第8話 純喫茶でのエンカウント
東條さんにお弁当を作るようになって、三週間目。
講義が一通り終わって帰り支度をしながら、ふと外を見た。
今にも雨が降りそうなどんよりとした雲が広がっている。来週にはクリスマスが控えているけど、さすがに雪は降らないよね。実家では降るかもしれないな。
「冬休みどうしようかな……」
塾講師として受け持っているクラスは受験生でもないし、実家は栃木だから帰ろうと思えば帰ることもできる。昨年の年末もお母さんと一緒にお鍋をつついて、年越し蕎麦を食べて……お酒を飲んで酔っぱらったお母さんが「いつか恋人連れてきなさいよ」と笑った顔をふと思い出した。
私が帰らないと、一人でお酒を飲むのかな。もしかしたら、親戚の家に行くのかもしれない。
帰りたい。でも、東條さんにお弁当を届けたい。
でも、年末年始まで毎日会うっていうのは無理かな。東條さんにだって付き合いがあるもんね。忘年会とか新年会とか。それに、お母さんは亡くなっていても、ご家族だっているだろうし。
お弁当も、お正月休みをもらう感じになるのかな。
少しだけ寂しく思いながら、小さくため息をついた時だった。
「坂下さん、今日ってなにか予定ある?」
名前を呼ばれて振り返ると、結城くんが立っていた。いつもに増して緊張したような、真剣な顔をしている。
「夜は塾講のバイトが入ってるけど、なんで?」
「もし少し時間が取れるなら、付き合ってほしいんだ」
「付き合うって?」
「……会わせたい人がいる」
にこりとも笑わない顔に、少しだけ不安を感じた。
会わせたいって、どういうことだろう。一緒にカラオケに行こうとか、そういう雰囲気ではなさそうだけど。
「駅そばのカフェで待たせてるんだ」
「えっと……なんの話かな。変な勧誘とか宗教はお断りだよ」
「ああ、ごめん。そういううんじゃないよ! その、会わせたいのは……」
慌てた結城くんは忙しく視線を動かすと、ガリガリと髪をかき乱した。
「俺の彼女なんだけど」
「彼女?」
意外な返答に首を傾げると、言葉を濁した結城くんは周囲をきょろきょろと見まわした。もしかして、陽菜ちゃんたちを警戒しているのかな。そうなると、二人には知られたくない話ってことか。
「陽菜ちゃんは明日のライブに備えるって急いで帰ったよ。猪原さんは今日、図書館のバイトだっていってたよ」
「そう、なんだ」
ほっと胸を撫で下ろした結城くんは一度深く息を吸った。そうして、手を合わせると「頼む。会ってほしいんだ」といいながら私を拝んだ。
事情はよくわからないけど、だいぶ困っているのかな。
「まあ、会うくらいなら」
「助かる!」
「……恋人の振りをしてくれとか、そういうのはお断りだからね」
「ああ、そういうんじゃないよ。とにかく、会った方が話が速いから」
スマホを取り出した結城くんは、行こうかといって歩きながらメッセージを打ち始めた。喫茶店にいる彼女に連絡をしているんだろう。
大学を出てしばらくすると、結城くんは辺りを見回した。もうすぐ駅だけど、待ち合わせの喫茶店を探しているのかな。
「待ち合わせ場所を探してるの?」
「あー、いや、そうじゃなくて……同じ学部のヤツがいないのを確認してた」
「どうして?」
「あのさ……坂下さんの片思いの相手のことなんだけどさ」
「東條さん?」
結城くんの彼女に会うっていうのに、どうして東條さんが出てくるのか。予想外過ぎて、きょとんとしてしまった。すると、結城くんは肩を寄せるようにして近づくと、少し屈んで「ライフメトリクスの社長、東條一織だろ?」と、こそこそ尋ねてきた。
どうして、結城くんが東條さんの会社のことを知っているのか。
驚きすぎて、否定することもできずに息を呑んだ。
私たちが一緒にいたのを見た猪原さんだって気付かなかったのに、どのタイミング気付かれたのだろう。東條さんの顔を見たのだろうか。
もしかして、野崎教授が東條さんを来春の特別講師に呼んでいるし、そこから情報が漏れたとか。いやいや、教授にはあの翌日にゼミ生には話さないよう口止めを去れたんだから、それはないはず。
返す言葉に戸惑っているとと、結城くんはため息をついて「やっぱり」と呟く。
「結城くん、あの、それは……」
「別に周りに話したりしないから安心して。あのお喋りな二人にもいわないし。彼女に会ってもらう前に、確認したかっただけだから」
「……どういうこと?」
「ちょっと協力して欲しくて……とにかく、俺の彼女と会ってくれ」
そういった結城くんは、再び歩き出した。
それから辿り着いたのは駅裏にある純喫茶だった。【珈琲さざんか】と雰囲気が似ている。こういうお店って数が減っていると思っていたけど、案外あるものね。
店員さんに声をかけられ、待ち合わせをしているといった結城くんは、店内を見渡した。
すぐに彼女を見つけたのだろう。さっさと歩き出す結城くんの後ろに、慌ててついていった。
一番奥の座席に辿り着くと、あまりの光景に呆然とした。だって、そこに座っている女性は芸能人かミス日本ですかと聞きたいくらいの美女だったんだもの。
ソファーに座るのは、清楚なワンピースを着ている美女だ。ブランドとか詳しくないけど、その首元や耳を飾るアクセサリーも高そうだし、だいぶお嬢様な空気を纏っている。この人が、結城くんの彼女なのか。
どこで出会って、いつからお付き合いをしているんだろう。
陽菜ちゃんと猪原さんがいたら、絶対、根掘り葉掘り質問するだろうな。なるほど、二人には内緒にしたいはずだ。
「待たせたかな?」
「そうでもないわ。ここのチーズタルト、とても美味しいわね」
「だろ? 麗華なら気に入ってくれると思った」
嬉しそうに笑った結城くんは彼女、麗華さんの横に座ると、私へと向かいの席を勧めた。
「はじめまして。橘麗華と申します。いつも湊さんがお世話になっております」
「湊さん……?」
「俺の下の名前、知らなかったの?」
「え、あ、ごめん! ずっと結城くんって呼んでたから、すっかり忘れて」
慌てて弁解すると、小さく笑われた。
「あの……坂下咲良です。はじめまして」
少し頭を下げて挨拶をすると、丁度、店員さんがお冷とおしぼりを持って来てくれた。私と結城くんがコーヒーを頼むと、店員さんはそそくさと去っていくけど、少しこっちを気にしているようだった。
まあ、こんな美女がいるだけでも気になるよね。
水を一口飲んでから「あの」と口を開くと、麗華さんが深く息を吸った。そうして、衝撃の言葉を発する。
「私、東條一織の婚約者なんです」
「……え?」
突然の宣言に、開きかけた口を閉じるのも忘れて硬直した。
東條さんの婚約者?……東條さんに婚約者がいただなんてとショックを受けながら、はたと思う。でも、麗華さんは結城くんの彼女なんだよね。
いっている意味がわからない。
困惑しながら結城くんを見ると「協力してほしいんだ」という。
「あ、あの、なんの話? 東條さんの婚約者って……」
「私は湊さん以外の方と結婚なんて考えられません」
「湊さんって……ああ、そうだ結城くんのことか。じゃなくて、あの、え?」
まったく理解ができず、二人を交互に見た。
これって、東條さんが浮気をされているってことになるのかな。でも、どう見ても二人は昨日今日知り合ったみたいな雰囲気でもないし、遊びって感じでもない。
二人の真剣な眼差しに困惑していると、麗華さんが私を呼んだ。
「咲良さんとお呼びしてもいいかしら?」
「いいですけど……」
「ありがとう。咲良さん、政略結婚なんて今時、流行らないと思いません?」
「政略結婚?」
令和の世でもあるものなのだろうか。
一般家庭で育った私にしてみれば、まったく無縁の単語だし、ラノベの異世界恋愛でしか見たことがないものだ。
優雅にティーカップを持ち上げる麗華さんを見れば、確かに、今の時代でもお嬢様がいるのだと納得はできるけど。
麗華さんがカップに口をつけたタイミングで、私と結城くんが頼んだコーヒーが届いた。
立ち上がる珈琲の芳ばしい香りが揺れ、冷えた指先で触れたカップから熱がじんわりと伝わってきた。
ティーカップが静かに受け皿へと戻る。そうして、麗華さんがおもむろに口を開いた。
「咲良さんに、婚約を解消するお手伝いをしてほしいの」
再び言葉の意味が理解できず、硬直することしかできなかった。
「あ、あの……なにがなんだか」
「湊さんから聞いたわ。咲良さん、一織さんのことが好きなんでしょ?」
「それは……」
「誤解しないで。私たちは、貴女の恋を応援したいの」
真剣な顔で、とんでもないことをいいだした麗華さんは、東條さんとの婚約は夏に持ち出されたものだと説明してくれた。
「好きな人がいるから無理だといっても、父は聞く耳を待たないんです。一織さんも、父が融資しているから強くは出られないようで……白い結婚でかまわないといわれました」
「白い結婚って……」
「一織さんはいい人だけど、私、彼に嫁ぐことはできません。だから、咲良さんに頑張ってほしくて」
「坂下さん、都合のいいお願いなのは重々承知だ。情けないけど、今は麗華の結婚を阻止して時間を稼ぐしかないんだ」
「……時間を?」
どういう意味だろうかと首を傾げると、結城くんは起業しようとしている理由が、麗華さんのためだと打ち明けてくれた。それしか、認めてもらう道が思いつかないんだと。
聞いているうちに頭が痛くなってきた。
二人が思い合っているのは十分に伝わってくる。肩を寄せ合って座っている様子から、本当に仲がいいんだっていうのも伝わってくる。
私だって、できることなら協力したい。でも、だからって東條さんの婚約の邪魔をしろだなんて。
「でも、それって……東條さんの会社はどうなるんですか?」
もしも東條さんと両想いになれたとして、彼の仕事の邪魔になるとしたら、それは本意じゃない。
将来の道がきまっていない私だって、経営を学んできた学生だ。起業する苦労やそれから続けていく大変さは、少しくらいわかっているつもりだもの。
万が一恋人になれたとしても、会社と私どっちかを選べなんて、いえるわけがない。
「出資を打ち切るなんてことはさせないわ。それに、ライフメトリクスと父の会社での共同事業も動き出しているから、手を切ることはないと思うの」
「でも……」
「一織さんが私以外の女性を本気で愛せば、父だって諦めるわ」
「でも、私と東條さんは、そういう関係には……」
毎日お弁当を届けても、土日にご飯を作りに行っても、一度たりとも甘い雰囲気になったことはない。キスどころか、手を握られたことだってない。
東條さんは、私のことを可愛い後輩くらいにしか思っていないんだろうなって感じる。ただ、ほんのちょっとだけ親を亡くした寂しさを知る同士だから、居心地がいいんだろう。
恋をしているのは、きっと私だけなんだ。
そんな私が、東條さんに愛されることなんて……
「一織さんの車に乗せてもらったそうね」
「え、はい……」
どういう意味だろうかと首を傾げると、麗華さんは小さくため息をついた。
「車ってプライベートな空間でしょ。誰でも乗せる訳じゃないと思うの」
「……そうでしょうか?」
「少なくとも、私は一織さんの車に乗ったことがないわ。乗りたいとも、二人きりになって会話が成立するとも思えないけどね」
「俺も、好きでもない子を車には乗せないと思うよ。それも毎日だろう? 自信持ちなって」
そういわれても、なんの取柄もない私が東條さんに愛されるだなんて、そんな都合のいい話しがあるわけない。
カップの中で揺れるコーヒーを見つめ、ため息をついた私は「考えさせてください」と答えるのが精いっぱいだった。
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