第十四節 ――――――――――――――――
司祭は困惑した。
帰ったはずの少女が、再び訪ねてきた意図を推測するに、それは司祭にとって都合の良いことではなかった。
少女は揺らめくエメラルドの瞳を向けて司祭に淡々と告げた。
「『微笑む女』を見せていただけないか?」
――何を言っているんだ。
「先ほども言いましたが、私はそんな絵のことは知りません。」
「言葉は正しく使うべきだな。貴殿はこの絵については知っているし、知らないと言ったのは盗難事件について、絵の在処についてだ。どちらにせよ、嘘なわけだが。」
――何なんだ…この娘は。
少女は司祭の義理の息子と同じくらいの年齢に見える。
だが、対面している少女は明らかに見た目通りの少女とは思えなかった。
「知りません。なぜ、私が…」
「事実はわかっているので、そういう嘘は必要ない。貴殿をヤードに突き出すつもりも、絵画を取り戻そうとしているわけでもない。ただ、こちらに在るのはわかっているので、見せていただけないか、とお願いしているのだが。」
――それが依頼する者の態度なのか。
司祭はイラつくのを抑えることができなかった。
「もう一度言うが、ただ、絵を見せていただければそれでいい。拒否する理由がわからんので、悪いが、貴殿が諾と言うまで、お邪魔させていただこう。」
そう言って、少女はお茶をすすった。
――冗談じゃない。居座られてたまるか。だが…
司祭にとって厄介なことに、この少女は身分のある立場だった。
司祭は失敗するわけにはいかなかった。
ここへは半ば左遷のような形で飛ばされてきた。
――どうして、自分がアルビオン語なんかで説法をしなければならないのか。
――敬虔なる主人の使徒なら、古代語を理解すべきだろう。それが本来の偉大なる言葉なのだから。
男は、自分を最も敬虔な信徒であると信じていたし、それは男にとって唯一の真実であった。
上流階級からの寄付は、神に仕えるものとして当然に受け取るべきものであり、それを受け取っていたからという、意味の分からない理由を罪にされ、こんなところに左遷されることになるとは、男にとって、理解できない出来事だった。
理解できない出来事のせいで、理解できない状況に置かれている。
そんな自分を、男は正しい場所へ戻さねばならないと思っていた。
あの絵も、自分と同じだ。
――ここで失敗すれば、次に飛ばされるのは、未開の新天地だ。
――そんなところは耐えられない。
男が諾と言うのに、そう時間はかからなかった。
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少女は、まじまじと『彼女』を見た。
別の場所で『モナ・リザ』と呼ばれた名画によく似た、似たと言うには同じに見えるその絵は、遠い昔に読んだ記事に書かれていたのとは逆で、どこから見ても視線が合うことはない。
――不思議な絵だ。
少女は思う。
こちらを見ているようで見ていない。
そして、笑っているようにも、悲しんでいるようにも見える。
見るものによって解釈を変える、『肖像』というものをこれほどまで比喩的に表現している作品は、他にないのではないかと思えた。
少女は、この何とも言えない感慨を、一人で堪能したかった。
その機会に恵まれたことに感謝した。
埃っぽい石造りの倉庫に、一つだけある窓から日が差している。
日に当たって、『微笑む女』はより神秘的な魅力を見せていた。
ふと、少女は『彼女』の右目に違和感を覚えた。
――右目だけ、光の入り方が異なるな。
右目には、本当に光が入っているように見える。
油絵で描かれた絵画が、光を反射するはずもないのに。
少女は、彼女に近づき、右目をじっと見つめた。
どうやら、厚く塗られた絵の具に小さく傷が入れられているようだ。
――瞳孔の光彩を表現しているのだろうか…
それにしては、右目だけ、というのが気になる。
少女は、いつも忍ばせているルーペで右目を詳細に確認する。
傷は意図的につけられているようだ。
少女は絵の向きを変え、光のあたり方を何度か試行錯誤して変えた。
すると…
ある角度で光を当てると、絵から透かしのように文字列が確認できた。
目の瞳孔に合わせて、輪状につづられている。
――ふむ。
少女は絵を見ながらしばしば考えた。
――ヴィジュネル暗号か。キーは…
解剖学に通ずるほどに、人体構造を理解していた画家にしては、違和感の覚える手の配置に着目する。
――3、5、4…だな。
少女は無表情に絵画を一瞥し、元のように絵画に丁寧に布をかけると、その場を後にした。




