで歩む彼女が向かう先を見てみれば、SPと思われるガタイの良い男たちが警護する一般人とは隔離された場所。
寝心地良さそうなデッキチェアとビーチパラソルが準備され、傍らの小さなテーブルには果物がたっぷり入った飲み物が用意されていた。
彼女がゆっくりとデッキチェアに座ると、執事風の初老の男が、彼女のパーカーを恭しく受け取っていた。
「同じ人間とは思えない……」
思わず呟いた紗里奈の言葉に、言葉も無く友人は頷いた。
「しゃ、写メ、撮ってもいいかな?」
そう言ってギクシャクと動きだした友人を、紗里奈は「止めなよ」と制止する。
「無断で写真なんて撮られたらヤでしょ?」
「いいじゃん。あたしだけじゃないし」
そう言われてみて、辺りを見渡せば、あちらこちらで、美貌の麗人を携帯カメラで写す人の姿が有った。
「紗里奈も撮れば良いじゃん」
「私は、止めとくわ」
無断で携帯カメラで写真撮影され、ブログで怒りを書き捨てた芸能人のニュースを知ったばかりだ。彼のブログは炎上してしまったが、確かに自分が無断で写真を取られたら嫌な気持ちになるだろうと、彼に同情した紗里奈は、せめて自分だけでもと、携帯電話に手を伸ばさなかった。
「堅いんだから」
何枚か写真を撮った友人は、「ケンジにも送ってあげよう。美人だから喜ぶわ」と無邪気に言い放ち、メールを送りだした。
「彼氏との待ち合わせ、いいの?」
「あっ! いっけないっ!」
友人は慌てて荷物をまとめると「じゃぁ、明後日、帰る時に連絡するわね」と言い捨てて走り去った。
砂に足を取られ、転びそうになりながらも、彼氏に会える喜びでいっぱいの友人の姿に、紗里奈は何度目か分からぬ溜息を零した。
(ホテル代、半分持ってくれたのは感謝するけどね)
アリバイ作りに利用するのは申し訳ないと、一応は思っていたのだろう。友人はシングル一室の料金半分を負担してくれた。
(どうせ一人だし、夕食は、ちょっと贅沢しちゃおうかしら)
そんなことを考えながらホテルの方へ歩いて行く。サンダルに入り込んだ砂がザラザラとして、歩くたびに風に運ばれ足に当たる砂が痛かった。
ふと視線を感じ振り返ると、男の人に声をかけられ、異国の言葉を返す女性の姿が見えた。大きめのサングラスをかけ、巾の広い帽子をかぶった彼女は、紗里奈が振り向いた事に気付いたからか、紗里奈に向かって手を振った。
彼女に話しかけていた男は、話が通じないところに、連れが現れたと思ったのだろう。紗里奈の方を見ることも無く、そそくさと逃げて行くのが見えた。
紗里奈は、何故女性に手を振られたのか分からず、思わずあたりを見回した。
しかし、その場には紗里奈しかおらず、どうして良いか分からない紗里奈は立ちつくした。
「ボンジュール」
歩きにくい砂浜の上を颯爽と歩いてきた彼女は、にっこりと紗里奈に微笑みかける。まるで、ファッションショーのモデルがウォーキングするかのような優美さに魅入っていた紗里奈は、話しかけられてハッとした。
それでも、日本人の悲しさかな。反射的に曖昧な笑みを浮かべて「こんにちは」と返した。
帽子やサングラス、日傘で彼女の顔は影になって良く見えなかったが、瑞々しい艶やかな紅い唇が弧を描くのはハッキリと分かった。
ショート丈のワンピースから伸びる足はスラリとしていて、ピッタリとした服は彼女のほっそりとした細身の身体を強調していた。
『どこのホテルに泊まってるの?』
早口の外国語で話し掛けれた紗里奈は、彼女の言葉の意味が分からず目を白黒させた。
辛うじて「のーすぴーく、いんぐりっしゅ。じゃぱにーず、おんりー」と中学校で習った英語を脳内から引っ張り出し唇に乗せる。
鳩が豆鉄砲をくらったとは彼女の姿を言うのだろう。首を傾かせた彼女の薄い色硝子の向こうでは、睫毛の長い目がパチパチと瞬きするのが見えた。
真っ赤になる紗里奈。言わなきゃよかったと内心後悔していると、彼女は唇を紗里奈の耳元に近付けた。
相手が女の人だというのに、鼓動が速くなる紗里奈の心臓。思わず目をギュッと閉じると、耳元でと息とともに「ホテル、案内して」と女の人にしては少し低い声が聞こえた。
ゾクゾクする感覚に戸惑いながら、コクコクと頷いた紗里奈。
無意識に一歩後退すれば、砂に足がとられてグラリと身体が傾いた。
(倒れるっ!)
衝撃に供え身を固くこわばらせた紗里奈だったが、来るだろう衝撃は全く訪れず、変わりに腕をグッと捕られ、堅い胸にギュッと抱きしめられた。
「危ないわよ……足元に注意して」
「あ、はぃ。えっと……ありがとうございます?」
「何故、疑問形なのかしら?」
頭上でクスクスと笑う彼の声が振動となって、紗里奈に響いた。
紗里奈は真っ赤になった顔を隠すように下を向いて、両手で彼の胸を押した。
(お、男の人だぁ!)
紗里奈の様子を彼はサングラスをずらして観察する。彼の青い瞳が紗里奈をジッと見つめる。
何故か居心地悪くなった紗里奈は意味も無くパタパタと手を動かすと、「あの、ほ、ホテルに案内すればいいんですよね」と確認した。
「えぇ、お願いできるかしら?」
「は、はぃ」
ギクシャクと歩き出した紗里奈。自分の泊まっているホテルのロビーに連れて行ったら、心臓に悪いこの人と早く別れようと、少々急ぎ足になる。
「ねぇ」
「は、はひっ!」
声をかけられビクッと肩をすくませる紗里奈に、彼は「なんて言うの?」と尋ねた。
「えっ?」
「な・ま・え。あたし、フランって言うの。貴女は?」
「あっ……紗里奈、サリナって言います」
「さ、サリー?」
紗里奈の名前を聞いて、何故か引き攣った顔をするフランだったが、軽く首を振ると、気を取り直して紗里奈に尋ねた。
「リナ。リナって呼んでもいいかしら?」
「え、えぇ。どうぞ?」
「あたしのことは、フランって呼んで」
「はぁ……」
何故、すぐそこのホテルに案内するのに、自己紹介なんてしなきゃならないんだろうと思いながらも、律儀に返事を返す紗里奈。
ニンマリと笑ったフランは、前を歩く紗里奈の後ろ姿を眺める。
「ねぇ、もし一人だったら、おひとり様同士、一緒にディナーを食べない?」
「えっ、いや、いいですよ」
「良いのね。じゃぁ、何を食べましょうか? 中華? フレンチ? イタリアン?」
「いや、ソコは沖縄料理って言うところでは……じゃなくて、ホント、遠慮しますって」
「あっ、もちろん、誘ったんだから、あたしがオゴルわよ?」
「いや、そうじゃなくてですね……」
慌てて言い募る紗里奈の言葉を無視して、フランは楽しげに告げた。
「日本人の『遠慮します』って『はい(ウィ)』ってことなのよね。一人で食事するの寂しかったの。可愛い子と食事ができて嬉しいわ」
「はあ……」
もう何を言っても無駄だと思った紗里奈は、旅行に来る前、飽きるほど読んだガイドブックの内容を思い出し、美味しい店あったかなと首をひねった。
(まぁ、観光地で一人ってのも寂しかったし、男って言ったって『おねぇ』でしょ? 心配することないっか)
今晩の夕食一回だけでも、旅先で一人と言う寂しさから解放されるのだから、悪い物でもないかと、紗里奈は笑みを浮かべた。