第11話 君を失いたくない(一織side)
マンションの側にあるコンビニに立ち寄り、朝に食べるものを調達することにした。
土曜の朝は咲良ちゃんのおにぎりを楽しみにしていたこともあり、冷蔵庫は相変わらず空っぽだ。それに、女の子が外泊するには必要なものもあるだろう。
「梅干しと、カット野菜、ベーコンに卵。それと……」
食品の並ぶ棚へと真っ先に向かった咲良ちゃんは、次々に必要なものをカゴへと入れていく。梅干しを買うってことは、おにぎりを作ってくれるのだろう。
「オレンジジュース買っていいですか?」
「かまわないよ。オレンジジュース好きなの?」
「はい。冬に飲むホットオレンジジュースが大好きなんです」
「へぇ……ん?」
オレンジジュースなんて可愛いチョイスだなと思いながら頷いた直後、聞きなれない言葉に首を傾げた。
咲良ちゃんの手には、100%オレンジジュースの紙パックが持たれている。どこのコンビニやスーパーでも見かける1リットル入りのものだ。
「今、ホットっていった?」
「いいましたよ」
「いやいや、オレンジジュース、しかも100%を温めるって聞いたことないんだけど」
「そうですか? さざんかのメニューにもありますよ」
初耳だ。それって美味しいのか?
料理上手の咲良ちゃんが美味しいというなら、そうなのだろうけど、にわかには信じがたい。
「私も初めて存在に気付いた時びっくりしました。昔の喫茶店ではよくあるメニューだった、て店長がいってましたよ」
「……ごめん、にわかには信じがたいんだけど」
「私も最初、罰ゲームかなにかかと思いましたよ」
「そうだろうね」
「ふふっ、そうでしょうね。マンションに着いたら作るんで、飲んでみてください!」
これは断るに断れない展開だな。
少しの不安を抱きながら「一口だけね」といえば、咲良ちゃんの目が少し悪戯っ子みたいに笑った。
「他にも必要なものあるよね?」
「……他にですか?」
きょとんとした咲良ちゃんはカゴの中を覗き込むと、不思議そうに首を傾げた。たぶんこれは、朝食のことしか考えていないな。
持っているバッグが小さいのを見れば、化粧ポーチだって入っていないだろう。そもそも、少しだけ話したらアパートに戻るつもりだっただろうし。
「パジャマも売ってると思うよ」
「えっ……」
「俺のじゃデカすぎるだろ?」
それはそれで、男の夢がつまった姿になるから大歓迎だが、そうなるとキス以上を堪えるというのも苦しくなりそうだ。
平静を装って咲良ちゃんを見下ろすと、白い頬がぽっと染まった。
本当に初心で可愛いな。
慌てて移動する後ろをついていくと、雑貨が並ぶ棚の前で、咲良ちゃんはパジャマではなく別のパッケージに手を伸ばしていた。
「スキンケアのセットも買っていいですか?」
「ああ、そうか。シャンプーとかは俺の使っているのでいい?」
男の俺と違って、女の子ならヘアケアにも拘りがあるかもしれない。そう思ったが、咲良ちゃんはまた顔を赤らめて「使わせて頂きます」なんて緊張気味にいった。
スキンケアセットをカゴに入れた咲良ちゃんは、棚をちらっと振り返る。なにか必要なものがあるのだろうか。
視線の先を見れば、下着のパッケージが並んでいる。だけど、それを買いたいというのは恥ずかしいといったところか。
どうしたら、こんなに初心で純朴そうな子に育つのだろう。
田舎にいるお母さんの教育が素晴らしかったのか、天然なのか。どちらにせよ、可愛らしく悩む姿を見て、大切に付き合わないとと改めて心に誓った。
すると、咲良ちゃんははおずおずと話しかけてきた。
「あの、一織さん……明日、お買い物の前に一度アパートに戻っていいですか?」
「かまわないけど、どうして?」
「いや、その……着替えたいし、コスメ持って来てないし」
そうか、化粧もする必要があるな。
棚に視線を向け、並んでいるいくらかのコスメを見て、思わず口元が緩まった。
「ここに売ってるのじゃ、合わない?」
「それは使ってみないと……でも、家にあるので」
「なるほど。まあ、俺には化粧のことはよくわからないし、いいよ。朝ご飯を食べたら送っていくよ」
「ありがとうございます!」
「洋服も着替えたいだろうしね。そうだ、明日は着替えも持っておいで」
「……え?」
いわれた意味がわからなかったのだろう。きょとんとした咲良ちゃんを横目に、女性用の下着に手を伸ばし「お気に入りがあるでしょ?」といいながら、サイズを見てみる。さすがに、女性のサイズはよくわからないな。
「あ、あの、一織さん……」
「咲良ちゃんは小柄だから、これとか大丈夫そうだけど。どう?」
「は、はひぃ!?」
シンプルなピンクの下着を差し出すと、その顔が真っ赤になってしまった。
別にやらしい意味はないんだけど、初心な反応が可愛すぎて、つい悪戯心に火がついてしまった。
「明日も泊ってほしいし、なんなら着替えは置いていっていいからね」
「えっ、あ、あの……」
「他に必要なものは?」
「……ない、かな」
真っ赤になっている咲良ちゃんに、そうかと頷いてレジへと向かう。
会計を済ませて外に出たら、横で白い息を吐いた咲良ちゃんが空を見上げた。
都会の真ん中では星もほとんど見えない。マンションの明かりばかりだ。
冷えた指を握って「行こうか」といえば、緊張しっぱなしの咲良ちゃんが大人しく頷く。
「今、年甲斐もなく浮かれてる」
指を絡めてそういえば、咲良ちゃんの指にきゅっと力が入った。
「咲良ちゃんが婚約者の話を持ち出した時、フラれるって思ったんだ」
別に俺と咲良ちゃんは恋仲だったわけでもない。だけど、好意を感じていたし、俺も咲良ちゃんに惹かれていた。そんな状況で婚約者の存在を黙っていたら、騙したといわれても言い返しようがない。
「恋人でもなかったのにフラれるっていうのもおかしいか。けど……好きだっていわれて、嬉しさと後悔に押し潰されそうになってさ」
マンションの前に辿り着き、足を止める。
少しだけ弱気になっている自分がいたのだろう。思いが通じ合っていると知った今だから、咲良ちゃんを失いたくない気持ちが膨らんでいるようだった。
「咲良ちゃんが離れていくのが怖かったんだ。いつか咲良ちゃんにも恋人ができて、会わなくなる日が来るって覚悟していたつもりなのに」
横を見ればつぶらな瞳が驚きに見開かれる。
「本気で、咲良ちゃんを失いたくないって思ってる。だから、君が嫌がることは絶対しない。帰りたいっていうなら、夜中の何時だって車を出す」
「一織さん……それじゃ、今日は手を繋いで寝てください」
微笑んだ咲良ちゃんは「それだけでもいいですか?」といった。
それで充分だと頷けば、小さな肩からほっと力が抜けた。
マンションについて風呂の用意をしていると、咲良ちゃんが「ホットオレンジジュースできましたよ」って声をかけてきた。
リビングに戻ると、テーブルに置かれた耐熱ガラスのカップから湯気が立ち上っている。入っているのは、ミルクでもコーヒーでもない。紛れもなくオレンジジュースだ。
恐る恐る口に近づけると、爽やかで甘酸っぱい香りが鼻腔をくすぐる。そうして一口飲み込むと、口いっぱいに果汁が広がった。
「……美味い」
「でしょう!」
予想外に美味いホットオレンジジュースをまじまじと見ていると、咲良ちゃんは自慢げに笑った。
この夜、二人で他愛もないことを話した。いつから好きになったのかとか、どこが好きなのかとか。
お互いに少し照れながら、手を繋いでベッドに横になった。そうして、心地よい眠りの訪れが会話を邪魔するまで、幸せに浸り続けた。
どうやってあの男、東條秀儀の支配から逃げようか。そればかりを考えてきた夜とは違い、穏やかで暖かな夜だった。
だけど数日後、俺は東條建設本社に呼び出され、冷ややかな言葉を突きつけられた。
「初心な小娘を、お前の母と同じ目に合わせるつもりか?」
射貫くような鋭い眼差しを前にして、背筋を冷たい汗が伝い落ちた。
次回、明日8時頃の更新を予定しています
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