第15話 一緒に戦いたい
私たちの幸せな時刻を引き裂くように、スマホが着信を告げる。
「ごめんね」と申し訳なさそうな顔でいった一織さんは、スマホを手に取っ瞬間、穏やかだった表情を一変させた。
すっと立ち上がり、窓辺の方へと歩いてく。そうして、スマホを耳に当てると「なんの用ですか」と静かにいった。
聞いたこともないような冷たい声だった。
「──その話は橘社長と済んでいます。あなたが口を挟むことじゃない」
橘社長って、麗華さんのお父さんのことだよね。だとしたら、この電話は一織さんのお父さんからなのだろう。婚約解消を怒って連絡してきたのかもしれない。
不安に思いながら様子を見守っていると、一織さんは声を震わせた。
「彼女は関係ないだろう!」
明らかに怒っているのが、声だけじゃなくて後ろ姿からも伝わってくる。
なんの話をしているんだろう。麗華さんのことだけじゃないのかな。
どうすることもできず、胸元のダイヤモンドに触れた時だった。
「ふざけるな!!」
声を荒げた一織さんの拳が窓に叩きつけられた。
「あんたはどれだけ、俺の大切な人を傷つければ気が済むんだ。もうたくさんだ!」
言い切った一織さんは、通話を切ったのだろう。それを握りしめたまま窓に片手をつき、少し項垂れた。
どうしたらいいのか見当もつかない。だけど、肩で息をする一織さんをただ見ているのは辛かった。
「……一織さん」
そっと近づいて背中に触れると、びくりと震えた。まるで怯えるような反応だ。
「今のはもしかして、お父さんから?」
できる限り平静を装って尋ねたけど、自分でもわかるくらい唇が震えていた。
一織さんは返事をしない。なにを考えているんだろう。
あんなに幸せに満ちていた朝が、たった一本の電話で崩されるなんて。
振り返らない一織さんの背に寄り添い、その胸に両手を回し。大きな背を抱き締めた。こんなことで安心するかわからないけど、今はこれくらいしかできない。
「なにがあったのか、教えてくれないんですか?」
「……すまない。みっともない姿を見せた」
「そうじゃなくて、なにがあったか話してください」
やっと返ってきた言葉が謝罪だなんて。
婚約解消のことは、私にも責任があるっていったのに。一織さんの力になりたいって、あんなに話したのに。昨夜のことを、もう忘れてしまったのだろうか。
逞しい一織さんの胸から、強い鼓動が伝わってくる。
「私を信じてくれないんですか?」
「違う!」
私の手を振り払った一織さんは、こちらを振り返ると辛そうな顔を見せた。怒りと悲しみ、どうしようもない感情が彼を満たしている。
「一織さん、もう一度デリゲーションのお話をしましょうか?」
静かに尋ねれば、綺麗な眉が辛そうにしかめられた。
私を巻き込みたくないとか、自分で背負い込もうとしているに違いない。それが一織さんの優しさでもあるんだろう。だけど、本当に厄介なくらい頑固だわ。
「お父さんからの電話だったんですよね?」
改めて尋ねれば、押し黙る一織さんは一度、唇を強く噛んだ。それから、ため息をつくように低い声でああと相づちを打つ。
「婚約解消のことで、なにかいわれたんですね?」
「……ああ、今から橘家に謝罪にいけといわれた」
想像通りといえば想像通りだった。でも、婚約を推し進めていたお父さんがそういうのは、一織さんだって察しがつくはずだ。なのに、我を忘れるほど怒っっていた。きっと、それ以外に一織さんを怒らせるなにかがあったんだ。
「他には、なにをいわれましたか?」
「それは……」
「隠さないで下さい。私にできることは限られてるけど、でも、なにも知らないんじゃ一緒に打開策を考えようもないですよ。大学で、リスクヘッジでは情報共有が大切って学びませんでしたか?」
ベンチャー企業の社長に講釈を垂れるなんておかしな話だ。だけど、きっと一織さんにはこのやり方が一番響くはず。
「悪い情報を伝えたくないって感情が働くことで、早期解決策を潰すことだってあるんですよ」
「……咲良ちゃん」
「婚約解消の件は一織さんだけの問題じゃありません。私の問題でもあるんです。話してください!」
項垂れる手を掴んで懇願すると、一織さんは深く息を吸い込んだ。
「ホットケーキ冷めちゃったね」
「一織さん、今はそういうことじゃなくて!」
「食べながら話すよ。ああ、スープも冷めてるから、温めなおそうか」
落ち着いた声に戻った一織さんは、私の頭を撫でると「咲良ちゃんには敵わないな」といって笑った。
それから、レンジで温めなおされたスープを持ってきた一織さんはカップに口をつけた。あんなに、レンジで温めるのが嫌いだっていっていたのに。
「冷めてるより美味しいね」
私の視線に気づいたのか、少し笑ってそういった。それから、ホットケーキをひと口大に切りながら話しを始めた。
「どこから話そうかな……俺の母親が愛人だったって話はしたよね」
「はい。早くに亡くなって、一織さんは、お父さんと暮らすようになったんですよね?」
「ああ、それが中学の頃だ。あの男と本妻の間には子どもがいなくてな。俺が生まれた時は厄介払いをしたくせに、母さんが死んだら目の前に現れて、俺のことを跡取りだとかいいだした」
未成年で従うしかなかったこと、必ず独立して東條家を出ていこうと決意したこと、ようやっとベンチャー企業の社長となれたこと。淡々と話す一織さんは、その合間にホットケーキを口に運び、気付けば全て平らげていた。
「今動いているプロジェクトで、どうしても不動産に強いチームが欲しかったんだ」
「……不動産」
「俺も独立する前はあの男の元で働いていた手前、そっちの業界にもそれなりに顔は広い。だけど、俺があの男と上手くいっていないって噂は、それなりに知られているせいか、なかなか業務提携を結べずにいた」
「もしかして、そこに名乗りを上げたのが、橘社長?」
「ああ。だけど、それは……全部あの男が仕組んだことだった」
どうしても不動産業と連携が必要だった。そこにつけ込まれたんだといい、深いため息をついた一織さんは後ろのソファーに寄りかかった。
「業務提携が決まり、プロジェクトを進める最中に婚約の話を持ち掛けられた」
断ればせっかくの機会をふいにするかもしれない。そう不安に思ったのだろう。だから、麗華さんに白い結婚だなんていったのね。
「なんとか結婚を先延ばしにし、プロジェクトが軌道に乗ったら婚約を解消しようと考えていた」
「だから、麗華さんとは会わないように、忙しく働いていたんですか?」
「……それもある。都合よく、あのお嬢さんには結婚の意思もなかったからな。好きな男がいるなら、それも当然だよな」
空になったお皿を重ね始めた一織さんは「コーヒーを淹れよう」といって立ち上がった。
キッチンについていくと、少しだけ困ったように微笑まれる。
「橘社長はいい人でな。仕事の上でも話が合う。ただ、結婚に関しては考えが古くて、家柄を気にする人なんだ。だから、東條に目をつけた」
「……家柄」
「婚約解消を受け入れてもらえそうになくってさ。仕方なく、俺が愛人の息子だって話をしたら、顔を真っ赤にして騙したのかと怒鳴られたよ」
コーヒーメイカーから芳ばしい湯気が立ち上がる中、一織さんの寂しそうな声が響く。
小さくため息をつき「好きで愛人の子になったわけじゃないのにな」といった言葉が、突き刺さった。
「けど、あの男の面に少しは泥が濡れたかと思えば、気分がよかったよ。怒鳴られるのも、蔑まれるのも慣れているからな」
一織さんの背中が泣いているようだった。
どうしたらいいかわからず、その背中にそっと寄り添うと、振り返った彼は穏やかに「大丈夫だよ」と呟く。
ちっとも大丈夫じゃない。一織さんの心はどこまでも傷つけられてきたんだ。
大手ゼネコン東條建設の息子で、ベンチャー企業の社長。肩書は凄く輝いているのに、彼がちっともそう見えなかったのは、こんなにも悲しみを抱えているからだったんだ。
「泥を塗られたあの男からしたら面白くないだろう。橘社長から、婚約解消の話を聞き、さっき電話をかけてきたわけだ。謝りにいけと。それから……」
コーヒーカップを取り出した一織さんは、ポットをゆらゆらと揺らすと、ゆっくりそれを注いだ。
「咲良ちゃんのことを調べたといわれた」
「……え?」
「大学を退学に追いやるくらい、造作のないことだと脅された」
コーヒーの残るポットがコーヒーメーカーに戻される。
「咲良ちゃん……愛してる。側にいて欲しい。だけど……君の未来を潰すようなことはしたくないんだ」
「……一織さん?」
「君を守るために俺ができることは」
いいかけて言葉を飲み込んだ一織さんは、今にも涙をこぼしそうな顔で私を見た。
「咲良ちゃん、もう君とは二度と会わない」
「どうして、そんな。待って」
「今の俺では、あの男に太刀打ちできない。君を守るためには」
「待って、一織さん! そんなのおかしい!!」
伊織さんの袖を掴み、毅然とその顔を見つめた。
「咲良ちゃんは優秀だ。俺に経営学の大切さを説ける学生だよ。それなのに、あんな最低男の身勝手で、将来を潰させるわけにはいかない」
「一織さんがいなくなったら、その時点で、私の未来は潰されたも同じです!」
大学を卒業できなかったからって、なんだっていうのだろう。
生涯支えたいと思えた大切な人を失って、どうして幸せになれるというのか。
「苦しんでいる一織さんを見捨てて、私が幸せになると本気で思ってるんですか?」
「……咲良ちゃんは若い。これからも出逢いはいくらでもあるよ」
「そういうことじゃなくて! 私は一織さんと幸せになりたいの。一織さんを幸せにするって決めてるの!!」
思わずカッとなって声を張り上げると、一織さんは目を見開いた。
ああ、こんな時、どう説得したらいいんだろう。
これは一種のハラスメント案件よね。親子関係があるから結婚に多少の口出しは認められるのかもしれない。でも、いきすぎているのを考えたら、法的対抗措置を検討してもいいんじゃないかしら。
そもそも、私を大学にいられなくするって、立派な脅しだわ。
「一織さん、戦いましょう!」
「……咲良ちゃん?」
「お父さんのしていることは立派な脅し、強要罪に当たりますよね。……ああ、法律の授業もっと真剣に聞くんだったな。とにかく、法的措置を取れるレベルだと思うんです。まずは顧問弁護士に相談をして」
鼻息荒くいい始めると、しばらくして一織さんは肩を震わせて笑い出した。
「……一織さん?」
「咲良ちゃんは、どうしてそう……」
小さく笑った一織さんの瞳から不安や絶望の色が消え、その瞳に鋭い光が宿った。
「俺はあの男から逃げることしか考えれなかった」
「それはきっと、一織さんがたくさん心の傷負っているからで」
「だとしても戦わないと。……そうだろう?」
「はい。一緒に戦いましょう!」
一人で戦えないなら私がいる。その気持ちをわかってくれたのかな。
コーヒーカップを私に差し出した一織さんは「忙しくなるぞ」といってキッチンを出た。その後ろ姿からは、窓辺にいた時のような怒りを感じない。窓から差し込む朝日を受けて輝いていた。
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