婚約破棄するのであれば、その花束は自分でお持ち帰り下さいね
──ああ、嫌な予感がする。
こういうときの男というものは、決まって似たような顔をする。
自分が正しいと信じ切った顔。
相手が泣き崩れることを疑っていない顔。
そして、これから告げる言葉がどれほど残酷なのか、まるで理解していない顔。
私は今夜、何組もの男女が同じ過ちを犯すところを見ることになるのだろう。
……もっとも、今回の男は少々、度が過ぎているようだが。
◇
王都の花祭り。
貴族たちが色とりどりの花を手に集まるこの祭典は、婚約者同士が互いに花束を贈り合う習慣を行うことで知られている。
私、エレーヌ・ロゼッタも、婚約者である伯爵令息アーノルドから花束を受け取るため、広場の噴水前に立っていた。
「エレーヌ、話がある」
やってきたアーノルドは、いつも通り花束を持ってきていた。
だが。
何故かその花束を隠そうとしているように見える。
更にその腕には一人の女性が絡みついている。
男爵令嬢のミレーヌだ。
最近彼が熱を上げているらしい令嬢だ。
友人からも目撃例がかなり上がっている。
「お前との婚約を破棄する」
周囲のざわめきが止まった。
「私はミレーヌを愛している。お前のように何事にも口うるさい女と一緒にいるのは、もううんざりだ」
「……そうですか」
「……何?」
「婚約破棄、承知いたしました」
アーノルドは拍子抜けしたような顔をした。
隣のミレーヌが、くすりと笑う。
「よかったですわね、アーノルド様。これで私たち、堂々と一緒になれますわ」
「ああ。エレーヌ、そういうことだ。今後は私たちに関わらないでくれ」
「分かりました」
私は一礼した。
そして、二人の間を通り過ぎようとしたところで、ふと思い出した。
「ああ、一つだけ」
「まだ何かあるのか?」
「その花束、どうなさるおつもりですか?」
「花束?」
「花祭りの贈り物です。婚約者がいなくなったのですから、今年はお渡しする相手もいませんでしょう?
ミレーヌ様ともまだ婚約はしていないはずですよね?」
アーノルドは眉をひそめた。
「そんなもの、どうでもいい」
「そうですか。では、失礼いたします」
私は今度こそ、その場を離れた。
背後から、ミレーヌの笑い声が聞こえてきた。
努めてそれを聞かないようにして、私は帰路を急いだ。
◇
そもそも、私はアーノルドとの結婚を楽しみにしていたわけではない。
彼は悪人というほどではなかった。
ただ、少々見栄っ張りで、他人の意見を聞かず、都合が悪くなると私に責任を押しつける。
婚約者として付き合ううちに、私は彼との結婚生活に期待を持てなくなっていた。
それでも、家同士の話である。
簡単に破棄できるものではないと思っていたし、実際その通りだった。
だからこそ、今回の件はむしろ幸運だった。
父に報告すると、父はしばらく黙り込んだ後、こう言った。
「それで、お前は悲しくないのか?」
「少しも」
「そうか。なら、いい」
それだけだった。
父は私に無理に再婚を勧めることもなく、しばらく好きに過ごせと言ってくれた。
私は久しぶりに、友人たちとのお茶会を楽しんだ。
気を使う必要がなく、息の詰まらない茶会は久しぶりであり、とてもとても楽しかった。
そして、花祭りから二週間後。
思いもよらない話が耳に入ってきた。
◇
「聞いた? アーノルド様、ミレーヌ様と喧嘩したそうよ」
「まあ、どうして?」
「花祭りの翌日から、毎日贈り物を要求されているんですって」
友人の話に、私は紅茶を口に運んだ。
どうやら、ミレーヌはアーノルドが伯爵家の跡取りであることを、自由に家の金を使えるようになることを気に入っていたらしい。
婚約が成立すれば、彼女は伯爵夫人になれる。
ところが、アーノルドは私との婚約を破棄したことで、父親から厳しく叱責されたそうだ。
そもそも、今回の婚約は両家の合意によるもの。
息子の一存で破棄した以上、伯爵家はロゼッタ家に謝罪と弁償等をしなければならない。
当然、次の縁談………ミレーヌとの婚約も簡単にはまとまらなくなった。
伯爵家の者となる以上、それ相応の家柄と能力が要求される。
ミレーヌは何一つそれを満たしていなかった。
そのうえ、アーノルドはミレーヌに贈り物をするため、かなり無理をしていたらしい。
親や親戚、遂には民間の金貸し業者にすら金を借りていたようで、それが現当主にバレて相当絞られたらしい。
覇気のない死んだ顔をしている、と友人達が話していた。
「それで、ミレーヌ様は?」
「別れたそうよ。伯爵夫人になれない男には興味がないって」
「そう」
私はそれ以上、興味を持たなかった。
彼らがどうなろうと、私には関係ない。
◇
その日の帰り道。
花屋の前で足を止めた。
店先には、春らしい色の花が並んでいる。
「いらっしゃいませ」
声をかけてきたのは、見覚えのある青年だった。
近所の花屋で働く青年、ルイス。
彼自身は子爵家の第三令息であり、家を継ぐことが出来ないから、せめて好きなことをしたい、と花屋で働いていると聞いた事がある。
以前、花祭りの準備で何度か顔も合わせている。
「今日は何をお探しですか?」
「………そうね。何か、長く楽しめる花がいいわ」
「でしたら、こちらはいかがでしょう」
彼が差し出したのは、小さな鉢植えに咲いた花だった。
「派手ではありませんが、きちんと世話をすれば長く咲いてくれます」
「素敵ね。これをいただくわ」
代金を支払い、鉢植えを受け取る。
すると、ルイスが少しだけ照れたように笑った。
「エレーヌ様。もしよろしければ、今度、一緒に花を見に行きませんか?」
「花を?」
「はい。今度、郊外の温室で珍しい花の展示があるんです。僕も見に行くつもりなので」
私は彼の顔を見た。
大貴族の令息のような華やかさはない。
けれど、花を扱う手つきは丁寧で、何より人の話を最後まで聞いてくれる。
元貴族なので、貴族教育もしっかり受けている。
「ええ。ぜひご一緒させてください」
そう答えると、彼は嬉しそうに笑った。
◇
それから時が過ぎ。
私は再び花祭りの広場を訪れた。
今年は一人ではない。
隣にはルイスがいて、彼の手の中には小さな花束がある。
彼らしい控えめながらも綺麗な花だ。
ふと、広場の向こうにアーノルドの姿が見えた。
彼は私に気づいたようだったが、声をかけてはこなかった。
私は彼から目を離し、隣の青年に笑いかけた。
「ルイス、その花束は私に?」
「はい。気に入っていただけると嬉しいです」
「ありがとう。とても素敵ね」
かつて、婚約者から花束を受け取ることは義務のようなものだと思っていた。
けれど今は違う。
誰かに花を贈ることも、受け取ることも、本来は嬉しいことなのだ。
私は花束を胸に抱き、春の風の中を歩き出した。
あの日、婚約を破棄されたことを、私は一度も後悔していない。
むしろ、あの男が自分から去ってくれたおかげで、ようやく気づけたのだ。
花は、贈る相手を間違えてはいけない。
そして、受け取る側もまた、誰から贈られた花を大切にするか、自分で選んでいいのだと。




