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愛情ごはんを届けたい ~エリート社長は過労死寸前!? あなたの心と体を私の料理で癒します~  作者: 日埜和なこ


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第9話 募る想いに向き合う

 バイトが終わってから電車に揺られ、自宅に辿り着いたのは夜十時を回っていた。

 どっと疲れを感じ、狭いシンクにお弁当箱を置いたら、ため息が自然と零れ落ちた。


 脳裏をよぎったのは、喫茶店で会った麗華さん。


「婚約者がいたなんて」


 凄い美人だったな。

 麗華さんは東條さんのことを少しも思っていないっていってた。結城くんと仲睦まじい様子を目の当たりにしたら、それを信じるしかないんだけど。


「……政略結婚っていってたな」


 お弁当箱を洗いながら、麗華さんが流行らないといっていた話しを思い返した。

 考えだしたら胸の奥がざわざわとして、鼻の奥がツンとしてくる。


 女なら誰だってウエディングドレスに憧れるわけじゃないだろうけど、きっと麗華さんは憧れる人なんだろう。結城くんのためにドレスを着たいんだと思う。でも、いくら白い結婚っていわれても、東條さんと結婚したら、横に立つのは結城くんじゃないんだよね。


 タキシードを着た東條さんの姿を思い浮かべてみた、

 横に立つのが麗華さんだったら、きっと美男美女で絵になるよね。貧乏学生の私なんかじゃ、釣り合わない。


「白い結婚……そんな風に結婚を決められちゃうんだ」


 自身の健康度外視で働いている姿を見ていたし、仕事のためなら、なんでもする人なんだろうとは思っていた。それって、ワーカーホリックの域を超えているよね。


 悲しいわけでもないのに、頬を涙が落ちていく。

 私と東條さんでは住む世界が違う。ベンチャー企業の社長とただの大学生じゃ、どんなに親しくなったとしても、恋愛対象にはならないだろうなって思ってたよ。思ってたけど……


「……ご飯が美味しいって、毎日食べたいって」


 あれは嘘だったのかな。やっぱりお世辞だったんだろう。

 空になったお弁当の写真に、車の中でおにぎりを美味しそうに食べる姿、部屋で食事を楽しむようになった東條さんの表情が、次々に思い浮かぶ。


 ほんの少しだけ期待していたことに気付いて、胸が痛くなる。


 止まらない涙を濡れた手で拭っていると、シンクのわきの置いていたスマホが震えた。

 鼻を啜りながら画面を開くと、そこには想像を超えた数件のメッセージ通知が上がっていた。


「……東條さん」

 

 メッセージはすべて東條さんからだった。送信時間を見ると、結城くんと麗華さんに会っていた間に三件、バイトが始まった頃と終わった頃、それから電車に乗っていた頃に二件。

 そして今届いたメッセージには「返事がないから事故にでもあったのかと心配している」と書かれていた。


 慌てて返信をすると、すぐさま「今話せる?」と短いメッセージが返ってくる。それに、五分だけ待ってくださいと返せば、きっかり五分後にスマホが鳴った。


「咲良ちゃん、今どこにいるの? まさか病院とかいわないよね?」

「大丈夫です。家にいます」

「本当に? 声が変だけど、具合が悪いとかじゃない?」

「えっと、それは……」


 鼻をずびっと啜りそうになり、慌てて堪えた。気づかれないようにしながら、ティッシュケースを引き寄せた。


「やっぱり、毎朝早くから俺の弁当なんて作らせて、無理させたんじゃないか?」

「そんなことないですよ。本当に……ほら、私の取柄は丈夫なことだし」


 いいながら、再び込み上げてきた涙を堪えるように、息を深く吸った。


「だけど、声に元気がないよ」


 スマホ越しなのに、どうして伝わってしまうんだろうか。


「大学でなにかあったの?」


 どうして、東條さんは私に気を遣ってくれるんだろう。

 婚約者がいるってことは、恋愛なんてする気がないってことだよね。私がどんなに思っても、好きだといったとしても、東條さんと一緒に歩める未来はない。お弁当だって、いつかは……


「咲良ちゃん、聞こえてる?」

「……どうして」

「なに?」

「どうして、東條さんは私に優しいんですか?」

「どうしてって……」

 

 言い淀む声を聞いて、ああ失敗したと思った。そんなことを訊いたって、困らせるだけじゃない。

 だけど、今日一日で起きたことは喉に引っかかった小骨みたいで、それを取り除かないことには前に進めそうになかった。


 ただ、東條さんが困っているのも、わかってしまう。

 私はどうしたらいいの。なにが正解なんだろう。


 ほんの数秒の沈黙が延々と続きそうで怖くなり、気付けば「ごめんなさい」と呟いていた。


「今日、いろいろありすぎて……私、ちょっと冷静じゃないみたいです。一晩寝れば元に戻るんで」


 今夜はもう寝ますといい終える前に、東條さんが私の名を呼んだ。


「咲良ちゃん……今から会えないかな? 会って話したい」


 突然のことに理解が及ばず、なんて返していいかわからない。

 今度は私が返答に困る番だった。


 こんな夜遅くに会いたいだなんていわれて、勘違いするなっていうのは酷だって、東條さんはわかっているのかな。

 両想いなら、恋人なら、喜んで会いにいったよ。会って、婚約者ってなにって問い詰めたかもしれない。私のことをどう思っているのって、泣いて怒ったかもしれない。

 でも、今の私たちの関係は恋人でも友達でもない。


 私たちってなんなんだろう。考えたら胸が苦しくなって、余計に言葉がつまった。


 返答に困っていると、東條さんは優しい声で「俺はね」と話し始めた。


「別に優しくないよ。ただ、咲良ちゃんには優しいオジサンって思われたいだけでさ」


 またオジサンっていった。そんなことちっともないのに。


「会ってちゃんと話したい。どこへでも迎えにいくから」

「……今会ったら、東條さんに嫌われるかも」

「俺が咲良ちゃんを?」

「冷静じゃないし、今、すごくマイナス思考で……」

「それくらいで、じゃあ会うのを止めようなんていわないよ」


 繰り返し「迎えにいくよ」といった優しい声に、会いたい気持ちが傾いた。

 

 一時間後、私は大学前駅の改札口に立っていた。

 人のいない改札で、冷たい夜風を感じながら少しだけ冷静さを取り戻す。

 私はどうしたいのか。なにが知りたいのか。どうして、麗華さんのことにショックを受けているのか。

 東條さんを待ちながら考えた。


 彼と私は済む世界が違う。社長と学生が恋人になるなんて無理だ。諦めを抱きながら、日に日に好きな気持ちは膨れていった。

 言葉にしないでも、お互い思い合っている。そう思い込んで、恋人みたいな日々を三週間続けていた。社長の健康管理部なんていわれて、私だけのポジションに浮かれていた。ずっとこれからも、東條さんのお弁当を作れるんだって、思い込もうとしていた。


 恋人になれたとしても、結婚する未来がないなら、いつかは別れるってことなのに。東條さんは、初めから私との関係に終わりがあるって、わかっていたんだよね。


 ままごとみたいな日々に甘えていた自分が、凄く滑稽に思えてきた。


 冷えた指先を握りしめ、白い息を吐いた時、走ってくる東條さんのロングコート姿が視界に入った。


「咲良ちゃん!」


 近づいてくる顔は心配そうにしかめられている。

 そんな顔をして私を呼ぶから、勘違いしちゃうんですよ。


「ごめん、待たせちゃったよね。寒かったでしょ」


 いいながらマフラーを外した東條さんは、それを私の首にかけた。

 ぬくもりと一緒にほんのり香るのは香水なのかな。コーヒーとは違う、私の知らない匂いだ。


「車で話そう……咲良ちゃん?」


 促されても動かない私を、東條さんは不思議そうに見る。

 息を深く吸い、会ったら伝えようと決めていたことを、数回胸の内で繰り返した。


 もう、私の思いを伝えるしかない。それしか、東條さんの気持ちを知るすべはないんだ。いつか別れが来るなら、いっそうのこと……


「今日、婚約者さんに会いました」


 東條さんが動きを止めた。


「私……東條さんが好きです」


 するりと言葉が出た。

 東條さんは目を見開くと、息を呑んで口を引き結んだ。


「ずっと好きでした。でも、婚約者がいるってことは、東條さんは私と同じ気持ちじゃないんですよね」

「違う、それは」

「婚約者の方は婚約を解消したいっていってたけど、東條さんはそうしないってことは、彼女に少なからず好意を持っているってことですもんね」


 いいながら、涙が込み上げてくる。

 どんなに麗華さんと結城くんが私を応援しているっていったって、東條さんに気持ちがなければどうしようもないんだよ。


「私のことを少しは好きでいてくれてると思ってたけど」


 勘違いだった。もうお弁当は作れない。そう話し終える前に涙があふれ、言葉が出てこなくなった。

 泣いている顔を見られたくなくて俯くと、靴底がこつりと鳴った。


「好きだよ」


 真上から声が降ってきた。


「年甲斐もなく、咲良ちゃんに恋しているよ」

「嘘……そんなの、信じられない」


 麗華さんのことを知る前だったら、どれほど嬉しかったか。舞い上がって涙を流したかもしれない。

 でも、今は全く逆の意味で涙が込み上げてくる。


「だって、婚約者がいるって……」

「婚約者がいるのも本当だ」

「……どうして……」


 婚約者がいることを黙っていたのか。ううん、どうして私のお弁当を受け取ってくれるのか。違う、どうして私を好きになってくれたのか。

 聞きたいことがありすぎて、なにを信じたらいいのかわからなくて、言葉を選べなかった。


 東條さんの手が、冷え切った私の指に触れた。


「俺の話を聞いてくれるかな」


 そっと遠慮がちに触れた指を握って頷くと、温かい指先が握り返してくれた。

 ここは寒いからと駐車場に停めてある車まで向かうことになった。

 歩いている間、ずっと手は握られたままだった。

次回、本日21時頃の更新となります


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