第7話 君と食事を味わう(一織side)
野菜を洗うところまでは手伝ったが、他に手伝えそうなことはなかった。
てきぱきと動く咲良ちゃんを側で見ていたくて、カウンターにノートパソコンを持ち出し、報告書に目を通しながらすごした。
時折、可愛い姿を見ては頬が緩む。
咲良ちゃんが「お嫁さんになったら、毎日作らないとですね」と冗談をいったとき、つい真に受けて、そうなったら幸せだろうなんて口走ってしまった。小松菜を洗っていた音で、どうやら届いていなかったようだが。
ほっとしたような、残念なような複雑な気持ちだ。
十二時を少し回った頃、炊飯器が炊飯の完了を知らせた。
無機質な部屋には、醤油と出汁の香りが充満している。
自前のエプロンを身につけた咲良ちゃんは、炊飯器を開けると深く息を吸って目を細めた。
「美味しそうに炊けましたよ、キノコご飯」
「さっきから美味しそうな匂いで、お腹が鳴ってるよ」
「鮭のホイル焼きもできたし、いつでも食べられますよ」
小首を傾げた咲良ちゃんは少し遠慮気味に「食べますか?」と尋ねた。おそらく俺の仕事を気にしているのだろう。
ノートパソコンを閉じながら「運ぶの手伝うよ」といえば、可愛い笑顔で「お願いします」と頼まれた。
本当に、こんな日が続いたらいいのにな。
キノコの炊き込みご飯に鮭のホイル焼き、ポトフ、大根の肉そぼろあんかけ、小松菜の和え物。これでもかと野菜が使われた料理が、殺風景なテーブルを彩る。
咲良ちゃん用に買ってきた食器にも、当然だが、同じものが盛られている。それがどうしようもなく幸せに思えた。
二人分の食事が並ぶのは、いつぶりだろうか。
「昼間から豪勢だな」
「いっぱい食べてくださいね」
向かいに座った咲良ちゃんは、いいながらスマホを料理にむけた。
「モニターの記録か」
「はい。毎日記録するのって楽しいですね」
「それは咲良ちゃんが料理好きだからじゃないか?」
俺がもし記録をしたら、咲良ちゃんの作ってくれる弁当以外は、見事にコンビニと外食ばかりが並ぶ。忙しい独身者なんて、料理が趣味でもなければそんなもんだろうけど。
「それもあるだろうけど……」
スマホを脇によけた咲良ちゃんは、少し照れたように笑う。
「あの記録って東條さんも見られるんですよね?」
「統計は俺がやってる訳じゃないが、見ることはできるな」
「……そう思ったら、恥ずかしい料理は載せられないなとか思って」
ずいぶん可愛いことをいってくれるな。
こういう瞬間、もしかしたら咲良ちゃんも俺のことを好きなんじゃないかと、期待してしまう。そうであったら、どれほど幸せか。
「別にカップラーメンが送られても驚いたりしないよ。学生だって忙しいときあるだろう」
「ラーメンを食べる時は、サラダや果物も食べるよう心がけてます」
「さすが俺の健康管理部だな」
「なんですかそれ。──さあ、食べましょう!」
くすくすと笑った咲良ちゃんは、両手を合わせて「いただきます」というと、真新しい箸を手に取った。
「いただきます」
最初に手を伸ばしたのは温かいポトフ。スープを一口飲めば、優しい味が胃に染み渡る。山盛りのキノコご飯も、バターが染みた鮭のホイル焼きも、どれも温かい。
「お口にあいましたか?」
おそるおそる聞いてくる咲良ちゃんに、美味しいよっていえばいいだけなのに、その一言がなかなか出てこなかった。
不安そうな声が俺を呼んだ。
「……東條さん?」
「ああ、ごめん……美味しいよ。食事ってこんなに温かいものなんだな」
それは料理の温かさだけじゃない。咲良ちゃんがいて、向かい合って食べるこの瞬間だから味わえるものなんだろう。
スーツ姿の母が、朝にコーヒーを飲む姿が浮かんだ。
リンゴは皮も食べられるんだからと、八等分にして種だけ取り除いたものを皿に、トーストしただけの食パンがのった皿。貧乏だったわけじゃないのに、貧相だった朝食を思い出して笑いが込み上げた。
咲良ちゃんのご飯とは比べ物にならないのに、幼かった俺にはあの朝食がなにより幸せだった。忙しかった母と時間がすごせたからだ。
込み上げた涙を堪え、もう一度ポトフを口に運んだ。すると、箸を止めた咲良ちゃんが優しい声で「ご飯って温度もご馳走なんですよ」といった。
「料理には適温があるし、人と一緒に食べると、よりいっそう温かく感じますよね」
「そうだね……忘れていたよ」
こうして咲良ちゃんが食事を作りに来てくれなかったら、この先も気付かなかったかもしれない。
柔らかく出汁で煮た大根に、箸がすっと入る。
「よかった」
ぽつりと呟いた咲良ちゃんは微笑みを浮かべて、一口に切った大根を口に運んだ。
こんな日が毎日続いたら、どんなに幸せだろうか。だけど、全てが俺の勘違いだったら、全てを失うことにもなる。
幸せな時間が一瞬でなくなったらと考えたら、耐えられそうにもない。
「東條さんが美味しいって食べてくれるの、嬉しいです。これからも、頑張って作らなきとですね」
少し照れた顔で笑う咲良ちゃんは、ご飯を口に入れて噛み締めた。
俺たちの接点である【珈琲さざんか】を越えて、学生の咲良ちゃんに、ここまで甘えていいわけがない。そう頭ではわかっている。
それに、咲良ちゃんには俺なんかより似合う、年頃の相手がいるだろう。
小松菜の和え物に箸を伸ばしながら、はじめて大学まで咲良ちゃんを送っていった朝を思い出した。
あの時、笑顔で「いってきます」といって手を振った咲良ちゃんは、しばらく俺が去るのを見ていた。だけど、一人の学生に声をかけられて視線を逸らすと、なにか楽しそうに話し始めた。
俺以外に向けられた笑顔を始めてみて、咲良ちゃんと自分が同じところにいないと、痛感した。
いつか咲良ちゃんは、俺の知らない男と恋に落ちるんだろう。あるいは、あの青年がと思うと、喉が渇いた。それでも、彼女の幸せがそこにあるなら、俺は笑って、おめでとうというしかない。
それまで、もう少しだけ甘えてもいいだろうか。
ため息を誤魔化すようにして、ポトフのカップに口をつけた。一口飲んだら、じんわりと広がる優しい味が「甘えていいよ」といっているようだった。
「咲良ちゃんには、感謝してもしきれないな」
「ふふっ、私は東條さんの健康管理部でしたっけ? 結構楽しんで料理してますから。これからもお任せください」
「ははっ、年下にこんなに甘えて情けないオジサンだよね」
「もう、またオジサンっていった。東條さんはまだオジサンじゃないですよ! ほら、ニンジンいっぱい食べて若さを保ってください!」
ちょっと怒ったような口調で、でも決して怒っていない咲良ちゃんは笑ながら「ポトフいっぱいありますよ」といいながら自分のスープカップに手を伸ばした。
「なんでニンジン?」
「抗酸化作用が高くて手軽に食べられるのはニンジンですよ。カロテノイドとかビタミンAとか」
「咲良ちゃんって、健康オタクだね」
「ふふっ、そうかもしれません。その健康オタクが社長の健康を守ります」
おどけていった咲良ちゃんは、それから抗酸化作用が望める野菜の話を始めた。ニンジンは油と一緒に摂取した方がいいとか、春菊やオクラにはポリフェノールが多く含まれているだとか。
お父さんの過労死が、彼女を健康オタクにしたのかもしれない。
咲良ちゃんの話に耳を傾けながら食べる料理はいつまでも温かく、幸せを噛み締めながら時間がすぎた。
食事の後、洗い物をしようとする咲良ちゃんに、それは俺がやるといってソファーで休むようにいった。
食事を作ってもらった上、洗い物までさせるわけにはいかないだろう。
「東條さん、手伝わせてください」
「だめ。咲良ちゃんは休んでいて」
「でも、お金もらっているのに……」
遠慮がちにソファーに座る咲良ちゃんは、ちっとも休んでいるようには見えない。
「咲良ちゃんの時間をもらっているんだ。当然の対価だよ」
「でも……」
「じゃあ、五万ださなかったら、咲良ちゃんは俺の健康管理部を辞めるってことかな?」
あらかた汚れを流した皿を食洗器に入れながら尋ねてみた。そうなったら寂しいが、仕方ないよなと思う反面、咲良ちゃんならそんなことないだろうと期待してしまう。
「そんなことないです!」
予想に違わない返事に、思わず顔がほころんだ。
「じゃあ、文句をいわずに対価は受け取ること。そして、ちゃんと続けるように休むこと。これは社長命令な」
「……その言い方、ズルいです」
「ははっ、冗談がすぎたか。でも、俺のために無理をして身体を壊されたくないのは本音だ。それに、これからも料理を作ってほしいって思ってる」
食洗器に洗剤を入ててスイッチを押す。
手際のいい咲良ちゃんが、食事の前に調理器具は片づけておいてくれたから、俺のやることは高が知れていた。
「それにほら。洗い物は食洗器だよりだから、もう終わるよ」
「便利な世の中ですね」
「だから、洗い物は気にしないで。……そうだ、コーヒー淹れようか」
「それだったら、私が」
「ははっ、機械任せだから、座ってて」
ソファーを立とうとした咲良ちゃんは、少し残念そうな顔をして戻る。
「豆は、さざんかで買っているんだ。けど、店長が淹れるコーヒーの方が美味しいんだよな」
「……わかります。店長に淹れ方教わってるけど、いまいちなんですよ」
微妙な温度なのか豆の量、ドリップにかける時間なのか──首を傾げながら、咲良ちゃんは呟いている。
本当に真面目で研究熱心な子だ。健康オタクに拍車がかかるわけだ。
「咲良ちゃんは研究熱心だし色々と挑戦してるよね」
「そうですか?」
「俺はドリップを教わってもやらないと思うよ。それならインスタントでいいかな」
「でも、コーヒーメイカーで淹れるくらい、コーヒーは好きなんですよね?」
「どうだろうな。このコーヒーメーカーだって、さざんかのコーヒーを家でも飲みたいと思って買っただけだし」
実際のところ、コーヒーメイカーも毎日使うわけでもなく、インテリアと化している。
ドリップパックにコーヒーの粉を、タンクに水を注いでセットするだけで美味しいコーヒーができあがる。所要時間は十分かそこらだ。忙しい朝でも便利だと思ったんだが、案外、その数分がなかったりする。
「効率を考えたら、インスタントが最強だからな」
コーヒーが抽出される様子を眺めながら話していると、たまにならこうして淹れるのも悪くないと思わなくもない。
「時間をかけて淹れるドリップコーヒーって、特別な味がしませんか?」
「特別か……だから、さざんかに行きたくなるのかもな」
「そんなコーヒーを淹れられたら素敵ですよね。だから練習してるけど……」
なかなか上達しないのだと言葉を濁した咲良ちゃんは、すんっと小さく鼻を鳴らして「いい香りがしてきましたね」と笑った。
「さざんかの店長ほどじゃないが、コーヒーメーカーが淹れるのも、なかなか美味しいよ」
ポットを傾け、二つのカップに優しい香りをくゆらせるコーヒーを注ぎ入れる。
「砂糖とミルクはいる?」
「なくて大丈夫です」
カップ両手に持ってゆき、片方を咲良ちゃんに差し出しながら、その横に腰を下ろした。
いつもは一人で座っているソファーが、やたら狭く感じる。だけど、それは決して心地悪いわけではなく、むしろ程よく心地いい温度を感じる。
コーヒーを一口飲んだ咲良ちゃんは、ほっと息をつくと笑った。
「悔しいな。私が淹れるより美味しいです」
「そうなの?」
「……東條さんが淹れてくれたからかな」
少し照れたように笑う顔が可愛くて、このまま時が止まってもいいとさえ思った。
次回、本日19時頃の更新となります
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