第2話 冷凍食品も侮れない
東條さんと二人で廊下に残され、一瞬、会話が途切れて静かになった。
「……野崎教授は相変わらず騒々しいな」
苦笑する東條さんは、帰ろうかといって歩き出す。それを追いかけると、ようやく冷静さを取り戻して私の思考が動き始めた。
つまり、東條さんは私の通う浜都国立大経営学部のOBで、ベンチャー企業社長という成果を収めた。だから、学生時代に所属していたゼミの教授である野崎教授から特別講師を頼まれ、打ち合わせのために大学を訪れていた。そこに、私は偶然居合わせたってことよね。
二人で肩を並べて歩き出しながら「驚きましたよ。浜大のOBだったんですね」と訊ねると、東條さんは少し眉を寄せて笑いつつ頷いた。
「まさか咲良ちゃんが後輩だったなんてな。しかも、野崎教授のゼミに来年から入るなんて、世間も狭いね」
「本当に。まさか、東條さんがベンチャー企業の社長だなんて……そんな凄い人だったんですね」
「そんな凄くもないよ。昼飯を食べ損ねて後輩に怒られるような、ダメ社長です」
おどける様にいった東條さんは、お腹を摩ると「実は今日も食べてなくてさ」と目じりを下げて笑った。
「また食べてないんですか?」
「ははっ、面目ない。コンビニにでも寄って、なにか買っていくよ」
「……東條さん、ちゃんとご飯食べてますか?」
私の質問に、東條さんは視線を逸らして「それなりには」なんて言葉を濁す。
物凄く怪しい。ちゃんと食べていないんじゃないかな。
私のお父さんもいつも忙しく働いている人だった。
夜遅くに帰宅してご飯を食べながら、お昼ご飯を食べ損ねたってお母さんと話しているのを、何度か聞いたことがあった。夕飯だって、お母さんが用意しないと食べないでお酒しか飲まないような人だった。
東條さんとお父さんは別人だってわかってる。なのに、どうしてか同じような気配を感じていた。
「朝ご飯は、なにを食べたんですか?」
「えーっと……バナナとヨーグルトとコーヒー」
「……なんですか、その間違ったダイエットしてる女子みたいな朝食」
「ははっ、時間がなくてな」
バナナは皮をむくだけだから楽だしなんて笑っているけど、それでお昼ご飯を食べ損ねたって、どう考えても寿命を縮めるような食生活だ。
「東條さん、体が資本ですよ。ちゃんとご飯食べてください!」
「……わかっているんだけど、なかなか作る時間がね」
「会社にレンジと冷蔵庫くらいありますよね? お弁当を買いに行く暇もないなら、冷凍食品とか」
「……冷凍食品か」
「最近の冷凍食品は有能ですよ」
「そうなの? あまり美味しかった思い出がないからな」
少し困ったように呟いた東條さんは、首を摩りながら「苦手なんだよな」と呟いた。
なにか訳ありのような感じだな。だとしても、ご飯を食べないのはよくない。大学でも、体が資本って話は基本中の基本だって教わると思うんだけどな。
東條さんって背が高いし、体力に自信があるんだろうな。でも、それって凄く危険なことなんだよね……
ふと過労で他界したお父さんの顔が浮かんだ。
お母さんが体が弱いこともあって、お父さんはいつだって無理をして働いていた。だから、身体のSOSを無視し続けて、取り返しのつかないことになったんだよね。
東條さんには、そんなことになって欲しくないな。
スマホをちらっと見て時間を確認する。
塾のバイトまで、まだ余裕がある。スーパーに立ち寄るくらいなら大丈夫だろう。
「東條さん、少し時間ありますか?」
「なんで?」
「コンビニじゃなくて、スーパーに行きましょう。ここから近いところだと、ライフガーデンの冷食コーナーが充実しているんです。案内します!」
思い切って誘うと、東條さんは腕時計をちらっと見た。そうして、スマホを取り出して少し考えるそぶりを見せると「いいよ」と頷いた。
「一本だけ電話していいかな?」
「はいどうぞ!」
ちょうど校舎を出たところで、東條さんは宣言通り電話をかけはじめた。そのまま、最寄り駅に向かう道とは逆方向へと歩き出す。
「東條さん、駅はあっちですよ」
まだ話している東條さんの袖をちょっと引っ張り、駅の方を指差すと、切れ長の瞳が細められた。すると、長い指が来賓用駐車場の方角を示した。
もしかして、車で来てるってことかな。
通話をしながら時折、苦笑を見せたり「そこをなんとか頼むよ」と気楽な感じに話していた東條さんは駐車場を進むと、シャープな流線形の車の前で立ち止まった。
濃紺のメタリックカラーが光を反射してキラキラと輝いているこの車、きっと外国産だ。だって東條さん、左のドアの前に立ったもの。 車に興味がない私でもわかってしまった。
一般庶民な私からしたら、夢もまた夢みたいな車だ。
ベンチャー企業で成功するって凄いんだなと、変に感心していると、東條さんがため息をついた。
「それには間に合わせる。ああ、問題ない。それじゃ、これから移動するから」
どうやら話は終わったらしく、通話を切った東條さんは「お待たせ」といって車のドアを開けた。
さあと促されて助手席に乗り込むと、シンプルな内装にただ驚いた。
「最近の車って、タッチパネルなんですね。メーターもパネルなんだ」
「そうだね、増えてると思うよ。まあ、俺はあまり車に興味はないし動けばいいんだけど」
「ええっ、こんな高そうな車に乗っていて──!」
思わず素で反応すると、スマホを触っていた東條さんは大口で笑い出した。
「ははっ、確かに安い買い物ではなかったな。俺としては車に金をかける気はなかったんだけど」
楽しそうな顔で話しながら、シフトレバーを倒した東條さんはアクセルを踏む。すると、車は私の知るようなエンジン音を立てることなく動き出した。お母さんが乗っている中古車とは大違いだ。
「うちの副社長が、見栄も時には必要だって煩くてな」
「はあ……そんなもんですかね?」
「どうだろうな。けど、咲良ちゃんが喜んでくれたら、安い買い物だった気がしてきたよ」
「いやいや、車は高い買い物ですから!」
たまたま乗せてもらったにすぎない私で帳消しになるような値段じゃないはずだ。
ふと窓の外を見て、いつの間にか車が加速していることに気付いた。信号で止まる時も、とても静かで身体に余計な負担がかからない。外観はとてもスマートだし、なんて静かな車なんだろう。
「東條さんって、社長さんだったんですね」
「独立したばかりで、まだ駆け出しだけどな」
「いつもお疲れでお店に来るから、どんなブラック企業で働いているのかと思ってました」
再び静かに発進する車内から外を眺めながら、素直に思っていたことを話すと、また大笑いされる。
「福利厚生はちゃんとしてるよ。けど、まあ……俺は別だからさ」
「別って?」
「今動かないと後悔するっていうか、じっとしていられないといかね」
真剣な眼差しがフロントガラスの向こうに向けられていた。その声は少し固くて、一瞬、焦りのようなものが見えたような気がした。
若くしての成功だって野崎教授は褒めてたけど、もしかしたら、東條さんはまだ成功したなんて思っていないのかも。
「……それなら、もっとちゃんとご飯食べないと。社長さんが倒れたら、社員さんたち困りますよ! 大学でも、メンタルヘルスや自己管理は学びましたよね?」
「あー、痛いところついてくるな。自己管理とウェルビーイング……篠原教授ってまだ大学にいる?」
「いますけど……もう、誤魔化さないでください!」
「あ、ライフガーデンってあそこだよね?」
東條さんはハンドルを切りながら笑って誤魔化した。
健康は本当に大切だ。一度壊したら戻すのは本当に大変なんだから。
スーパーにつくと、買い物カゴを片手に冷凍食品のコーナーへと、足早に向かった。
今すぐ食べるなら、お総菜コーナーでお弁当を見てもいいんだけど、東條さんには今日のご飯じゃなくてこれからのことも考えてほしいからだ。
「へー、最近の冷凍は凄いね。昔の冷凍野菜っていったら、ミックスベジタブルの印象が強いけど。ナスまであるんだ」
「揚げてあるので便利ですよ。煮物とか炒め物とか簡単に作れます」
「トン汁用のミックス野菜って凄いね。え、オクラまであるの?」
意外なことに、東條さんには興味津々で冷凍野菜を眺めはじめた。
そういえば、お店で遅いお昼を食べる時も野菜のホットサンドとか、スープも野菜一つ残すことがないんだよね。
「ゴボウのささがきまであるよ。これだと、きんぴら作るの楽だね」
「……東條さん、もしかしてお料理できるんですか?」
「んー、まあ、独り身が長いからそこそこは」
「じゃあ、なんでちゃんと食べないんですか!」
呆れ半分で尋ねると、苦笑を浮かべた東條さんは「自分のご飯を作るのって虚しくない?」といった。
「虚しい?」
「料理をして食べた方が健康的なのはわかるけどさ。自分のために作って、洗い物をして……その時間があるなら、働いてる方が俺は有意義っていうかさ」
淡々と語られた話しに、どきっとした瞬間、お母さんの顔が浮かんだ。
私はご飯が好きだ。
お母さんが作ってくれる煮物が好きだし、私の作ったスープを美味しそうに食べてくれるお母さんのことも大好きだ。手作りじゃなくてもいい。買ってきたお惣菜だって美味しいって笑っていた。
一人暮らしを始めたばかりは、寂しくてお母さんと通話しながらご飯を食べたこともあった。
友だちができて、部屋に招いて一緒に食べることも増えて──私にとってのご飯は、誰かの笑顔があるんだと、ふと気付いた。
もしかして、東條さんがご飯を疎かにしているのって……
「だったら、誰かと一緒に食べたらどうですか?」
「昼休みまで社長の顔色は窺いたくないだろ?」
「ベンチャー企業ってそんなお堅くないですよね。社員と打ち解ける機会だと思えばいいのに」
「……咲良ちゃん、手厳しいな。本当に大学2年生なの?」
「東條さんが体を大切にしないからいけないんです」
冷凍パスタが並ぶ横、お弁当タイプのパッケージの前で立ち止まった。
「ほらこれ、ご飯にメインのおかずと付け合わせまで、ついてるんですよ」
「ああ、このタイプか」
冷凍野菜に興味を示していたから、冷凍お弁当も驚くと思っていたのに、東條さんの反応はとても淡泊だった。
「知ってたんですか?」
「食べたことはないけどね。最近、冷凍弁当の宅配専門サイトとかもあるでしょ」
「ありますね。一人暮らしや共働き世帯に浸透し始めてるって話ですが」
「栄養のバランスもいいし、忙しい世代には響く商品だよね」
「お値段も手ごろですからね。私も塾講師のバイトの夜はこれを買うことあるんですよ」
いいながらカゴに一つ、ハンバーグとピラフのセットを入れる。
「さざんかのバイトだけじゃなくて、塾講師までやってるの? ずいぶん働くね」
「……うち、母子家庭なんですよ。親に負担かけすぎたくないんで、学費とアパート代以外は自分でなんとかしてるんです」
母子家庭のことを隠す気はなかった。
ただ、私を見ていた東條さんが凄く驚いた顔をしたから、打ち明けるのはこのタイミングじゃなかったのかもしれない。
「私、ご飯を食べるのが大好きなんです。お母さんのご飯が美味しかったから。だから、一人で食べるのが寂しい気持ちはわかります。でも……もしも、ご飯を食べないで私が倒れたら、お母さんは心配するだろうから」
だから、一人でもご飯は食べないといけないと思ってる。疎かにしちゃいけない部分だって。
お父さんが過労で早世したのを、お母さんは凄く後悔している。自分が無理をさせたんだ。もっと食事に気を遣っていれば。そう何度も泣きながらいっていた。
東條さんは若いけど、若さでカバーできるのは短い期間だけなんだよ。私のお父さんみたいには、なってほしくない。
「もしも倒れたら、東條さんのお母さんだって……東條さん?」
冷凍食品の陳列棚から、東條さんはお弁当を一つ取り出した。私と同じハンバーグとピラフのセットだ。私の持っていたカゴにそれを入れると、カゴの持ち手を掴みながら少し笑ってくれた。
「咲良ちゃんのオススメはこれだよね? せっかくだから副社長にも買っていくかな。あいつも食には無頓着でさ」
「……オススメなら、他にもあります!」
私の気持ちが少しは届いたのかな。そんな気がしてホッとしながら、広い冷凍食品コーナーを隅々まで回った。
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