第三十節 ――――――――――
床に横たわる男を、女はじっと見下ろしていた。
その表情は無機質だ。
女は、地獄に終止符を打つ瞬間を心待ちにしていた。
――あなたが、かばう程の男なのですか?
少女の言葉を思い出す。
――かばう?冗談じゃない。
そんな価値、みじんもない男だ。
――私は守ってきたのよ。家を、名誉を、家族を、この国を。
耐えられない程の屈辱を、吐き気がするほどの所業を、耐えてきたのはそのためだ。
――私がどれ程…この私が…あんな所業を容認せざるを得なかったなんて…
顔をしわしわにして横たわる男を、女は無機質な表情で見続ける。
男の表情は刻まれた皺のせいか、おぞましくもあり、笑っているようでもあった。
――どんな気分かしら? 自分の息子に殺されるのは。
――どんな気分かしら? 自分の孫に殺されるのは。
女は男の言葉を思い出す。
――この子は私の子だ。私に最も近い、神のごとき子だ。大切に育てねばなぁ。
「いい気味ね。」
女は表情を変えずに呟いた。
――私は、守ってきたのだ。そのために、なんだってやってきた。
気がふれてしまった娘
みっともなかった娘婿
顧客の希望を理解しない邪魔な医者
愚かなその医者の息子――
女にとっては犠牲になって当然の者たちだった
――かわいそうなのは孫くらいよ。死ぬはずではなかったのに…
女は別の少年を思い出す。
毒入りのキャラメルを渡してきた少年の、無邪気な笑顔を。
――化け物の子は、化け物なのね。
女は手に握った小瓶を握り締めた。
美しい緑色を生みだす、美しき粉。
女を救ってくれたのは、いつだってこのお守りだ。
親友の子爵夫人にもプレゼントした。
女にとって彼女は、よくできた友人だった。だが、化け物のせいで死んでしまった。
――あの化け物のしたことをごまかすために、大勢にこの美しき緑色を振る舞うことになってしまったのが悔やまれるわ。
これを持っていると、いつでもこの男をどうにかできる、という安心感を得ることができた。
でも、女は実行しなかった。男に対してだけは。
「どうして、今になって、と思っているかもしれないわね。でもね…」
女にとって、理由は単純なものだった。
ただ、条件がそろったに過ぎない。
――私がやるのでは、私のこれまでが、プライドが許せない――でも
「あなたは、神のごとき子が作った毒で死んだの。良かったわね。」
上品に口元に弧を描き、女は美しく微笑んだ。
オスカー・ケンウッドが大陸へ留学に出発した次の日、マクシミリアン・ケンウッド前公爵の病死が報じられた。
これで第二章完結です。
お付き合いいただき、ありがとうございました。




