第三節 古典的盗難事件教室
お嬢様は、機嫌が悪くはない。
お目当ての絵を見るために公務に同行させられた挙げ句、その絵が消えていたのだから、機嫌を損ねていてもおかしくなかったはずなんだけど。
陽光に輝く金色の髪と、青空を思わせるあの瞳を思い出す。
ウィリアム王子殿下、本当にできる男だなぁ。
お嬢様が甘いものに目がないことを知ってか知らずか――いや、たぶん知ってるんだろうけど――あの後のフォローは完璧だった。
今回の公務の名目は、幼い王子殿下とその婚約者による美術品鑑賞会。
で、実際のところは、同行していた要人たち――どっかの大臣だとか役人だとかが、美術館の振興助成金や経営状況を確認するための口実だったわけで。
その助成金で購入したらしい絵がなくなっていて、美術館はてんやわんや。
そんな中、王子殿下は、自分たちは先に王宮へ戻ることにして、途中でお嬢様お気に入りのチョコレートの店に立ち寄って、丁寧にお詫びまでしてくれた上で、俺たちをブラックモア侯爵家まで送り届けてくれた。
あのチョコレートの店も、どう考えても事前に訪問の段取りが組まれていた感じだったし、いつの間に、って思う。
結果として――
お嬢様は、別に機嫌を損ねていないのだ。
機嫌が悪ければ、今ごろ屋敷中の甘いものを片っ端からむさぼり食べているところだった。
助かった……。
「それで、絵はどうしてなくなっちゃったんですかね?」
「知らんな。あの場の話では、単なる紛失ではなく、盗まれた可能性が高い、ということだったが。」
絵が盗まれるって……。
「なんで、絵なんて盗むんですかね?」
「趣味じゃないか?」
趣味?
「絵を盗むのが、ですか?」
「自分のコレクションに加えるためだったり、盗むこと自体が目的だったり、元の持ち主に返すつもりだったり……理由としては、そのくらいしかないだろう。あとは公開の阻止くらいか。絵なんて、現金化しづらいからな。」
「そうですよねぇ。宝石とかならまだしも。」
「まぁ、資産としての価値はある。だが、売り手を見つけるのが困難、ということだ。」
ふーん。
「でも、あんな憲兵が常に警備している美術館から、どうやって盗むんですかね?」
「モーリス・ルブランが生み出した怪盗アルセーヌ・ルパンは、あえて盗む前に予告状を出し、人員配置を誘導して、その隙を突いて盗みを働いていた。変装も常套手段だな。」
それは……
すっごく、かっこいいんじゃない?
「フィクションとしては、心躍るものだがな。古典的な盗難事件では、まず『盗めるはずがない』と思わせる状況が用意される。そして、『どうやって可能にしたか』が推理の論点になる。『盗めるはずがない状況』を用意するのは簡単だが、そのうえで『盗むのを可能にする』ことは、現実では難しい。もっとも、『モナ・リザ』が、清掃員のふりをした元従業員に盗まれたという、実際の事件は起こっているがな。」
「清掃員?」
「そうだ。人間は、個人の特定を必要としない場合は、役割でしか相手を認識しないものだ。特に、制服を着用しているものは、個人としてよりも役割を印象に残しやすい。ルパンも警察に変装することがあるが、それは制服が個の特定を曖昧にし、役割による固定観念を想起させる装置として、優秀だからだ。実際に起こった事件でも、清掃員の制服をきた犯人は、普通に通用口から休館日に侵入し、誰にも疑われず、そのまま白昼堂々と絵画を持ち出した。犯人はその絵を自宅に保管していたそうだが、売ろうとさえしなければ、今でも『モナ・リザ』は行方不明だったかもしれんな。」
「なんです?『モナ・リザ』って」
俺の問いに、お嬢様はちらりとこちらを見て、
「まぁ、絵画の名前だ。記憶によれば、一度盗まれて、戻ってきた。」
とだけ答えた。
ふーん。そんな絵があるのか。
「ってことは、犯人は自分のためか、誰かに返してあげるために絵を盗んだってことですね。」
「どちらにせよ、自分のためだろう。」
「えー。でも、返してあげるっていうのは、なんか義賊っぽくてかっこよくないですか? 他はちょっと自己中心的っていうか……違います?」
お嬢様は、ものすごく呆れた顔をして、何も答えなかった。
「犯人、捕まるんですかね?」
「さぁな。」




